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49.亀の入り江、または世界の果てと、その外の世界

 私の生まれ育った町はバヒア・トルトゥガス(亀の入り江)という名前だ。

 世界の西の果て、太平洋沿いの、バハ・カリフォルニアの、そのまた果てみたいなところだ。

 南に口を開けた大きな入り江の周りを、山が取り囲む。

 太陽が出ている間は年中暑くて、砂が舞い散る。

 外に長くいると口の中にも砂が入ってくる。

 背の高い建物は何もない。

 道路は北に伸びているけれど、すぐに東に曲がり、舗装されていなくて、道なのかどうかも疑わしいものがずっと続く。

 東にずっと行った先、ビスカイノの町に行き当たるまでは何もない。

 できた時から今に至るまでずっと、忘れ去られてしまったかのように、何もかもから遠いところだ。

 生まれ育った町だから、思い入れがないと言えば嘘になる。

 うちの父親はヨットの関係の仕事をしていて、母親は空港関連の仕事している。

 ヨットの停泊場はロス・カボス・デ・サン・ルカスとサンディエゴの間を行き来するお金持ちに、物資を補給するためのもので、空港はイズラ・デ・セドロスとエンセナダの間で飛行機を飛ばしている。

 こんな世界の果てに、どうしてそんなものが必要なのか、まだ幼い頃に父親に尋ねたことがあった。

 父親は首を傾げて、「確かにそうだなあ、何でなんだろうなあ」、と、困った素振りを見せて、それから笑って誤魔化した。

 まだ子供だった私は、父にはぐらかされたのがわかって腹を立てたけれど、抗議をすればするほど、父は笑い声を大きくした。

 母はそんな私と父のやり取りを微笑ましそうに見ていた。

 

 この町の基準から言うと父と母は大分変わり者の部類だったようで、事ある毎に、私がいつか町を出ていくのだと話した。

 それは私に町を出るように言い聞かせるのと同時に、両親もまた自分たちに言い聞かせているようだった。

 どこかとは正確には教えてくれなかったけれど、父も母も、どこか違うところからやってきて、この町で仕事にありついて、住み着いた。

 2人はこの町ではないどこかの週末のお祭り(フェリア)で知り合い、それぞれ別々に必死に生きて、やがてバヒア・トルトゥガスに辿り着き、偶然に再会して、一緒になった。

 私はそう聞いたけれど、多分実際は違うのだろう。

 過去に何の接点もない2人が何となく年が近いというだけでデートするに至ったとは思い難く、一方で2人が出会った90年代後半には、今のマッチングアプリの走りみたいなものは既にあった。

 2人はデートの相手を探していて、何となく知り合い、何となく同じ町に来て、やがて同じ家に住むようになり、同じ苗字を分かち合うようになった。

 2人はお互いにとってよそ者だったが、この町にとってもそうで、町の人たちと同じようにスペイン語こそ話したものの、家ではずっとお互いに英語を話していた。

 そしてその英語で、2人は違う世界の話を、ずっとずっと話し続けるだった。

 父も母も、 話の終わりに私に言った。


「これは本当の話だよ。

大きくなったらこの話の舞台になった場所へ行って、確かめてくるといいよ。」


 この言葉は、私を世界の果てから解き放って、広い世界を見ようという気にさせた。

 だから私はラ・パスにある大学に行き、結局何も見つけられないで、無為な日々を過ごすことになったとも言える。

 大学では勉強をする傍ら、アルバイトがてら、大学の図書館で司書の真似事をして日銭を稼いだ。

 学生団体に参加して、季節のイベントを企画したり、寄付を募ったりもした。

 市民運動にかかわっている子たちの誘いにのって、デモにも参加した。

 一向に治安が回復しないのは警察が腐敗しているからだと叫んで、それから最寄りのカフェでみんなでお酒を飲んだ。

 楽しかった。

 違う世界が自分の目の前で広がっていくようで、夢中になった。

 でも夏休みがやってきて、両親が3週間おきに続けて事故にあって死んでしまい、私は我に返った。

 夢中だった私は、世界の果ての亀の入り江に帰ってきて、合計6週間、両親の死にまつわる行政手続きに忙殺された。

 示し合わせたように続いた、最も近しい肉親の死を前に、私は立ち止まって泣くことすら許されないくらい、あっちへ行くよう急き立てられ、こっちに書類を提出したかと思うと、次の日には教会、その後はモルグ、それから役所(アユタミエント)、警察、病院。

 支払いを済ませ、伝票を貰い、サインをして、また別の書類を受け取る。

 棺に釘を打ち、見晴らしのいい協会の敷地の裏に広がる墓地へと棺を運び、父と母を土へ返して、ようやく私は一息つくことができた。

 なぜ2人はこんなに同じようなタイミングで、続けて事故にあったのだろう?

 そう思いながらぼんやり過ごしていると、やがて両親の家に生命保険会社から通知が届いて、合計で13万ドルほどのお金を押し付けられることになった。

 私は自分の口座に、これこれこれだけの金額が振り込まれると書いてある事務的な手紙を読んで、ものすごく何かに縋りたくなった。

 もう一度何かに夢中になりたいと思った。

 両親の死を乗り越えるために。

 大きくなったらこの話の舞台になった場所へ行って、確かめてくるといいよ。

 両親はそう言っていたけれど、私の話の舞台はどこにも見つからなくて、私の人生が、命が、本当にここにあるのか確かめるためには、違う場所に行かなければいけないような、そんな気分に捕らわれた。

 その結果、私はほとんど付き合い程度にやっていた市民運動にのめり込んでいくようになった。

 明るいうちに警察の許可を取って比較的平和裏に行われる集団行進に他の学生と一緒に参加するだけじゃなく、暗くなった後、道路の一部をバリケードで封鎖して、メガホンで叫び続け、時には警官と衝突するような抗議行動に一人で参加するようになった。

 毎日、毎日、夜になると出かけていって、路上で正義と尊厳と多様性と社会公正の実現を叫んだ。

 ドラッグの密輸業者と癒着しているとされる政治家の離職を要求した。

 化石燃料の使用を制限しない大企業の欺瞞を騒ぎ立てた。

 アフリカと中東で続く紛争と人命の軽視を(なじ)った。

 そうしないと、両親がもうこの世界にいないという事実に押しつぶされそうになってしまうから。

 もっと大きな声で、もっと過激な言葉で、この世界のあれもこれも間違っていると糾弾しないと、自分で自分を容赦なく傷つけないといけないような気がしたから。

 ラ・パスで警察とデモ隊が激しく衝突して、死傷者が出たのは、私がそんな気分の時だった。

 警察が思い切り振り回した警棒が鼻先をかすめて怖くなった私はすぐにその場から逃げ出したのだけれど、たくさんの人たちが、顔見知りもそうじゃない人たちも、その場に踏みとどまって警察ともみ合い、石が投げられてガラスが割れるのを合図に、警官が私たちを一気に囲い込んで殴り、蹴り、踏みつけて、辺りは悲鳴で一杯になった。

 助けて。

 殺される。

 怖いよう。

 神様。

 もう誰も正義も、尊厳も、公正も叫んでいなくて、ただただ本能的な恐怖とか、不快感とか、痛みとか、そういうのでみんな、頭がいっぱいになった。

 私も同じだった。

 警官に捕まらないよう、必死になって逃げた私は、気が付いたら泣いていた。

 両親の死を乗り越えるために、夢中になって、これだけと決めて、自分の生活を捧げてきた市民運動。

 真剣にやっていたはずなのに、ちょっと警官に殴られそうになっただけで、尻尾を巻いて逃げ出した。

 こんな自分が嫌で嫌で仕方がなくて、夜通し、ラ・パスの町をさまよい歩いた。

 別にどこかに行って、何かを見つけたくてそうしたわけじゃなかった。

 ただただ、自己嫌悪がやるせなくて、そうせざるをえなかったから、そうしただけだった。

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