52.ケース・クローズド
2023.12.23 遺体が消えた部分と会話部分ほか、少し編集しました。
月見之介の体はすっかり冷たくなっていたけれど、まだ強く臭っていたりはしなかった。
目の下の傷や、完全に折れている腫れ方をしている右手を無視すれば、ただ眠っているだけのようにも見えなくなかった。
安物の芳香剤とそれとは別の、何か余ったる煙の匂いのせいで、死体の匂いがわからなかった、という線もあった。
名前を名乗りたがらない家主の若い女は、しきりに部屋の中で怪しげな黒い粘着質の物体にライターで火を点けて、煙を充満させていた。
頭が痛くなるからやめるように頼んだのだが、「こうでもしないと臭くて頭がおかしくなりそうだ。」と、焦点の合わない目で窓の方を見ながら彼女は言った。
頭がおかしくなりそうなのは、こっちだったのだが。
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「手遅れだったか、そりゃ残念だ。」
蟹沢さんに通話で報告をすると、あんまり残念そうに聞こえない相槌が返ってきた。
自分としても特にそれに不満はなかったけれど、一瞬、上手く返事ができなかった。
依頼人や捜査対象に過剰に感情移入してもいいことがないのは、興信所勤務なら誰だって理解している。
僕が個人的に昔から知っている月見之介に対して蟹沢さんが冷たいんじゃないかと感じて不満に思うのは、完全に僕自身の問題だった。
「手遅れでしたね、残念ながら。」
返す言葉にに事欠いて、できるだけ余計な感情を込めないように、オウム返しに返事をする。
すると、ため息なのか何なのか、わからない息の音が電話の向こうから聞こえて、それから蟹沢さんは事務的な話をし始めた。
「亀やんって、うちに来てから捜査対象が亡くなってたケースの対応ってしたことあったっけ?
前に業務指示でまとめたメモのデータが残ってたから、とりあえずスクショを撮って送っとくよ。」
「ありがとうございます。
ホノルルで一回やりましたね。
基本的には、大使館か領事館に連絡して指示を仰いで、それから警察に連絡ですよね?」
「そうそう。
ホノルルと違って、今回はスペイン語がわからないのがネックになるだろうから、まあその辺は適宜無理せずこっちに話振ってくれると助かるよ。」
僕はもう一度礼を口にし、親戚として動いていいかどうか、蟹沢さんに聞く。
「ハワイの時もそうだったんですけど、興信所の人間って、領事館にかなり警戒されるし、できることも連絡くらいですよね。
今回、たまたま捜査対象が身内なので、親戚だって言ってしまえば、いろいろ便利だと思うんですけど。」
「いや、亀やん、それはやめとこう。
うちの事務所としては、そこまで依頼人にサービスする義理はないし、そんなことを亀やんにやらせて負担かけるなんて、雇用している側としてはしたくないんだ。」
もっともらしい理由で僕の提案を却下した蟹沢さんは言葉を続けた。
「大使館か領事館に連絡して、そこでもうこの仕事は終わりだよ。
この前も話したけど、随分時間もかかってるし、ここらが潮時だ。
もう幕引きにしよう。」
「でも、蟹沢さん。」
「業務命令だよ、亀やん。
これでこの仕事は終わりだ。
うちの事務所から依頼人に連絡して、それでケース・クローズドだ。
いいね?」
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いいね、と言われても、全くよくなかったので、何年か後に蟹沢さんと酒を飲む機会があった時に、この時のことを聞いてみた。
曰く、経営判断で、結局は金の問題だったらしい。
「亀やんには言わなかったけどさ、あの時いた女の子、WhatsAppで何日か連絡とってたけど、日増しにどんどん話が通じなくなっていったんだよね。
それで、亀やんが彼女と合流して、家に行ったら捜査対象がもう死んでたって聞いた時に思ったんだ。
もしかしたら、殺人かもしれないって。
そうじゃなくても、話の辻褄がまったく合わないし、亀やんとのコミュニケーションも破たんしてたって言っただろう?
何言ってるんだかわからない彼女に付き合って大使館やら警察やらとやりとりしてたら、亀やんが何カ月メキシコに足止めされるかわかったもんじゃないって、そう思ったんだ。」
「最初に話を受けた時、依頼人は公的機関の書類などの入手を希望してて、それが叶った際には追加報酬も検討するって、そう言ってましたよね?
「そう、言ってたけどね。
どう考えても割に合わない。
実際そうだったよね?」
蟹沢さんの言う通り、日本大使館とメキシコ連邦政府と地元の警察と議員と、その他もろもろの思惑が壊れた蜘蛛の巣の糸のようにぐるぐると絡まった挙句、月見之介の死体はその後、年単位でメキシコ国内をたらい回しにされた後、どういうわけか船便で横浜に送られることになり、そしてそのまま行方不明になった。
死亡証明書は別途、日本の外務省経由で本家の当主のところに届けられていたという話だが、詳細は僕は知らない。
元々の依頼が、月見之介が死んでいるのを確認してほしいというものだったわけで、死体そのものは必要とされていなかった。
本家に言われて引き取りに出向いた親戚筋の人間が、横浜港の一角で、現物確認で棺桶の蓋を開けてみると、出てきたのは大量のドライアイスの煙だけだったのだそうだ。
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蟹沢さんとの通話を切ると、話の通じない家主の若い女が僕の方にやってきて、水を勧めてきた。
僕は丁重に断って、自分で持ってきたペットボトルの水を少し飲んだ。
それから僕は女に、どうして月見之介を動画に撮って、それをアマチュア向けのポルノ動画投稿サイトにアップロードしたのか聞いた。
彼女は理由を説明しようとしたのだが、結局答えらしい答えはなかった。
何でもしていいって月見之介が言ったとか何とか言うけれど、それは彼女がそうした理由ではなかった。
埒が明かないなと思いながら彼女の話を聞いていたら、どういうわけか、動画を撮影してアップロードしたのは彼女ではなく月見之介だと言い出した。
彼女は充電の切れているiPhoneをどこかから引っ張り出して来て、これで月見之介が動画を撮影し、自分で勝手にアップロードしたのだと、そう主張した。
その説明自体、既に聞いていた話や、明らかに動画が誰かに撮影されていた事実と矛盾とするのだけれど、彼女は特にそういうことは気になっていないみたいだった。
「もしそうなら、動画のデータが、電話に残っているはずですね。」
僕が何気なしにそう言うと、彼女は頷いた。
「それで、そういうことなら、データを確認できればいいわけだ。
iPhone、ロックかかってるんですかね?」
彼女は首を横に振った。
「もしかしたら指紋認証でロック解除できるかもしれませんね。」
「わからない、多分できないと思う」
彼女は間髪入れずに答えた。
「充電してみて、それから試してみますよ。
携帯借りれます?」
彼女は首を振って、自分で充電をして試してみると言い、iPhoneをどこかにしまい込んだ。
僕は耐えがたい匂いの籠ったトレーラハウスの外に出て、メキシコシティの日本大使館に電話をかけた。
電話口に出たのは、多分以前電話で話したのと同じ人で、相変わらず随分世間擦れした話し方だった。
「邦人が亡くなられているとのことですけど、身元は確かなんでしょうか?
本人が所持していたパスポートか何かがあれば、確認してもらうのが確実かと思いますが。」
僕は以前、旅をしていた時にキャプチャしておいた月見之介のパスポートの顔写真のページを表示して、パスポート番号を大使館に告げた。
大使館はそれをメモした後、こっちの連絡先を聞いていた。
僕は、蟹沢さんから聞いていた、話の通じない家主の若い女のWhatsAppの番号を伝えた。
「承知しました。
確認を取って、メキシコ政府側にも働きかけて、準備します。
準備が整いましたら、こちらから折り返し連絡をいれますので。
今電話口に出ておられる方のお名前と、亡くなられた方とどういう関係なのか伺えますか?」
僕は本家の当主の名前と、関係性は親戚であることを伝え、それから日本の電話番号もつながるようにしていると断った上で、当主の家につながる固定電話の番号も伝えた。
「この度はご愁傷様でした。
当館ですが、今日はもう、閉館時間ですので、週明けまた改めてご連絡させていただきますので、よろしくお願いします。
では失礼します。」
最初に電話した時の塩対応と比べたら、随分人間味のある言葉とともに電話は切れた。
酷い匂いのするトレーラハウスの中に戻ると、家主の若い女が何か喚きながら、月見之介の死体に馬乗りになっていた。
何をやっているのかと思い、近づいてよく見てみると、ほんの少しだけ充電されたiPhoneの指紋認証画面に向けて、青黒く腫れ過ぎて、今にも皮膚の下から何かの水分が零れ落ちそうな指先を押し付けていた。
上手く行かなくて腹を立てた彼女は大きく舌打ちをして、iPhoneを壁に投げつけた。
iPhoneは明後日の方向へと飛んでいき、トレーラハウスの窓を突き破り、ガラスの破片と一緒になって、外へと消えていった。
後に残ったのは、月見之介の死体から立ち上がって、思い切り蹴とばした家主の若い女と、一部始終を見届けた後、彼女と目が合った僕だけだった。
お互いに、そのまま何も言わずにいたけれど、何秒かした後に僕は咳ばらいをして、iPhoneを探しにトレーラーハウスから出た。
そしてiPhoneを回収すると、その足で町のガソリンスタンドへ行き、そのままバヒア・トルトゥガスを離れた。
月見之介の件は、蟹沢さんの言う通り、それで幕引き、ケース・クローズドになった。




