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44.意趣返し

 結婚。

 言うなればそれは、人間が社会生活を営み始めるよりもずっと前からあった現象だ。

 生殖行為を行い次の世代へと遺伝子を残すのに、特定のパートナーがいた方が都合が良かったことから、自然発生的、慣習的に生まれたものだと考えられる。

 種としての人間が、次第に大きくなる群れの中での社会規範だの何だのと小難しいことを考え始めた結果、そうした自然発生的なものにそれらしい背景と正当性を与える必要が生まれた。

 そこで、人類という種は結婚という概念をでっちあげた。

 楽園で幸せに暮らしていた人間の(つがい)に与えられた禁断の果実だとも知らずに。


「亀やん、それはちょっと行き過ぎた曲解のように聞こえるんだけど。

結婚に恨みでもあるのかい?

興信所の仕事は浮気調査が多いから、結婚ってものを信じられなくなるのも、わからないわけではないけれど。」


 経緯を説明すべくかけた通話の途中で、僕の結婚観に対して蟹沢さんがちょっと引き気味に感想を漏らした。

 上司である蟹沢さんに対して、仕事については直接関係のない事柄で、少し熱のこもりすぎた話をしてしまったかもしれない。


「エデンの園の禁断の果実と制度としての結婚をこじつけるのも、いかにも無理筋だよ。

やっぱり、そろそろ調査を切り上げて、帰国した方がいいんじゃないかな。」

「冗談はやめてくださいよ。

もうあと何日もこっちにいられないのはわかってますから。

あと少しだけ勘弁してください。

もしかしたらここで尻尾が捕まえられるかもしれないですし。」

「尻尾って言っても、旅行者の根も葉もない噂だよね?

果たしてどこまで当てにしていいものか。」

「空振りに終わったら、その段階でさっさと切り上げますよ。

ナンシーにも一矢報えそうですし、いいタイミングと言えば、いいタイミングです。」


 電話口の向こうで、蟹沢さんが鼻を鳴らしたのが聞こえる。

 ナンシーにやり込められたのを思い出したのか、あるいは意趣返しができそうで機嫌がいいのか。


「これに関しては、完全に蟹沢さんのおかげです。

助かりました。」

「いやいや、大事な従業員を守るため、必要なことをしただけだよ。

ナンシーが、カミーラちゃんにするのと同じことだ。」

「ナンシーのやることは完全に違法っぽいんですけどね。」

「清く正しく美しく生きるには、この世界はあまりにもタフすぎるんだよねえ。

亀やんも早いとこ、そっちを切り上げて、もっとお金になる別の案件に携わってもらわないと、うちの事務所の経営も危ういよ。」

「それとこれとは別の話です。」


 蟹沢さんとの通話を軽口で終えて、僕はプールサイドからレストランへ戻る。

 結婚の話がナンシーから飛び出した後にようやく届いた飲み物は既に空だ。

 カミーラは相変わらず、困惑気味に自分の事情をできるだけ詳しくナンシーに説明しようとしている。

 ナンシーはそれを聞き流しながら、必要なのは覚悟だけだと言って、カミーラを諭す。


「あのねー、これはWin-Winな話なんだよ。

私は信用がおけて、フットワーク軽く動ける人が国境の南に欲しくて、カミーラは国境の北に戻りたいんでしょ?

うちの子たちはみんな職人気質だから、包丁握れて寿司さえ握れれば生きてけるって高を括ってるのよねー。

そんなんじゃ、ちょっとしたおつかいもさせられなくて困ってたの。」

「いや、そりゃわかるが、こっちの事情も考えろよ。

さっきも言ったように、自分の年齢もわからねーんだ。

身分証明書も生まれてから一度も持ったことがない。

そんなんで、どーやって結婚しようってんだよ?」

「だから、カミーラがカミーラじゃなくなればいいのよー。」

「意味がわからねえ。」


 戻ってきた僕に、ナンシーもカミーラも視線を投げかけてくる。

 さっきから堂々巡りを繰り返している2人の間を取り持てと、どちらの視線も言っている。


「まあ、合理的な話ではありますよね、違法ですけど。」


 ナンシーが僕の方を見て、そうでしょう、とでも言いたげに胸を張る。


「ただ、そんな話をオープンスペースで、声高に話していいのかって気もしますが。」

「ここなら大丈夫だよー。

おかしな人はいないはず。

そもそも人もあまりいないしね。」


 ナンシーに言われて、辺りを見回す。

 もともとゆったりした作りのレストランは、さっきから一貫して人がまばらだ。

 リゾート地まで来て人込みに紛れたいと思わないのか、みんなできるだけ遠くに離れて座っている。


「そういうことなら、確認させてもらいますが、ナンシー、あなたが言っているのは、カミーラに別の人間になりすましをさせて、その上で自分の店の従業員と結婚をさせると、そういうことを言っているわけですね?

例えば、さっき私たちふたりをここまで連れてきてくれた、職人の彼みたいな人と。」


 ナンシーによって話し合いの場所から露骨に追い出された、眉毛の薄く寿司職人の彼のことを意図して僕は言う。

 ナンシーは頷き、それから首を横に振って、僕の言葉の後を引き取った。


「結婚の相手はうちの従業員じゃなくてもいい。

できれば、こっちの言うとおりに動いてくれる人がいいけど。

もしくは文句の出ない人。」

「それはカミーラがなりすます相手にも言える、と。

そういうことですよね?」

「そうだねー。」

「だから、カミーラがカミーラじゃなくなる。

これからは、法的にはなりすました相手の名前を名乗ることになる。

カミーラ、そういうことだ。」


 カミーラの方を向くと、彼女は目をそらして舌打ちした。

 これはわかっていないわけではなく、さらに言えば、受け入れられないという意志表示でもない。

 短い付き合いではあるものの、そのくらいはわかるようになっていた。


「さっき、ここまでの道中で、()()()()()()()()()()()()()のか聞いたよな?

あの時おまえは何でもやるって言ったが、本当に大丈夫か?」

「みくびんじゃねえよ、中国人(チーノ)

やるっつったら、そりゃ言葉どおりの意味だ。

やるんだよ。」


 カミーラの返事に笑顔で親指を立てると、彼女はまたしても舌打ちした。


「と、本人は言ってますから、まあ、大抵のことは大丈夫でしょう。

ただ、さっきもちょっと話に出かかりましたが、別の懸念が一つあります。」

「何ー?」

「どう見ても、彼女が結婚できるような年齢に見えないことです。

痩せすぎているし、背も伸びていない。

髪の毛もわざと短くしていて、女性らしさを匂わせないようにしている。

思春期前の子供以外の何でもないですよ。」

「そこね、そうなの。

年齢の話。

髪の毛伸ばして、ちょっと女の子らしくさせたら、何とか14歳でいけないかなあ?」

「いや、14歳でも結婚は無理でしょう?」

「オアハカならできるんだよねー、それが。」


 ナンシーはにこやかに言った。


「オアハカって、あの、『死者の日』で有名な?」

「そう、あのオアハカ。

先住民族がメキシコ国内でも一番多いことで有名だね。

多分そのせいだと思うんだけど、オアハカでは14歳で法的に結婚ができるんだよ。」

「本当に?」


 質問をする自分の声が上ずっているのがわかった。

 きっと、ナンシーの目には、狐につままれたような表情の自分が写っているだろう。


「弁護士に聞いたから、間違いないよ。

オアハカで、14歳の女の子の出生証明書を売ってもいいって人も、宛てがあるわけじゃないけど、探せなくはないかな。」

「一体どんなコネですか、それ。」

「面白いでしょう?」

高魚(たかうお)さんの将来が心配になりますよ。

彼の腎臓とか、必要に迫られて売ったりしないであげてくださいね?」

「ええー?

人聞きの悪い。

愛は愛なんだから、仕事とは別腹だよ。」

「いや、食べ物じゃないですから。」

「何でよー、どっちもおいしいんだから。」


 ふざけた口調でそこまで話したナンシーの雰囲気が急に変わる。

 ふにゃふにゃした表情と印象は変わらないが、何故か見ているこちらの居住まいを正したくなる。


「なんて冗談はともかくとして。

確認なんだけど。

どうして東亀は、この子のことをそこまで面倒見てあげてるの?

彼女がどうなったところで、何のいいこともないじゃない。」

「行きがかり上、ですかね。」

「それがレンタカーを業者に返すために、今日中にランドクルーザーをロス・カボス・デ・サン・ルカスまで持ってきてくれる条件っていうのは、ちょっと腑に落ちないかな。」


 喉の渇きを覚えながら、僕はナンシーに返事をする。


「でも助かる。

そうでしょう?

レンタカーは契約通りに返せるし、これからに備えて人手も手に入る。

サンディエゴまでならともかく、国境を超えて、エンセナダまで数千万ドルを持たせて、言葉もわからない人間を送り込まなくて良くなりますよ。

警官や国境警備隊に拘束されて、面倒なことになる可能性もずっと低くなります。」

「何、それ。

脅してるつもりなの?

駆け引きにもなりゃしないのに。

東亀は、スーツケースに入っているお金を見たの?

私が、スーツケースには2000万ドル入っているって、そう言っただけじゃない?

あれが税金逃れのための現金の密輸だって、どうしてそんなことが言えるの?」


 ナンシーが目を細める。

 伊達に一代で回らない鮨屋を立ち上げた商売人の娘ではないということか。

 それなりにプレッシャーを感じながら、彼女に意趣返しをするならここだろうと思いなおす。


「まさか。

脅すつもりなんてないし、そんなことできる力もありません。

僕は、ただ単に、家出人を探しに太平洋を越えてきた、しがない探偵にすぎないんですよ?

ナンシーと駆け引きだなんて、そんなことできやしない小物ですから。

そう言えば、ナンシーのご両親、元気ですか?

サンディエゴの一等地に回らない鮨屋を開店するのに随分苦労されたんでしょうから、そこに重ねて気苦労があったりしないといいですよね?

ブリーフケースに何十万ドルも入れて、機内持ち込み用の手荷物としてこっそりお金を運んでいたりしてたのが、内国歳入庁(IRS)なんかに今更ばれたりしたら、大変ですものね?

確か、日本海側の方でしたっけ? 

お母さんのご実家。

昔は造り酒屋で、ご親戚には政治家の先生方もいらっしゃるっていう。」


 ナンシーは押し黙った。

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