15.終わってる人生を更にダメにした話
世の中にはフィクションも真っ青になるくらいに、色々な種類の偶然があるものだ。
僕は運命論者でもないし、あまりにも出来過ぎた話を聞くとどうしても疑ってかかってしまう方だけれど、その手の偶然を自分で一度も経験したことがないというわけでもない。
パタヤでの胡散臭いサングラスの日本人男性との出会いが正にそうで、サングラスとパナマ帽を外した男の顔は、年が明ける前に依頼主から見せられた捜査対象のそれだった。
サンミゲルライトの瓶の中身を飲み干した男は、パタヤの真昼の暑さに耐えかねたのか、タオル地のハンカチを取り出して脂ぎった顔の上の汗を拭った。
口の回りを拭き、首筋を拭い、それからおもむろにサングラスと帽子を取ったら、アルコールのせいなのか、それとも暑さのせいなのか、真っ赤になった日本人中年男性の顔が現れた。
妙に見慣れた印象があるなと思ってたら、視線が変に思われたのか、怪訝な顔をされた。
「なんだよ兄ちゃん、さっきの話のファランに同情してんのか?
それともファランを殺して身ぐるみ剥ごうとするバービア嬢を哀れに思ったのか?
そんな辛気臭い顔すんなよ。
折角パタヤにいるんだ、アホになって楽しもうや。
何だったら、今から俺が楽しめるところに連れて行ってやろうか?
今日は無理?
じゃああれだ、明日か、それか明々後日の夜はどうだ?
しょぼくれた気分なんか一発で吹っ飛ぶようなところに連れて行ってやるよ。」
そうして僕らは連絡先を交換した。
LINEのQRコードを表示する時、彼はバービア嬢とゴーゴー嬢の名前がずらりと並んだ自分のトーク履歴画面を僕に見せた。
「まあこっちじゃ俺も顔の広い方だからよ、あれだったら何人か紹介してやってもいいぜ?
タイムラインに嬢と一緒に取った写真があっから、いいなと思うのがいたら言ってくれよ。
ま、その代わり、兄ちゃんもいい嬢と会ったら、どんどん俺に紹介してくれよな。」
教えてもらったLINEのタイムラインにあった写真を送り確認を取ったところ、依頼主は捜索対象で間違いないと明言してくれた。
日本を出てから60時間も経っていなかった。
割とあっさり解決することの多い、家出人の捜索案件の中でも、記録的に早い進捗だった。
3日後に海沿いのバービアで待ち合わせする約束を捜索対象と取りつけて、依頼主にその日の昼までにパタヤに来てくれるように頼んだ。
約束の日の夕方に依頼主と合流した後、待ち合わせをしているバーで別々の席に座って、落ち着かない気分で捜索対象が現れるのを待った。
捜索対象にすぐに気づかれないように、依頼主に大ぶりのテンガロンハットと、道端で買った偽物のレイバンのサングラスをかけてもらったのだが、そうするとどことなく捜索対象に雰囲気が似たのがちょっとおかしかった。
「血は争えないってことですかね。
厄介事ばかり起こして人に迷惑をかけてまわるようなところは、どうにか似ていないままでいたいものですが。」
笑いをこらえきれないでいた僕を変な顔で見た依頼主に何がおかしかったのか説明すると、浄土庭園で会った時のように、感情の読めないトーンでそう言った。
依頼主の様子は冷静を装っているだけで、捜索対象を目の当たりにすれば何らかの感情の起伏が見られるのだろうかと僕は考えながら、ジンジャーエールを啜って、彼の父親が現れるのを待った。
その間、バービアに満ちた喧騒をよそに、花火を思わせる彩りの太陽がゆっくりと海に向かって沈んでいった。
依頼主の父親が、キャミソールにショートパンツという、極めて露出度の高い若い女を連れて現れたのはそれから30分ほど後のことだった。
依頼主と同じように帽子とサングラスを身に着けている捜索対象に向かって僕が片手を上げて合図すると、海賊か何かのように、凄みのある大きな笑みを口元に浮かべた。
既にどこかで随分飲んできたのか、彼の顔の赤いのが、以前に昼間に会った時よりもはっきりと、まだ始まったばかりの夜の暗さの中で見て取れた。
もう少しアルコールを入れたら、馬鹿みたいにヒールの高いサンダルをはいた隣の若い女みたいに、よろめきながら歩き出しただろう。
もっとも、彼が椅子に腰かけるやいなや、スタッフが注文を取りに来る前に依頼主が彼の後ろに回り、その肩に手を置いたので、捜索対象が千鳥足になる様子を見ることはなかったのだが。
パタヤのウォーキングストリートで流しの白タクを拾うと、捜索対象が泊まっていた安宿に寄って家探しをし、それから荷物を全部持ってスワンナプーム国際空港まで移動した。
依頼人の父親の荷物の中に、持ち逃げされていた金が半分以上残っていたのは、僕からしてみれば不幸中の幸いだった。
家出人と一緒に持ち出された金品はあっという間になくなってしまうのが普通なのだが、タイに来てからまだ1週間も経っていなかったので、それだけの金が取り戻せたわけだ。
と言っても、金を半分と少ししか取り戻せなかった依頼人も、高跳び用の資金を差し押さえられた捜索対象もお互いに不満そうで、空港へ行くまでの車内では、どちらもそれを隠そうともしていなかった。
特に依頼主はこの後、当日発券の高すぎる航空券を購入しなければならなかったわけで、さすがに彼のポーカーフェイスも崩れかけていた。
手荷物検査を済ませて、出国手続きへと進むのを見送った時も、なかなかに不機嫌そうな顔をしていたので、それは僕の気のせいではなかっただろう。
彼らを見送った後、僕はLINE通話で蟹沢さんに仕事が終わった旨を連絡した。
帰国便のチケットが高くついた依頼主が仕事の成功報酬を値切ろうとしてくるかもしれないと僕が言うと、蟹沢さんは笑った。
「そういうことなら、亀やんはもう数日タイにいていいから、なるべく安い飛行機のチケットで帰ってきてくれよ。
今からでも経費を節約できる分は、そうしておくにこしたことはないだろうし。」
パタヤのホテルに置きっぱなしにしてある自分の荷物を回収しなければならなかったので、個人的にもそのつもりだった。
その時点で午前0時になろうとしていたので、翌日改めてバスでパタヤに戻ることにして、宿を探しにタクシーでバンコクに向かった。
夜の遅い時間だからか、タクシーは渋滞に引っ掛かることもなく、滑るようにバンコクの中心部へと向かう。
調子良くスピードを出すタクシーの窓を少し開けると、生ぬるい風が独特のにおいと一緒に車の中に入ってくる。
そのにおいをかぎながら、後ろに流れていく窓の外の景色を見ていたら、LINEの着信音が携帯から鳴り出した。
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何日か前に知り合ったのと同じ店の並びで、若くて背の低い小太りの男と合流した時、彼は既に酔っぱらっていて、路上にへたり込んでいた。
その傍らには半裸の若い女たちが3人いて、彼のことを見ながらペットボトルの水を飲んでいた。
僕を見つけると、彼はにこにことした顔で大声で、探偵さん、と僕に呼びかけた。
そう言えば、LINEこそ交換したものの、名前を教えていなかったな、と僕は他人事のように思った。
「すみませんねえ、探偵さん。
夜中に急に呼びつけちゃって。
うっかりしていて、財布をなくしちゃったみたいで。」
結構飲んでいるように見える割にはしっかりした口調で、背の低い小太りの若い男は言った。
状況から察するに、彼の周りの若い女たちは店の従業員で、金がない彼を逃がさないように取り囲んでいたのだろう。
僕は彼女たちに支払いはいくらか聞いた。
彼女たちはタイ語で何かを確認し合って、それから3万バーツだと言った。
ぼったくられているんだろうなと思いつつも、僕はUSドルでなら即金で払えると伝えた。
再び彼女たちはタイ語で話し合い、それから黙った。
異論はないということなのだと解釈した僕は、彼女たちに1000USドル払って、小太りの若い彼の肩を支えてその場を後にした。
「探偵さん、大丈夫ですよう、自分で歩けますよう。」
背の低い小太りの若い男は、甘えるような口調でそう言ったが、僕は問答無用で彼を車道まで引きずっていった。
これでもかという数の夜の店がひしめきあった区域から抜けると、適当な露店の椅子に彼を座らせてようやく一息つけた。
彼は座るや否や、店員にビールを注文していたが、僕はそれを止めてペットボトルの水を買い、ほとんど無理やり彼に飲ませた。
大丈夫、大丈夫、と繰り返す彼は、僕が一切笑っていないのを見て怖気づいたのか、ぼやくのをやめて大人しく水を飲んだ。
ペットボトルの水を飲みほした彼に、コーラを別で買って与えると、少し飲んだ後に、炭酸が染みたのか、短く「ああ」と言って、彼は下を向いた。
僕は何も注文しないまま、黙って彼の隣の椅子に座ってその様子を見ていたら、店員が何も注文しない僕を咎めるような視線で見てきたので、ビールを頼んだ。
瓶ビールの栓が開く音を聞いた彼は顔を上げて、ビールを呷る僕を恨めしそうにみて、もう一度「ああ」と呻いた。
「すみませんねえ、探偵さん。
何か、こんなことになっちゃって。」
まったく申し訳なさそうに聞こえない背の低い小太りの若い男に、僕はお互い様だと答えた。
「酒癖の悪い親戚の面倒をよく見ていたから、こういうのは慣れているんで、大丈夫ですよ。
それに、数日前にいい情報をもらったお礼です。
まあ、ちょっと高くつきましたが。」
「慣れてて、お礼で、お互い様ですか。
ははっ。
そうですか、それはありがたいですなあ。
そういうのは、もうずっと遠いところに置いてきたと思ったもんですが、そうですか。
こんな親切に巡り合えるなんて、ありがたいですなあ。」
自虐的に笑いながら、独り言めいたことを言う彼を見て、僕は不意にパタヤで聞いたファランの話を思い出した。
屋上から飛び降りることを選ぶ、生まれた国で人生が上手くいかない男たち。
若いけれど小太りで背も低い彼は、その容姿のせいで、日本ではあまり好ましくない社会生活を送ってきたのかもしれない。
少なくとも若い女性に人気があるようなタイプではないだろう。
「ねえ、探偵さん。
ちょっと、愚痴に付き合ってもらえやしませんか?
こんな若造のぼやきなんて、聞けたもんじゃないかもしれませんが。」
「何か嫌なことでもあったんですか?」
「嫌なことって、そりゃあねえ。
財布もなくなるし、金がなきゃバンコクでも誰にも相手にしてもらえないし。
嫌なことだらけですよ。
でもね、探偵さん。
自分がしたいのはね、昔話なんですよ。
昔々で始まる、しょうもない不細工の若い男が、終わってる人生を更にダメにしちまった下らない昔話なんです。」




