5.せめてちゃんと金もらってないと
本家の当主には決して気取られないように気を付けていたのだが、実はあの手紙を読んだ時、末尾に付された短歌の出来栄えに、僕は密かに感心していた。
屁理屈ばかりが達者な男だと月見之介のことを思っていたが、まさか和歌を詠めるような才覚があったなどとは考え付きもしなかった。
もちろん、これは月見之介という人間の、あまりに何をしても駄目な人柄を僕が良く知っているということが大きいのだが、叶うならあの生きているのが既に無駄、というのを絵に描いたような男が詠んだ他の歌も見てみたいと、少しだけ思った。
だが、その少しだけの気持ちは強くも深くもなかったので、長続きせずに、いつしか僕の意識の中に忘れ去られて消えた。
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月見之介の面倒を見るためにほとんど行けていなかった大学院に退学届けを出し、アカデミズムの世界からすっぱり足を洗った僕は、28歳まで職歴がないせいでうまくいかなかった就職活動の後、紆余曲折を経て横浜にある興信所で働き始めた。
家出人の捜索や信用調査や浮気調査なんかがメインの業務であるのは他の興信所と同じだったが、国外の案件を専門に取り扱っているのがちょっと違うところだった。
就職活動が上手くいかず、生活費を稼ぐためにその場繋ぎのアルバイトのつもりで始めた興信所の勤務だったが、大学院でほとんど唯一身に着けることができた語学と文献調査とインタビュー調査、そして録音データの文字起こしの経験が生きたせいか、割とすぐに仕事に慣れた。
興信所の所長に気に入られたこともあり、3か月もしないうちに時給ベースのアルバイトから、固定給プラス出来高払いの業務委託契約に勤務形態が変わった。
単身赴任している駐在員の浮気調査や、借金を踏み倒して逃げた人間の捜索なんかでカリフォルニアにも頻繁に出張するようになり、1年と半年があっという間に過ぎた。
僕はもうすぐ30になろうとしていた。
たまの休みには実家に顔を出し、姉の子である姪や甥と遊んで過ごした。
実家は未だに本家からいいように使われているようだったけれど、僕はそのことについて特に何か聞くようなことはしなかった。
僕が興信所で勤めていることを両親に伝えた時、母親の方がちょっと複雑そうな表情をしていた。
大体の仕事が浮気調査と家出人の捜索であることは言わなかったけれど、おそらくあまりまともそうな仕事には思えなかったのだろう。
僕が社会保険完備の正社員ではなく、年金と健康保険を自分で負担しなければならない業務委託契約なのもあまりお気に召さないようだった。
「まあ、仕事があるだけありがたいもんだよ。
今時、大学院行って働き口を見つけられないなんて話はいくらでもあるからね。」
そんな風に兄がそれとなく僕を庇ってくれるのはありがたかったが、それを田舎のエリートである地銀勤めの人間に言われるのは、何となく釈然としない思いがした。
兄の就職は、父と同じで本家のコネで決まったものだったのも、その思いに拍車をかけた。
もちろん、そんなことは口には出せないから、実家にいる間は余計なことを考えないで済むよう、姉の子供たちと遊んでばかりいた。
おかげで姪と甥にはすっかり懐かれたのは、思いがけない収穫だった。
僕は自分が3人兄弟の末っ子で、いつも自動的に一番下の立場に置かれることに少なからず思うところがあったので、姪と甥が可愛くて仕方なかった。
連休の終わりに実家から帰る段になると、2人はいつも僕を見上げて、次はいつ来るのかと聞くのだが、その度に僕は危うく地元で仕事を探そうかと思ってしまいそうになった。
「かめくん、もうかえっちゃうの?
さみしいな。」
こんなことを言ってくれるのは、僕の知る限りこの世界に2人だけしかいない。
自分の子供でもないのに、僕はこの子たちのためなら何でもできるような気がしてくるから不思議だった。
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興信所の所長は蟹沢さんと言って、僕より少し年上の人だった。
本人から聞いたところでは、彼は就職氷河期の最後の世代で、とある大手コンビニチェーンの正社員として採用されたのだが、あまりの激務に1年で体を壊したとのことだ。
その後、退職して、非正規雇用を転々として世の中の厳しさを胸いっぱいに吸い込んだ後、当時のバイト先の店長の嫁の浮気調査を手伝ったことがきっかけで興信所の世界に興味を持った。
それから興信所に就職し、大手企業が発注する海外の駐在員の素行調査を手掛けるようになり、顧客を掴んで独立して今に至る。
ちなみに、最初の就職先だったコンビニチェーンについては、未だにロゴを見るだけで吐き気と怒りと震えと涙がこみあげてきて、何も手に着かなくなるのだそうだ。
日本にはコンビニが多すぎるというのが彼の持論なのだが、その辺りは正直あまり共感できない。
だが、それを除けば極めて常識人で能力も高く、英語と中国語を流暢に話し、話も面白かった。
一度働けなくなるくらいに酷く体を壊したとは思えないほど心も体もタフだ。
腹筋が6つに割れているのは当然として、背中の筋肉がフィットネス関連誌の外国人モデルもかくやというような綺麗な逆三角形を形作っている。
顔もなかなか整っているので、最初に働いた興信所では、調査の関係上、必要に迫られて色仕掛けのようなこともやらされたらしい。
「ま、最悪だよ、色仕掛けとかさ。
他の方法じゃ情報が取れないからって、わざわざ人の心の一番柔らかい部分を土足で踏みにじるような真似は良くないよ。
っても、仕事だから、やらなきゃしゃあないんだけどさ。」
そういう思いを持っているせいで、蟹沢さんは独立した後は比較的真っ当な案件だけ扱うように心がけているとのことだった。
職員も真っ当に扱うのが信条らしく、いい仕事をする人間にはいい報酬を払うことに人一倍のこだわりがあった。
「この仕事はさ、知らなくてもいいようなことを知っちゃうことがままあるんだよ。
特に、できる奴ほどそういう羽目に陥りやすい。
俺もさ、別に大して仕事できるわけじゃないけどさ、昔、ある地方議員と、その地元の地場大手の企業の間の関係を調べてた時、考えもしなかった別の大物政治家のスキャンダルに行きあたっちゃって、普通に脅されて、命狙われたよ。
俺程度でもそんな目に合うんだよ。
仕事できればできるほど、そんな危ない目に合う可能性が高いんだ。
せめてちゃんと金もらってないと、割に合わないよ。」
時給ベースのアルバイトから業務委託契約に雇用形態を変えた時、蟹沢さんはそんな話を僕にしてくれた。
それを聞いて以来、僕は新しい案件を割り当てられる度に内心戦々恐々としている。
と言っても、蟹沢さんは比較的真っ当な案件しか扱わないので、1年半の間に与えられたどの案件も安全なものだった。
多少のややこしい事情はどの件にもつきもので、それを解きほぐしていくのは注意力と忍耐力が必要だったものの、一度として命の危険を感じるようなことはなかった。
その上、どの案件を割り当てるにしても、やる・やらないについて、必ず僕の希望を聞いてくれた。
しばらくしてから、蟹沢さんが月見之介と同い年だと知った時には、同じ時代の、同じ国に、同じ年齢で生まれ育った2人の人間が、何故こうも違うものだろうと、深く考えさせられた。
蟹沢さんだったら、きっと金持ちの家に生まれても勘当されるようなことにはならないだろうし、仮に勘当されたとしても、世界中の美女を抱くために世界一周するなんてしょうもない発想を持つことは決してなかっただろう。