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22.2000万ドルと一緒

 ランドクルーザーの運転席にはマニラ紙の封筒が無造作に置いてあった。

 ここまで運転してきた眉毛の薄い若い板前の忘れ物かと思い、何の気なしに中を見ると、「白鳥鮨」というロゴ入りの派手なレターヘッドのある紙が2枚入っていた。


「ああ、それ。

お守り代わりに持ってって。

空欄に名前書くのを忘れないでね。」


 まだ内容を詳しく見る前にナンシーが僕に言った。

 どういうことかと思い、文面に目を通すと、意思疎通の齟齬によりバハカリフォルニア・スール州のレンタカー業者の車を間違えてサンディエゴまで乗ってきてしまったことと、2019年12月31日までにその車両を返却するのをこの手紙の所有者である人物に委託したことを証明すると書いてあった。

 手紙の所有者の名前のところは空欄になっていた。

 ナンシーがさっき言っていたのはこれのことだろう。

 手紙の末尾には見覚えのない名前が書いてあったが、そのすぐ横の署名欄には「白鳥ナンシー杏 Whiteswan」という、漢字とカタカナとアルファベットの混じった文字が長ったらしく書きつけられていた。

 あまり日本人がするものではないが、海外に定着した華人にこうした署名をする人がいたなと、僕はぼんやりと考えた。


「じゃあとりあえず、運転してみよっか?

それで問題なさそうならサインして。」


 ナンシーの語気に僕を咎めるようなトーンは聞き取れなかったが、明らかな催促だった。


「こういう展開はあまり気が進まないんですけどね。

選択肢が限られるような状況に追いやられるのは、どうにも好きじゃない。」

「でも、悪い話じゃないでしょ?

『叶ったら願ったり』ってやつだね。」

「『願ったり、叶ったり』ですか?

どうとも言えませんが。」


 できれば難癖をつけて、この話を断りたかったのだが、シュノーケル付きのランドクルーザーは、今とばかりに完璧に近いパフォーマンスを発揮して、僕の心境を見事に裏切った。

 キーを入れて回すと軽やかにイグニッションが火花を飛ばし、エンジンの中のガソリンに火を付ける。

 エンジンが回転する音にも変なところはなく、ギアをリアに入れるべくクラッチを踏むと、実に滑らかにペダルが床の方へと沈みこんだ。

 ギアを入れる操作とハンドルを切る操作には確かな手応えがあるけれども、決して重いと感じることはなく、否が応でもいい状態であることがわかった。

 ナンシーの言うままに敷地から車を出すと、海から吹く冷たい風が車体を軋ませるような音がした。

 それでも、車は何ら問題なく僕の意図通りの動きをし、僕の借りているタウンハウスから先日高魚を訪ねたホステルまで、短いクルージングを終えた。


「聞くまでもないと思うけど、文句ないでしょ?」


 僕は返事をする代わりに両手を上げた。

 それから、ダッシュボードの上に放り出していたマニラ紙の封筒の中のレター2枚にサインをし、1枚を封筒に戻して彼女に渡した。


-------------------------


「なあ亀やん、『現金(ゲンナマ)に体を張れ』って見た?

キューブリックが撮った奴なんだけど。」


 車をほとんど無理やり使わされることになった日の夜に、状況を説明するために蟹沢さんに電話をしたら、笑うでもなく、怒るでもなく、ついこの間の電話の時のように、一聴して全く関係のなさそうなことを蟹沢さんは言った。


「いえ、見たことないです。

見たことなくって良かったと思ってます。」

「なんでさ?

フィルム・ノワールの傑作だから、絶対見るべきだよ。」

「それ、どんな話なんですか?」

「大金をせしめる完璧な計画が上手くいって、金は手に入ったんだけど、そこから一転して色んなものがギクシャクし始めて、最後には破滅する映画らしいよ。」

「『らしいよ』って、蟹沢さんも見たことないんですか?」

「そうなんだよ。

この件が終わったら一緒に見ようよ。

事務所にでっかいプロジェクター設置してさ。

ビールとコーラとポップコーンくらいなら奢るよ。」

「妙なフラグ立てないでくださいよ、縁起でもない。」


 うんざりしながら言う僕の言葉に短く笑った。


「でも、甥御さんと姪御さんのことは、ちょっと許しがたいね。

情報の漏洩元は恐らく前任の事務所だろうから、抗議しておく。

すまなかった。」


 蟹沢さんの声のトーンはずっと重いものに変わっていた。


「どうでしょうね。

僕の名前と所属先をナンシーに漏らしたのは高魚で間違いないでしょう。

でもそこから僕のプライベートを探るのは、うちの親戚の誰かに聞き取りをすれば簡単な話です。

わざわざ前任の事務所に話を持っていかなくても、別の興信所に依頼すればいい。」

「そうかもしれない。

でも、そうじゃない可能性もあるよね?

ナンシーは高魚が鮨屋で飲食代を踏み倒したのを、前任の事務所にふっかけて請求したんじゃないかな。

で、それをチャラにする代わりに亀やんのことを調べさせた。

その方が経費がかからないし、高魚の身柄も完全に抑えられる。

一石二鳥、いや、三鳥だ。」

「鳥はナンシーですけどね。」

「何にしても、気に食わないね。

白鳥ってそんなに横暴な生き物じゃなかったはずなのにね。

とにかく、こういうのはやり返さないと、うちの事務所全体として後が大変になる。」

「それには同意見ですけど、とりあえずは密輸の片棒を担ごうと思います。」

「いや、でも、亀やん。

それだと後々—」

「蟹沢さん。

僕も、ナンシーにはきっちりやり返すつもりです。

今は相手の掌に乗っかった風を装いながら、そのための計画を立てましょう。

なんでそんなことになったか、裏も取りたいですし。」


 蟹沢さんの声はスマートフォンのスピーカーから返って来ない。


「何なら貸しにしといてくれていいですよ。

帰国したら事務所で上映会するんでしょう?

ポップコーンとビールとコーラ、アルミケースに満載して持ってきますよ。

僕の奢りで。」

「大きく出たね、亀やん。

勝算がありそうだ。」

「今のところ、全くありませんけどね。

まあ、メキシコでのんびり考えますよ。」


 電話を切る頃には、蟹沢さんの口調はいつものとらえどころのない軽妙な物に戻っていた。


-------------------------


 翌日の朝の遅い時間、自分の家でメキシコへ出かける準備を整えた後、コーヒーを飲みながら寛いでいたら、挙動の重そうな足取りでGMのごついビックアップトラックがタウンハウスの敷地に入ってきた。

 運転していたのは昨日僕のことを睨みつけた若い職人だった。

 しっかりと幅寄せしきれないまま車を止めた彼は相変わらず僕の方を睨んだまま無言で頷き、無言で車からアルミケースを10個下ろして家の前に積上げた。

 中身を一緒に確認するのだろうかと思ったら、特に何もすることなくまたピックアップトラックに乗り込もうとするので、慌てて彼を呼び止めて、アルミケース10個の横に彼を並ばせて、スマートフォンで写真を撮った。

 彼が車で立ち去った後、ケースを開けてみようと試みると、流石に鍵がかかっていて開けられなかった。

 中に何が入っているのかわからなくて安心するというのも変な話だが、少しほっとしながらアルミケースをランドクルーザーの中に押し込み、もう一度写真を撮り、受け取った証拠としてナンシーの携帯に送った。

 即座にサムズアップしている絵文字が返信されてきたので、受領証扱いにはなったのだろう。

 話が本当ならば、僕は今2000万ドルと一緒ということになる。

 心配でどうにかなりそうだったので、あまり意識しないようにしていたが、既に挙動がおかしいのが自分でもわかった。

 しばらくまともに眠れなさそうな気がしたので、できれば今日明日中に然るべき相手に現金を渡してしまうのがいいのだろう。

 でっかい額の現ナマが出てくると、どういうわけか筆が進むと思っていた時代が私にもありました…

 引越しと旅行のせいで、とゆーか主に旅行のせいで更新が大変遅れております。

 申し訳ないたす。

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