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16.こんなに可哀想な私たち

 背の低い小太りの若い男の昔話はこんな風だった。


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 昔、運命を感じないけれど、何故だかしっくりくる女の子と知り合いました。

 何年前のことだったでしょうか、イベント運営の派遣の仕事で、私はたまたま彼女と同じ班で入場チケットのもぎりをやることになったんです。

 仕事の合間、なんとなく雑談する雰囲気になって、ちょっとからかったら、嬉しそうにしながらも私の肩を殴るんです。

 普段から、あまり綺麗すぎないけれど、愛嬌のある女子に肩の辺りを殴られたいと思っていた私は、ああ、これはいけるな、と思い、彼女の連絡先を聞きました。

 そこから先は本当にあっという間で、こんなに恋愛って簡単だったんだと、目から鱗が落ちる思いでした。


 私もこれでも20年強、この顔と体で生きてきていますもので、私の見た目はお世辞にも見栄えのするものであるとは言えないことは重々承知していました。

 ねえ探偵さん、異性から恋愛対象に見られないまま思春期を過ごした人間が、メンタル、パーソナリティ、プライド、その他もろもろを拗らせてしまうことは想像できますか?

 物心づいてから今に至るまで、私の自尊心はずっと、リーマンショックの後のアメリカのNYダウ平均みたいな落ち方をしているんです。

 毎年50パーセント減ってところなんです。

 もうね、これ以上ないくらいに、この低く愛らしい背丈と、太ましい体つきのせいで、誰にも男として見てもらえない。

 そんな自分を日ごと、月ごとに嫌いになっていく一方で、自分に優しくしてくれる人のことも、同じくらいに下らないものに思えるようになりました。

 よく言うじゃないですか、自分のことを好きになるような相手は好きじゃないっていう、自己評価の低いメンヘラなメンタルの持ち主が、ふざけたことを。

 私の状況を端的に言うとそれなんです。

 英語には、インボランタリー・セリベイトって言葉があるそうですがね。

 インセルって略すらしいんですけど、つまりはそれなんですよ。

 私は望んでもいないのに、性的な禁欲を強要されて、今まで生きてきたわけです。

 つまり私は自己評価のストップ安を、毎日毎月繰り返しながら今に至った、プライドレスな小太りの若いインセルなんですよ。

 生きる価値なんて、その辺の害虫ほどもないような、そんな存在だったんです。


 そんな生き方をしていた私でも、やはり生きていかなくてはいけなくて、まあ言ってみれば、時間を金に換えるようなことを、長々と続けてきていたわけです。

 そういうわけで、女に相手にされないのが当たり前の自分の生活に、肩のあたりを気安く殴ってくれる女の子が登場するなんて思ってもみませんでした。

 ついさっき、恋愛ってこんなに簡単だったんだと目から鱗が落ちたと言いましたが、あれ、ちょっと語弊がありました。

 メンヘラでインセルな私って、こんなに簡単に恋に狂ってしまうんだと、そういう意味でショックを受けたというのが、より正確です。

 ショックを受けつつも、派遣の仕事で知り合って以降、世間一般に恋愛と言われるような一連の行為をしたというわけです。

 2人でお茶しに行って、映画を見て、ご飯を食べたり。

 ご飯の最中、変に意識してしまい、緊張しちゃってお酒を飲み過ぎたり。

 池袋の改札の外で、別れ際、離れがたくなって、たまらなくなってキスをしたり。

 そんな風に誰かを好きになるなんて、なんて自分は浮ついた男なんだろうと思いました。

 そして、そんな私を好きになるなんて、なんて彼女は尻の軽い女なんだろうと思いました。

 彼女が八重歯を見せながらはにかんで、僕の肩を殴って、それから嬉しそうに腕にすがりついてくるのを見る度に、幸せで窒息しそうになるのですが。

 ただ、その一方で、別に大して美人でもないような、愛嬌だけが取り柄の女にしか相手にして貰えないような、くだらない男が自分なのだと、いつもいつも思わせられていたのです。

 自分のことを好きになるような相手は好きじゃないっていう考えは、どうしても心の中から消すことはできなかったんです。

 そんな私と一緒にいる彼女のことを、愛おしいとか、愛らしいとか、そういう感情よりもまず先に可哀想と思っていました。

 彼女の人生のテーマがどういうところにあるのか、彼女にとって人生の伴侶を持つことがどういう意味を持つのか、私にはわからなかったのです。

 それがわからないままに、私の隣で笑っている背の低く歯並びの悪い女のことを、こんな男としか恋愛できなくて可哀想だなと憐れんでいました。

 今から思えば、彼女といることをそんな風にしか思えなかったから、結局その後もなるようにしかならなかったのでしょう。


 私たちの恋愛は行きつくところまで行きついて、梅雨時のじめじめした曇りの日に入籍するに至りました。

 式の代わりを身内の食事会で済ませて、7月になるかならないかぐらいのタイミングで新婚旅行として石垣島に旅行に行きました。

 石垣島、探偵さんは行ったことありますか?

 タイと同じくらい綺麗な海があるところです。

 すごく綺麗なんです。

 そこで彼女と一緒にいた時、初めて自分のダメっぷりとか、彼女の可哀想なこととかを忘れられて、幸せによく似た、それっぽい感情を感じることができたような気がしました。

 でもそれは、言ってみれば、私たちの結婚生活のピークはそこだったと、そういうことだったんだと今になって思います。


 新婚旅行から帰ってきてほどなくして、彼女はパートに出るようになり、少しずつ、少しずつ、身なりが派手になっていきました。

 ただのパートに行くのには不必要な程に濃いアイメイク。

 扇情的な色に唇を濡らすリップグロス。

 彼女は携帯電話を肌身離さないようになり、たまに置き忘れていても、しっかりとパスワードでロックするようになりました。

 不審に思った私は、彼女の携帯から送受信するメールを自動で私のメールアドレスに転送するように設定しました。

 パスワードロックは彼女の誕生日だったので、簡単に解除出来ました。

 あるいは、解除して欲しかったのかもしれません。

 結論から言えば、彼女はパート先だったピザ屋の店長と不倫をしていました。

 昼の営業が終わった後、夕方にもう一度店を開けるまでの間に、店長の運転するダイハツミラーでラブホテルに行っていたんです。

 転送されてくるメールに、ピザ屋の店長と彼女のじゃれ合うような言葉のやり取りがしっかりと書かれていました。

 私の妻である女が私ではない他の誰かと、私とはしたことのないようなことをして、それがとても良かったから今度またしたいと、そんなことが延々と書かれてあるんですよ。

 挙句の果てには、ホテル代がもったいないからと、私たちのアパートに来て、そこで()()に及ぶようになりました。

 こんなに開けっぴろげに不倫していたんじゃ、世の興信所経営者のみなさんの仕事なんて早晩なくなってしまうんじゃないかと思うくらいの大胆さでした。

 いつからそんな関係だったのかはわかりません。

 転送設定していたメールでは、2人の馴れ初めは確認できませんでしたから。

 でも、ピザ屋の店長は、実は結婚前からの知り合いだったのかもしれません。

 私と知り合う前からそういう関係だったのかもしれません。

 ピザ屋の店長には奥さんがいて、そんな彼の気を引きたいがために、彼女は私と恋愛し、その延長で入籍にまで至ってしまったのかもしれません。

 彼女の側からすれば、ただの不倫のカモフラージュだった私こそが、可哀想な男だったのかもしれません。


 浮気の証拠固めは簡単なものでした。

 私たちの小さなアパート、1LDKの玄関とリビングと寝室に超小型隠しカメラを設置するだけ、それだけです。

 浮気の現場がわかっていたからこそ、こうしたことができたわけですが、そうでなければ超小型カメラの調達には二の足を踏んだかもしれません。

 動作検知と赤外線暗視機能のついた超小型カメラはまだ今みたいに安くありませんでした。

 ICレコーダーによる録音も考えたのですが、録音された音声を文字起こしする手間の方が、高い超小型カメラを買うための出費よりも大事のように思えました。

 証拠としてはそれで十分だったので、それはそれでよかったのでしょう。

 下手に生々しい内容の会話を聞いていたら、私の神経がおかしくなっていたかもしれません。


 全てが露見したのは10月の空の高い良く晴れた日の昼下がりで、私は彼女の両親と、それから不倫相手の配偶者と一緒に、2人が情事を楽しんでいる現場を押さえたのでした。

 アパートのドアの鍵を開けた際に結構な音がしたはずなのに、彼らはお互いを貪り合うのに夢中で、彼女の両親と、それからピザ屋の店長の奥さんと一緒の私が寝室のドアを開けるまで、アパートに私たちが入ってきたことに気づきませんでした。

 私にとって義理の両親になったばかりの中高年2人は憤り、ピザ屋の店長の奥さんは金切り声を上げました。

 不倫の現場を捕まった裸の男女は半狂乱になりながらも、「誤解だ!」とか、「違うの!」なんてことをぼやいていました。

 事前に予定を開けてもらっておいた弁護士に駆けつけてもらうように連絡した後の私は、特にやることがなくなってしまったので、どうにも誤解のしようのない状況にいる彼と彼女の何が違うのだろうとぼんやりと考えながら、大の大人が泣いたり叫んだり喚いたりする様子を見ていました。

 といっても、いつまでもそうしているわけにもいかないので、裸の2人に服を着せて、義両親とピザ屋の嫁を落ち着かせました。

 弁護士がすぐに来るので、それまでは静かにして待っているようにと伝えると、インスタントコーヒーを人数分出すことにしました。

 人数分の湯飲みがなくて、大きさも色もバラバラのマグカップを人数分用意してどうにかこうにかコーヒーを供したのですが、みんながみんな、やたらと砂糖を入れていたのが印象的でした。

 私もたくさん砂糖を入れたのですが、全く味なんかわからなかったです。


 やがて弁護士が到着し、小型カメラで撮影した動画のスクリーンショットを淡々と不倫していた2人に提示したところで、ピザ屋の店長の緊張の糸が切れたのか、大声を出して席を立つと、すっかり冷めてしまったコーヒーの入ったマグカップを私に投げつけました。

 私を怯ませようとしたのかもしれませんが、彼のコントロールが良すぎたのか、マグカップは私の額に当たり、内出血を起こして額が赤黒く染まりました。

 不倫していたピザ屋はそのまま逃亡を図ったのですが、義理の父がどうも柔道の有段者だったらしく、あっさりと足を引っかけられて狭いアパートの床に転がされました。

 その様子を見て、私の妻はピザ屋の店長に駆け寄り、「酷い、酷い」と喚き散らしました。

 

「どうしてみんなして、私たちをいじめるの?

私たちはただちょっと結婚した相手以外を好きになっちゃっただけなのに。

どうしてこんなに可哀想な目に合わなきゃいけないの?」


 床に転がった不倫相手を庇いながら、私と弁護士と、ピザ屋の妻と、自分の両親を睨みつけて、彼女はそう言いました。

 結果としては、それが私が直接聞いた彼女の最後の肉声となったわけですが、その時私はものすごく色々なことが腑に落ちました。

 彼女も、彼女自身のことを可哀想だと思っているんだということがわかって、目の前がぱあっと開けていくような気がしたんです。

 どんよりと暗かった世界が明るくなったというか。

 どうしてなんでしょうね。

 そんな感覚を覚えたのは、後にも先にもあの時だけでした。


 その後の手続きは全部弁護士に任せました。

 私がその後にしたことと言えば、彼女の署名入りの離婚届を弁護士から受け取り、役所に出しただけです。

 それから、もはや他人となった元義理の両親から数百万の慰謝料が振り込まれたことを確認し、そこからいくらか弁護士に支払った、それくらいのものです。

 元妻の不倫相手からも慰謝料が振り込まれるはずだったのですが、彼はピザ屋の経営をほっぽりだして、夜逃げして姿をくらませました。

 一連のあれやこれやが一段落したところで、小太りで不細工な私は、やっぱり自分の人生は、自分らしいやと、そう思いました。

 いくら歯並びの悪い可愛くない女とでも、自分が結婚できるなんて、何か裏があるに違いなかったのだ、と。


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「それ以来、私は休暇の度にタイに来て、金で買える人間関係を楽しむことにしているんです。

始まる前から終わってた私の人生が、更にダメになる代償として転がり込んできたあぶく銭をすっかり使い切ってしまうまでは、こうし続けるつもりなんです。

どうせ私が何をやったところで、私の生きる世界はどんよりと暗いままなんですから。

どうですか、探偵さん。

探偵さんは、私のことを可哀想だと思いませんか?」


 長い話の後の、中年男が同意を求める言葉に、僕は何も答えられなかった。

 そんな質問を見ず知らずの僕にするこの男の神経を疑いたいところだったが、まともな神経はバンコクのゴーゴーバーにたどり着くまでの間に、燃えないゴミの日にでも捨ててしまったのだろう。

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