26.R.I.P.
エンセナダまで戻ると、ショッピングモールで子供用の服とバックパック、それから洗面用具と食べ物を買い込んだ。
それから、エンセナダの港の南側にあった安っぽいモーテルに部屋を取り、子供にシャワーを浴びて着替えるよう伝えた。
その間、僕はアルミケースがなくなり随分と広くなった車の中を掃除した。
砂や埃をはたき、フロントスクリーンを布で拭った。
そうしているうちに子供はシャワーを終えた。
上から下まで新しくなっているかと思いきや、靴だけは以前のままだったのを見て、そう言えば買うのを忘れていたと気が付く。
簡単な食事を済ました後もまだ午後の早い時間にしかなっていなかったので、再び外に出て、子供のサイズにぴったりな靴を2足買った。
通訳雇い入れの必要経費という名目で、後で請求することを想定し、領収書をもらって置いた。
実際に請求が認められるかどうかはわからないが。
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買い物が終わると、ぶらぶらとエンセナダの街を見て回った。
月見之介が最後にInstagramの更新をした場所を探すつもりだったのだが、どうやら特にランドマークだったところで写真を撮ったというわけでもなかったようで、写真の撮影場所を特定することはすぐに諦めた。
スマホの画面を見ながら独り言を言い続ける僕を、我らが通訳は覚めた目で見ていたが、行けども行けどもだだっ広い道が広がる中を歩かされるのに嫌気がさしたのか、面倒くさそうに言った。
「おまえが何を探してんだか知らねぇが、この街はこーやってふらふら歩いて回るようなところじゃないと思うぜ。」
「観光客向けの港があるだろう?
そこまで遠くないから行ってみようかと思うんだが。」
我らが通訳は、うんざりしたような顔で僕を見た。
「おまえ、こっちの体力のこと考えてないだろう?
お前が歩き回るのは勝手だが、ついて行く方の身にもなれよ。」
それを聞いて、僕は思わず子供の顔をまじまじと見てしまう。
すると、不快そうに舌を鳴らし、「文句があんなら口に出して言えよ」、と凄んで見せた。
「いや、そうだな。
そっちの体力やら、歩幅のことを考えてなかった。
悪かったよ。
言ってくれて助かった。」
僕の言葉を聞いた我らが小さな通訳はげんなりした顔をしてみせた。
コロコロと表情がよく変わるのが見ていて楽しい。
身ぐるみを剥ぐか、剥がれるかのやり取りをした、つい数十時間前のことが夢か何かだったかのように思えた。
僕と通訳はそこでモーテルに引き返すことにした。
途中、路上で売っていたチュロスを買い与えると、露骨に不満そうな顔をしながら、モーテルへの道すがらぱくついていた。
どうやら、どこかのコワーキングスペースの受付嬢と同様で、我らが通訳も健啖家のようだった。
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モーテルに戻った後、目に付いた相手全員に月見之介のアカウントを見せながら、写真の場所に心当たりはないか質問して回った。
エアコンの効いた室内で寛ぎながら、スマホでゲームをしてサボっていた従業員を捕まえて質問するのには通訳を介した。
僕が英語で喋り、通訳係の子供がトーンの上下が激しいスペイン語で言い直す。
随分と荒い印象のある子供の英語から思うに、きっとべらんめぇ調に似たようなニュアンスなんじゃないかと、僕は想像をめぐらす。
そうして何人もに聞いて回っていると、やがてこの通りはあそこじゃないかとか、あっちじゃないかという声が集まり始める。
写真の背景に写りこんだ建物について、スペイン語で確認がなされて、我らが通訳は僕の方を向く。
「どうやら、観光地客向けのエリアのすぐ近くらしいぜ。」
「地図を見せたら分かるかな?」
「いや、無理だろ。
地図なんかまともに見る機会なんざないだろ。
それに…」
「それに、何だ?」
口ごもる子供に僕が聞き返す。
返って来たのは返答じゃなくて舌打ちだった。
「とにかく、そっちの方に行ってみるのが手っ取り早いんじゃねーの?
クソ暑いから、歩いていくとか、無謀なことは頼むからやめてくれ。」
「だらしがないな、雇われの身だって言うのに。」
「クソみてえなことばっかり言ってると、やべえ連中に喧嘩売っておまえに後始末をなすり付けるぞ?」
「後始末を僕がするよりも、僕が始末される目の方が大きそうな話だ。」
「よくわかってんじゃねーか。
寝首を搔かれたくなきゃ、丁重に扱えよ。」
相変らすの大きな態度に、僕は肩を竦めた。
ただ、子供の言い分は正しかったので、それ以上は何も言い返さなかった。
黙って駐車場へ行き 車へ乗りこむ。
げんなりするような暑さのせいで、キーを回すと無事にエンジンがかかるだけありがたく思えた。
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さっき子供が言い淀んだのは、おそらく「通訳はできる自分も地図は読めない」ということだったのだろうと思い至ったのは、車を走らせ始めて割とすぐのことだった。
よくよく考えれば、まともに学校にも行っていない、10歳にも満たないような年齢に見えなくもない子どもが、地図の見方を知らないのも思いついて然るべきだったのだ。
そんな相手にGoogleマップを見せて、ナビ代わりに使おうというのがそもそも無謀だった。
何度か質問し、その度に「知らねーよ」と不機嫌な返事を受けた後、僕は子供に道順を聞くのを止めた。
それに対して、またしても子供は舌打ちをし、不満を表明した。
「別に今すぐって訳じゃないんだが、地図の見方、良ければ教えようか?」
気を使った上での僕のコメントに対しても、やはり返って来たのは舌打ちだった。
ただ子供が年相応に拗ねているのか、それとも雇い主の要望に答えられない我が身の不甲斐なさを嘆いているのか、どっちとも取れない反応だった。
それに気を取られつつも、僕は観光客向けのエリアに車を乗入れた。
一方通行の道を右往左往しながら曲がり、やがて見覚えのある通りに出くわした。
何度となくアプリ上で見直したせいで、初めて来たのに懐かしさすら覚える何の変哲もない道沿いには、背の高い壁が建っていた。
隣の区画は倉庫か何かなのかわからないが、そこに収まっている大きな建物を隠すべく、広く高い壁だった。
そこには西部劇でお馴染みのお尋ね者にかけられた賞金を大々的に知らしめるポスターを模したグラフィティがスプレーされていた。
R.I.P.の寒々しい決まり文句の下には、Haiku Masterと、名前なんだか通称なんだかわからない単語が並ぶ。
その下に書いてある、「?-2019」というのは、歴史上の人物の生年と没年を示すあれだろう。
格調が高いんだか低いんだかわからない印象を与える。
さらにその下には、@から始まるInstagramのIDが詠みやすい字で書いてあった。
「まさか、こいつを探してたとか言わねーよな?
だとしたら、最高に悪趣味だぜ?」
子供の皮肉が随分耳についたが、何とか苦笑して見せて言葉を返す。
「悪趣味って言われてもな。
僕が探してるのはこのグラフィティじゃなくて、この人物そのものなんだが。」
「街中に勝手に描かれるグラフィティにしちゃ、随分写実的なもんだよな。
横顔をクローズアップしすぎて、こいつが実際どんな顔なのかよくわかんねーけどな。」
「いや、かなり似てる。
本人そのものだよ。」
僕は、R.I.P.の文字の隣に黒と白だけで描き出された月見之介の横顔を指差した。
「久しぶりで、多少変わっているところもあるけど、昔から嫌って程見てきた顔だ。
見間違えようがない。」
「死んだって書いてあるぜ?
探してるのは死人でいいのかよ?」
「そう聞かれると、何とも言いようがなく、困るんだがな。」
僕は子供の方を見ず、スマートフォンを取り出してグラフィティの写真を撮った。
「こいつが生きてるのか死んでるのか。
それを確かめるのが一応、今回のメキシコ行きの目的なんだ。」
「Dead or Aliveってか。
賞金付のお尋ね者を追うのに比べて、随分心の弾まない追跡行だな、つまんねえ。」
我らが通訳は吐き捨てるように言った。
決してお尋ね者を追いたいわけではなかったが、心が弾まないという部分は、心底同感だった。




