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21.アルミケース一つに紙幣が大体2万枚弱入るとして

 タウンハウスのキッチンで、ナンシーとカウンターを挟んで黙り込む時間は予想外に長引いていた。

 そろそろ違う話でもしてみようかと思い始めた頃、遠くから車のエンジン音が近づいてきて、うちの前までやってきた。

 ハンドブレーキをかける音が壁を隔てた向こうからかなりはっきりと聞こえたので、外に様子を見に行こうかと思っていると、まったく予想していなかったEDMが結構なボリュームで鳴り出した。

 黙ったままだったナンシーが小さなハンドバッグからスマートフォンを取り出す。

  

「もしもし?

うん。

そう、着いたの?

わかった、じゃあ、そっちにいくからそのままで。」


 業務連絡のような短い会話を済ませた後、ナンシーはさっきまでの真剣な表情から打って変わって、人懐っこい笑顔を浮かべてこっちを見た。


「ちょっと外までつきあってもらえる?」


 言われるがままに家の外に出ると、トヨタのランドクルーザーが停まっていた。

 赤い色に塗られたトヨタ車らしからぬ目を引く外見のその車は、前の方から黒い煙突のようなものが突きだしているのが、さらに目立ちそうだった。

 呆気に取られている僕を尻目に、ナンシーはどことなく得意気だった。


「どう?」

「どう、と言われましても。

派手な車ですね。」

「シュノーケルがついているから、雨季のオフロードで万が一水没するようなことがあってもエンジンがダメになることはないよ。」

「なるほど。」


 全く納得言っていなかったが、僕はわかっている風を装う。


「ま、バハカリフォルニアに行くには過剰な装備かもしれないけど、日本語でも言うじゃない?

『Luck favors the prepared』って。」

「何ですか、それ?

ちょっとよくわからないんですが。」

「諺だと思うんだけど。」

「もしかして、『備えあれば憂いなし』とか、そういう感じですか?」

「うん、多分それ。」


 そんな他愛もない話をしていると、ランドクルーザーの運転席の窓が下ろされて、眉毛の薄い東アジア系の男が頭を車外に突きだし、完璧な日本語のアクセントでナンシーに声をかけた。


「お嬢、お疲れ様です。

ちょっと遅くなってすんません。」

「全然大丈夫ー。

お休みの日に無理なお願いしちゃってごめんね。」

「いえいえ、そんな。

こんくらい、軽いもんです。」


 ナンシーは彼のことを、日本から最近やってきた若手の板前なのだと紹介した。

 眉毛の薄い男は僕の顔をじろじろと睨んだ後「よろしく」と言ったが、その表情は全然よろしくする気があるようには見えなかった。

 彼のそんな様子にはまったく無頓着に、ナンシーは車の前側に行って、バンパーの辺りを確かめるように触った。


「ウィンチも一応動くようにしてあるから、万が一タイヤがぬかるみにはまっても大丈夫なはずだよ。」

「そうなんですね。

つまり、この車を貸してもらえると、そういうことですか?」

「東亀がトヨタ車はどうしても嫌だっていうんじゃなければ、だけどね。

他には一応、パジェロなら用意できるってレンタカー業者やってる知り合いからは聞いてるけど。」


 話が見えてこなくて、僕は押し黙った。

 ナンシーに頼んだのはレンタカー業者の紹介で、車の調達ではない。

 渡りに船と言えばそのとおりなのだが、こちらの希望を伝えるまえに、いきなり車を用意されたこの状況に何となく引っ掛かりを覚えた。

 ついさっきまでとは違い、今度は僕が話さないでいる時間になる。

 ナンシーはその間に別の車の鍵を若手の板前に渡す。

 それを受け取った眉毛の薄い男は、すぐ横に停められていたホンダ・アコードに乗って、特に何も言わないまま運転してどこかへ行ってしまった。


「よくわからないって顔してるね。」


 ホンダ・アコードが短い車寄せを通り抜けていくのを目で追いながら、ナンシーは言った。


「レンタカー業者の紹介を頼んだだけなのに、なんでいきなり車が出てくるのかって。」

「そうですね。

正直、面食らってます。」

「こっちからのお願いって言ったら、ある程度理解してもらえるかもね。」

「どういうことですか?」

「事情があってね。

この車をメキシコまで持っていってほしいんだ。」

「メキシコと言っても広いですが、具体的にはどこまで?」

「どこまで、か。

そうだね、どこまでかなあ。

メキシコのどこかだと思うんだけど。」

「なるほど。」


 要領を得ない話だった。


「直で聞いちゃいますけど、あれですか。

盗難車か何かですか?

それとも、密輸?」

「うーん。

そうだね、言われてみればそうかも。

盗難車で、密輸かな。」

「どういうことですか?」

「この車ね、うちの従業員がメキシコから乗りつけてきた車なの。

レンタカーとしてロス・カボスで借りて、サンディエゴまで乗りつけてきたのね。

運転してきた人間は乗り捨て可能って聞いてきたっていうんだけど、こっちに戻ってきてから業者に連絡したら、国境の北側まで行くなんて話は聞いていないって言い出してね。」

「それってさっきの人ですか?

若い板前の。」


 ナンシーは口元だけで小さく微笑んで何も言わなかった。


「盗難車っていうのは、そういうことですか。

それで、車を国境の南まで返さなきゃいけないと。」

「うん。

ま、ティファナまで行って、向こうの指定の業者の店で乗り捨てればいいとは思うんだけど、それを本人にさせると、別のトラブルを拾ってくるかもしれなくて、困ってたの。

英語もスペイン語もできないし、それで無駄になっちゃう本人の人件費も馬鹿にならないし。」


 確かに、わざわざ日本から呼んだ板前なら寿司を握らせておかないともったいないだろう。


「で、東亀がメキシコに行く足が必要って言うから、どうせならその辺の手続きをやってもらう代わりに、好きに運転してもらおうと思って。」

「好きに運転してもいいんですか?

何キロ走るかわからないし、何日この車を使うかも決めていないんですが。」

「うん、それで、密輸って話になるわけ。」

「というのは?」

「ティファナの南、エンセナダ近郊にワインの生産地があるの。

グアダルーペって言うんだけど、聞いたことある?」

「ないですね。

エンセナダなら聞き覚えがありますが。」

「そっか。

うちはね、グアダルーペのワイナリーに投資してるんだ。

ワインの買い付けもしててさ。

それで、定期的に送金しているんだけど、正規の手段でやってると、税金と手数料が馬鹿にならなくてね。」

「なるほど。

ちなみに、現金を輸送するとしたら、いくらぐらいを考えているんですか?」

「そうだね。

アルミケース一つに紙幣が大体2万枚弱入るとして、200万ドルかな。」


 約2億円。

 急に胃の辺りが縮んだような気がした。


「で、この車の後部座席に、怪しまれない程度の数を積むとして、いくつくらいだろう?

10ケースとか?」

「冗談ですよね?」

「そう?

サブマシンガンとか、アサルトライフルの方がいいなら、そういう荷物にすることもできるよ?

メキシコで警察に捕まったら、現金よりもややこしいことになっちゃうけど。」

「僕が持ち逃げする可能性は考えないんですか?」

「東亀のご両親って、日本の○○県で、今もご健在なんだってね。

お姉さんのお子さん2人も、可愛い盛りみたいで。」


 僕は二の句が継げなかった。

 僕がいなくなって寂しいと言ってくれる、世界でたった2人の姪と甥。

 自分の子供でもないのに、この子たちのためなら何でもできるような気がしてくる存在。

 彼女が何故甥っ子と姪っ子の存在を知っているのか聞くことも出来ず絶句していると、ナンシーは例のふにゃふにゃとした口調でそう言った。


「大丈夫だよー。

未来ある若い子どもたちに、叔父さんが持ち逃げした2000万ドルを立て替えるなんて、そんな非人道的なことはさせないから。

それに、あれでしょ?

東亀はそういうことするタイプじゃないでしょ?」

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