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56.不完全な推量

 要領を得ないことを言って姉との通話を終えた僕を、月見之介の母親だと名乗る熊野女史はじっと見ていた。

 視線を感じながら、僕はスマートフォンをテーブルの上に置いた。

 かなり慎重に、静かに置いたつもりだったのだが、僕が動揺を隠そうとするのを嘲笑うかのように、スマートフォンは大きく固い音を立てた。


「あの、すみません。

驚かせてしまって。」


 熊野女史は申し訳なさそうにそう言った。

 どことなく神経を逆撫でする物言いだなと感じながら、僕は頷いた。


「確かに驚きました。

見苦しいところ見せてしまいました。

それはともかく、浮世月見之介さんの母親だということで、そちらについては理解しましたが、その上で本日はどのようなご用件なのでしょうか?」


 とにかく時間を稼ぎたくて、自分でも何を言っているのかわからないような言い回しをする僕に、熊野女史は両目を3回瞬かせた。


「その、何というか、こんなお願いをしていただくのがいいのかどうかはわからないんですが、今日は、お話を伺いたくて来たんです。」

「お話と言いますと?」

「息子の死に目を看取ってくれたのは、塔谷さんだと聞きました。

その前にも、息子と一緒に旅をしていたことも伺っています。

そのお話を聞かせていただければと思い、今日は参りました。」


 熊野女史はそこまで言うと、不意に視線を僕から反らした。

 手元のコーヒーカップの中で渦を巻くミルクとコーヒーに焦点が合う。

 1月末の冬の寒さを少しでも逃れて、暖を取ろうとでもしているのか、彼女はコーヒーカップを両手で包んだ。

 言われてみれば、どことなく目元が月見之介に似ているのかもしれないと感じた。

 拗ねたようでいて、それでもどこか素直なままでいるような、幼さを思わせた。


「あの、確認なんですけれど、本日は仕事の相談という形で参りましたが、それについては熊野様の方と認識同じということで良かったでしょうか?」


 僕の言葉に、熊野女史は頷いた。


「今回は遠方への出張相談ということになりますので、出張相談料が発生していますが、そういう理解でよろしかったですか?」

「大丈夫です。」

「交通費も別途いただくことになっておりますが、それも?」

「はい。

お金は浮世家から支払われる話になっています。」

「なるほど。」


 僕は今聞いた話を確認すべく蟹沢さんにLINEのメッセージを飛ばした。

 ほぼタイムラグなく既読になり、OKと大きく書かれたスタンプが返ってきた。

 業務上のやり取りにしてはあまりにも軽かった。

僕は溜息をついて、熊野女史を見据えた。


「まずひとつ、個人的な印象を申し上げても?」

「個人的、ですか?」

「ええ。

私は大学に進学して以降、10年以上月見之介の付き人みたいなことをやらされてきました。

本家の意向、というか、今まさにこの病院に入院している本家の当主の意向で、7つも年上なのに、全くもって年上らしい尊敬できるところのない男の世話をずっとしてきました。

月見之介さんが芸能界に片足を突っ込んで、胡散臭い業界人に訴えられそうになった時も、投資詐欺の片棒を担ぐような真似をして、結果的に本家に迷惑をかけた時も。

その後、本家からも見放されて、クレジットカードを渡されて、どこにでも行ってしまえと厄介払いをされた際、これを機会に世界中の女をモノにしようと、酷く子供じみたことを言い出した時もです。

それから1年、地球を西へ旅するのに付き合って、ようやく解放されたと思ったら、またその1年と半年後に、本家の思惑で、カリフォルニアを北に南に嗅ぎまわって、月見之介を探す羽目になりました。

そんな私の意見を忌憚なく申し上げさせていただきますと、月見之介さんから解放されて、大変すがすがしい気分でいます。

親御さんにこんなことを言うのは申し訳ないと思うんですが、本当にそういう風に感じているので、個人的な印象としてお伝えしました。」

「それは…、そうですね…、何とも…」

「ええ、そうですよね。

でも、私から月見之介さんの話を聞くと、大体そんな話ばかりになりますよ。」


 言いたいことを好きなように言い放つ僕の話を聞いて、熊野女史はどことなく萎縮しているようだった。


「でも、それじゃあまりにも熊野様のご要望とかけ離れたことしかお伝えできないでしょう。

具体的に、何の話が聞きたいとご教示いただければ、私が把握している内容をそのままお話させていただきます。

どうでしょう、ご希望を伺えますか?」

「あの…、そうですね…。

そうしましたら、メキシコで、塔谷さんが息子に会った時のことを、教えていただけないでしょうか?」

「会ったというか、生死の判然としないタイミングで、月見之介さんの居場所に行きついただけですよ。

もしかしたら亡くなっていなかったかもしれませんが、私とは言葉を交わせるような状態にはありませんでした。

実際、私たちは会話をしませんでした。

それ以外で、実際に私が見聞きしたことは、調査レポートに書いてあるとおりです。

遺体が結局行方不明になってしまったことも含めて、大変残念に感じています。

謹んでお悔やみ申し上げます。」


 聞く人が聞けば皮肉にしか取れない口上だったが、熊野女史の反応は薄かった。


「あの…、遺品のiPhoneには何か、あの子の気持ちがわかるようものがなかったでしょうか?

写真ですとか、カレンダーに書き込まれた予定ですとか、そういうものはなかったんでしょうか?」

「特になかったと記憶しています。

iPhoneのデータについても、概要はレポートに書いたかと記憶していますが。」


 熊野女史は僕の言葉に首を振った。


「『ストアレージに写真や文章が残されていたが、特に注意を払うべき対象は見受けられなかった。』とだけ書いてありました。

特に注意を払うべきというのは、どういうこと意味だったのでしょうか?」

「誰かに脅されていたりして、実質的な自死を選んだと推察できるようなもの、という意味ですね。

事件性があるなら、警察に届けなければいけないと思っていたもので。」

「そうですか…、それは確かに…、おっしゃるとおりですね。」

「結果的に、死ぬまでの過程には事件性がないということになりました。

月見之介さんと一緒にいた女から聞き取った内容は矛盾だらけでしたが、彼女が月見之介さんを脅していたり、殺そうとしていたりと、そういうことはなかったのは不幸中の幸いだったのかもしれません。

月見之介の体は傷だらけで、どう考えても誰かから暴行を受けたとしか見えませんでした。

でも、女が言うには、彼女が見つけた時には既に傷だらけで、ラ・パスで病院を受診するよう勧めたが、それを断り、どこか遠くに身を隠したいと主張したのは他ならない月見之介だったそうです。

それが真実がどうなのかはわかりませんが、確かに彼女は、酷く非効率な形ながら、月見之介の体の傷の処置をしようとしていました。」

「それはつまり、息子は死ぬ間際に、心から身を案じてくれる誰かに看取られて死んだのだと、そう考えて差し支えないのでしょうか?」


 熊野女史は、すがるように僕を見ながら聞いた。

 たった10日か20日程度の付き合いの、言葉で通じ合うことすら怪しい外国籍の他人にするには、過大な期待であるとしか思えなかった。

 でも、死んだのが自分の子供であればこそ、熊野女史もこんなことを聞かずにはいられないのか。

 そう考えると、60代の女の上目遣いは、それを見返す僕を悲しい思いにさせた。


「お察しいたします。

改めて、お悔やみ申し上げます。」


-------------------------


 熊野女史との1時間半に渡る面談の後、さらに1時間かけてバスと電車を乗り継いで事務所に戻った。

 定時もとうに回っていたので、蟹沢さんはもういないかもしれないと思いながら室内に入ると、事務所の奥のデスクに人影を見つけた。

 淹れたばかりなのか、まだ熱い湯気とさっぱりとした香りを立ち昇らせるお茶をマグカップから飲みながら、僕に気づいた蟹沢さんは左手を上げた。


「ただいま戻りました、お疲れ様です。」

「亀やん、お疲れ様。

直帰しなかったんだね?

依頼人とは話せた?」

「お陰様で。

事前に伺えていれば、もう少し心の準備ができていたかもしれませんが。」

「悪かったよ。

前情報を入れずに、フラットな状態で話を聞きたいってことだったんだ。」

[それは、どうですかね。

フラットな状態ではありましたけど、彼女が聞きたい話ができたとは思えませんでした。]

「というのは?」

「月見之介は、彼女にとっては生き別れの息子ですけど、本家の扱いは酷いものでした。

それが、どうして今になって、本家を通じて、息子のことが気になってたなんて素振りを見せるんだろうって、そう思ったんです。」

「うん、それで?」

「彼女には、見聞きしたことをなるべくバイアスなく話したつもりですが、それでも『あなたの息子の月見之介は、本家からはもちろん、旅の途中で出会った誰からも好感を持たれることなく、その生涯を終えました。』というのは伝わったはずです。」

「うん?

そうなんだっけ?」

「え?」

「当時の捜査対象、亀やんの親戚の月見之介君は、本当に誰からも好かれないままに死んだって、何でそう言い切れるんだっけ?」

「え?

いや、だって…」

「少なくとも、サンノゼのあたりで詐欺師とスタートアップの真似事をしてた時は、詐欺師から好感を抱かれていたんじゃないの?

それとも、亀やんは、その辺りについても、何か別の確証があるの?」


 僕は何も答えられなかった。


「意外と人の気持ちなんて、わかるようでいてわからないもんだよ。

俺が未だに、昔働いていたコンビニチェーンのロゴを見るだけでブルブル震えちゃって、頭の中真っ白になっちゃうの、亀やんも知ってるだろう?」


 蟹沢さんはそう言うと、視線をディスプレイの方に向けて、キーボードを叩き始めた。

 その様子を見る僕の頭の裏には、月見之介のiPhoneのバックアップに保存されていたミシェルの写真が浮かんでいた。

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