43.プロポーズ
「何年か前に霊柩車に寝せた死体に見せかけて国境を超えようとした男が捕まった。」
「1万ドル払って乗り込んだ大型トレーラーの運転手が捕まりかけて逃げて、ダース単位の密入国者が荷台の奥の二重底や二重扉の狭いスペースに閉じ込められて、広い砂漠の暑さにやられて蒸されて死んだ。」
「地下に数キロ広がるトンネルを掘って、あっちとこっちを自由に行き来している麻薬の密輸業者がいたが、何年か前に北側のトンネルがしらみつぶしに塞がれた。」
「国境を無事に超えても、いくつもある検問所を超えられずに捕まり、結局は国境の南へ送り返される。」
バハ・カリフォルニアの荒野を南へ進んでいくトヨタ・ランドクルーザーの助手席で、カミーラは気の滅入る話を僕にし続ける。
国境を超えるためにはどうすればいいと思うかと、僕が何の気なしに振った話題に対してのカミーラの回答は重苦しくて、長く、暗い。
窓の外に広がる底抜けに青い空と、乾きすぎていて人体に有害な気候にはそぐわないような陰湿さがまとわりついてくるようなエピソードを、淡々と、次々に上げていく。
彼女の話す一語一語の裏側に、人間ひとりを国境の向こう側に送り出すことの難しさと、短くない間ティファナの近くで物乞いをしていた彼女自身の諦めが滲んでいる。
「もうじき着くな。」
小一時間聞き続けた後、話と話の合間を縫って、わざとらしく僕はカミーラを遮った。
フロントスクリーンの右側では、ロス・カボス・デ・サン・ルカスへあと10キロと示す道路標識がこっちに向けて大きくなってきているのが見える。
「腹が減ってるから、着いたらまず何か食べよう。
その間にレンタカー業者に連絡して、車を引き渡す。」
「その後はどうすんだよ?」
「ナンシーから連絡が来る手筈になってる。」
「どんな奴なんだよ、そのナンシーってのは。」
「なんかふにゃふにゃしてるけど、侮れないやり手の商売人だな。
見る限り、あの態度はわざとやってる。」
カミーラはこちらをちらりと睨んだ。
本当に大丈夫なんだろうなと、そう言いたいのだろう。
僕にしてみれば、勝手に不安になるようなことを話し続けていたのはカミーラ自身だったので、そんなこと言われても仕方がないとしか思えなかったのだが。
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例によってタコスを食べて空腹を紛らせていると、携帯が震えた。
画面にはナンシーの名前が表示されていた。
今どこにいるのかと質問するメッセージだったので、位置情報をスクリーンショットして返信したところ、そのまま15分そこで待つように言われた。
タコスを食べ終えたカミーラが、得体のしれない砂糖たっぷりの清涼飲料を美味そうに飲むのを、路肩に停めたランドクルーザーのボディにもたれて眺めていたら、見覚えのある背格好の男が近寄ってきた。
薄い眉毛の下にかかっている似合っていないサングラスをまじまじ見つめながら、どこかで会っただろうかと考えていると、日本語で声をかけられた。
「おう、ワレ。
何見とんじゃ、コラ。」
呆気に取られた僕が声を出せないでいると、薄い眉毛の男がサングラスを外して、東アジア系の顔が覗いた。
ナンシーのところで働いているという若い板前で、よろしくと言っていたのに、よろしくする気を全く感じさせない印象の男だった。
ほんの何週か前に会った相手で、一応挨拶もしていたのだが、言葉を交わしたのはそれが初めてだったので戸惑う。
「てめえだろ、お嬢と連絡取ってるのは。」
「そうですけど、ナンシーは?
てっきりここまで来てるものだと。」
「お嬢は忙しいんだ。
てめえみたいなもんに会いにわざわざ出向いたりするか、ボケが。」
僕は肩を竦めた。
カミーラは日本語で話す僕らを、関心があるのかないのか、どっちかわからない目で見ている。
「お嬢が呼んでる。
場所を教えてやるから、車で移動しろ。」
「それはどういう―」
「黙ってやれ、クソが。」
詳細を聞こうにも聞き出せそうになかったので、カミーラに声をかけて車に乗り込んだ。
エンジンをかけて、さっきの男が載ってる車を探そうと辺りを見回すと、眉毛の薄い若い板前は、手持ち無沙汰に後部座席のドアの真横に立っていた。
「どうしました?
こっちはこの車で追っかけます。」
僕の言葉に、ちょっと悲しそうな眼をして、若い板前は言った。
「馬鹿野郎、俺も乗せろ。」
何を話しているのかわからなかったはずのカミーラも、それを聞いて微妙に嫌な顔をしたのは、僕の気のせいではなかっただろう。
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ロス・カボス・デ・サン・ルカスはハリウッドスターが週末のちょっとしたバカンスに来ることで有名で、金を使う場所がなくて困っている人のための5つ星ホテルなんかがいくつかあった。
街のシンボルとなっている、海の中から飛び出ている奇妙な形の岩を見るのに金はかからないが、本当の意味でここに滞在するのを楽しめるのは、財布のサイズに際限がないタイプの連中だけだ。
板前の男の、あれとか、これとか、あっちとか、指示語ばかりの要領を得ない案内の末に辿り着いた海岸沿いのホテルもその手の連中御用達の場所らしかった。
駐車場にいるボーイの指示に従ってビジター用のパーキングロットに車を停め、エントランスから受付に進む途中に目に入ってきたものがまさにそうで、白を基調とした壁と、海風が直接入り込む構造にしてある空間の作りが、いかにもアメリカ人の好みに合いそうな代物だった。
受付の横を通り過ぎ、ホテルに備え付けのレストランに進むと、奥まったところの、4人掛けのテーブルに、リゾートワンピースとでもいうべき代物を着たナンシーが退屈そうに座っていた。
「あー、東亀。
久しぶり。」
僕らが近づいているのに気が空いたナンシーは、相変わらずの間延びした口調で言った。
「お久しぶりです。
できれば英語で話をさせてもらえると、色々と都合がいいかと思うんですが。」
英語で返事をした僕を見て、狐にでもつままれたような顔をしたナンシーは、すぐに視線をカミーラに向ける。
「そうかー、そうだよね。
英語の方が、色々と便利かな。
込み入った話になりそうだし。」
ナンシーはカミーラに笑いかけるが、カミーラはあからさまに警戒している表情だった。
「私はナンシー。
会えてうれしいよー。」
「カミーラ・カミネロ・モノスだ。」
ナンシーは握手をすべく手を差し伸べて、カミーラはその手に恐る恐る触れた。
カミーラではないけれど、先行きが不安になるような奇妙な握手だった。
ふと気が付くと、よろしくする気のない若い板前が、少し寂し気に僕の方を見ていた。
英語が苦手なんだろうなと想像しながら、通訳する必要があるかと日本語で尋ねると、返事がナンシーから返ってきた。
「大丈夫、その子は他にやることがあるから。
ねー、そうだよね?」
若い板前は、「お嬢を知らない奴らと一緒にして一人残していくわけには」とか何とか言っていたが、ナンシーに上手く言いくるめられて、レストランの外で待機することになった。
少しだけ同情しつつ、遠ざかる彼の背中を見ていると、僕の名前をナンシーが呼んだ。
「それで、東亀。
この子が、電話で話してた子ってことでいいのー?」
頷く僕の横で、カミーラがこちらを睨む。
何をさせられるのか、まだ何も聞いていない彼女からしてみれば、当然の反応とも言えるだろう。
「そうです。
彼女は、英語もスペイン語も全く問題なく話せます。
教育は受けていませんが、ストリート・スマートとでも言うのか、頭も悪くない。
体もタフですし、文句は言いますが、弱音は吐きません。
今回みたいに、国境を挟んで色々と動かす必要があるあなたみたいな人にとっては、得難い人材だと思いますよ。」
「そっかー。
ねえ、カミーラ、あなた、いくつ?」
「知らねえよ。」
カミーラは吐き捨てるように言った。
「彼女、事情があって、メキシコの出生証明がないんですよ。
そこはネックと言えばネックですね。」
「うーん、そっかー。
まあでも、16歳は無理だけど、ちゃんと食べさせて、しばらく待てば、14歳で通用するんじゃないかな、うん。」
そう言うナンシーがしばらく考えている間に、ウェイターが僕らに声をかけた。
僕はカミーラにレモンソーダを注文し、自分にはホットコーヒーを頼んだ。
ウェイターがいなくなったところで、ナンシーはカミーラの顔を覗き込んだ。
「カミーラ、もしかしてカミーラじゃなくなるかもだけど、とりあえず結婚しない?
そうしたら、数年以内には確実に、国境の向こうに連れて行ってあげられるよー?」
面食らったカミーラは二の句を継げず、口を開けたまま僕を見た。
やはりそのことについては知らなった僕も瞬きをして、カミーラを見返すことしかできなかった。




