13.亀と泣くには手遅れで
思った以上に健啖家だったナタリアが、僕の注文だったはずのオリーブのフライもスパニッシュオムレツもぺろりと平らげるまで、月見之介とミシェルについての話は中断した。
その間、僕は、並んだ注文の中で唯一ナタリアに掠め取られなかったブルームーンを少しずつ飲みながら、ミシェルが手掛けていた詐欺と、それに巻き込まれた月見之介のことを考えていた。
さっきナタリアから聞いた話では、詐欺の仕組みに月見之介が関われそうなところは何一つなかった。
食べられるだけ食べて人心地ついたナタリアにそのことを改めて聞いてみると、オフィスを借りるための金づるにしか見られてなかったんじゃないかとのコメントが得られた。
「投資してもらってる人間のうちの一人みたいな扱いだったんじゃないの?
詐欺のスキームにとって重要だったのは、シリコンバレーに慣れてないエンジニア志望者をどんどんリクルートできる自分とカナダ国籍の女がいることだったんだし。
そのためには最初の最初に金があるフリをする必要があったから、そのためだけに引っかけられたとしか思えないけど。」
「それはすごく説得力のある話だ。
ナタリアの覚えている範囲で、月見之介がミシェル以外の誰かとよく話していたとか、そういうことはなかった?」
「まったく。
そもそもあんまりオフィスに来なかったし、来た時にしても、いつもダイニングに居座って一人でiPhoneいじってるところしか見たことなかった。
今年の半ばにオフィスの更新があった時には、もう来なくなってたような気もする。」
「それって、具体的には何月くらい?」
「5月か6月くらい。」
月見之介がL.A.への飛行機を手配しているのは、クレジットカードの履歴によれば6月のことだった。
「ちなみに、ミシェルたちが使ってたオフィスって、まだ契約は継続中?」
「いや、さすがにもう契約は切れてるな。
うちのコワーキングスペースに著しい風評被害を与えたってことで、契約終了にした。」
「風評被害って?」
「詐欺に使われてたんだから、うちにとっちゃ酷いイメージダウンだよ。
オフィスの更新があってすぐに詐欺の被害者が騒ぎ始めて、あの女とカナダ国籍のリクルート担当は雲隠れしたんだ。
オフィスの所在地がうちだからって、被害者本人から、その友人、家族、それから伝手で雇われた弁護士に、香ばしい話を聞きつけたジャーナリスト、その上、被害者の出身国の外交官までうちに押しかけてきて、責任者を出せって言うんだから、本当に参ったよ。」
「警察は来なかったんだ?」
「訴状が出される前に連中が逃げたからな。
最初に騒ぎ出した被害者が金だけ返せば警察に訴えないって言いながら、ダラダラやってる間に、連中は証拠と一緒に姿を消した。
企業へのエンジニア派遣契約については、エンジニア個人と企業の間の契約になってて、その文面にはビザやグリーンカード取得のスポンサーになるなんてことは一言も書いてなければ、詐欺師の名前すら出てこないような代物だったから、そっちの方でも起訴するだけの証拠は挙がらなかった。」
「領収書は?
企業から金を受け取っていたって話だったと思うけど?」
「企業からの金はエンジニアに直接支払われてて、その後にエンジニア側が詐欺師連中にコミッションを払ってたって話だよ。
しかも、現金を直接連中に渡してて、領収書の発行もなかったんだとさ。」
「よく領収書もなしに金を払う気になったな、そいつらも。
そもそも自分の手取りからコミッションを払うなんて話もおかしいし。」
「シリコンバレーはそういうところだと思ったんじゃないの?
あるいは、詐欺師の女たちに適当に転がされたとか。」
「シリコンバレーの男たちってのは、詐欺師に対して特別なフェティシズムを持っていたりするのかな?」
「さあ?
シリコンバレーなんて、物好きな男しかいないから、そういうこともあるのかもね。」
そこまで話すと、ナタリアは腕に着けられているウェアラブルの時計を見た。
そろそろ帰りたいのかもしれないと思い、僕はカウンターの向こうのバーテンダーに伝票を頼んだ。
ナタリアはまだ残っているシャンパンをボトルから自分のグラスに注ぎなおして、それから少し迷った後、僕の手元にも置いてあった未使用のシャンパングラスにも琥珀色の液体を少し入れてくれた。
僕とナタリアがグラスに口を付けたところで、店のエントランスのドアが開いて、グループの客がぞろぞろと店に入ってきた。
バーテンダーが客をテーブルに案内しに行ったのを見ながら、伝票がもらえるのはしばらく時間がかかりそうだと思っていると、不意に何か思い出したように、ナタリアが口を開いた。
「そういえば、一度、葉書が届いたことがあったの、忘れてたわ。」
「葉書?」
「そう。
あの男からね。
砂漠とサボテンの写真のやつで、アメリカなんだかメキシコなんだか全然区別がつかないの。
裏に中国語っぽい詩が書いてあって、何だか気持ち悪かった。」
「月見之介から?
興味深いね。
見てみたいんだけど。」
「気持ちが悪いのを?
物好きな男だね、本当。」
「シリコンバレーなんて、物好きな男しかいないところだって言ってたのは誰だったっけ?」
「あんたはシリコンバレーに来たばっかりでしょ。」
なかなか来ない伝票を待ちながら、僕らはそんな風にひとしきり軽口を叩きあった。
かなり待たされたが、その間に葉書の写真を撮って送ってもらうよう頼めたので、結局はそれで良かったのかもしれない。
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次の日、オープンスペース、南アジア系の男の斜向かいの席でラップトップのキーボードをたたいていると、ナタリアがやってきて僕に葉書をくれた。
「手元に置いておきたくないから、そのまま持っていって。」
ダイニングに移動して、紅茶入りのティーカップ片手にソファに腰を落ち着けると、開口一番ナタリアはそう言ったので、僕は苦笑してしまった。
その前の夜にナタリアが気持ち悪いと言ったのは、結構本気だったのだろう。
砂漠に生える巨大なサボテンの隙間から満月が顔を出している写真の裏には、日本語の短歌とその対訳が3対、小さいけれども几帳面な綺麗な字で書いてあった。
末二年 亀と泣くには 手遅れで
鶴の来るのを 待つも早すぎ
下加州の 南で寝なむ 流れ月
夢の過ぐ間に 浮くは鶴鰐
鰐浮ける 瞼の裏に 雨降れり
続く砂漠は 渇き切れども
「『鶴の来るのを待つ』か。
何で鶴なんだろう?」
「鶴だったら、あれだよ、あの女の苗字。
Grueって書いて、フランス語で『鶴』って意味。
本名かどうかは知らないけどね。」
「フランス語わかるの?」
「5か国語は軽いね。
うちのオフィス、マウンテン・ビュー駅の目の前にあって、例の会社からも例の大学からも近いせいで、金の余った外国籍の企業からの引き合いがちょくちょくあんのよ。
そういうのに対応できるスタッフを結構なお金で雇ってるってわけ。」
「恐ろしい話だね。
その上、オフィスの契約内容に応じて歩合制で給料上がっていったりするの?」
「あたりまえでしょ。
稼げる仕事じゃなかったら、この土地でまともな生活なんて送れないっての。」
冗談のつもりで叩いた軽口を真正面から肯定されて、僕は二の句が継げなくなった。
さすが資本主義の本場の国の、さらに先鋭化された最先端を担う土地だとでも言うべきだったのだろうか。
「じゃあ、鰐っていうのは?」
「それは私。
苗字がCrocodiloで、そのものずばり、ポルトガル語で鰐って意味。
ぴったりでしょ?
私、強いし。」
何とも返答のしにくいナタリアのコメントを他所に、俳句の上に無造作に押してある消印を見てみると、人間の太ももからひざ下にかけての脚の形をした黒い塊が、円形にあしらわれたBaja Californiaという文字で囲まれていた。
僕がそれを指でなぞるのを見て、ナタリアは独り言のようにぼやいた。
「バハカリフォルニアかあ。
今の時期は雨が降るけど、暖かくていいだろうなあ。」




