33.バヒア・デ・ロス・アンヘレス
バヒア・デ・ロス・アンヘレスに着いた頃には、もうすっかり夕暮れの時間になっていた。
背後に沈んでいく太陽がリアミラーに映りこんで眩しい中、軽快に進んでいくジープ・ラングラーの後をなぞるように追って走る。
右手に広がる大きく緩やかなカーブを過ぎると、進行方向に広がる荒野が途切れ、地平線の手前が薄っすらと眩しく光りようになる。
それが西日を受けて黄金色にきらめく海だとわかるまで、少し時間がかかった。
「どうやら日が暮れる前に着けたみたいだな。」
僕の感想めいた言葉に、我らが通訳は返事をしない。
一瞬、視線を通訳の方に向けると、子供は光に見とれているようだった。
子供らしく目を輝かせながら、という風ではなかったが、真っすぐで素直な目をしていた。
口は悪態をつくことを忘れたかのように半開きになっていて、その時だけは皮肉も当てこすりもそこから出てきそうもなかった。
「海ってのは、どこの国でも日の出と日暮れには綺麗に見えるもんだけど、ここのはちょっとすごい。
なかなかのもんだ。」
素直に感動している我らが通訳に、僕の言葉は届かないようだった。
そうこうしているうちに、海岸沿いへと沿うように続く舗装路が緩いカーブを描き、僕らの乗る赤いランドクルーザーは、埃っぽいけど湿っぽい、バヒア・デ・ロス・アンヘレスに乗り入れた。
窓を開けると、熱気と砂埃に混じって、潮の匂いがした。
先行するジープ・ラングラーの向こうに、ヨットの帆の骨組みが見えている。
環状交差点になっているヨットの帆のモニュメントの左側をぐるりと周ると、前に見えていた海が後ろに回る。
また右折して、少しだけ進み、また左折する。
右手から波の音が聞こえる。
ジープ・ラングラーがハザードランプを焚いて、ゆっくりとスピードを緩めて、やがて完全に停まった。
車からサングラスをかけたサブリナが降りてきて、大きく手を振る。
振った先ではいつの間にか車から降りていて、パコが手招きしている。
どうやら目的地に着いたようだった。
車を停めて、足を地面に着けると、おどけるように言った。
「ようこそ、バヒア・デ・ロス・アンヘレスへ。
お客さん方、調子はどうだい?」
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お客さん方とは言われたものの、金も払わないのに食事と寝床を用意してもらう以上、そんな扱いに甘んじている訳にはいかなかった。
僕はジープ・ラングラーに積んだ荷物を運び出すのを手伝った。
我らが通訳は面倒くさそうにしていたが、目ざとくパコが声をかけて、それほど重くない荷物を降ろすのに使われていた。
僕らが駐車した敷地に建っている建物から何人か、タンクトップ姿の人たちが現れて、車から降ろされた荷物を拾って屋内に運び込んだ。
僕はカートン単位でまとまった缶入りの7UPとペプシコーラをで両腕に抱えながら、若い人たちに交じって建物の中に入った。
どこかから子供たちの嬌声が聞こえた。
学園もののハリウッド製の映画で見るような、アメリカの子供たちだけがあげられる、世界で一番無邪気で幸せそうな笑い声。
「飲み物はその辺に置いてくれよ。」
僕に気づいてくれた誰かがそう声をかけてくれて、僕は抱えていた荷物をそこに置く。
それから車の方に戻ると、こっちにやってくるサブリナたちとすれ違った。
「あんたらも車から必要な荷物を降ろして、建物の中に入ってきてくれよ。
夕飯もすぐに用意できるってさ。」
言葉通り、用意されたチキンのソテーとサラダとマッシュドポテトがプラスチックの皿に配膳され、いつの間にか現れた30人前後の子供たちに混じって、僕と通訳も食事を受け取った。
少し離れたところに座っていた僕と通訳の周りを窺うように、子供たちは近くにやってきて挨拶をする。
中には通訳と同じような背格好の子供もいて、仲良くなりたそうにしているのが明白だった。
「後でちょっとあの子たちと話して来たらどうだ?」
食事も終わろうとしているタイミングで僕が通訳に聞くと、返事代わりのしかめっ面が僕の方を向いた。
「冗談はほどほどにしてくれよ。
何を話すって言うんだよ?」
「何って、そりゃ子供同士、色々話すことがあるだろう?
僕はパコと話してくるから、適当に時間潰しててくれ。
明日の朝の朝食まで、お互い自由時間って考えてくれて構わない。
嫌とは言わせない。
毎日きっちり250ペソ払いさえすれば、僕が何をしようと、文句ないんだろう?」
我らが通訳の表情は、しかめっ面が更に露骨に嫌そうになった。
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食事の後、誰ともなく海辺に出て、十分に乾かした薪で火を焚き始めた。
子供たちも、おそらくはスタッフなのだろう、大学生くらいの年齢の若い連中も、火から思い思いの距離を取り、何人かで固まり話をし出す。
我らが通訳はあれだけ嫌がっていたけれど、同じような年齢の子供たちに声をかけられ、半ば強制的にどこかへ連れられて行った。
一人になった僕はハイネケンの缶を3本抱えてパコを探す。
やがて、火からかなり離れたところの波打ち際でパコらしき人影を見つける。
傍らにいるのはサブリナだろう。
2人はお互いを見つめ合いながら、触れられそうで触れられない距離を保ちながら話をしていた。
こっちに気が付かない2人を遠巻きに見ながら、月見之介も、サンフランシスコで出会ったミシェルとあんな風に過ごした時間があったのだろうかと考える。
ミシェルのことを真実の愛だと呼んだ月見之介に対して、ミシェルの方は月見之介のことを、詐欺の仕込みのために必要な経費を捻り出すための財布くらいにしか思っていなかったようだった。
母親に捨てられて、故郷に捨てられて、一族から疎まれていた月見之介が運命とまで言い切ったミシェルにいいように使われた月見之介。
パコから聞いた話の続きを聞かないといけないと僕は思いなおす。
「サブリナ、ここにいたのか。
パコも。」
僕はできるだけゆっくりと近づき、全く偶然に2人に行き当たったかのように声をかけた。
サブリナはゆっくりと僕の方を向き、口元だけで笑って見せた。
「うん。
足だけでも海に入ろうかって、パコと話してたの。
どう、楽しんでる?」
「ああ。
図々しいかなと思いながら、バヒア・デ・ロス・アンヘレスまでついて来たいって言って良かったよ。
おかげで、美味しいご飯にもありつけたし。
パコからも貴重な話を聞けた。」
パコはサブリナの方を向きっぱなしだった視線を僕に向ける。
砂浜の焚火からは少し遠いのと、ちょうど陰になっているのとで、パコの表情は上手く窺えない。
「話はまだ途中だったな、そう言えば。」
パコの言葉に僕は頷いた。
「今のうちにさっと続きを聞かせてもらえると、お互い都合がいいのかもしれないね。
明日の朝はパコも忙しいかもしれないし、もし僕もキャンプに参加してる中高生の前で話をするんなら、今を逃すと明日の夜までまた待たなきゃいけないかもしれない。
2日連続で世話になる訳にもいかないしね。」
パコとサブリナは口を揃えて、2、3日いればいいのにと言う。
僕は笑って首を振った。
「そういうことなら、私は先に戻ってるよ。
パコも、そっちの方が遠慮なく話せるだろうし。」
「サブリナ、気を遣わなくても。」
僕の言葉をパコが遮った。
「いや、そうしてくれる方がいい。
あんまり聞かせたい話でもないし。
ありがとう、サブリナ。」
「いいって。
そういうことってあるよね。」
サブリナはそれだけ言うと、足早に焚火の方へ行ってしまった。
パコは彼女の足取りを名残惜しそうに見つめていた。
「邪魔したみたいだな、申し訳ないことに。」
「いや、いいんだ。
サブリナとは、明日また話せるから。
それで、どこまで話したっけ?」
「月見之介のiPhoneをどこかに置いて、あんたが両足タックルをかましてあいつを転がしたところまで聞いた。」
パコは頷いた。
僕はパコに徐々にぬるくなりつつあるビールの缶を1つ渡した。
「俳句野郎はタックルの切り方を知らなかったから、まああっさり転がせたよ。
あっさり転がされたから、どうも驚いたみたいで、目を丸くしてた。
今から思えば、倒れた時にどこにもぶつけなかったのは幸運だったな。
下手にケガをさせてたら、面倒なことになってた。」
「あいつは、月見之介は何か言ってたりしなかった?」
「何かって言われてもな。
泡を吹く蟹みたいに、何か喚いていたような気もするけど、それ以外は特に。
何も抵抗しないから、転がしたら普通にマウントを取って、両腕抑えたら、黙ったけど。」
僕は月見之介が四角くて分厚いパコにマウントを取られるところを想像した。
さるかに合戦の臼のようなパコに乗られて、文字通り手も足も出なくなった月見之介を。
「そうしないと黙らなかったから、それで良かったんだよ。
腹立ってたってのもあるけど。」
「黙らせて、それから?」
「説教したよ、もちろん。
腹立ってたからな。」
パコはそう言いながらビールのプルトップを起こした。
「説教?」
「そう、説教。
『帰る場所がないのはおまえだけだと思うな』、って。
俺だって12年前にホンデュラスを出てから、もうずっと帰れないまま今に至ってる。
帰れば殺されかねないから。
そんな俺に、『母親と故郷に捨てられたから居場所ばなくて自分は可哀想』って言い続けるから腹が立ったんだ。
そんな程度の心の傷なら、その辺に似たような経験してる奴なんて、掃いて捨てるほどいる。
甘ったれんな、ってな。」




