6.ちょっとややこしい案件
「亀やん、実はちょっと、ややこしい案件があるんだ。」
もう冬らしい冷たい風も少しずつ吹き始めた11月のある日、仕事の書類を持った蟹沢さんが複雑そうな表情で僕のところへやってきてそう言った時、僕はそれがいつもと同じ程度のややこしい案件だと信じて疑わなかった。
「今度は何ですか?
ややこしいって、この前と同じようなやつですか?」
「いや、多分そこまでのものじゃないはずだ。
この前のは依頼を受けたことそのものが失敗だった。
依頼者と捜索の対象者が同じで、捜索に動いていた俺たちの動きが全部コンテンツとしてYoutubeに流されるなんてのは、あっちゃならないんだ。
興信所の信用問題になる。」
「録画されたを動画を回収するために余計な金がかかったって話でしたものね。
あれ、どうやったんですか?」
「そういうのが得意な方面のみなさんに色々とお願いしたよ。
どういった関係のみなさんなのかは、亀やんは知らないままの方がいいよ。」
「蟹沢さんでも、そういった方面と付き合いがあるんですね。」
「そりゃね。
ま、言ってみりゃこの業界、そういった方面のみなさんの外注先みたいな位置づけでもあるからね。」
僕は肩を竦めて、視線を蟹沢さんの手の中の書類に走らせた。
「それで、そのファイル、それがややこしい案件ですか?」
「うん。
家出人の捜索ってことにはなるんだろうけどね。
見つけ出して、連れて帰ってきてくれって話じゃないんだ。
死んでいるはずだから、しっかりそれを確認してくれって話なんだ。」
「気味が悪いですね。」
「そうなんだよね。
まるで死んでいる方が望ましい、なんて印象の話しぶりだったよ。」
「そりゃ胸糞悪いですね。
拝見しても?」
蟹沢さんは、ファイルを貸してもらおうと手を伸ばした僕から遠ざかった。
「いや、まだちょっと見せられない。
実際にやるって段階になった場合のみ、担当者にだけ情報を見せるようにって、依頼者から釘を刺されてるんだ。」
「変な話ですね。
今まで聞いたことのないケースだ。」
僕は眉を顰めた。
「案件そのものは、至って普通の話だよ。
子供がカリフォルニアで消息不明になったので探してほしいって。
顔写真もあるし、失踪する直前まで泊まっていたであろうホテルの場所も特定できてる。
楽な仕事みたいに思えるよね。
死亡確認をとってこいって依頼の内容がネックだけど、ここがもうちょっと穏便だったら、ややこしいなんて言わない。
美味しい案件だと言ってもいいだろう。」
「そう言いながらもあえてややこしい案件だって言いきるのは、またどうしてなんですか?」
「指名されたんだよ、この仕事は是非亀やんに、って。
報酬も多いんだ。
相場を完全に無視してる。
劇場型詐欺か何かだって言われた方が、まだ納得のいくような金額だった。」
「なんでそんな話を受けようとしているんですか?
蟹沢さんらしくないですよね?」
「報酬が魅力的だから、できればさっと断るんじゃなくて、指名された本人の意向を聞いてみたくてね。
それに、ま、何ていうか、お得意様からの紹介ってこともあって、検討もせずに『やりません』と即答すると失礼になるし。」
要領を得ない話だった。
「とは言っても、何の情報もないんじゃ、僕も決めようがありませんよ。
ファイルを見せてもらえないのはともかく、口頭でも教えてもらうことはできないんですか?」
「それは可能なんだ。
というか、亀やんが聞いた場合のみ詳しい話をするようにって指示になってる。」
そんな枕詞で始まった蟹沢さんの話は、要約すると次のようなものだった。
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依頼人が探しているのは37歳の男性で、1年前からカリフォルニアに居住。
いいとこ坊ではあるが、実家からは勘当されている。
クレジットカードが使われていたので、どこかで生きているらしいことはわかっていたのだが、それがここ3か月なくなった。
別に勘当した息子がどうなろうと知ったことではないが、カードの不正利用が怖いので、安否の確認のみ内々にしておきたい。
もし死んでいた場合はそれを証明する公的機関の書類などの入手を希望。
希望が叶った際には追加報酬も検討する。
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「あんまりぞっとしない話ですね。
下手なところに頼んだら、対象を殺してしまおうってことになりかねない。」
「実際問題、そんなことになったらしいよ。
本当に殺すって言うんじゃなくて、死んでいたことにしようって。
前任の事務所では、アメリカの中西部の、どっかの田舎の郡が発行する死亡証明書を、ナイジェリアだかシエラレオネだかの偽造職人に作らせて、依頼者に提出したってさ。
どういうわけかそれがバレて、大問題になったらしいけどね。」
僕は再び眉を顰めた。
「どこの事務所がそんな下手を打ったのか知りませんが、証明書の真贋を見極めて、その裏を取ってくる力があるってだけで、できればその依頼人とは関わりたくないんですが。」
「ま、そうだよね。
俺も正直そう思う。
でも、報酬の金額が金額だからね。
しかも経費も上限なしの実費精算だって。
付き合いのあるところから紹介ってだけじゃなくて、うちの事務所のことだけを考えても、この報酬をあっさり逃すのは惜しいっていうの、結構本音なんだよ。」
そう言う蟹沢さんの表情は読めない。
目にはまったく光がなくて、その言葉が本音なのかどうなのか伺うことは無理であるように見えた。
「今持ってる案件はどうするんですか?」
「それは適当に他の人に回しちゃうよ。
言っても、大した案件じゃないでしょ?」
「調査は1カ月で切り上げるのと、足取りを確認できなくても経費は実費精算っていうのを依頼人に確認してもらえます?」
「もちろん。
でも大丈夫だと思うよ。
こんな報酬額を設定してくるぐらいだし。」
僕はため息をついた。
立っている蟹沢さんの顔は、光のない目の下で満面の笑みを浮かべていた。
「やってくれるんだね。」
「しゃあなしですよ。
蟹沢さんにそこまで言われちゃ、ね。」
「持つべきものは亀やんだね。
本当にありがたいよ。」
そう言う蟹沢さんに渡されたファイルを受け取って、1ページ目の捜索対象の調書に目を通す。
書いてある名前を見間違えたかと思ったが、何度見返しても良く知っている人物のそれだった。
「依頼人から聞いたけど、いとこなんだってね。
変わった名前だよね。
浮世月見之介って。」
蟹沢さんの顔には相変わらず笑顔が張りついていたが、その目にはいつの間にか光が戻っていた。
その些細な変化を見逃した自分が憎かったけれど、今更やめるとも言えなかった。