29.加州鼬、身の程
サンノゼで会ったナタリアと名前が丸被りだったので、ブロンドの名前を「ナタリー」から「サブリナ」に変更しました。
思ったよりも遠かった最寄りのガソリンスタンドで給油した後、車を停めていたところへ戻るまでの道すがら、サブリナとパコはバヒア・デ・ロス・アンヘレスのことを僕らに話してくれた。
「一見、メキシコ湾に面した、なんてことない海辺の村にしか見えない。
特に見るべき物もない。
ただ美しい、平和で静かな海がそこにある。
乾燥していて、風が強い。
そこでバハ・カリフォルニアの荒野の中を取っていた道が海に至り、終わる。
見えている海の広がりは、バジェナス海峡って名前がついている。
酷く深い海峡で、水深は1000メートルを軽く超える
海峡の向こうにはぼんやりとした島影が浮かんでいる。
アンヘル・デ・ラ・グアルダ島だ。」
「バヒア・デ・ロス・アンヘレスの町は小さくて、特に面白いことはないようにも見えるけれど、海の中に入れば話が違ってくる。
周辺はユネスコの世界遺産の一部に指定されていて、海の中では複雑で多様な生物相が見られるんだよ。
経済的には漁業の町で、魚を売って生計を立てていたんだ。
でも今は、釣りはマリンスポーツの一環として、他のアクティビティと一緒に観光客向けにサービスとして提供されてる。
町の経済は完全に観光関連で回ってる。
道が良くなったから、早朝にサンディエゴを出れば、国境を超えてから日を跨がずにそこまで行けるようになって、観光客も増えてるしね。」
さっきまでガソリンのメーターの故障に気づけない自分たちを自嘲するように嘆いていたパコは、打って変わって昨日見た夢の美しさについて話すかのように言う。
その語り口が彼のラテン・アメリカ訛りと相まって、バヒア・デ・ロス・アンヘレスがすごく素敵なところであるように思わせる。
一方、町の経済的側面について触れるサブリナは、話している内容とは関係なく、にこやかだ。
それでいて、アメリカ人に典型的な、嘘くさい盲目的なフレンドリーさとは違って、ちゃんとこっちのことを見て話してくれているのが伝わってきて、好感度が高かった。
「そりゃ、是非行ってみたいね。
ところで、あんたたちはまたどうしてそんなところに?
さっきカリキュラムがどうとか話していたけれど、ひょっとしてそれに関係してる話なんだろうか?」
僕の質問に、2人は顔を見合わせた。
「関係しているって言えば関係しているかも。
パコと私はバヒア・デ・ロス・アンヘレスで行われているプロジェクトに参加するところなんだよ。」
「へぇ。
じゃあそれは、海洋系のプロジェクト?」
「海洋系と言えば海洋系だけれども、何というか。」
サブリナの説明に質問で切りかえしたら、パコがもごもごと呻いた。
「カリフォルニアの小中学生を対象にしたキャンプを企画して運営しているんだよ。
公立の学校に通っている子で、生物学とか、そっち方面に興味のある子供を対象に、学校では教わらないような内容を、体験を通じて学んでもらおうっていう趣旨でやってるんだ。
あ、キャンプって言うのは、アメリカでは、実際には泊まり込みの課外活動みたいな位置づけなんだけど。」
「サブリナは育ちがいいからはっきりは言わないけど、そのキャンプ皆勤賞の俺に言わせれば、明確に低所得の家庭で育っている子供を対象にしたキャンプだ。
生物関連の知見を学ばせたいって企画者側の思いも否定はしないが、参加者はそれ以上に、小中学生の面倒を見るための場所を探している要素はある。
忙しいから、子供のことなんか構っていられない親が多いからな。」
「実体験だって言われると、反論できないね。
そういうのはずるいよ、パコ。」
サブリナに指摘されて、パコは罰の悪そうな表情を浮かべた。
「パコが言うように、色んな思惑があるのは否定しないよ。
サマーキャンプなんて、デイケアの代わりだって割り切っている家庭があるのも事実。
昼間に子供だけを家に残したくない親もいる。
夜働いているから、昼に子供がいてもケアできない親も、当たり前にいるし。
でもその子たちが、本当は知的好奇心をしっかりと持っているのに、それが満たされないまま、徐々に知識を得ることに絶望していって、あんまり褒められないような生活習慣に絡めとられていくようなことは望ましくない。
本人だけじゃなく、家庭も、コミュニティも、さらにそのコミュニティが属する社会にとっても。
私は結構本気で希望を持っているよ。
実際にパコみたいな人も輩出した活動なわけだしね。」
「買いかぶりすぎだぜ、サブリナ。
俺はそんな大したもんじゃない。」
「でも、パコは参加している子供達にとっては希望だよ。
去年も、その前も、複雑なあれやこれやに絡めとられて身動きできない子たちが、パコにだけは心を開いて、その後、劇的に変わっていったの、みんな見てる。
私も見てた。」
「いや、何というか。
照れくさいな。
俺なんか全然大したことないんだぜ。」
「素直に褒められてくれればそれでいいの。」
ひとしきり、そんな風に2人でじゃれあった後、パコは大学に入学してから、サブリナがメンターとして勉強を教えてくれたことに触れた。
「英語の作文の授業が壊滅的だったんだ。
化学と生物も、選択肢から回答を選ぶものなら訳なかったが、どうしてもエッセイは卒業に必要な単位を取る上で外せないから、本当に大変だった。
あの時、サブリナが根気よく俺の面倒を見てくれなかったら、とうにドロップアウトしてた。」
「でも、何だかんだでできちゃって、私よりもずっといい成績取って、修士課程入学のタイミングから授業料免除の奨学金を取っちゃうんだから、謙遜してるようにしか聞こえないよ。」
「いや、まさか。
サブリナがいなければ俺はカリキュラム、つまり、学部の授業についていけなかった。
間違いない。
俺がここにいるのは、本当にサブリナのおかげだよ。
本気でそう思ってる。」
そう言って、パコはサブリナを熱い視線で見つめた。
それを見ながら、どうしてこの2人は、ここまで親密なのにも関わらず、指一本お互いに触れないのかと、僕は疑問に思っていた。
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パコとサブリナの車まで辿り着き、ガソリンをジープ・ラングラーに移し替えると、午後1時を過ぎていた。
我らが通訳は、パコともう一人の男がジェリー缶を持ち上げ、傾けるのを不機嫌な表情で見ていた。
僕もまた、その横で立って、一部始終を見るともなく見ていたのだが、どこかで腹の虫がなる音が聞こえてきて、それから我らが通訳が舌打ちをした。
すると、腹の虫が感染ったのか、今度は僕の腹が、気の抜けた音を長く鈍く鳴らした。
「腹減ったな。
何だかんだで昼飯を食いそびれた。」
「タコスが食いてえ。
それと、ガツンと冷えたコーラだ。
今の時間帯は暑くて耐えられねえ。
どうにかして、体を冷やさねえと。」
「さっき寄った町に行けばタコスは売ってるだろう。
冷えたコーラはわからないけど。」
それが聞こえたのだろうか、パコがこっちを見て笑った。
「良ければ昼飯くらい奢らせてくれ。
あんたらが通りがからなければ、まだここで立ち往生していたかもしれないんだ。」
僕はどう答えたものかわからず、我らが通訳の方を見た。
子供は僕の視線に気づいているからか、首を軽く横に振った。
その仕草を見ていて、何となく、閃くものがあった。
ジェリー缶の中身をきっちり車に移し替えて、汗と砂で酷い様子になった2人に近づいて、僕はスマートフォンを見せた。
「昼飯もいいんだが、ちょっと教えてもらえないか?
実は、この写真の場所を探しているんだが、もしかして知っていたりしないだろうか?
このアカウントの場所ならどこでもいいんだが。」
2人は怪訝な顔をして、画面に映るInstagramのアカウントを繁々と見つめた。
やがて、パコとは別の、もう1人の男がショートパンツの尻の部分で手を拭いた後、僕の電話に触れ、スワイプし始めた。
下にスクロールし、いくつも写真が現れては消えていき、やがて1枚の写真で指が止まった。
「こりゃあ、あいつだな。
俳句野郎だ、間違いない。」
パコが独り言のようにぼやいた。
「他の写真の風景には全く見覚えないけど、この写真を撮られた時のことは良く覚えてるよ。
何せ、この後、嫌になるくらいレスリングの真似事をやらされたからな。」
スマートフォンの画面には、今よりほんの少しだけ髪と髭の長いパコがこっちを不服そうに睨んでいた。
写真の下の狭いスペースには、日本語の短歌とその英訳が、狭い弁当箱にすし詰めにされたおかずのように、居心地わるそうに縮こまっていた。
加州鼬 成敗すなりと 握る汗
砂に転がり 知るは身の程




