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17.熱帯雨林から掻き集めた蜂蜜全部よりスウィート

 再度サンディエゴに戻ってくるのに合わせて、パシフィック・ビーチの少し北にあるタウンハウスをAirBnBで押さえた。

 高魚(たかうお)にもう一度会って話を聞くつもりだったので、歩いていける距離に滞在した方が色々と都合がいいと思ったのが理由だった。

 サンノゼから飛んだ飛行機を降りたその足で新しい宿に向かった。

 ダイヤル式のキーボックスから鍵を取り出して、誰もいない家に入ると、小さいけれどもキッチンがついていて、年代物の冷蔵庫がぶうんと唸りながら存在感を発揮していた。

 大家さんは忙しいのか、チェックインもチェックアウトも立ち合わないという話だった。

 一般的な観光や、友達を訪ねてサンディエゴに来たわけではない自分としては、顔を合わせないでいいならその方が気が楽だった。

 あまり趣味がいいとは思えない黄緑色のシーツの敷かれたクイーンサイズのベッドでぐっすり寝たその翌日の午前中に、オールド・タウンのモーテルに向かい、置きっぱなしにしてあった荷物を回収してきた。

 軽い食事で腹を満たした後、午後からは高魚を訪ねるつもりだった。

 この前会った時の様子から察するに、事前のアポイントメントがなくても、飲むための酒さえあればうるさいことは言わなさそうなタイプだったので、特に連絡も入れることなく2週間前に彼を放り出したホステルへと尋ねていった。

 途中で良く日に焼けた通行人とすれ違うのが、あまりアメリカらしくなくて不思議だった。

 マウンテン・ビューの駅前もそうだったが、人が歩いていること自体が不自然な国で歩いてどこかに行くのは、まるでみんなで示し合わせて悪いことをしているような気がした。

 そんなことを考えているうちに高魚がいるはずのホステルに着いた。


「高魚って人がここに泊まっていると思うんですが、在室していますか?」


 2週間前に20ドルを握らせた受付係とは明らかに違う人物に聞いてみると、相手はしかめっ面をした。

 アフロ一歩手前のカーリーヘアのボリュームのせいであんまり効果的なしかめっ面にはなっていなかったが、相手があまりいい気分でなさそうなことは見て取れた。


「奴なら部屋にいる。

俺は奴の顔も見たくないし、声も聴きたくないから、勝手に中に入って探せ。」


 穏やかじゃない受付係の物言いに首を傾げながら受付を抜けると、何となく聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきた。

 そっちの方へと向かってホステルの中を歩いていくと、パティオに置いてある1人がけのデッキチェアに男と女がくっついて座っているのが目に入った。

 2人とも片手にビールの瓶を持っていて、開いている方の手でお互いの体に腕を回している。

 その片方が高魚だというのが僕にとっては意外だった。

 彼は酒が入らないうちは小心者でコミュニケーション下手、飲み始めれば酒に呑まれるまで飲むので、女の歓心を得られそうなキャラクターであるようには思えなかったのだ。

 楽しそうにお互い何かを言い合っているその様子を見ている限りでは、一応顔の造形は2週間前に会った酔っ払いそのものだったので、思いのほか強めに戸惑ったのかもしれない。

 何となく声をかけて邪魔をするのが悪いような気がして、高魚とその連れの女から少し離れたデッキチェアに座って、高魚がこっちに気づくのを待つことにしたのだが、少し離れてはいたもののそれほど離れてはいない位置どりのせいで、カップルの間でなされた会話が聞きたくもないのに聞こえてきた。


「ねえ、ベイブ。

あんたってかわいい。

まるで世界中の砂糖をすり潰して練り上げて作った、甘さ100パーセントのクリスマスツリーのオーナメントみたい。」

「ああ、わかってるよ、ハニー。

でも、知ってるか?

そう言うおまえも、ラテンアメリカ中の熱帯雨林から掻き集めた蜂蜜全部と比べても話にならないほどスウィートなんだぜ?

俺はさ、思いついたんだけど、おまえの名前のタトゥーを左胸に彫ろうと思うんだ。

右側にはおまえの好きな言葉を、非対称になるように入れるよ。」

「素敵ね、ベイブ。

それなら、『抵抗できない共依存』って入れてよ。」

私もあんたの名前と、同じ文句のタトゥーを入れるから。


 こんなような聞くに堪えない会話がしばらく続いた後、高魚は僕の無遠慮な視線に気が付いたのか、ようやく僕の方を見た。

 僕は自分が気まずい苦笑を浮かべているのがよくわかったが、高魚はそれを全く気にしているようには見えなかった。


「なんだ、てめえか。

俺がハニーと楽しく過ごしているってのに、覗き見とは趣味が悪いな。

恥知らずな。」


 高魚の態度には全く悪びれたところがなかった。

 堂々としたその態度を見るに、手に持っているビール瓶はその日の最初の一本ではなさそうだった。


「連絡しようと思ったんですが、お忙しいところに電話するのも気が引けましてね。

捕まったらラッキーと思うことにして、直接出向きました。

会えてよかったです。

これはお土産です。」


 僕の言葉を聞いて不機嫌そうに鼻を鳴らす高魚に、フォートポイントビアが10本入ったビニール袋を渡した。

 様々な種類のIPAが、色とりどりの缶に入っている。

 同じ色の缶が2本ずつで、1人で飲むには結構な分量だ。

 これで高魚がIPAが好きではなかったら、ただの嫌がらせと取られてもおかしくなかった。


「トロピカルなカラーバリエーションだね。

冷やした方がいいの?」


 ついさっきまで高魚と2人だけの世界を作って満喫していた女が、ふにゃふにゃとした声で喋った。

 日本語のイントネーションに少しおぼつかないところがあるものの、文法は完璧だった。

 日系人かもしれないと邪推をしつつ、僕は彼女に向かって頷いた。


「冷やしすぎると苦みが強調されすぎて良くないと思いますが、ちょっと冷やすだけなら、より美味く飲めるはずです。

IPAはお好きですか?」

「さあ?

飲んで美味しかったら好きかもね。」


 僕と女のやり取りを横目に、高魚は手に持っていたビールの瓶の中身を飲み干し、早速僕が渡した缶ビールを開けた。

 毒気のある赤紫の缶から芳醇な果実の香りが漂ってくる。

 高魚は缶に口をつけ、少し呷り、飲み下して、それから渋面を作った。


(にげ)え。」

「そういうビールなんですよ。

お口に合いませんでしたか?」

「そうは言っちゃいねえ。

ただな、予想外に苦いのに、ちょっと驚いたってだけだ。」


 高魚の膝の上に座った女は自分も飲みたいとせがみ、赤紫の缶を掠め取った。

 誰かに盗られまいとする子供のように、大急ぎで缶に口を付け、それから複雑そうな顔をした。


「うえぇ、苦い。

いい匂いなのに。」


 彼女がそういうのを聞いて、高魚は目を細めた。

 随分親しみの籠った表情で、そんな顔を高魚がするのが僕には意外だった。


「自己紹介が遅れましたね。

僕は塔谷東亀(とうやとうき)と言います。

日本で、高魚さんと同じような仕事をしていまして、その関係で彼と最近知り合ったんです。

よろしくお願いします。」


 僕の自己紹介を聞いた彼女は虚を突かれたような顔をして、高魚の方を見た。


「ベイブ、あんた、そう言えば仕事は何してるの?」


 高魚の親しみの籠った表情は、優しい雰囲気を残したまま、困ったように眉尻を下げる。

 やけに親密そうにしていたけれど、それほど長い付き合いじゃないのかもしれない。


「日本で探偵をやっていたって伝えていないんですか?」

「言いそびれてたんだよ。

こっちはナンシー。

先週ちょっと色々あって、知り合った。

こっちで生まれ育ったから、日系2世ってやつだ。

ナンシー、こいつは、そう、今さっき自分で言ったような名前で、日本からわざわざ仕事をしにサンディエゴまで来た。

こいつともついこの前に知り合ったばっかりだ。

偶然だな。」


 明らかに人を紹介するのに慣れていなさそうな高魚が何とかそこまで言ったのを尻目に、ナンシーは興奮して黄色い声を上げた。

 甘さ100パーセントの砂糖細工のオーナメントが予想以上にハードボイルドな経歴の持ち主だったら、確かにちょっとしたサプライズかもしれない。

 僕ももし自分が興信所勤務ではなくて、新しく知り合った恋人が元探偵だったりしたら、やっぱりナンシーみたいな反応をするだろう。

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