14.俺はファランで最高にクソなフェイク
サッカー見てたら更新のタイミングを逃しました…
サンノゼからサンディエゴに戻る短いフライトの間、僕はその年の頭に受けた依頼でタイに行った時のことを思い出していた。
それは失踪した60代の父親を探してほしいという話で、依頼主は40になるかならないかくらいの個人事業主の男性だった。
依頼主と会ったのは大晦日の前日のことで、称名寺の浄土庭園の橋がよく見えるベンチで落ち合った。
年末だったけれど、空気が澄んでいて、海の方から吹いていると思われる風の冷たいのが心地よかった。
依頼主は事業の金を持ち逃げされたと言いながらも怒った様子はなかった。
呆れているのか、あるいは困り果てているのか、彼がどういう心情なのかは計りかねたが、父親の行先がある程度絞れていることをそれなりの根拠と併せて示してくれるのは、依頼される側としてはありがたかった。
父親のスマートフォンの設定を依頼主が代わりにやってあげていた関係で、地図アプリの履歴をPCで追うことができたらしい。
まかり間違って電話が勝手に飛行機に乗って移動したなんてことがない限り、父親はタイのバンコクにいるはずだということだった。
年が明けてすぐタイに行って仕事に取りかかったのだが、案の定簡単な案件で、捜索対象がパタヤに行ったらしいことを割と早い段階で突き止めることができた。
大変だったのは中年男性が行きたがるであろうバンコクの夜の街での聞き込み、もっと言えば、水着なのか下着なのかよく分からない服装の若い女を侍らせた日本人中年男性グループの応対くらいものだった。
この世界が明日で終わりであるかのように、恥も外聞もなく欲望を丸出しにして大騒ぎしている彼らをなだめすかして、捜索対象を見たことがないか聞くこと自体は簡単だったが、そうし続けるのは精神的にきつかった。
そっち方面の紳士御用達の店の並びでそうやって地道に聞き込みをし始めて30分経つか経たないかというところで、数日前に怪しげなマッサージの店で捜索対象と一緒になったという、若くて背の低い小太りの男に行き当たったのは幸運だった。
その男は対象らしき男とLINEを交換したらしく、情報交換がてらの簡単なやりとりの中にパタヤの店の看板が大きく映っている写真があった。
若くて背の低い小太りの男は親切にもその写真をLINEで僕に転送してくれた。
その上、向こうから追って連絡があったらすぐに教えてくれるとまで約束してくれた。
素行は全く持って褒められたものではないが、根はいい奴だったのだろう。
無事に捜査対象を見つけてバンコクに戻ってきたらお礼をさせて欲しいと、若くて背の低い親切な小太りの男に言って別れ、僕は次の日の朝早い時間の長距離バスでパタヤに向かった。
朝の8時過ぎに着いたパタヤでは、その前の夜からいるだろう酔っ払いがあちこちを徘徊していたり、路上で寝ていたりしていた。
年末年始だからなのかとも思ったが、ウォーキングストリートに並ぶ店の軒先から垂れ下がる電飾のついていない安っぽいネオンサインが太陽に照らされてみすぼらしさすら感じさせるのを見ていたら、きっといつもこうなのだろうと何となく納得できてしまった。
バンコクの東バスターミナルでスマートフォンからホテルをアーリーチェックインで予約していたので、スムーズに部屋に入ることができた。
昨日の夜が遅く、その日の朝が早かったためだろうか、疲れていたのでエアコンを付けて、白すぎる気がしないでもないシーツの敷かれたベッドに寝そべった。
そのまま眠ってしまったらしい。
上の階から大音量のディスコポップが鳴り出して、うるさくて目を覚ました時、昼の12時を回っていた。
スマートフォンと財布だけ持ってホテルから出て、適当な屋台で適当なタイ風ラーメンを食べた後、土地勘を作るべく海の方へ向かってふらふらと歩いていたら、何人かの女が一斉に叫ぶ声がして、その後に男の野太い声が英語で毒づくのが続いた。
対して何も考えず、声のする方へ近寄っていくと、背の高いコンドミニアムが何棟も経っている敷地のセキュリティゲートが開けっ放しになっていた。
敷地の中にある入居者用であろうプールの周りに人垣ができ始めていて、その真ん中にはだらしなく贅肉のついた白人の男の体がうつぶせになって倒れていた。
開けっ放しになっていたゲートを通って、野次馬連中の後ろについて目をこらしてみたら、男の体からは血が結構な勢いで流れ出していて、裸で寝ている男の体の周りに、コンドミニアム備え付けのものとはまた別の赤いプールを小さく作っていた。
プールに入ろうとして足でも滑らし、頭でも打ったのにしても、水着も身に着けていないのは何故だろうと思って見ていると、野太い声の英語が「あの女に突き落とされたんだ、そうに決まってる」というようなことを言っているのが聞こえた。
その言葉に思わず声が漏れそうになったところに、別の野次馬が日本語で独り言を言うのが聞こえたので、そっちを見たら濃い色のサングラスがこっちを向いていた。
「うへぇ。」
そう言っただけの男は、すぐ隣にいた別の野次馬から凝視されるとは思っていなかったのか、驚いたように口を開けた後、にやついて日本語で話しかけてきた。
「沈没したファランとバービア嬢の痴情のもつれみてえだなぁ。
酷えもんだよ、なぁ?」
タイに初めて来た僕はその時までファランが白人のことで、バービア嬢というのが格安のビールを出すバーで客引きをするプロの売春婦のことだというのを知らなかった。
戸惑いながらも曖昧な相槌を打った僕に、その男はにやけた笑いを一層はっきりしたものにした。
「ああいうのは、長期契約と自由恋愛を混同しちまって起こる悲劇だよ。
言うなれば、パタヤ名物だな。
兄ちゃん、パタヤは初めてか?
暇なら飯でも付き合えよ、案内してやるから。」
白いパナマ帽に丸いフレームのサングラスをかけたその男は僕を近くのバーに引っ張っていった。
カウンターに陣取って、ビールとピザとサンミゲルライトを注文すると、僕らの両脇に派手な格好をした若いタイ人の女たちがやってきて、一緒に飲まないかと言ってきた。
男があまり丁寧な感じのしないジェスチャーでそのつもりがないことを示すと、女たちはタイ語で何か言って離れていった。
「ここのバービア嬢はスタイルがいいんだが、がめついんだよ。
レディースドリンクはがんがん頼むし、自分につける値段だって強気なんだ。
ゴーゴー嬢かってくらいにな。」
ゴーゴー嬢というのが何かわからない僕はサンミゲルライトを黙って啜った。
「まあ、あれだ。
兄ちゃんくらいの若さだと、ああいう強気で若くてスタイルのいい女がいいのかもしらんが、物には相場ってもんがあんだよ。
俺からしたら、ありゃ法外だな。
自分を何様だと思ってんだって話だよ。」
この男のバービア嬢に対する持論は、ウェイトレスがあまり美味しそうに見えないピザを持ってくるまで続いた。
手でつかんで口に放り込んだピザはやはりあまり美味しくなく、ビールで胃の中に流し込んだら、脂っぽい後味が口の中に広がった。
僕はさっきのプールサイドの白人の話は何だったのかと、胸焼け気味の不快感をごまかしながら聞いた。
「あれな、あのファランな。
ああいう手合いはな、生まれた国で人生が上手くいかなくて、しょうもない自分の生き方を変えたくてパタヤに来たんだ。
で、自分の国でしこしこ貯めた小金を物価の安いタイに持ち込んで、金で女を自由にして、吐くまで酒を飲むんだ。
薬やってる奴らもいるらしいけど、俺が見聞きした限りじゃ、酒と女にハマってる奴らの方が圧倒的に多いな。
で、それからは、こっちとあっちを行ったり来たりだ。
国でつまんねえ仕事をやって貯めた小金がある程度の額になったら仕事を辞めてパタヤで使う。
金と肌の色を見てちやほやしてくれるバービア嬢と、自分と似たようなダメ沈没ファランに囲まれて、ようやく人生が上手くいき始めたような気がする。
滞在期間が長くなると、節約志向になるのか、あからさまに金で女をどうにかしてるって感覚が嫌になるからか、ファランは特定の女と長期で契約する。
でも、そんな生活はいつまでも続けてられない。
金が切れたらそれで終わりだ。
契約してた女に一服盛られて、コンドの屋上から自殺に見せかけて突き落とされるのも良くある話だ。
一番悲惨なのは心が擦り切れる場合だな。
一本だけ細く繋がってた正気の糸がぷっつりと切れてダメになる。
故郷で上手くいかなかった人生をやり直したくてパタヤまで来たってのに、また違う種類のダメさ加減にまみれた人生に取り込まれただけって気づいて、耐えられなくなる。
『ねえ、あんた、最高にフェイクね。』ってなもんだ。
で、心が折れたファランは、自分で自分に言い返す。
『ああ、そうなんだ、俺は最高にクソなフェイクだよ。』ってな。
で、気が付いたらビールをがぶ飲みして、コンドの屋上の転落防止用の手すりをよじ登って、超えて、飛んじまう。
比喩的な意味じゃなくて、物理的にな。
そうなっちまえば、その背中を商売女が押してるか押してないかなんて誤差みたいなもんだ。」




