57.花盛りの季節、終わってる、終わってると
あの時期はあまりにもたくさんの人が死んでいたと思うのは、ただの気のせいなのだろうか。
生前にはお世話になりました、本当に残念です、お悔やみ申し上げます。
そんな言葉の言い回しばかり上手になって、香典の万札を包んだ封筒を渡すのもすっかり手馴れてしまった。
命を落としているのは60代以上の人間が多いという報道もあったが、仕事で世話になったことのある30代から50代の人間についても、知り合いの知り合いがコロナで死んだという話が耳に入ってくるような有様だった。
自分がよく会っていた同年代の人間の中にも、この時期に急に連絡に返事が返ってこなくなった奴が何人かいたことを考えると、もしかしたら亡くなっていたのかもしれない。
死んだ人間が残した生活の後始末をした誰かが、携帯電話のロック画面を解除できなくて、交友関係を把握できず、そのままになったケースもあっただろう。
死んだ人間が若ければ若いほどそんなことが多いのも想像に難くない。
死ぬまでの間に過ごした年月で、何人の人間と出会い、何人の人間と強く深く結びつき、もう一度会いたいと願うものなのか。
この時期は訃報を聞く度に、そんなことを考えていた。
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本家の当主の葬式が行われたのは、山がちの土地にも桜前線が届き始めた4月上旬だった。
会場となったお寺は集落の外れ、本家に村から排斥されたかのように、少し奥まったところに建っているのだが、日当たりのよくないその土地にもしっかりと根付いていたソメイヨシノは、弔問客の髪の上にたくさんの花びらを降らした。
文字通りの桜吹雪の吹きすさぶ駐車場からやってくる人々は、今年は例年以上の花盛りだと、マスク越しに言い合った。
マスクをしていないのは、姪っ子と甥っ子くらいのものだったが、彼女たちは寺の敷地の角の方で、二人で身を寄せ合って、静かにしていた。
上の子はもう12歳で、中学校に上がったんだったか、どうだったか。
すっかり大人びていて、思春期だからなのか、世の中に対して冷めているような、あるいは世間を睨みつけているような、そんな眼差しをマスクをした大人たちに投げかけていた。
下の子はまだ9歳だったか、あるいは10歳だったか。
まだあどけない顔をして、姉の陰からぼんやりと喪服の人の群れを眺めていた。
一瞬、彼女たちに声をかけようかとも思ったのだが、その拍子に寺務所の入り口が開き、どこか浮ついた男の低い声が大きく響いた。
それは本家の、死んだ当主の長男で、神妙な表情を顔に張りつけてはいるものの、端々に嬉しそうな素振りを抑えきれない様子で、たくさんの注文をお寺の人に偉そうにいいつけて困らせていた。
その周りでは、それまで亡くなった当主に冷遇されていた、とある分家の家族の年寄りが後をくっついて歩き回り、こびへつらうようにしておべんちゃらを口にしていた。
世代交代の機会に、本家に取り入っておこうという腹なのだろう。
姉と僕が冷ややかにそれを見ていると、その年寄りの横へ、うちの父親が吸い寄せられそうになっているので、慌てて止めた。
「何やってんのよお父さん、これを機会に本家との関係は終わりにするの。
断固として縁を切るのよ、いい?」
うちの姉はしっかりとすわった目で父親を睨みつけながら言っていたが、当の父親は目を泳がせて、要領を得ない言い訳がましいことを呟いていた。
これでは、僕自身とうちの家族2親等まで、どうにかこの先ずっと本家のあれやこれやに関わらなくてもいいように、体を張って月見之介の面倒を見たのは何のためだったのかわからない。
月見之介と別れて日本に帰ってきたばかりの時もこんなようなことを思ったような記憶があるのは、気のせいだろうか。
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受付で香典を渡した後、火の気のない控室で座っていると、桜が咲き始めてはいたけれど日陰の屋内はまだ小寒くて、誰もが自分を掻き抱くように自分の上腕を掌でこすっていた。
そんなことでは全くもって暖が取れなかったので、姉は日向ぼっこをしてくると言い残し、姪っ子と甥っ子と一緒に屋外に出ていった。
落ち着かずに所在なさげにしていた父親が、裏方の手伝いに駆り出されている母親を探してくると言って姿を消すと、メーカーの地方支社の営業をやっている義理の兄と、地元の地銀勤務の兄とが結託して、手持ち無沙汰にしている参列者に声をかけては営業まがいのやりとりをし始めた。
興信所勤務の僕は、浮気調査やライバル企業の動向調査の売り込みをかけるわけにもいかず、一人で居心地の悪い寒い部屋で周りを見るともなく、薄っぺらな座布団の上でじっとあぐらをかいていた。
「これはこれは、どこぞの妾腹の不詳の末っ子の付き人じゃないか。
勘当されたはずの身のくせに、よくもまあ、のこのこと顔が出せたもんだ。」
そんな声が後ろから降ってきたと思うと、かなり強く肩を叩かれて、振り向くと本家の長男がにやにやしながらこっちを見下ろしていた。
月見之介が言うところの『ゲスな目つき』。
不快感を感じずにはいられなかった。
「どうも、お世話になってます。
どうしても顔を出さなければいけないうちの両親の付き添いとしてお邪魔してます。」
「そいつは随分殊勝な心掛けだ。
うちの末の弟にも、そうやって取り入ったってわけだ。
おかげでうちの金で1年半、優雅に遊覧旅行を無料同然で堪能できたんだってなあ?
一族の無駄飯ぐらいの、そのまた味噌っかすには過ぎた待遇だ。
親父もどうかしてたよなあ。」
「はあ、そうですか。」
「でもな、これからは俺が当主だ。
俺がばしっと仕切ってやるから、もうおまえにはそんな甘い汁は吸わせねえよ。
それどころか、当時かかった経費も耳揃えて返してもらう。
こっちにゃ弁護士がついてるんだ。」
「なるほど、そうなんですね。
ところで、式ですが、そろそろ始まるんじゃないですかね?
弔問客に声をかけて回った方がいいんじゃないですか?」
「話を逸らすんじゃねえよ、東亀っちゃんよぉ。
今日から俺が本家の当主だ。
俺の言うことを聞かなきゃ、おまえごとき、すぐに泣きを見る羽目になるぜ?」
いつの時代のヤクザ映画を見たんですか、と突っ込みたくなるような陳腐な言い回しで、今日から新当主だと言う本家の長男は気持ちよさそうにベラベラと話し続けた。
「聞けばあのダメな弟の野郎、おまえが旅先で女とよろしくやったのを聞いたせいで、色気づいてトチ狂って、『世界中の女が俺を待っている』だとか言い出したんだってな?
本当に終わってるよ。
あいつも終わってるし、あいつの付き人で、無駄な金を使って世界を回って、女漁りに出かけるよう仕向けたおまえも終わってる。
よう、東亀、聞いてるか?
おまえら揃って終わってるよ。」
顔をぐっと寄せてすごんで見せる中年の男が、酷く汚いものに思えて、僕は顔を顰めた。
オーラルケアが不十分なのだろう、何かが腐ったような匂いが鼻につく。
「ずいぶんよく舌が回りますけど、この後参列者の前で話さなきゃいけないんだから、多少は喉のコンディションでも整えておいたらどうですか?
薄っぺらな人柄は兄弟揃って同程度みたいですが、終わってる片田舎で前近代的な絶対君主の真似事をしようってんなら、できるだけ黙っていた方が多少は重みがあるように見えますよ。」
寺の坊主か誰かが本家の長男を呼びに来るまで、適当にはぐらかそうと思っていたのだが、あまりの言い草に、思わず言葉を返してしまった。
言い返されるとは思っていなかったのか、本家の新当主様は、豆鉄砲で撃たれた鳩のように驚きで呆けた顔をしていた。
「本家の当主筋の兄弟同士で何を言い合おうと勝手ですが、上に立つ人間がそんなに残念な人格じゃ、誰もついてきませんよ?
自分のダメさ加減を棚に上げて、弟はこんなにダメだったとぼやくのなら、せめて他の連中の目と耳のないところでするように気を付けなくちゃ。
本家・分家問わず、親戚一同全員に呆れられちゃ、本家の当主も何もないですから。
そんなことになったら、もうどうしようもなく取り返しのつかなくなった状況をどうにかしようとして、一発逆転を狙って妄想めいたことを言い出して、予算度外視で世界一周旅行に出掛けたりしようと思いかねない。
それこそ、おっしゃるようにトチ狂って、ね。
別にいいんですよ?
どうせもともと大して変わらなかったでしょう?
一族が経営している会社の役員に収まって、日がな一日、やたら座り心地のいいリクライニングチェアで座って、何の仕事もせずに、定時までいたりいなかったりする。
邪魔な役員だって、まともな社員からは思われているでしょうね?
特に経営者として有能なわけでもない。
いてもいなくても変わらない。
どこかで聞いたどこぞの誰かと、まるで一緒ですね。
ただ先に生まれた上に、ボロが出る程度が少しだけ、その誰かよりマシだっただけで。」
「東亀、おまえ、何を―」
「長らくお待たせいたしました!」
本家の長男が声を荒げて言い返そうとした矢先に、坊主の見習いらしき連中が控室に2人入ってきた。
「これより、始めさせていただきます。
どうぞ皆様、本堂の方へお進みください!
どうぞ皆様、段差にお気をつけてお進みください!!
喪主の方、こちらへお越し下さい!
浮世様、こちらの会場へどうぞ!
まもなく開始いたします!!」
「呼ばれてますよ。
行ってあげたらいかがですか?」
「東亀、おまえ、ただじゃ済まさんぞ。」
「ただで済ますも何も。
僕はとうに一族から勘当済みの人間ですよ。」
僕を精いっぱい睨んだ後、本家の長男は坊主見習いにつかまり、本堂へと連れていかれた。
立ち上がった僕が座布団を持ち上げて片づけようとすると、眉毛を八の字にして何とも言えない表情の父親が僕の正面に立ってこっちを見ていた。
「なぁ、東亀。
お父さん、息子のおかげで、本家とのつながりが違う意味で強くなりそうでちょっと心配だよ。
好きの反対は無関心って言うけど、あれじゃ無関心じゃなくて、別の意味で執着されちゃうよ。
どうしたもんか。」
「お父さん、定年まであと何年だっけ?」
「10年以上あるんだよなぁ。」
「そんなないでしょお父さん。
何言ってんのよ。
あと数年くらい我慢しなさいよ、もうキャリアもほぼ終わってるようなもんでしょ。
嫌なら退職金割り増しして早期退職してもいいし。」
いつの間にか姉がすぐ隣に立っていて、話に横から茶々を入れた。
「役所は民間企業とは違うって、割り増し退職金制度なんてないってのは、うちの箱入り娘には理解が難しいのかなぁ。」
「そうかもね。
姉さんは大学卒業して、会社勤めを始めたと思ったらすぐ産休入って、それから都合5年間育休と産休を取得し続けたし。
ある意味始まる前から終わってた伝説の新人だから。」
「フルタイムの勤労者として社会保険料払ってたんだから、当然の権利でしょ。
組合にも入ってたし。
東亀も下らないこと言ってんじゃないわよ。」
そんな話をしているうちに人が捌けて、寒々とした控室にいる人も疎らになった。
そろそろ会場に移動するかと考えていると、またしても後ろから誰かの声がかかった。
「塔谷さん、こんにちは。
先日はどうも。」
振り返るとそこいたのは熊野女史だった。




