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46.白鳥と世紀末前後

 世紀末のベイエリアに流れてきたナンシーの父親は、一度だけパーティーで会ったコンピュータ専攻の留学生の家に無理やり転がり込んだ。

 その留学生は、今のように不動産が暴騰する前のベイエリアで、ガレージ付きの家を借りていた。

 比較的派手なことが好きなタイプだったその留学生とナンシーの父親はウマが合ったので、そこに転がり込むこと自体は何も言われなかったが、不動産関連の会社を営む裕福な家の出身だった留学生は、ナンシーの父親にガレージの一角をあてがい、毎月200ドル支払うよう要求した。


「温情とか、親切とか、助け合い。

当時はそういうつもりだったよ。

200ドルなんて、当時の家賃水準からしても大した金額じゃない。

いくら移民崩れの半端ものでも、そのくらいはどうにか調達できると踏んだんだ。」


 高魚の事務所の後輩が尋ねたかつての留学生は、父親から継いだ会社の応接室で、緑茶を啜りながら遠い目をして言った。

 視線の先には、応接室の壁にかけてある引き延ばした写真があった。

 目の前の人物の面影のある、若い男が、グランドキャニオンらしきアメリカ西部らしき風景を背景に、こちらに向かってはにかんでいる。


「ま、結果としては、情けをかけたのは無駄だったわけだ。

感謝もされなかったし、あいつは1年くらいうちにいて、それから何の前置きもなく出ていったよ。

何だったんだろうな、あれ。」


 当時の留学生、今では業者を跨いで不動産を全国的に検索できるオンラインのシステムを作り上げたパイオニアだとされる会社の二代目社長は、若い頃の白鳥オーナーとの交流をそう言って振り返った。

 家主にとっては無駄だった同居期間だったが、ナンシーの父親にとっては、その後の経済的成功の基盤を築いたという意味で、非常に意味のある1年だったようだ。

 真っ赤なフォードサンダーバードを維持するために現金を稼ぐ必要に迫られて、ロサンゼルスに来たばかりの時と同じように、手あたり次第に仕事をした。

 以前と同じように日本食レストランの下働きをしつつ、知り合いの伝手を辿って日本語の翻訳の手伝いの仕事を得た。

 流暢に日本語を操る翻訳者がまだ多くなかった頃で、商業翻訳を手掛けている会社の日本語校正者のポストを得て、電化製品やコンピュータ関係の商品の取扱説明書の意味はわかるけれども微妙におかしい日本語を、何ワードいくらという単価で修正して、小銭を稼いだ。

 車検のために日本で乗り換えられた、走行距離が1万キロもいっていない中古車の輸入業者にくっついて、税関とのやりとりで発生する細々とした雑用をこなした。

 雑用をこなすうちに、必要に迫られて語学ができるようになり、言葉ができるようになったので日本食レストランで下働きからホールのスタッフになり、ホールのスタッフになったので客が渡すチップの分け前に預かれるようになった。

 商業翻訳も、ただ校正するだけではなく、英語から日本語に翻訳できるようになり、仕事の単価が上がった。

 やがて、別の伝手から大学関係者を紹介され、コンピュータ関係の技術翻訳も手掛けるようになり、そうするうちに日本から視察にやってくる学術関係者のアテンドのコーディネートを任されるようになった。

 メキシコ湾で原油を掘る仕事を手伝った云々の話もこの頃のことで、90年代に急速に進んだメキシコ湾の油田における水圧破砕法を利用した原油の採取を視察しに来た日本の学者と実業家の一団を、テキサス油田までアテンドした時のことを大袈裟に吹聴しているというのが真相だった。

 前述の二代目社長の家のガレージを出たのはその頃のことだ。

 こっちに来てから知り合ったインド人家族が経営するモーテルの一室を住み込みで働くという条件で無料同然で借り、夜間に店番をしながら、翻訳の仕事をこなしていた。


「まあ、何というか、日本人ってのは良く働く生き物だと、白鳥を見てて思ったよ。」


 現在も同じ場所でモーテルを経営するインド人のモーテルのオーナーは、聞き取りに来た高魚にこう言った。


「最初、ちょっと街中で知り合ったワタシに住み込みで働かせてもらえないかと言ってきた時は、変な奴だと思ったね。

とにかく住む場所が欲しいから、なんてことを言っていたけど、本当のところは良く知らない。

でも、モノは試しと思って雇ってみたら、まあ真面目だし、良く働くし、帳簿の計算もできるし、子供たちは懐いたし、まあ悪くなかった。

夜の間中、受付しながら、なんかよくわかんない中国語をちまちまと勉強していたよ。」


 どうやらインド人のオーナーは、ナンシーの父親は勤務中に別の仕事をしていたことを知らなかったらしい。

 とは言うものの、商業翻訳の仕事からは徐々に手を引き、払いのいい大学関係者や実業界の訪問者のアテンドに注力するようになっていた。

 中古車の輸入業者の手伝いの方は雑用のための小間使いではなく、大規模に輸入を手がける際に必要になる現金を提供し、販売益から手数料を取る、出資者のような立場にいつの間にか収まっていた。

 ロサンゼルスでメキシコ人に舐められ、近所から白い目で見られていた移民一世の白鳥は、紆余曲折の末、日本人の一番の武器である勤勉性を発揮し、多くの不義理と偶然の末に、どうにかこうにか、アメリカに根を張りつつあった。

 真っ赤なフォードサンダーバードは燃費のいい三菱パジェロに乗り換えて、ロサンゼルスから持ってきたガラクタ同然の家財も不要なものから処分した。

 月日が過ぎ、日々が過ぎて、色々なことが起こっては、また次の月日が巡った。

 モーテルに住み始めてしばらくしたら、当時付き合っていたナンシーの母親、日本から来ていた留学生が妊娠し、世紀が変わるちょっと前にナンシーが生まれた。

 留学生は子供を置いて、出産の事実を誰も知らない日本に帰った。

 ほぼ同じ時期に白鳥オーナーの両親、老いた県会議員とその妻が親子間の確執を乗り越えるべく息子を訪ねてきて、1歳に満たない子供を抱えながら、住み込みのモーテル勤務と胡散臭いコーディネート業務で食いつなぐ息子を見て再度ケンカになったりと、色々とあった。

 だが、結局、老いた県会議員は自分の権力とコネを使い、日系二世のカリフォルニア市民の年頃の娘を見繕い、愛のないまま息子と別居のまま結婚させて滞在許可の問題をクリアし、息子が合法的にアメリカにいられるようにしてやったのだった。

 孫であるナンシーの住環境が悪いと息子に引っ越すように言いだした両親にうんざりしつつも、これまで以上に仕事に精を出し、手がかかるナンシーの面倒を、毎日諦めそうになりながら見続ける日々が過ぎた。

 そうしている間に、ホワイトハウスでアメリカの大統領が不倫し、アフガニスタンが爆撃され、世紀が改まった。

 ナンシーも立って歩けるようになり、話せるようになり、徐々に手がかからなくなっていった。

 ベイエリアでの生活は徐々に同じことの繰り返しになってきて、手元の金も少しずつ増えてはいるものの、何か物足りなさを感じるようになっていた。

 そんな日々を過ごしていた9月のある日、日本との時差対応のために早朝から電子メールをやり取りしていたところ、点けっぱなしのテレビが金切り声を上げだして、飛行機が落ちてくるとか、ビルが落ちてくるとか言い出した。

 何年か前に見た、日本の地震や化学薬品による公共交通機関のテロの写真とは違うのは、テレビが伝えるその様子があまりにも剥き出しで、画面の端っこに映る「LIVE」の文字が生々しかったことだ。

 あっていいはずがない奇妙な現実を、映画ではなく、ニュース映像で見る非現実さが、自分の胸の奥の掴んで、ずっと締め上げてくるような感覚。

 ビルから小さな、極々小さな点がぽろぽろとこぼれ落ちる。

 それは瓦礫なのか、あるいは生きている人なのか。

 2つ目の飛行機が画面の端から滑るようにやってきて、ボーリングの玉のように優雅に、そびえ立つ高層ビルにぶつかり、爆ぜる。

 ナンシーの父親はそれを食い入るように見ていた。

 まだ小さかったナンシーは、寝ぼけながら、夢でも見るかのように、父親と、画面の中で崩れ落ちるビルを眺めていたのを、今でもはっきりと覚えている。

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