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38.ロス・カボス・デ・サン・ルカス行き

 ナンシーからかかってきた電話を切る頃には、テレビの画面はすっかり違うものに変わっていた。

 我らが通訳は、テレビの画面から興味を失ったのか、僕が寝ているのとは別のシングルベッドに、僕から顔を背けて寝転んでいる。

 僕は子供の背中に語りかける。


「明日、ロス・カボス・デ・サン・ルカスに行くことになった。

そこで、車をレンタカーの業者に渡す。」


 子供は僕の言葉に反応している様子がなかった。

 寝たふりなのか、あるいは本当に寝ているのか判断がつきかねる。


「疲れてるみたいだから、詳細はまた明日話す。

その後どうするかについても、その時に。」


 僕はそれだけ言って、モーテルの部屋を出た。

 12月の日暮れ後でも、メキシコの夜は日中の熱が残っていて、特に屋外に出るとサウナのように蒸す。

 僕はモーテルのフロントに行き、スタッフにビールが売っていたので2本買う。

 良く冷えたTECATEと大きく印字されているアルミ缶の表面には、あっという間に水滴が付いたかと思うと、すぐにまた乾いていった。


 モーテルの部屋の前に備え付けてあるデッキチェアに腰掛けて、スマートフォンで明日の移動経路を確認する。

 最短距離で150キロ、遠回りをすると200キロ超。

 どちらにしても、半日もあれば辿りつけそうだった。

 ロス・カボス・デ・サン・ルカスはバハカリフォルニア半島の南の果てだ。

 ハリウッドのセレブリティもバカンスに来ると評判のリゾート。

 そこで車を返してしまった後、月見之介を探し続けるのであれば、別の車を調達しなければならない。

 元々の調査予定期間は過ぎていて、蟹沢さんはそろそろ切り上げるように言ってきている。

 Instagramを開いて、月見之介のアカウントを見る。

 さっき見た映像に出てきたアジア系の風貌の男を思い出す。

 月見之介の顔写真と比べてみるけれど、テレビの男が確実に月見之介だとは断言できなかった。

 そもそも、このアカウントにアップロードされている自撮りも、僕の記憶の中にある月見之介とは随分違ってしまっていた。

 どこかの将軍様を彷彿とさせる顔がぐっとスマートになり、カリフォルニアの乾燥した空気のせいか顔全体に皺が刻まれている。

 もともとの青白い肌こそアジア発西回りの旅の中で日焼けしていたものの、こんなに気苦労を感じさせるような顔をしてはいなかったはずだ。

 写真を編集できるアプリのフィルター機能のせいでこんな風に見えているのかもしれない。

 だが、あの手のアプリは若く綺麗に写真を編集するためのものだ。

 敢えて老けて疲れている顔をInstagramで晒す意味もあるようには思えなかった。

 今見ている写真の中の人が、何かの偶然で僕の目の前に現れたとしても、それが月見之介であるという確信も持てそうな気がしない。

 どことなく、目の奥が軽く痛むような気がしてくる。

 僕はスマートフォンの青白い光から目を背けて、手の中のアルミ缶の冷たさを確かめるように、ビールを右手と左手の間で行ったり来たりさせた。

 少しの間そうしていると、スマートフォンの画面が暗く沈んだ。

 僕は缶を開けて、TECATEを飲んだ。

 薄くて軽い、メキシコの暑さに良く合う味だった。


-------------------------


 カリフォルニアに長く住んでいると、天気のことを気にしなくなるというのを読んだのは随分昔のことだ。

 出典が何だったかはさっぱり思い出せないが、サンディエゴに到着して以降、そのこと自体は何度も頭を()ぎる。

 今日の朝もそうだった。

 目覚めると昨日と同じように青空が広がっていて、その下には白っぽい埃をベールのようにまとったサボテンがこの世の春を謳歌するように、大きく育っている。

 昨夜、ビールを飲んだのと同じデッキチェアに腰掛けて、コンビニで買ってきたコーヒーとサンドウィッチを口にしていると、我らが通訳が起き出して来た。

 僕は水とジュースとサンドウィッチを食べるように言うと、部屋の中に戻って歯を磨き、身支度を整えた。

 通訳の子供が食事をしているところを何気なく見る。

 何を話すかは、ナンシーと電話し終わった段階で粗方決まっている。

 地図を読めない程に物を知らない子供だが、基本的には頭がいいタイプだ。

 境遇のせいだろうが、子供そのものの見た目からは酷くかけ離れた、擦れたものの見方をしている。

 裏を返せば、現実的に物事を判断できるということだ。

 今から話すことにどんな反応を示すかは賭けだったが、これまでの子供の立ち振る舞いを見ていて、勝ち目が極端に薄いわけでもないと踏んでいた。

 サンドウィッチを口いっぱいに頬張って、喉の奥に飲み下そうとしている子供に僕は声をかけた。


「昨日、一応伝えたつもりなんだが、改めて言う。

今日、今からロス・カボス・デ・サン・ルカスに移動する。

そこで、車をレンタカーの業者に渡す。

足がないから、人を探すのはここで終わりにしようと思う。」


 顎を上下に動かしながら、子供はこっちを睨みつける。


「この珍道中も、とりあえずはロス・カボス・デ・サン・ルカスで終わりだ。

短い間だけど世話になった。

知り合った経緯はあれだったけど、色々と助かったよ。」


 口の中のものを飲み下した後、我らが通訳は返事をした。


「おまえ、人を1000キロ以上遠く離れたところまで勝手に連れてきて、いらなくなったらあっさり別れられるとでも思ってんのか?

随分勝手な話だな。」

「勝手と言われると心外だな。

最初に確認したつもりなんだが。

まあ、でも、ティファナまで帰るための旅費は出そう。

で、それでいいのか?」

「あ、どういう意味だ?」

「おまえは本当にティファナに戻りたいのか?」

そもそも、僕はおまえがどこから来て、何者で、どこへ行こうとしているのか知らない。

おまえはこれからどうする?」

「それを知ったからってどうすんだ。

おまえには関係ねーだろ。」


 僕は子供を見据える。

 何かに怯えていて、それを隠そうと虚勢を張っているその目は、目付こそきついものの、意思を感じさせない。

 たった数週間の付き合いだったが、何度も子供の顔を見てきたはずだった。

 今に至るまで、表情の中に紛れ込んだ怯えにも気づけないでいた自分に呆れつつ、僕は言った。


「話次第で関係あるかもしれない。

ティファナどころか、国境の向こう側まで連れて行ってやれるかもしれない。

おまえが本当のことを言う気になればの話だが。

どうする?

話すか、話さないか。

ロス・カボスに行かないでここでお別れっていうんでもいい。

話をするなら、道中で聞いてやるよ。

おまえが決めろよ。」


 子供は相変わらずこっちを睨みつけていた。

 意思の読み取れないその目はきつい目つきのままだったが、そこに迷いが浮かんでいた。

 それを見ながら僕は、不謹慎ながらも、今まさに変わろうとしている未来ある子供の姿は尊いなとか、そんなことを考えていた。

誤字修正しました。

あまりにも酷い誤字でお恥ずかしい限り…

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