7.何でそんなに情報が出てこないんだと思う?
蟹沢さんから受け取ったファイルの中には、月見之介の来歴や、本家から勘当された経緯についての記述の他に、うちの前に月見之介の捜索を請け負った興信所の作った報告書が添付してあった。
知っていることの羅列になっているファイルの前半部分を飛ばして、ページをめくる。
目の中のハイライトを取り戻した蟹沢さんは、ファイルを渡した後も何故か僕のデスクのすぐ横に立っている。
集中できないなと思いながら、視線だけで様子を窺うと、目が合った。
「コーヒー淹れようと思うんだけど、亀やんも飲むよね?」
どうやら、コーヒーを一緒に飲んでるその場で報告書に目を通して、コメントしろということらしかった。
選択権はなさそうだったので、とりあえず頷いておいた。
報告書は、クレジットカードの明細の一覧の表から始まっている。
僕が月見之介と別れた日に行った、聞き覚えのある名前のバーの会計から始まり、1年半分のトランスアクションがずらりと並んでいた。
最初の1ヶ月はサンフランシスコ市内のバーやレストランの会計分が並んでいたのだが、それから週ごとにカードを切った場所が南下していき、やがてパロ・アルトのあたりをうろうろするようになった。
マウンテン・ビューの駅前のコワーキングスペースの使用料金半年分がそれに続き、その翌月からはAirBnBの支払いがそこに加わった。
地図で見た限りでは、スタンフォード大学からかなり山側の、立地が悪いとも、自然あふれる良い環境だともいえるところにある一軒家を借りていたようだった。
マウンテン・ビューのコワーキングスぺースまでは歩くと5時間以上かかるので、車を乗り回していたはずなのだが、レンタカーの支払いはこの時期にはなかった。
カードの明細によると、月見之介はそれから半年ほどシリコンバレーに留まっていたようだった。
遠出をしたにしても、せいぜいがサンフランシスコかサンノゼくらいのもので、どこかに旅行に行った形跡は見当たらなかった。
地理的な移動が確認できるのは、僕が月見之介と別れてから9カ月後のことで、サンノゼからロサンゼルスまでの飛行機のチケットが片道で購入されていた。
それからしばらくカードの使用履歴はなかったのだが、その半年後にサンディエゴのダウンタウンの、バックパッカーがよく使うタイプのホステルの支払いがあり、何軒かのバーやレストランでの会計の記録があり、最後に30ドル少しのUberの支払いがあった。
8月の半ば、日本で言うとちょうどお盆の時期だった。
報告書の執筆者は、この支払いの後の月見之介の動向を把握するべく10月にサンディエゴまで出向いたらしいのだが、特に何の収穫もなかったようだった。
サンディエゴの日本語メディアに尋ね人の告知広告を掲載してもらったのだが、連絡用に指定したメールアドレスに大量のスパムが送られてきただけだった。
サンディエゴ警察にも、月見之介らしき人間が警察の世話になっていないかという問い合わせをしたようだが、まともに取り合ってもらえていなかった。
「ブラックで良かったよね?」
なみなみとコーヒーが注がれたマグカップを持った蟹沢さんが戻ってきた。
僕は礼を言い、コーヒーに口を付ける。
ちょっと濃すぎるきらいがあったけれど、決して不味くはない。
「で、亀やん、その報告書、どう思う?」
「まだ最後まで読んでいないんですが。」
「どこまで読んだの?」
「サンディエゴ警察に問い合わせたけれど相手にされなかったところまでです。」
「あー、そっか。
でもさ、それ、何でそんなに情報が出てこないんだと思う?」
「というのは?」
「サンディエゴに移ってきて以降の動向に限ってだけど、わざわざ現地まで飛んで、足取りを掴もうとしているだろう?
現地の日本語メディアに尋ね人の広告も出してて、警察にもコンタクトを取ってる。
ちなみに、その後にはロサンゼルスの領事館に連絡を取って、対象らしい人間がトラブルに巻き込まれた話を知らないかって確認まで入れてる。
この当たりの動き方は、アメリカだろうがどこだろうが、人を探す時の基本だ。
もし俺がこの仕事を受けたとしても、同じことをする。
亀やんもそうだろう?」
話が見えなかったが、僕はとりあえず頷いた。
「にもかかわらず全く情報が出てこないっていうのは、何かがおかしいんだよ。
前任の事務所がまったくやる気がなかったか、全然仕事のできない奴に現地に行かせたか、あるいは、そもそも対象がサンディエゴにいなかったか。」
「カードが不正利用されているってことですか。」
「その可能性は頭に入れておいてもいいよね。
それと、報告書には書いてないけど、対象がカリフォルニアにいることを依頼人の関係者が実際に確認したのって今から1年半前まで遡るんだよ。
ま、依頼人のご高説から察するに、それが亀やんなんだろうけど。
何が言いたいかっていうと、それ以降の動向はさっぱりわかってないわけで、何で前任のとこはサンフランシスコの後の足取りを丁寧に追わなかったのかな、とは思うよな、普通。」
「この前の担当者に会って話を聞くことって可能なんですか?」
「連絡先は聞いたよ。
後で亀やんに渡す。
でも、この彼、今、サンディエゴらしいよ。」
「またどうして?」
「前にこの件を引き受けた興信所の所長さん、元の依頼人に自費で調査をやり直すように言われたらしいよ。
それで、担当者に無理やり有給取らせて、自費でサンディエゴに送り返したって。
手がかりが見つかるまで帰ってくるなって言われてるらしい。
ちょっとかわいそうだけど、まあしょうがないよね。
興信所も、結局、信用商売なところがあるからさ。」
蟹沢さんはそれだけ言うと満足したらしく、すっかり冷めたコーヒーの入ったマグカップを持って、自分のデスクに戻っていった。
僕はとりあえず一通り目を通してしまおうと思い、景気づけにコーヒーの残りを喉に流し込んで、報告書の残りのページに向き直った。
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報告書の中でもとりわけ不可解なのは、死亡証明書を手に入れた経緯だった。
それまで割と地道に捜索の基本的な手順を踏襲していたのが、何故か突然アイオワだかミズーリだかの、聞いたこともない郡の警察署から連絡をもらい、死亡証明書を発行してもらうようなことになったのかを説明できていなかった。
これはまともな感覚の読み手なら裏を取りたくなるのもわからないでもなかった。
太平洋上を飛ぶ成田発サンディエゴ行きの直行便の中で、何度目かの報告書の通読を終えた後、機内モードにしてあるスマートフォンを取り出した。
ミシェルにWhatsAppでメッセージを送ったのだが、離陸までの間に既読にはならなかった。
もし、月見之介がまだミシェルと一緒にいて、シリコンバレーで元気に暮らしているということがわかった場合、どうなるのだろうかと、航空会社オリジナルのワインを飲みながら考えた。
本家の当主の性格からすれば、事前に合意していた報酬の支払いを渋るようなことはないだろうが、きっと月見之介が生きているのを知ったら面白い気はしない。
あまりにもできの悪い月見之介の自業自得ではあることは否めないが、当主のやり方もまた胸糞悪いものだと、僕は改めて勘当された本家のことに思いを馳せた。
この先ずっと本家のあれやこれやに関わらなくていいと安堵したのはつい1年半前のことだった。
それから少し経ち、結局また以前と同じように本家の放蕩息子の面倒を見ることになったのは釈然としなかった。
もし月見之介が生きているのであれば、盛大に文句をぶちまけて帰ってきてやろうと考えているうちに、シートベルトの着用サインが点灯して、着陸前の機内アナウンスが流れだした。