30.8月、バヒアの俳句野郎
給油が終わった後、パコに無理を言って赤いランドクルーザーの方に乗ってもらった。
あまりぼやぼやしていると、あっという間に日が陰ってしまう。
日中のバハ・カリフォルニアでは暑くて日照時間のことに気が回らないが、既に11月も後半に差しかかっていて、意外と太陽はすぐに落ちる。
今日中にはバヒア・デ・ロス・アンヘレスに辿り着きたいと言っていたので、できれば先を急ぎたいだろう。
だが、ようやく掴めた月見之介の足取りを、むざむざ見逃すわけにもいかず、こっちの無理も聞いてもらった形になった。
「しかし、俳句野郎が、今じゃ人気のインスタグラマーとはな。
よくわからないもんだ。」
パコがそう言い、ショートパンツを履いた男が頷く。
さっき、僕のスマートフォンをスワイプした男だ。
僕はどうして月見之介を探しているのかを簡単に説明し、その時自分の自己紹介もしたのだが、ショートパンツの男は頷いただけで、特に名前を名乗ることはしなかった。
こっちが聞いてもいないのに、会話の内容だけでこっちに名前を周知してきたサブリナとパコと比べると、随分奥ゆかしいものだった。
「こちらとしても、月見之介がインスタグラマーだなんて、世も末だって思ってる。
その上、Haiku Masterとか何とか呼ばれて、ちょっとバズってるのが、何とも奇妙だ。
こいつはそんな奴じゃなかったんだよ。」
「随分知ったような口を叩くな。
いつから知り合いなんだ?」
「知り合いって意味では20年くらいだ。
ちゃんと関わるようになって10年ってところか。」
パコは苦い物でも食べたような、複雑そうな表情を浮かべた。
「っていうと、あんた、俳句野郎の言ってた『出来のいいムカつく年下の小間使い』か?
アメリカ留学させてやった代わりに、あいつの面倒を見ることになったっていう、あれか?」
「多少認識に違いはあるけれど、大きく違っているわけでもない。
そこがまた腹が立つな。
しかし、そんな話を月見之介としたのか?
よくあいつがそんな話をしたな。」
パコは両手の掌を空に向けて掲げる。
「色々感極まったんじゃないのか?
俺はただ、あいつに写真撮られて腹立ったから、外に引きずり出して砂の上に気の済むまで転がしただけだ。
そしたらあの俳句野郎、泣き出しちまってね。
で、何だか要領の得ないことを、顔を涙と鼻水でぐっちゃぐちゃにしながら言うんだ。
参ったよ。」
できれば順を追って話してほしいと、僕は頼んでみる。
パコは考えるように、後部座席からフロントガラスを見つめる。
ランドクルーザーの前には、女性2人を乗せたジープ・ラングラーがのんびりと走っている。
メキシコの荒野は、ガス欠と道に空いた穴と、たまにすれ違うスピルバーグの初期作品に出てくるような、今にも暴走しそうなトラックがいなければ至って平和だ。
「今思えば変な話だな。
あれはバヒアでのサマーキャンプの時のことで…」
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今思えば変な話だな。
あれはバヒアでのサマーキャンプの時のことで、8月中旬。
もうキャンプも4日目くらいで、子供達もお互いに仲良くなって、何か目新しいものがあればってタイミングだった。
早朝から素潜りをしてた、泳ぎの得意な連中が海岸であいつを拾ってきたんだ。
危ないから子供だけで絶対に海には入るなって言っていたんだが、人数の多いサマーキャンプだとどうしても管理しきれないところが出てくる。
それで、13、14くらいの、血気盛んな子らが、俺たち学生ボランティアの眼を盗んでこっそり早朝から海で遊んでたんだ。
話を聞く限りでは、俳句野郎は海辺で寝ていたらしい。
髪の毛はくっしゃくしゃで、髭も伸び放題。
顔もすっかり赤く日焼けしていて、着ている服も、ところどころ破れている。
ただ、それがスラックスの残骸であることはわかった。
履いている靴も、砂で真っ白だったが、その下に見えている素材は革靴だった。
着ている黄ばんだシャツも襟がついていて、何日か前まではビジネスマンだったと言われても無理がなかった。
何で俺がこんなことを覚えているのかというと、海から上がってきた子供達が、俳句野郎に服を貸してやってくれって言ったからだ。
服って言っても、靴まで貸すことはできないなと、そう思ったのを覚えている。
まあ酷い状態だったから、とりあえずシャワーを浴びさせて、下着も含めて綺麗な服を貸してやった。
髭も剃るか整えるように言って、自分用に買って置いた髭剃りまで奮発してやった。
靴はさすがに貸したくなかったので、誰かの忘れ物のビーチサンダルをくれてやった。
で、風呂入って出てきたら、変な風に日焼けして、頬のこけたアジア人がそこにいた。
こりゃ食い物が必要だろうと、朝食のシリアルと目玉焼きを食わせたら、豚みたいにガツガツと食べた。
いや、こう言うと豚に失礼か。
で、まあ、食い終わると、馬鹿丁寧に、「感謝します」「感謝します」と連発した。
そんなことを繰り返すだけで、カフェテリアの一角から腰を上げようとは絶対にしなかった。
居座られたら迷惑だなと、正直思ったよ。
ただまあ、子供達の眼もあったし、ほっとけなかった。
仕方なく、キャンプの運営の手伝いの真似事みたいなことをさせた。
力仕事をさせたけど全然役に立たないから、シュノーケルと潜水ゴーグルを洗ったりとか、そんなことだ。
その間、俺は何となく俳句野郎の隣にいて、どうしてあんなところで行き倒れていたのか聞いた。
「わからない。」
あいつはそう答えて、瞳を潤ませる。
聞くのが悪いような気がして、こっちはもう何も言えない。
俳句野郎と俺のやりとりを、周りの連中は何を言うでもなく見ていて、何をするにもやりにくかった。
昼飯は簡単なバーガーを作って食べた。
グリルで焼いたチキンとバーベキューソース。
バンズは子供達が焼いた。
俳句野郎はカットトマトを残して、子供達にからかわれていた。
へらへらして、愛想笑いをして、でもまったく出ていく素振りは見せない。
その上、不思議なことに、俺以外の大人が声をかけると、急に黙り込んで下を向く。
サブリナを含めて何人か、女たちが気を遣って色々言うと、露骨に挙動不審になる。
ある意味、怯えているみたいに。
そのせいで、俺が毎回駆り出される。
午後の間中、俳句野郎の面倒を見なくちゃいけなくて、俺はまったく仕事をさせてもらえなかった。
こっちは、学生ボランティアと言えど、しっかり働いて、運営スタッフにいい印象を持ってもらって、あわよくば推薦状を書いてもらわなくちゃいけなかったのに。
これは埒が明かないと思い、夕方、あいつをボートを岸に上げてある方に連れて行って、言ったんだ。
どういうつもりか知らないが、長居されるとキャンプの運営上も困るから、今日明日にも出ていけ、って。
するとあいつはへらへらしだして、写真が得意だから、キャンプのカメラマンになるって言い出した。
それで突然、最新式のiPhoneを取り出して、レンズを俺に向けて、写真を撮った。
俳句野郎は、「見てくれ、結構良く撮れてる」とか、何とか、そんなことをぼやいてこっちに近づいてきた。
俺は、何て言うか、腹が立ってたんだろうな。
あいつの手首をつかんで、締め上げて、iPhoneを取り上げた。
手首を放した手で、俺が貸してやったシャツの胸倉を掴んだ。
耳元に口を近づけると、汗と石鹸の匂いがしたのを覚えている。
俺は小さな声で、写真を消して、今すぐバヒアを出ていくように言った。
大きな声を出さなかったのは、子供に聞かれたりしないようにと思ってのことだった。
「行く場所なんかない。」
あいつはそう答えて、瞳を潤ませる。
同情を誘う表情だったが、俺はそれを見て苛立ったが、あいつはお構いなしに言葉を続けた。
「もう、誰もいなくなった。
何もなくなった。
行く場所も、帰る場所もない。
どこにも居場所なんてないんだ。」
俺はそれを聞いて、天を仰いだよ。
何て面倒くさいのを、子供達は海辺で拾ってきたんだろうって、ね。




