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平行線

作者: 甘味

 

 大人になるってそういうことだろ?


 上司に合わせて頼んだ飲めないブラックコーヒーを美味しいと言いながら飲み干して、興味もない話に適当に相槌を打つ。本当はカシスオレンジがいいけれど、皆に合わせて「生の人~」の掛け声に手を上げる。

 コーヒーの苦みもビールの苦みも、それがいつの間にか美味しいと感じるようになって、いつしか当たり前になっていく。

 学生の時にゼミのプレゼンでミスったことなんて失敗のうちに入らないくらい重大なことをやらかしても、朝はいつも通りやって来る。今日もいつも通りパソコンと睨めっこして、午後は外回り。週終わりには仲のいい同期と飲んで、くだらない話と会社の愚痴を言うだけの日々の繰り返し。




「砂糖三本だっけ?」

「いや、いらない」

「え? そうなの? 昔は砂糖どばどばいれて、ミルクもたっぷり入れなきゃ飲めなかったじゃん」

「ったく、いつの話だよ。三十過ぎてそんな飲み方しねぇよ」

「えーそうなのー?」


 無駄になってしまったスティックシュガーをぷらぷら揺らしながら、熱そうにコーヒーを啜ったこの女は、いわゆる元カノというやつだ。


 取引先の最寄にたまたま早く着いたから、アポの時間まで暇をつぶそうと思い、いつもは入らないチェーン店のカフェに入った。ここのカフェはメニューが多い。結局ブレンドコーヒーを頼むのだから関係ないけど。

 いつの間にか変化を恐れて、違うことをしなくなるものだ。

 しかし、今日は日常と違ったことをしたせいかもしれない。


 時間帯のせいか混んでる店内に、唯一空いていた二名掛けの丸テーブル。すかさずジャケットを椅子に掛けると目の間の椅子にブランド物のバッグが置かれた。


 俺のほうが先だったよな?


 そのバッグの主を睨むと、そこには見覚えのある人物がいた。


 付き合っていたのは学生の時。もう十年は前になる。それでも面影を残すどころかちっとも変わっていないその人に、俺はうっかり見惚れてしまった。昔から俺にはもったいないくらい美人だったが今もその美貌は健在。


 他に席は空いていない。どうやら向こうも俺に気付いている。無言で頷き合って、相席をすることにした。昔のあの頃に戻ったようにじゃんけんをして、コーヒーを買いに行く人を決める。彼女がじゃんけんに弱いのも変わらない。


 悔しそうに、コーヒーを二つ買ってきた彼女は、昔のようにシュガーを三本、ミルクを五つ持ってきた。ブラックが飲めない俺がコーヒーを飲むために必須だった量。覚えていることに驚いた。


 そして、奢るということはしないルールも覚えているようだ。コーヒーをテーブルに置いて、手のひらがぐーぱーを繰り返す。そこに用意していたコーヒー代を載せた。


「悠人はさ、今なにしてんの?」

「俺? ……見ての通りサラリーマン」

「そういうことじゃないんだけどなあ。もー、言葉が少ないのは変わらないね。もう少し近況報告みたいのないの?」

「なんだよそれ……特に変わったことなんてない。ただのメーカーの営業だよ」

「ふうん、そうなんだ」

「ああ、自分から聞いといて興味なさそうなのも相変わらずだな」

「えーちゃんと聞いてるし、興味あるある」

「そういう瑞希は何してんだよ」

「私は……事務かな」

「ふうん」

「ふふっ、悠人も興味ないじゃん」

「いや、別にそういう訳じゃ……ってか、お前ももう少し近況報告したらどうなんだよ」


 笑うと三日月になってなくなる目、口元を隠す癖。なんにも変わってない。俺が好きだった彼女のまま。


「私、今休憩時間なんだ。会社この近くなの」

「へぇ、実家帰ったのかと思ってた」

「いやあ、まあ、一旦帰ったんだけどね。やっぱ田舎は耐えられない!」


 大きく顔の前で手を振って、また、ふふふと口元を覆って笑った。学生時代、バリバリ働いて、男の人より稼いでやる、と大きなガッツポーズで息巻いていた彼女の姿が重なる。


「でも、お前が事務なの意外だな。それこそガツガツ営業とかしてるのかと思った」

「あー、うん」


 彼女はコーヒーを置いて手元のレシートを弄って細く、細くする。何か言いにくいことや隠し事がある時の仕草だ。どこまでも俺の知っている彼女で、十年のブランクなど少しも感じない。


「悠人……結婚、とかしてないの?」

「……結婚どころか相手もいない」


 誰のせいだと思ってる、なんて女々しいことは口が裂けても言えない。

 好きで好きで仕方なくて、何をするにも大事にしすぎて、そんな俺が嫌だったのかもしれない。理由を聞くこともできずに、一方的に電話で別れを告げられて、あっという間に音信不通。三日三晩寝込むくらいには凹んだのだ。

 それからは付き合っても長く続かない。付き合った人を瑞希と比べて、どこかで瑞希の影を探して、そんな自分にがっかりして。そんな状態で上手くいくわけがない。


「え! そうなの? モテるんじゃない?スーツ似合っててかっこいいよ。あの頃はTシャツかパーカーって感じだったのに、スーツ着ると雰囲気変わるねぇ」

「……」

「あ、あれぇ、これってもしかしてNGな話題ってやつ?」

「別に。お前と別れてから長く続くやつがいなかっただけ」

「そっか……」


 少し眉を下げて、ふーっと息を掛けながら、コーヒを飲む姿もそれだけで様になる。彼女は昔からブラックコーヒーが好きだった。ブラックで飲めない俺を馬鹿にしながら、よくカフェ巡りに連れていかれたものだ。


「あのさ、私、悠人と別れてから、次に付き合った人とでデキ婚して、子供産んで……それで別れた」

「……は」


 彼女は俺が使わなかったシュガーとミルクを二つずつコーヒーに落とし、マドラーでぐるぐる掻き混ぜた。


「今二歳になる子供がいるんだ。休憩っていうのは嘘で、これから保育園のお迎えに行くの。でも、最近ちょっと疲れてて……」


 ぽつりぽつりと話し出した内容はちっとも理解できなくて、白く濁ったコーヒーを飲む彼女も理解できなくて……


 俯いた彼女はさっきと違って疲れて見えた。顔はやつれていて、くたびれたセーターを着ていて……昔とは全然違った。

 ああなんだ、俺は変わっていない部分を無意識に探していたのか。


 彼女も俺と同じように大人になって、俺の知らない日々を過ごしていたんだ。


「なんで私たち駄目だったんだろうね」

「はっ、なんだそれ。お前が別れたいって言ったんだろ」

「そっか、そうだったよね」

「俺の気も知らないで。勝手に連絡絶ったくせに」

「うん、ごめん」

「俺はずっとお前のこと引きずってたのに」

「うん。私も悠人のこと忘れたことない」

「っんだよ、それ……」

「駅であなたを見かけて、どうしても話したくなったの。ちゃんとお別れをしなかったから、ずっと忘れられないんだと思って」

「……」

「……コーヒー、ブラックで飲めるんだね」

「……お前は砂糖とミルク入れるんだな」

「妊娠したら味覚が変わったみたい」

「そっか……」



 俺の知らない君の日常と、もう交わることのない俺の日常。




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