19.月を噛めどもやり直せまじ
「なあ亀やん、映画の『ゲーム』って見た?
主人公がメキシコの墓の中に置き去りにされるやつ。
デビッド・フィンチャーが『ファイト・クラブ』の前に撮った映画なんだけど。」
高魚の件について報告しようと思いつないだLINE通話で、藪から棒に蟹沢さんはそんなことを言った。
「もし亀やんがまだ見てないんだったら、絶対見た方がいいよ。
サスペンスものの佳作だし、今見ても全然古くない。」
「『ユージュアル・サスペクツ』よりも面白いですか?
僕の中で、サスペンスって言ったらあれが最高だと思っているんですが。」
「あー、『ユージュアル・サスペクツ』もいいよね。
そうか、亀やんはああいうのが好きなのか。」
「サスペンスならって話ですけどね。
ところで、そろそろ本題に入らせてもらってもいいですか?
上司と映画の話をするために、わざわざ太平洋の反対側から時差を無視して電話をかけたわけではないので。」
「雑談も重要なコミュニケーションだよ。
要件だけ話してばかりじゃ、職場が上手く回らなくなる。」
蟹沢さんの言い分を半ば無視しながら、高魚の伝手で調査対象の足取りが掴めそうなので、高魚の雇い主にその旨を伝えてくれないかと僕は言った。
「国境の南側のバハカリフォルニア半島を放浪しているらしいので、サンディエゴから南下してしらみつぶしに探していけばそのうち行き当たります。
生きてれば目撃証言もあるだろうし、死んでたら警察か行政の記録に残っているでしょう。」
「そうは言うけどね、亀やん。
メキシコだよ?
今も古き良き西部開拓時代そのものみたいな雰囲気が色濃く残る土地だから、そんなに上手くいくようには思えないんだけど。
アメリカに比べて治安も悪いって聞くし。」
「それこそ、『そうは言うものの』って話ですよ。
『調査対象はサンディエゴの国境を徒歩で超えた後、バハカリフォルニア半島の南端辺りをうろうろしていると思われる。』なんていうので報告を済ませられないでしょう?
それにメキシコだって毎年旅行者はたくさん来るんですから、言う程治安が悪いわけでもないんだと思いますよ。
調査対象がその辺をうろうろしながら乞食同然でインスタグラマーの真似事をできるくらいには、少なくとも治安がいいようですし。」
「それは確かにそうだけど。」
蟹沢さんの言葉尻が勢いをなくした。
「Instagramの最後の投稿が10月13日で、タグ付けされてるのがエンセナダって街ですね。
この街、割と都会のようなんで、まずはここから探してみれば、意外と時間がかからずに行方がわかりますよ。」
受話器の向こうからため息が聞こえてきた。
「なあ亀やん。
亀やんの親戚の人に起こった話って、なんかあの映画みたいな印象だね。
よく分からない、何度もどんでん返しのあるドッキリに巻き込まれてる系の。」
「そうですかね?」
「そうだよ。実は調査対象もミシェルなんて女も存在しなくて、亀やんがゴールデンゲートパークの片隅にその親戚の人を呼び出して、銃で撃って死体を埋めたって言われた方がまだ説得力ある。」
「ちょっと意味がわからないんですが。」
「実は亀やんが手にかけたって言われても俺は驚かないよ。
いつでも本当のことを言ってくれて構わない。」
「いえ、そういうことはないですし、契約社員が捜査対象を殺害したなんて話、興信所では特にあってはならないことですよ。」
「あれだね、叙述トリックかな。
信用できない語り手が実は犯人ってパターンの。」
「そんなことになったら事務所の評判がた落ちですよ。
蟹沢さんはあれですか、露頭に迷いたいんですか?」
「ホームレスはまだ経験がないけど、できれば未経験のままでいたいよね。」
「バハカリフォルニア半島ではホームレスも悪くないみたいですよ。
少なくともインスタグラマーとしては注目を集められるみたいですし。」
「アラフォーになると新しいSNSを始めるのはどうにも気が重くてね。」
「それ、アラサーでも変わらないですよ。
と言っても、調査対象、蟹沢さんと同い年ですけどね。」
メキシコに着いたら十分を気を付けるようにと蟹沢さんに念を押された後、通話を切った。
冷蔵庫から取り出したミラーライトを飲みながら、スマートフォンで月見之介のInstagramの履歴を改めて見た。
その日の午後にナンシーが教えてくれたように、月見之介は8月か10月までの間に、既にラス・カボスとティファナの間を往復しているようだった。
8月中旬のティファナの写真が確認できる一番古い履歴で、その次の投稿が8月末、バハカリフォルニア半島南端のロス・カボスの写真だった。
9月の頭にはカリフォルニア湾を横断するフェリーの出ているラ・パス周辺のジオタグが付いた写真がアップロードされている。
9月の末にはまたティファナの写真が掲載されていた。
どの写真にもキャプションがついていて、おそらく月見之介の自作だと思われる短歌がこんな具合に書き込まれていた。
ぼんくらの 尻を拭って 早三十路
やり直せまじ 月を噛めども
半端たる 我に過分な ファム・ファタル
月とすっぽん 我は亀なり
百代の 過客を惜しむ 新月の
雲に隠れる 様ぞ恋しき
欠けたるを 探しに迷う 亀と月
欠損城市は 雨の装い
泣き亀の 後を追い分け 浮世行
辿り着きしは 夢の加州野夜
やたら亀と月が出てくるのと、最後の短歌に見覚えがあったのとで、このInstagramのアカウントが月見之介のものであるのはもう間違いがなかった。
最初の歌は、どうも月見之介が僕になり切って詠んだようにも思える。
これを書いた時点ではちゃんと自分のことをぼんくらだと自覚できていたのだとしたら、サンフランシスコで僕と別れてからメキシコに来るまでの間に、随分と自分を客観視できるようになったのだろう。
よくわからない内容のものもあったが、とりあえずは短歌のことは置いておいて、調査方針にめどが立ったのはポジティブだった。
アップロードされた写真の撮影された場所だと思われる場所を探して聞き込みをすれば、月見之介を見かけたという人間が見つかるかもしれない。
もしかしたら、道端でスマートフォンでインスタ映えする写真を撮影しようと四苦八苦している月見之介にばったり出くわしたりするかもしれない。
その時、僕はどんな顔であいつに会えばいいのだろうと考えると、少しだけ気が重くなったような気がした。
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その日の夜、月見之介の夢を見たのはきっと寝る前にそんなことを考えていたせいだ。
夢の中の月見之介はナタリアと、コワーキングスペースで僕の斜向かいの席に座っていたインド系の男と3人で、バーで空手の組手をしていた。
するとそこに、とても空手をするような恰好ではないミシェルが現れて、月見之介に微笑んだ。
目を奪われた月見之介は鼻の下を伸ばしたのだが、そこにナタリアの上段回し蹴りが後頭部に綺麗に入った。
かくして月見之介は、昔の格闘ゲームのキャラクターが必殺技でKOされた時のように、空中で縦に一回転して地面に転がった。
うつ伏せになって床に伸びる月見之介の横に、日本語の文字がバラエティ番組のテロップのように浮かび上がった。
稽古場に せんと赴く 珪素谷
空手素人 鷺の餌やり




