24.スタンドオフ
子供が助手席に乗り込んだ時、後部座席に積み込まれたアルミケースに素早くを目を走らせた。
僕はそれを見なかったふりをしながら、子供に家はどこかと英語で聞く。
子供はわからないと言いた気に首を傾げ、やがて何か気づいたように頷く。
それを見て僕も頷き、車を走らせる。
住所を訪ねる英語を僕が何度も繰り返すと、子供は右に左に指を差す。
車は舗装されていた道路から外れ、工場か何かの裏手の細いあぜ道に入る。
対向車が来たら絶対にすれ違えないなと思いながら僕が車を進めると、子供はシートベルトを外し、子供らしい高い声で不愛想に言った。
「ここで車を停めろ。
今すぐにだ。」
子供の手には鉄を鋭く尖らせたものが握られていて、その突端が僕の方を向いている。
右のこめかみに、何かひんやりとしたものが当たっていて、鉄の匂いがほのかに漂う。
「英語、喋れたのか?」
僕はほとんどスピードを出していない車のアクセルペダルから足を離した。
「黙れ。
余計なことを言うな。
今すぐ車を停めろ。」
「じきに停まるよ。
もうアクセルを踏んでないから。」
子供は舌打ちをし、鉄の切先で僕の頭を小突く。
「二度と言わせるな、今すぐ車を―」
言い終わる前に、僕は無理やりギアをリアに入れて、目いっぱいアクセルを踏み込んだ。
急に車が後ろに走り出し、鉄の棒の突端が僕のこめかみから離れる。
とっさにその切先を右の逆手で掴み、ねじり上げる。
決して腕力が強くないが、さすがに子供の手から鉄の棒を取り上げるくらいは何とかなった。
もう一度ペダルを踏む。
今度はブレーキペダルだ。
シートベルトを外した子供の体は前に大きく傾き、かろうじてフロントガラスに腕をついて衝撃を逃がした。
どうやら運動神経はいいようだ。
「お望み通り、停めてやったよ。
お次は?」
さっきとは逆に、僕が鉄の棒を持っていた。
子供は片手でもう片方の手の手首を抑えながら、精一杯僕の方を睨む。
その子供の眼に鉄の棒を近づける。
あまりにも酷いと思い、喉元に切先の向く方を変えようかと思うが、少し考えて、止めておいた。
「くそが。
ぶっ殺してやる。」
「子供が口にするにしても、随分穏やかじゃない台詞だな。
酷い言葉遣いの映画を見過ぎているんじゃないか?
どうする?
降参するならぶん殴らないでおいてやるが。」
「殺さないのか?
甘いな、チーノ。」
「なんだ、殺されたいのか?
困ったお子様だな。
ゆっくりと窓の方を向け。
ゆっくりとだ。
両腕を後ろに伸ばす。
そろえてこっちに突きだせ。
そうだ。
手の棒の切先は今お前の首の真横にある。
変な動きをしたら手元が狂う。
痛い思いをしたくなかったらゆっくり動け。
そしたら手首を交差させろ。
そうだ。」
完全に悪役そのものの発言だったが、仕事がら、そんなことを言うのはそれが初めてではなかった。
そして、今の仕事に就いてから、必ず持って歩くように言われている太目の結束バンドを片手で鞄から取り出し、子供の手首に引っかけて、締め上げた。
締め上げる時に抵抗したが、耳たぶに金属を当てたら大人しくなった。ついでに濃い色のタオルで目元を縛り、目隠しにしてみた。
意味があるかどうかはわからないが、見えなければ反撃されるリスクは減るだろう。
その後、手首にもう1本、足首にもう2本結束バンドを締めて、とりあえず子供が身動き取れないようにした。
やっていることは褒められないが、身の安全には代えられない。
その状態で来た道を戻り、ガソリンスタンドの敷地に車を乗り入れる。
まだ小さな子供だったので、大して体格の良くない自分でも無理やり店舗の中まで引きずることができた。
「おうおう、こりゃまた、なかなか。」
僕が最初に話しかけた男の横で何事か話していたのか、先ほどエンジンを見てくれた男が入り口に現れた僕らを見て、何が言いたいのか要領を得ない言葉を口にする。
「何があったのか知らんが、どうもロクなことじゃなさそうだ。」
「説明は控えさせてくれ。
とりあえず、警察を呼んでくれるよう頼みたい。」
「来ないと思うけどね、もう日も暮れたし。」
「それでもだ。」
若い男はガソリンスタンドの店主らしき、もう一人の男を見る。
見られた方は呆れ顔で肩を竦める。
「呼ぶのはいいが、あんた、その後取り調べに付き合う気なのか?
何日も待たされるぜ?
それだけならまだましな方だ。
もしかしたら、捕まるのはあんたってことになるかもしれない。」
「何でだ?」
もう一人の男は首を振った
「そりゃ、ここがメキシコで、あんたが外国人だからだろう。
言葉もわからないんじゃ、それこそ話になんねえよ。
それにあんた、そんな物騒な鉄の棒持って警察に会うなんて、ちょっと誤解を招きかねないぜ?
どの道、ロクなことにはならんよ。」
「銃じゃないんだ。
護身用って言い張る。」
「言葉もわからないのに?」
僕は黙るしかなかった。
若い男は鼻で笑った。
「そいつの身柄を100USドルでわしが買おう。
2、3発ぶん殴って、明日の朝まではここで預かる。
その間にあんたはどこへなりとも行っちまうんだな。
そうすりゃ万事解決だ。
あんたは、二度とこいつの顔を見ることもないだろうよ。」
もう一人の男はそう言って僕を見る。
「どうだい、外国人?
悪い話じゃないと思うがね?」
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ガソリンスタンドを後にして10分程車を走らせると、市街地と荒野の境目を示すサインボードが立っているところに行きつく。
僕はそこで車を停め、心底うんざりしながら聞く。
「おまえ、本当についてくるって言うのか?
どこに行くのか決まってないんだが。」
「しつけえな、チーノ。
100ドル払いたくねえってごねたのはおまえだろうが。
それに、おまえこそ、通訳がいないと何もできねえじゃねえか?
しゃあなしで一日250ペソで雇われてやるって言ってんだよ。
黙って言うこと聞いてろよ。
さもないとぶっ殺すぞ?」
「結束バンドで拘束されてるその状態で?」
「さっさと解け。
さもないとぶっ殺すぞ?」
「英語のボキャブラリーが貧弱だな。
こりゃ通訳としても期待できそうにない。」
僕はため息をつき、アクセルをゆっくりと踏み込む。
こんなことになった成り行きを蟹沢さんにどう報告しても、呆れられながら笑われるだろう。
「やっぱり、領収書なしでも100ドル払って置いてくるべきだったかな。」
「あ?
わけわかんねえ言語で話すんじゃねえよ、チーノ。」
もちろん、仮に領収書をもらえたとしても、興信所にはおよそそぐわないうちの事務所の人道的な訓示のせいで、子供を置いてはこれなかったのだが。
「それよりよ、おまえ。
そろそろ教えろよ?
あのアルミのケースの中身、何が入ってんだよ?
やっぱあれか?
やべえブツなのか?
粉とか植物とか?」
拘束されているとは全く思えない、どこまでも大きい態度の通訳が、年相応に目をキラキラさせながら言う。
これから四六時中これに対応するのかと思うと、気苦労が増えそうだ。
「まさか。
北から南に持っていくものが売り物でどうするんだ。」
「つまり…?」
「タランティーノが駆け出しだった太古の昔から、ああいう形状のケースに詰めるものって言ったら、ボスのアンダーウェアって相場が決まってるだろう。」
「は?」
そう言って、子供は座席の後ろを振り返る。
視線の先にはアルミケースが10ケース並んでいるのだろう。
もう少し上手い言い方があったなと僕は思いながら、アクセルペダルを踏みこんで、スピードを上げた。
相変わらず仕事が過剰に忙しく、なかなか書けておりません…
言い訳はまた活動報告でさせていただきます。




