41.モノス
モノスというのは猿のことで、列車の屋根の上にへばりついていた時の私たちに着けられた名前だ。
私の他にも髪の毛を剃っている小さな子が何人もいて、あまりにもわざとらしく酷く幼く振る舞っていたから、大人の男の人たちは私たちをそう呼ぶことにしたらしい。
私たちはそう呼ばれて、不快でないわけがなかったけれど、それでも奇妙に安心した。
馬鹿な少年だと思われているうちは、大人の男の人たちの、変な関心を引かずに済むから。
女性らしい髪型の、愛嬌のある子たちは男たちの奪い合いの対象になって、嫌が応にも暴力に巻き込まれる。
『ラ・ベスティア』と呼ばれる貨物列車の、決して広いとは言えない屋根の上で、男と男が殴り合い、揉み合って、その拍子にバランスを崩し、屋根から滑り落ちる。
落ちたその先で地面に叩きつけられて、当たり所が悪くて死ぬ。
屋根に残った方は、暴力の匂いをさせながら、戦利品の女の子の方を見る。
その拍子に、誰かに背中を押されて、さっきの人と同様に、列車の屋根から落ちていく。
背中を押したのは誰だったのか、知らないままに。
別に何か特にきっかけがあったわけじゃなかったけれど、モノスの間には緩く弱い絆みたいなものがあった。
足の踏み場もないくらいにたくさんの人がこびりついた屋根の上で、髪の毛を剃った私たちは自然と同じ場所に身を寄せ合った。
眠っている間に誰かに連れていかれたりしないように、腕を組んだり、お互いに抱きしめ合ったりもした。
そうしている子たちは途中下車しても同じように連れ添うことが多かった。
薄氷を踏むよりも薄っぺらな安心感のためだったのだろう。
列車から離れて、口伝に聞いたNPOのやっている移民を支援する家に行き、暖かい食事と柔らかいマットレスにありつく。
食事をし、眠くなり、眠って、起きて、自分がどこにいるのかが一瞬わからなくなり、また眠る。
起きたらまた食事をし、同じような境遇の子たちと話をする。
情報を集めて、考える。
背の高く体格のいい男の人の視線に捕まらないように、必要以上に子供らしく振る舞う。
そうして何日か休んだ後、またモノスのみんなで連れだって駅に行き、夜中に発着する列車の連結部から屋根によじ登る。
昼夜関係なく吹き付ける風に身を縮めながら、次の途中下車先に辿り着くまで屋根の上にへばりつく。
天使みたいな男の子に隣町まで連れていってもらった後、私は夜行バスと乗り合いタクシーをいくつも乗り継いで国境の町まで行き、夜の闇に紛れて川の浅い部分を超えてメキシコに入り、それからまた車をいくつも乗り継いだ。
旅の最初こそ、自分の持っている米ドルの価値がわからなかったけれど、何度か脅されたり、騙し取られたりするうちに、結構な額の現金を自分が持っていることが理解できた。
普通の店じゃ13歳には見られない私が両替所に行って、換金をお願いしても相手にされなかったけれど、アメリカ人観光客相手の海辺の店だと、悪いレートとは言え、支払いを米ドルで受け付けてくれるのを知ってからは、随分旅が楽になった。
陸路をずっと西へ向かいながら、他の旅行客の話に耳を澄ませて、アメリカまで貨物列車が走っていることを聞いた。
それに乗れば、少なくともシウダー・デ・メヒコまでは行けるらしい。
鉄道のある駅に辿り着いて、駅の周りの路上で座り込んでいる人たちの中で、子供だけのグループに声をかけた。
その子たちはグアテマラからその日に着いたばかりで、少し休んで、またその夜の列車に乗るのだと言った。
子供たちの中には、私と同じように頭を刈り上げている子が何人もいて、私は吸い寄せられるように、その子たちのすぐ傍に座り込んだ。
夜が着て、列車の汽笛が鳴り、私たちは列車の屋根によじ登った。
その次の日、朝が来ると、列車の横を並走する何台ものピックアップトラックが朝日に照らし出された。
トラックの荷台にはタンクトップに銃を持った連中が何人もいて、中にはこちらに銃口を向けて叫ぶ人もいた。
悲鳴があちこちから上がって、屋根の上はパニックになった。
でも屋根の上の私たちがどうなろうと知ったことではないとでも言うかのように、列車は走り続けた。
体格のいい男がピックアップトラックから飛び移って、屋根までよじ登ってきて、銃を構えて、金を出せと言った。
すぐそばに立っていた少年、もう少しで大人になろうかというくらいの少年が叫んだ。
「そんなのできっこない!」
すると男は至近距離から、その少年に向かって銃を構えて、発砲した。
少年の頭が奇妙に曲がり、体がバランスを崩し、屋根から落ちた。
「逃げ場はない。
大人しく金目のものを出せ。」
既にパニックだった屋根の上は完全にコントロールを失い、後ろへと逃げようとする人に私は押されて、気が付いたら屋根から振り落とされていた。
体を地面にしたたかに打って、どこか折れていやしないかと心配になりながら立ち上がると、数メートル先に、さっき会った頭を刈り上げていた子が倒れていた。
その子に駆け寄った私が肩を揺すると、その子は「痛い、痛い。」と高い声で泣いた。
私はその子を立たせて、どこか痛いのか聞くと、左手の指で右の手首を指差した。
青黒く変色して、腫れあがっていた皮膚を見て、私は言った。
「大丈夫、折れているわけじゃなさそうだよ。」
結果から言えば、それは間違っていた。
その子の右手首は骨折していて、適切な処置ができなかったせいで、そのまま曲がったままになってしまった。
その子に最後会った時まで、ずっと「痛い、痛い。」と喚いていたのを覚えている。
その後どうなったのか、結局今に至るまで、私は知らずにいる。
何回も恐ろしい目に合い、何度も列車を乗り降りして、寒い夜を過ごしながら、どうにかしてシウダー・デ・メヒコに辿り着いた時、旅を始めてからもう何週間も経っていた。
私たちモノスは、世界でも屈指の人口密度の大都会の路上で、屋根の上でそうしていたように、身を寄せ合って暮らした。
寝泊まりできるNPOのホームレス支援施設から人通りの多い通りや駅に行き、物乞いをして小銭を稼ぐ。
ある程度のお金が貯まったら、他の子たちと一緒にティファナ行きの長距離バスのチケットを買うつもりだった。
でもある日、ホームレス支援施設のスタッフがティファナに車で行くと話しているのを聞きつけた私は、いつものように路上に行く素振りで施設の外に出て仲間と離れると、すぐに踵を返して埃まみれのハッチバックタイプの車に駆け寄り、バックドアを開けて、荷物の隙間に自分の体を滑り込ませた。
熱射病になるかもしれない恐怖と戦いながら、数十分待つと、やがて運転席と助手席に人が乗り込み、車が走り出した。
エアコンが効き始めて、安心したのか、私は眠ってしまったらしい。
目を覚ますと、毛むくじゃらの赤毛の熊みたいな男が、私の肩を揺らしていた。
「ああ、良かった。
目を覚ましてくれた。
しかし、一体、何ということだろう。」
赤毛の男がそう言って、天を仰いだ。
私は寝ぼけていたのか、思わず聞き返した。
「何ということだって、何が?」
私が話すのを聞いて、赤毛の男は目を丸くした。
「あなたは英語がわかるのか?
名前は?
どこから来たんだ?
どうして私たちの車に乗っているんだい?」
私の話した言葉のせいで面倒なことになってしまったのが、子供の私にも何となくわかった。
それでも、私を見る赤毛の男の眼差しは思いやりに溢れていた。
大人の男の人からそんな風に扱われるのは、ずっと昔、薄れつつある記憶の中で、冬の寒さに震えながら雪の中を歩いていた時以来だった。




