35.セッション
パコのアメリカに至るまでの旅の話はそこで終わり、僕と彼の間には沈黙が降りた。
押し黙った2人の間の気まずさは、徐々に大きく聞こえ出した波の音が埋める。
その話を聞いて、月見之介は何か言ったのかと、僕はそう聞きたかったが、どうにも質問を口にするのは憚られた。
「俺は、もっと違うことを話そうと思ってたんだ。」
やがてパコが絞り出すように言った。
「あいつの、母親のことは同情する。
子供を手放して、会おうと思えば会える距離に住んでいたってのに、顔を見にすら来なかったのはおかしな話だ。
見放された気分になるのもわからなくもない。
ただ、それ以外は言いがかりだ。
性根のねじ曲がった兄貴にしろ、近寄らなかった同級生にしろ、おまえ次第でどうにかなったはずだ。
周りにいる奴全部がおまえのことを疎ましく思っているって勝手に決めつけて、自分がまともに誰とも関わろうともしない理由をでっちあげた。
それでずっと上手くいかないって自分勝手に嘆いてばかりで、帰る場所がないって、自己憐憫たっぷりに言われて腹を立てない方が難しい。
そんなようなことを言おうと思っていたんだよ。」
「でもそうしなかった?」
パコは僕に頷いた。
「その代わりに、わざとあいつを立たせて、それから何度も転がした。
お互い砂まみれになった。
何度かそんなことを繰り返して、それからあいつのシャツの首根っこを引っ張って、海の方へ歩いて行った。
奇妙なうめき声を上げる奴を波打ち際まで引きずって、力任せに海の中に投げ飛ばした。
俳句野郎は、『何しやがる!?』とか、そんなようなことを言っていたっけな。
俺は腹が立って、色々と言い返したような気がするよ。
『腹が立ったから、投げ飛ばした。』だの、『おまえになんか、俺の何もわからないだろう。』とか。
まあお互い、支離滅裂で、とにかく取っ組み合ったってわけだ。
殴り合いにこそならなかったものの。
で、挙句、あいつは泣き出した。」
月見之介が何度も転がされて喚き散らすところは容易に目に浮かんだが、泣くのは想像できなかった。
言われてみれば、月見之介が泣くところを、僕は一度も見たことがなかった。
「それから俺らは海から上がって、海水と砂でどろどろになった状態で、だらだらと話をした。
と言っても、あいつの方が一方的に話していただけだったけど。
自分が駄目だとわかっていること、変わりたいと思っていること、なかなか変われずにいること。
ここまで来たのも女に騙されたせいなのに、それでも女に対する奇妙な憧れを捨てきれないこと。
愛されたいこと。
愛したいこと。
許され、許し合いたいこと。
日本を出てからの旅程。
香港の話、マニラの話。
タイでの一幕、インドでのエピソード。
アフリカの埃っぽさと、草原と夕焼けの赤。
コンプレックスを刺激されっぱなしだったヨーロッパ。
酷く長い話だった。
何時間続いたんだか、今となっちゃ覚えちゃいない。
朝までは続かなかったことだけは確かだけどな。
海水まみれで、泥だらけで、気持ち悪かったはずなんだ。
でも、なんだか奇妙にすがすがしかった。」
パコの眼は遠くを見ている。
月見之介の語る様を思い出すかのように。
「話が終わった後、俺は言った。
『おまえが何を見たのかは知らねえ。
でも、おまえがベストを尽くしてないのはわかった。
人のせい、生まれのせいにして、言い訳して逃げてただけだ。
それを変えるためにはどうするべきか、どうしたらいいのか。
そこだけ間違わなければいいんじゃないのか?
おまえはもう十分に苦しんだだろうから。』」
「月見之介を許したのか?」
「許したっていうよりは、焚きつけたって方が正しいんじゃないか。
俺はこうも言ったんだ。
『俺の写真をSNSにアップロードすれば、ホンジュラスにいる連中が俺が生きていることに気が付くだろう。
そうすれば、俺はいつ誰に殺されてもおかしくない。
だが、おまえがiPhoneで撮った写真をどうするかは好きにすればいい。
俺はもう生まれや育ちなんかには負けない。
だからおまえも負けるな』って。」
パコはそこまで話すと立ち上がった。
「風が出てきたな。
体を冷やすと良くない。
短くてもいいから睡眠をとっておくといい。
明日の朝、朝食の後、あんたの話を子供たちに聞かせてもらう予定だから。」
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次の日、朝食の後、サマーキャンプにいる子供たちに向かって、僕は食堂で、世界地理というお題目で、旅の話をした。
日本、香港、フィリピン、タイ、インド、タンザニア、ケニア、ヨーロッパ、それからアメリカ。
テレビで見たことはあっても、実際に行って、そこで暮らしたことのある子供はいなかった。
僕は気温の話をし、湿度の話をし、それからそれぞれの国の匂いのことを話した。
旅の間で垣間見た人びとの生活の話をし、食べ物の種類の話をし、自生している果物の話をした。
出会った一人ひとりの人柄について、できるだけ手短に、でもなるべく念入りに描写し、その人たちと僕らが、いや、月見之介が、どういう風に言葉を交わし、わかり合ったような気になり、そして時には本当に理解し合えたのかを語った。
言葉が通じ合うことの難しさ、時に言葉を超える感情が容易に伝わる不思議。
気が付けば僕の話は月見之介に触れてばかりになり、サンフランシスコで別れた様子を語ると、口から何も言葉が出てこなくなった。
突然話すのをやめた僕のことを、子供たちはじっと見つめていた。
僕は自分の顔の上を、涙が滑って落ちていくのに気が付き、酷く戸惑った。
子供たちの後ろには、パコやサブリナや、他の大学生ボランティアたちがいて、やはり僕のことを見ていた。
我らが通訳もその傍らにいた。
僕は深呼吸をし、息を整えて、僕は月見之介を探しているのだと、どうにかこうにか口にした。
もしかしたらもう生きていないのかもしれないけれど、月見之介を探しだすことが今の自分のしなければならないことなのだと。
それが僕の話の終わりだった。
子供たちはぎこちない拍手をして、食堂から散り散りにいなくなっていった。
ボランティアの学生たちも、それぞれ午前中にこなさなきゃいけない仕事に取り掛かりに行った。
僕の傍らには、パコとサブリナが残った。
サブリナは、涙で酷いことになっている僕に優しくハグをしてくれた。
僕は躊躇いがちに彼女の背中に腕を回した。
「いいセッションだったよ。」
本気かどうかわからないが、小さな声でパコがそう言うのが聞こえた。
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僕と我らが通訳はバヒア・デ・ロス・アンヘレスからその日のうちに発った。
出発の間際、車の窓の隙間に顔を寄せて、パコが僕にだけ聞こえるように、囁いた。
「あの通訳の子供、気をつけるようにしてくれ。
あの子は多分俺と同じだ。
メキシコの南から逃げてきた不法移民だよ。
どっかのタイミングで、話を聞いてやってくれよ。」




