60.末二年後のフロッグポエム
熊野女史には、カミーラとの入籍の際にいろいろと世話になった。
離婚したばかりのカミーラが、メキシコの法律に照らし合わせて結婚できる状態にあることを証明できる婚姻要件具備証明書の取り寄せなど、いくつかの手続きがかなり煩雑で、素人でやるには限界があったからだ。
一通り手続きが終わった頃にはすっかり僕も熊野女史も国際結婚手続きについてちょっと詳しい部類になっていた。
熊野女史はこれを商売にする気になったようで、それ以来僕とカミーラに書類の取り寄せやら、あれやこれやの簡単な仕事を振ってくるようになった。
これは、カミーラに実務経験を積ませるためのよい訓練になったようだ。
「別にそんなつもりじゃなかったんですけどねえ。」
そんな風にぼやく熊野女史は前の当主の葬式の後に財産分与権を主張して、本家と数年単位で揉めた。
公正証書にしてあった遺言が熊野女史から提出されたのに対して、新しく当主になった月見之介の兄は民事裁判も辞さない構えを見せたが、結局は折れて本家の不動産の一部を熊野女史に譲渡したという話だ。
本家の当主はそれで気落ちしたのだろうか、代が改まってから、生まれ故郷の田舎における浮世家の影響力は明らかに落ちた。
姉の子どもたちが問題なく東京に出れたのも、ひとえにそういう事情があってのことだと僕は思っている。
ミシェルの足取りは数年間掴めなかったのだが、ある日突然熊野女史のところに知らない電話番号から電話がかかってきて、ミシェルと名乗る女が月見之介の関係で家族に対して損害賠償請求を検討していると告げた。
僕の提出した月見之介にかんする報告書を熟読していた熊野女史は、ミシェルの名前を聞くやいなやピンと来て、とりあえず都内で会うことにした。
それと同時に事情を多少なりとも知っている僕と蟹沢さんとカミーラの3人に召集をかけた。
示談金目当てにのこのこ現れたミッシェルを確保して、月見之介のことを少しでも聞き出そうというのが熊野女史の魂胆だった。
本当なら親バカの酔狂に付き合う義理などなかったのだが、蟹沢さんも僕もその頃は金払いのいい熊野女史からもらった仕事に依存しており、断るなんて選択肢がなかった。
果たして、僕らは新宿の西口にあるシティホテルの喫茶スペースで会うことになったのだが、約束の時間に現れたのは、しわくちゃになって縮んでしまった年老いた女だった。
月見之介をして、この世界に美と愛と幸せという言葉たちが存在する理由だと言わしめた美貌の持ち主はもはやどこにもいなかった。
しわくちゃのミシェルは通訳だと名乗る人間に手を引かれて席までやってくると、どうにかこうにか椅子に腰かけ、それから何かの拍子にむせたのか、たっぷり一分間咳をした。
咳が落ち着いたところで、通訳が口を開いたのだが、話は支離滅裂で、要領を得なかった。
曰く、この目の前のミシェルと月見之介はサンフランシスコで恋人関係になり、それからずっとともに時間を過ごしていた。
流行の最後の最後に、月見之介はコロナウイルスにかかって症状が劇症化し命を落としたのだが、病院での治療費はミシェルが全て立て替えていて、高額の支払いが発生した。
死ぬ前に月見之介に問いただしたところ、治療費は家族に請求してほしいと聞いた。
家族だと聞いていた本家に問い合わせると、月見之介は熊野女史の子どもであり、本家では勘当済みであると言われた。
そんな話を、熊野女史は辛抱強く聞いていたのだが、話が途切れたタイミングで2枚の紙を出して、ミシェルとその通訳の方に向けた。
1枚目はメキシコ政府発行の、スペイン語で月見之介が死んだことを証明すると書かれた文書で、2枚目は日本の役所が月見之介を除籍した時の戸籍抄本だった。
「御覧のとおり、うちの息子はコロナが流行する前にメキシコで死んでいます。
こちらの方がおっしゃるのは、どなたか別の人ではないでしょうか?」
通訳の人間は熊野女史の言葉をフランス語に訳してミシェルに伝え、それからミシェルが何か言うのを待たずに、間違いなくサンフランシスコで死んだのは月見之介だともう一度繰り返した。
「そうですか。
しかし、こちらもメキシコでのことについては、現地に人を派遣して確認しているので、そうはおっしゃられましてもね。」
「その派遣した人というのが嘘をついている可能性はないですか?
熊野先生が騙されているという可能性は?
もしそうなら、私たち、むしろ力になれると思うのですが。」
「んー、そうですね。
考えたくはありませんが。
では本人に聞いてみましょうか?」
すぐ隣のテーブルで、素知らぬ顔でアイスコーヒーを啜っていた僕は立ち上がった。
熊野女史が掌で僕の方を指して、ミシェルと通訳の人間の視線が僕を向く。
皺だらけの目元の横で眠たげにしていたミシェルの目が大きく見開く。
彼女の表情は昔会った時の、ふわりと羽が空に舞うかのような、淡い儚さを覚えさせる微笑みを浮かべることはなく、ただただ無様な驚きが開かれた目と口に表われていた。
「アンシャンテ、マダム・ミシェル。
また会えて嬉しいです。」
そこからは先は特に何も実のある会話はなかった。
熊野女史が延々とサンノセ時代の月見之介について聞いて、それをミシェルがよく覚えていないとはぐらかすだけの会話に終始した後、小一時間経ったところで通訳が次の予定があるとか何とか、愚にもつかない言い訳を口にし、2人は逃げるようにいなくなった。
「あの調子じゃ、最近バズってるのも知らないんだろうなあ。」
2人の後ろ姿を目で追いながら、蟹沢さんは誰に言うでもなく言った。
「そのうち気がついて、それをネタに別の人間に詐欺をしかけるんじゃない?
月見之介は私が育てたとか何とか言って。」
カミーラのコメントに熊野女史はため息をついた。
「複雑なところね。
死んだ後も変な連中に狙われる息子を持つのも。」
「でも、今じゃたくさんの人に愛されていますよ。」
僕がそう言うと、熊野女史は鼻を鳴らした。
皮肉が過ぎるとでも言いたいのだろう。
死後も残っていた月見之介のインスタグラムのアカウントは、アメリカのロックバンドが月見之介を題材にした歌を作ってヒットさせたおかげで、今もフォロワー数が増え続けている。
月見之介がミシェルと別れてからバハカリフォルニアをさまよっていた間に投稿された短歌は現代のフロッグポエムと呼ばれて、世界的なインターネットミームになった。
自分の意志とは無関係のところで、死後に日ごとに有名になって、残した短歌を通してたくさんの人に愛されるに至った月見之介がもし生きていたら、何というだろうか。
帰り道、熊野女史と蟹沢さんと別れた後、湘南新宿ラインのホームで電車を待っていたら、どこかで聞いたような通知音が聞こえた。
スマートフォンを取り出したカミーラは画面を見てほくそ笑んだ。
「何見てるんだ?」
「インスタ。
こないだ話してたやつ。」
そう言うとカミーラは彼女の手のひらの中の端末を僕に見せる。
液晶の中ではどことなく疲れた顔に濃い化粧をあしらった女が、それでも飛びっきりの笑顔を携えて安っぽい衣装を着てコスプレをしていた。
腕の中には子供服を着た幼児が、キョトンとした顔でこっちを覗き込んでいる。
子どもの顔からは、東アジア系の面影がはっきりと見て取れる。
カミーラが言うには、月見之介にそっくりらしい。
僕にはそうは思えないと言ったら、カミーラとちょっとしたケンカになった。
どちらかと言えば熊野女史に似ているような気がすると僕が言うまで、数日間カミーラは僕と口を聞いてくれなかった。
「人の一生は次の世代に遺伝子か文化的な情報かどちらかを残せれば上出来って、最近何かで読んだよ。
それで言えば、月見之介の一生は、十分すぎるんじゃない?」
電車を降りて、最寄り駅から延びる家路を歩く僕の横で、カミーラは歌うように言う。
「そうだね」と僕は答えると、カミーラと繋いだ手の中で指を動かして彼女の掌の内側を撫でた。
月見之介が死んだのを看取った女のインスタのアカウントを見つけたことは、蟹沢さんと熊野女史にはまだ知らせていない。
熊野女史に知らせたら、会いに行くと言って聞かないのは目に見えている。
バヒア・トルトゥガスで男の子を生んだ彼女はメキシコシティへ引っ越した後、カフェのウェイトレスをしながらインフルエンサーを目指して、夜な夜な自分と子どもの2ショットを世界中に発信し続けている。
僕とカミーラは、これからずっと、可能な限り長く、世界の反対側でその様子を見続けるつもりだ。
もしかしたら見続けるうちに、DMを送ったりするかもしれない。
もしかしたら仲良くなって、何かの拍子に彼女たちが東京に遊びに来るから会いたいと言われたりするのかもしれない。
もしかしたら何かの弾みで、西新宿のホテルの喫茶スペースで、コーヒー片手に月見之介の話をするのかもしれない。
その時は何て言おうか、僕はぼんやりと考えている。
喜劇のような悲劇で、かつ悲劇のような喜劇。
語られるそばから忘れ去られていく類の、凡人の悲惨な一生と、その非凡な晩年。
短い生涯の抜け殻と残り香のようないくつかの短歌。
彼女たちがいて、カミーラがいて、熊野女史がいて、蟹沢さんもいるところで、月見之介の話をしよう。
もしかしたら、月見之介も化けて出てくるかもしれない。
メキシコの死者の日みたいに。
そうしたらみんなでパンプキン・パイでも食べて、美味しいって言い合おう。
願わくば、さすがに親と子どもの前、月見之介も大人しく、大人らしく振る舞えますように。
これでおしまいです。
読んでくださってありがとうございました。
良かったら評価、ブックマーク、いいね、感想など頂けると嬉しいです。




