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59.振り返る年月の、そのまたさらに後の後の

 元々、短い文章として書かれるはずだったこの月見之介についての備忘録も、そろそろ終わりに近づいている。

 ここに至るまで書き連ねられた平仮名、カタカナ、漢字にアルファベットは概算で20万字弱。

 もはやどう言い訳しても短くはない分量になった。

 若くして命を落とした本家の放蕩息子に手向けた餞だったはずのものが、たくさんの人の記憶や苦しみに恨み辛み、ペーソスも後悔も諦めも失笑も全部混ぜこまれて何かよく分からない長い雑文になった。

 後ろ暗い、いかがわしい、すえた臭いのする欲とか望みに、見栄えだけ整える化粧をするつもりだったのに、それが成功したとは言い難く、いびつな20万字の塊がこうして醜い輪郭を持った。

 そして、それだけの文字数を費やしても、今後何年も月見之介のことを忘れないでいられるだけの、みんなの記憶の依り代となるようなものになったとは到底思えない。

 オリンピックがぽしゃり、コロナの流行が終わり、戦争が始まり、テロが起こり、また別の戦争が起こり、国が傾き、私たちが現在進行形で貧しくなっている日々の、そのまた(のち)(のち)にも、月見之介が会った人々の日々は続く。

 私たちはゆっくりと月見之介のことを、かつて愛していたり憎んでいたりしていた人のことを忘れていく。

 そうして時間をかけて、この命を終えて、誰かに少しずつ忘れられていくための準備をする。

 後ろ暗くていかがわしい何かは薄れて、綺麗な見栄えがするように記憶は改ざんされる。

 月見之介はちょっと複雑な家庭環境に生まれたけれど、みんなに愛されて生き、若くして死んだかのように、ちょっとの間、人々は思いを馳せる。

 そしてそれが間違っていたかどうかなど気にもせず、思ったそばから忘れていくのだ。

 いなくなった誰かのことを、特に理由もなく長々と思い出すには、私たちの生活は忙しすぎるから。


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 月見之介が出会った人々のその後について少し。

 昔むかし、月見之介が会いに行った地下アイドルはその後何年か鳴かず飛ばずの期間を過ごした後、引退した。

 月見之介を訴えかけた芸能事務所は名前を変えて、もうなくなってずいぶん経つ。

 月見之介を胡散臭い投資案件の広告塔に押し上げた詐欺師は土地の略取詐欺に加担したらしく、何年か前に刑務所に入った。


 うちの家族はありがたいことに元気だ。

 父親は去年心臓にペースメーカーを入れたが、そんなこともなかったかのように土いじりに精を出しているので心配だと母がそんなに嫌じゃなさそうに愚痴を言っていた。

 兄とその奥さんの間には子どもができなかったが、その分姉と義兄の間の2人の子どもを可愛がり、家族ぐるみで仲が良いらしい。

 姪と甥は東京へ進学して以降、あまり音沙汰がないのだが、たまに横浜に来ると合流してご飯を食べたりもする。

 その度に姉から言付かったという小言を聞かされるが、僕は全面的に聞き流すことにしている。


 蟹沢さんは事務所の経営の一線から退き、藤沢の方で家を借りて過ごしている。

 月に一度、横浜にある事務所へやってきては所員を捕まえて無駄話をするので、経営を受け継いで事務所を切り盛りしている後輩に白い目で見られているのだそうだ。

 仕事はしていないことになっているが、頼まれて人を紹介したり、熊野女史の代理として法的な揉め事の解決をしたりと、色々と忙しいらしい。

 

 高魚には、蟹沢さんが経営していた興信所の契約みたいな形で、未だにサンディエゴのあたりで家出人の捜索の案件が出たら仕事を回している。

 寿司職人の修行をかなりやりこんだが物にならなかったとかで、生まれてきた子どもを含む親族一同の受けが良くなく、白鳥鮨では居心地の悪い思いをしているのだそうだ。


 バンコクの夜の街で出会った背の低い小太りの男は、東南アジアの夜の街を取り上げるYouTuberになり一山当てた。

 そっちの界隈では結構名の知れた存在らしく、半裸のイサーン美女を両手に抱えてタイバーツ紙幣で埋めたバスタブに浸かっている画像が有名なインターネットミームとして、度々SNSで取り上げられている。

 欲張りで性格悪そうな表情の顔にアクの強い笑顔を浮かべる彼は今や全く寂しそうには見えないので、これはこれで良かったのだろう。


 ナンシーとは、個人的にやりとりを続けている。

 高魚の愚痴を聞きつつも、カミーラの様子を共有するべくメッセージを交換している。

 折に触れて彼女は日本語の練習を話したがるので、月に一回は通話もしている。

 サンディエゴに遊びに来いというのだが、行ったらまた面倒事を押し付けられるのが目に見えているので、それとなく断り続けている。


 サンノセでコワーキングスペースの受付をしていたナタリア・クロコディーロはその後スタートアップに参画し、会社を売って得た金で投資する側に成り上がった。

 たまに連絡が来て、ナタリアが接触したい日本の会社や起業家について簡単に調べてやっている。

 去年日本に来た時は、公私混同の極みのような旅行プランを組まされた上に、そのすべてに帯同させられたのは記憶に新しいところだ。


 ティファナを出るところで車のトラブルで立ち往生した僕を助けてくれた赤毛の男は、毎週facebookで神への祈りと路上で暮らす子どもたちへの支援を呼び掛けている。


 サブリナとパコは結婚したらしく、波打ち際でウエディングドレスとタキシードを着た2人が戯れる様子がインスタグラムに上がっていた。


 カミーラについて少し。

 ある冬の朝、荷物の受け取りの予定もないのにドアベルが鳴ったので開けてみると、そこにはカミーラがいて、日本語で「オッス! 久しぶり。」と挨拶してきた。

 ロス・カボス・デ・サン・ルカスで僕と別れた後、カミーラはオアハカ州出身の別の()()()()に成りすましてナンシーの店のお抱えの寿司職人と結婚した。

 別の人間になったカミーラはバジェ・デ・グアダルーペに引っ越し、ナンシーのために数年働きながらホームスクーリングを経てアメリカの高校卒業認定資格を取った。

 夫の寿司職人がグリーンカードを取得すると、彼女は合法的に国境の北側へやってきて、カミーラ自身のグリーンカード申請手続きを始めると同時にコミュニティ・カレッジに通い始めた。

 その2年後には全てAプラスの成績表を引っさげてカリフォルニア大学に編入した。

 そして、卒業する前の最後の学期に大学間の交換留学制度を使って横浜へやってきた。

 僕の住所はナンシーから聞き出したとのことだったので、その抗議のために通話をすると、ナンシー曰く、「カミーラは天真爛漫に振舞ってはいるが自分の人生を変えるきっかけとなった東亀にはいたく感謝をしており、何ならもうずっと東亀と一緒に生きていきたい気すらあるらしい」などと理解不能なことを言ってくるので、頭を抱えた。

 カミーラはこっちの国立大学に通っていたのだが、暇を見つけてはことあるごとに僕を呼び出し、あっちへ連れていけ、こっちへ連れていけと宣っては、移動中の電車や車の中で、月見之介の話を僕にせがんだ。

 僕が蟹沢さんに会う時も、熊野女史に会う時も、ついでに僕の家族に会う時にもぴったりと着いてきた。

 うちの母と姉とLINEで友だちになったらしく、3人で横浜で合流して中華街で遊んだりもしていたらしい。

 交換留学が終わると一度サンディエゴに戻ったカミーラは、大学卒業のタイミングでナンシーに直談判し、寿司職人と離婚してメキシコのパスポートを取得し6か月のビザ免除措置を利用して日本にまたやってきて、そのまま()()()()()()()()()()()()

 あれよあれよとバーテンダーの仕事を見つけてきたかと思うと、あっという間に店のオーナーに取り入り、正規のスタッフになった。

 酔っ払いの男たちにすごい勢いで口説かれるのを闘牛士のごとく華麗にさばき、「もっと上手に口説いてくれたら、後でワインに付き合ってもいいけど。」と、どこかで聞いたような台詞を口にしてメキシコ産のワインをボトルで購入させるカミーラの姿は、仕事終わりの彼女を迎えに行った僕を何度も戦慄させた。

 出会った日にとがった鉄で僕の身ぐるみを剥ごうとし、その後反抗的な態度で通訳を務めてくれた頃の方が可愛かったかもしれないと思っていた僕は、夜明け前、店からアパートまでの帰り道でカミーラにそのことを言ったのだが、仕事終わりで疲れているはずの彼女は疲労の色を全く見せずに花が咲くようににっこりと笑い、日本語と英語をごちゃまぜにして僕に言った。

ふざけるな(ファック・ユー)、東亀。

つまんねえことガタガタ言ってないで、いい加減あたしと結婚しろ。」

 年を経て若く美しい女に成長したカミーラは、そういうわけで今は塔谷(とうや)カミーラになった。

 ナンシーからは手塩にかけて育てた優秀な人材を引き抜かれたと恨み言と圧がすごいが、やってしまったことは仕方がない。

 それにそもそも、ナンシーの言うことは完全にブラフだとお互い分かっている。

 そしてそれ以上に、カミーラが幸せそうに笑っているだけで、僕としては何もかもがどうでもいい。

 カミーラが子どもの名前を月見之介にしようと言い出した時は焦ったが、それを除けば何もかもが本当に、出来過ぎなくらいに丸く収まった。

 僕みたいな人間には過ぎた話だ。

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