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51.2人だけの閉じた世界を、開いて見せて、また閉じて開いて

地名(誤:オスティオナル、正:バヒア・トルトゥガス)が間違っていたので修正しました。


 ビズカイノのガソリンスタンドで運よく見つけたバヒア・トルトゥガスに物を運ぶ顔馴染みのトラック運転手に頼み込んで、彼をトラックの運転席の後ろに押し込んだ時、もしかしたら、塞がり切っていない傷口が開いたのかもしれない。

 バヒア・トルトゥガスまでの道はあまりにも揺れて、全く良くなっていない彼の体にはこたえただろう。

 彼はずっと目を閉じて、スペイン語でも英語でもない言語で、何かうめいていた。

 何を呻いているのかは、私には良く聞き取れなかった。


「なあ、こいつ、何なんだ?」 


 聞き取れるか聞き取れないかぐらいの声でも、ずっとぼそぼそ言っているのが気に障ったのか、苛立たし気に顔馴染みの運転手が私に聞く。

 視線を彼の方に向けると、私の方をちらりと見て、それから前を見て瞬きをする。

 車高の高いトラックの運転席のフロントスクリーンの向こうには平らな地平線が広がり、そこに荒野の起伏とサボテンの凹凸が申し訳程度に添えられる。

 舗装された道路は地平線で途切れて、そこからは先にはもうないみたいだ。


「大学で知り合った留学生。

まだスペイン語は得意じゃないって本人が言ってた。」


 私は適当に言い返す。

 大学で知り合っていないし、留学生でもない。

 スペイン語が得意じゃないなんて本人は言っていない。

 ただ、私の話すスペイン語がまったく理解していないのは、この数日ではっきりしていた。


「気味悪いよ、なんかずっとぶつぶつ言ってるし。

こんな奴、(バヒア)まで連れていってどうするんだ?

ヨットか飛行機にでも乗せるってのか?」

「そんなところだね。」


 そんなところって、何だろうな。

 何をするか、まったくわかっていないのに。

 自分の言葉に自問自答して、それから彼の方を見る。

 ぼそぼそ言っている言葉が、同じ音を何度も繰り返しているのに気づく。

 同じ言葉を何度も、自分に言い聞かせるように言っているのだろう。


--------------


 関わり合いになりたくないという態度をありありと出していたドライバーの運転するトラックから降りた彼は、何とか足から地面に着地したものの、そのままよろめいて、うずくまってしまった。

 何とか彼を立たせて、肩を貸して、両親の家まで引きずっていったけれど、たかだか200メートルくらいの距離に随分時間がかかった。

 どうにかこうにか家に辿り着き、ドアの鍵を開けて中に入り、彼をソファに軟着陸させたら、もう夜の10時を過ぎていた。

 ラ・パスを出発して、1日でどうにか辿り着いたのは、彼の状態を考えると出来過ぎだった。

 浄水器付きのウォーターサーバーに残っていた水があったので飲んだ。

 コップを出して、彼にも同じ水を飲ませた後、彼に日が経っているのを気がついた。

 でも気にしないことにした。

 水を飲んだら、彼は目を閉じて、またぼそぼそと言い始めた。

 部屋には誰もいなくて、冷蔵庫が時々音を立てているだけだったから、小さなうめくような声も、聴きとれた。

 でも、意味が拾えた言葉はなかった。

 私はソファに座って、彼の横に体を滑り込ませて、いつも寝る時のように、彼を胸の中で抱いてあげた。

 彼は一瞬体をこわばらせて、でもそれから私の胸の中に顔を埋めて、相変わらず何か言いながら、嗚咽を漏らした。


「ミシェル、ああ、ミシェル。」


 違う言語でも、それが誰かの名前なんだろうなというのは、何となくわかった。


--------------


 その日の夜から、彼の体温がすごく上がって、寒い寒いと、震えながら泣くようになった。

 まだ母がここで生活していた時に貯め込んでいた生理痛が酷い時のための痛み止めを飲ませたけれど、全然症状は落ち着かなかった。

 何日か経って、けがが悪くなったのかと様子を見てみると、左脇が青黒い色に腫れていた。

 右手の腫れも全く収まりそうな気配がなかった。

 添え木をあてようとすると、無言で私の手の中から、手がすり抜けた。 


「もういいんだ。」 


 彼は熱に浮かされた澱んだ目で私を見て、それだけ言う。

 私は彼を見返す。

 右目の下の傷は塞がったけれど、痕になっていた。

 

「ねえ、頼みがあるんだけど。

西に連れてきたら、何でもするって言ったよね?」


 私が言うと、彼は頷いた。


「本当に何でもしてくれるの?」

「今の俺にできることなら。」


 そうやって彼が言うから、その日から私は彼を裸にして、スマートフォンのカメラで撮った。

 自分の顔が映りこまないように慎重に画角を調整して、映りこんだらスタンプで隠した。

 彼はほとんど体を動かせなかったから、私が彼を自由にできた。

 好き勝手に彼を撮った。

 何もはばかることなく、暴力的に、なぶるようにカメラを向けた。

 彼の顔を、体を、何度も撮った。


「私の名前、ミシェルって言うんだ。」


 ある日、何となく、私は言った。

 スマートフォンのスクリーン越しに、私に撮られていた彼は、眉毛を跳ね上げて、それからすぐに平静を装うように、表情を引き締めた。

 それから鼻を鳴らして、いい名前だな、と、まるで会ったことのない知り合いの兄弟の名前を聞いたみたいな風に言った。


「あなたの名前は何?」

「InstagramだとHaiku Masterって名前だ。」

「インスタのアカウント名なんて聞いてない。」


 困ったように彼は笑った。


「じゃあどっちか当ててみてくれよ。

ツキミノスケと、トーキ。

どっちだと思う?」

「え?

トーキーとツク… 

何?」


 聞き取れなかった私が聞き返すと、また笑顔を顔に浮かべた。


「どっちも嘘だよ、忘れちまったよ。」

「奇遇だね。

私のも嘘で、本当の名前は忘れちゃった。」

「へえ、珍しいこともあるもんだ。

どっちも名前を忘れるなんて。

俺たち、不思議な縁があるのかもな。」


 馬鹿みたいな、浮ついた会話をして、私たちは笑って、録画を続けるスマートフォンが私たちの様子を記録した。

 彼は痛み止めを舌の先に乗せて、カメラを見ながら飲み込んだ。

 その日何個目の痛み止めなのかと私は考えたけれど、まだたくさんあるからと、気にしないことにした。

 やがて彼はベッドに倒れ込んで、意識を失うように眠った。

 私はその間に、動画をスマートフォンの小さい画面上で編集して、適当な動画投稿サイトにそれをアップロードした。

 キャプションには、さっき彼がぼやいていた、Instagramのアカウント名、Haiku Masterをハッシュタグで入れた。

 私たちの泡の中の世界を開いて、世界にちょっとだけ見せてあげようと思ったから。


--------------


 日毎、撮影を重ねるごとに、彼が衰弱していくのが見て取れたけど、私は気にしないことに決めた。

 彼と私は、一歩も家の外に出ることなく過ごして、彼はまるで神様に作ってもらいたての誰かみたいにずっと裸で、恥ずかしがることがなく、自然に私と一緒にいた。

 私が彼に動画を公開したことを話したら、彼は不機嫌になったけれど、痛み止めを飲んだら気にならなくなったみたいで、私にくっついてソファで動画を見て笑って、今度はもっと美形に見えるようにフィルターかけようなんて冗談を言った。

 それから一眠りして、夜中に目をさましたら、彼が自分のi-phoneと私のスマートフォンを並べて忙しなく指を画面に滑らせているから、何をしているのと声をかけたら、あんな動画を公開されるのは嫌だから消してほしいと言って彼は泣いた。


「お願いだ、ミシェル。

頼むから消してくれ。」


 私が動画を消して、彼を胸に抱いて慰めて寝静まるまであやして、また眠って起きると、彼はまた痛み止めを飲んでいて、カメラを回して自分を撮って、動画を公開しろと言った。

 そんなことが何度か続き、彼の動画は公開と非公開を何度も繰り返し、不思議なことに公開されなおす度にHaiku Masterがどうのこうのと、よくわからないコメントがついて、また再生数が増えた。

 何百、何千くらいまでなら、動画の再生数が増えるのを見ているが楽しかった。

 それが万を超えて、また桁が大きくなって、その辺りから何だか怖くなった。


「いいね。」


 彼は、その様子を私から聞いて、言った。

 それから右手で掴めるだけの痛み止めを口の中に放り込んで、水で飲み下した。

 青黒く腫れて動かせないはずの指の間から、ぽろぽろと痛み止めがこぼれ落ちたけど、気に止める素振りも見せなかった。

 次の日、彼はベッドから起きてこなくなった。

 疲れたんだろうなと思い、私はソファに寝そべって、動画のコメントを返しながら、彼が起きてくるまで待っていた。

 そしたらそのまま眠ってしまったみたいで、気が付いたら夜が終わり、新しい朝が来ていた。

 ソファの上で固まった手足を伸ばして起き上がると、ベッドの上に彼が寝転がったままだったから、さすがに起こそうと思って彼の体を触ったら、すっかり冷たくなっていた。

やっとメリーバッドエンド…!

メリーでもないし、終わってないけど…!!


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