9.そいつなら死んだはずだ
乾杯した後、高魚は一人で延々と酒を飲んだ。
ほどなくしてウェイトレスが持ってきたポテトと肉のフライが山盛りになった皿から、思うままに食べ物をつまみ、口に入れては飲み込み、ショットグラスに口をつけた。
まるで海水ごと小魚を飲みこんでいく鯨のようだと思いながらその様子を見ていると、酒が進むにつれて高魚の表情がほぐれてきた。
さっきまでの、無理に粗野な風を装う素振りも、乾杯した時の居心地の悪そうな様子も消えた後、僕の前に現れたのは等身大の若い日本人男性だった。
まだ中年ではないものの、これから5年とたたないうちに肝臓の数値が悪くなり、腹回りの贅肉に悩まされそうな未来が僕の脳裏にちらつく。
どうやら、高魚はアルコールの酔いに生きる意味と救いを見出すタイプのようだった。
「そんで、何から話すかな。」
結構なピッチでショットグラスの中身を飲み干し続ける高魚の口調には、それまでの攻撃的な様子はもうどこにもなかった。
少々拍子抜けしながら、僕は報告書を読んだことを告げた。
「あれか。
あの報告書は、俺がやった調査の結果を、電話やLINEなんかで日本にいた事務方に伝えて、まとめさせたんだ。
おかげでそれなりの見栄えのものになっちゃいるが、そのせいで肝心な部分が抜け落ちちまってる。」
「肝心な部分というのは?」
「調査のための苦労だな。
俺がどんだけ必死になってあの情報を集めたか、報告書には全く反映されないなんて、おかしいと思わないか。」
僕は曖昧に相槌を打った。
煮え切らない僕の返事が気に入らなかったのか、高魚はまた鼻を鳴らした。
「俺だって、別に好きで間違った報告書を書いたわけじゃないんだ。
打てる手は全部打ち尽くして、それでもわからないことだらけで、どうにもならなかった。
尋ね人の新聞広告も何の反応もなく、警察には嫌な顔をされ、領事館に問い合わせたら厄介者扱いだ。
八方ふさがりだったから、対象の写真を片手に、街中をしらみつぶしに聞いて回るしかなかった。」
「どんなところを回ったんですか?」
「対象のクレジットカードの履歴が追えたから、それでどんなところに出入りしていたかを判断した。
最初に泊まっていたダウンタウンのホステルの従業員や、2回以上支払いの記録があるバーには、何度か足を運んで聞き込みををした。
でも、何の情報も得られない。
仕方ないから、そこから聞き込みの範囲を広げて、日本人がいるところに顔を出すようにした。」
「日系のコミュニティからアプローチしたのには、何か理由があったんですか?」
「日本人なんだから、もしかしたら知り合いがいるかもしれないだろ?
海外に家出人を探しに行く時はいつも大体それで見つかる。」
高魚の言葉に僕は頷く。
大抵の場合は、それで知り合いの知り合いくらいには行き当たる。
「一日何軒もパーティーをはしごして、こいつを知らないかって聞きまくってたら、ある日知らない番号から電話がかかってきて、電話口に出た相手が名乗りもせずに、『そいつなら死んだはずだ』って言ったんだ。
どういうことか聞き返したら、直接会って話したいからラ・ホヤ・ショアまで来いって言われた。」
「行ったんですか?」
「行くしかねえだろ?
他にどうしようもなかったんだからよ。」
僕は高魚のショットグラスに日本酒を注ぎながら、続きを促した。
「行った先はカフェだったかな。
サーファーがだらだらたむろしてる、サンディエゴによくある店だ。
で、待ち合わせ時間にアフリカ系の男が2人現れた。
片方は妙に太っていて、別の方は背が高いけどガリガリだった。
一人はナイジェリアの出身で、もう一人はシエラ・レオネから来たって言ってた。
ビールを全員分頼んで、ちょっと口の回りを良くしようとした矢先に、そいつらが新聞記事の切り抜きをテーブルの上に広げたんだ。
こっちは何も聞いてないってのによ、いきなりそんなことするから驚いちまったよ。」
そこまで行って、高魚はショットグラスを呷った。
グラスの淵からこぼれた日本酒がテーブルに撥ねた。
高魚は、テーブルの上の染みになった日本酒の滴を、グラスを持っていない方の手の人差し指で、愛おしそうに押さえた。
「妙な展開だなと思いながら話を聞いてみると、対象となんかのきっかけで知り合った時に、ミズーリ州の小さな街の話をしたって言うんだ。
そいつらは、カリフォルニアに来る前はカンザスシティにいたから、ミズーリの地理に詳しかったらしい。
対象が、どっかの田舎で、一週間のんびりしたいって言うから、ミズーリにはゆっくりできそうなところがたくさんあるって言ったんだそうだ。
で、礼を言われて、気を良くしてたら、ほどなくしてそいつの死亡記事が出たって話だった。」
「随分唐突な話ですね。
死因は何だったんですか?」
「新聞の切り抜きにはアルコールとドラッグの過剰摂取の後、銃で自殺したって書いてあった。
銃身の短いスターム・ルガーLC9を口にくわえて撃ったのは、侍のハラキリ同様の覚悟がどうたらこうたらって内容だったが、あんまり詳しく覚えちゃいない。
つい一か月前の記事だって言うから、現場に行って確認しようと思って、どんなとこなのか聞いた。
そしたら、そいつら、場所はよくわからないけど、死亡診断書なら取り寄せられるから、手配してやってもいいって言うんだ。
変な話だとは思ったけど、報道も出てるし、これで調査が終わるんなら楽でいい。
まあいいかってなって、そいつらに手配させた。
手間賃で1000ドル取られたけど、知り合いのいない土地勘のないところに行きたくなかったら、渡りに船だと思ったんだ。
今となっちゃ、軽率だったとしか言いようがないけどな。」
死亡診断書はその連中に会ってから数日でその時泊まってたモーテルにFedExで届けられた。
それがそのまま報告書に差し込まれて、本家の当主だか誰かの手元まで届けられた挙句、偽造されたものだと露見したようだった。
「今思えば、新聞記事の切り抜きもまがい物だったんじゃねえかな。
俺も下手を打ったもんだよ。
あんだけ目立ちながら聞き込みしてたら、ちょっと引っかけて小銭を引っ張ってやろうってな連中の1人や2人、寄ってきてもおかしくないんだ。
やり方がまずかったんだ。」
「その連中は、今どこで何をしてるんですか?」
「さあな。
連絡先は交換したけど、すぐに音信不通になっちまったよ。
そりゃそうだよな、1000ドル返せって言われたくないだろうし。」
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そこまで話した後、さらに日本酒を飲み続けた高魚の言うことは要領を得なくなり、もはやまともな話し合いにならなくなった。
トイレで用を足して戻ってきたら、ついさっきまではふらふらしながらも起きていた高魚はテーブルに突っ伏していびきをかいていた。
呆れながらも会計を済ませると、お釣りを持ってきたウェイトレスが苦笑いして、いつもこうなのだと言った。
「この人、毎回昼間から飲み始めて、店でそのまま寝ちゃうんだよね。
こっちとしては、結構お金使ってくれてるからありがたいっちゃありがたいけど、まあ迷惑なのは迷惑なだし。」
「まあ、そうでしょうね。
この人、どこに住んでるか知ってます?
近くなら、そこまで運んでやってもいいかなって思ってるんですが。」
ウェイトレスは手を空にかざして首を振った。
一昔前のハリウッド映画に出てくる女優がしそうな大げさなジェスチャーみたいで、ちょっと面白かった。
仕方なくUberを呼んで、ほとんど無理やり高魚を後部座席に放り込み、何度か頬を叩いて住所を聞き出すと、嫌がるドライバーに20ドル札のチップを掴ませて、車で移動した。
と言っても、目的地は目と鼻の先で、2分と車に乗っていなかった。
ドライバーにとっては悪い話ではなかっただろう。
どうにか車から高魚を引きずり降ろして、ビーチの傍のホステルの受付に連れていき、受付係の汚いものでも見るかのような視線を無視して3人掛けのソファに寝かせた。
「この人、ここに泊まってるって聞いてるんで、置いていきます。」
ドライバーにしたのと同じように、20ドル札を手渡しながら受付係に言ったが、特に返事はなかった。
既に問題のある客だと認定されているようだったが、そこまで確認していたら責任を押し付けられそうだったので、逃げるようにホステルから出て、自分の宿に戻るべく、もう一度Uberを呼んだ。
やってきたのはついさっき降りた車で、横付けされた傍から乗り込むと、運転手がにやにやしながら、糞丁寧にどこへ行くのか聞いてきた。
きっと、もう一度20ドルのチップを貰えるとでも思っていたのだろう。
続きは来週更新します。