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10.焦げ臭いサンノゼ

 ボーイング737から降りると、どことなく空気が焦げ臭いような気がした。

 カリフォルニアの北部では山火事が酷いというニュースを見ていたけれど、これほどはっきりと臭うとは思っていなかった。

 1年半前、サンフランシスコにいた時はこんな匂いを嗅いだ覚えはなかった。

 太平洋から吹き込む潮の匂いのせいか、あるいは風向きの関係か。

 空港からの移動に使ったUberの車窓から見える夕方のシリコンバレーが暮れていく様子は赤く煙っていた。

 パロ・アルトの西、スカイライン・ブルーバードの向こうへと落ちていく太陽は、消える直前の熟れた線香花火の炎を思わせた。


 サンノゼ市内の中心部、交通の便のいいところに、経費が実費精算でなければ絶対に取らない価格の宿を確保しておいたので幾分気は楽だったが、ホテルの部屋に入った途端、疲労がどっと押し寄せてくるのはサンディエゴに着いた時と同じだった。

 本当は何件かしておきたい連絡もあったのだが、睡魔に勝てずにそのままクイーンサイズのベッドに体を横たえて朝まで眠った。

 今回は時差ボケでもなく、移動距離も時間も太平洋横断と比べてずっと少なかった。

 それなのに、どうして飛行機に乗るとこんなに疲れてしまうのだろうか。


-------------------------


 宿泊先から、最寄り駅であるサンノゼ・ディリドン駅までは歩いて10分程だった。

 サンフランシスコ方面行きのカルトレインに乗り、20分ほど揺られるとマウンテン・ビューに着いた。

 綺麗に整えられた街並みが統一感を出しつつも、個性のあるレストランや店が立ち並ぶカストロ・ストリートを南へ向かい、ちょっと右手に入るとすぐに目的地のコワーキングスペースが見えた。

 クレジットカードの履歴が正しければ、 僕とサンフランシスコで別れた後の月見之介はそこのスペースを半年以上の間、借りているはずだった。

 奇妙なオブジェがそびえ立つエントランス前を通り過ぎて5階建てのビルの中に入るとレセプションがあった。

 デスクにはウェーブのかかった黒髪の女性がいて、スマートフォンをつまらなさそうにいじっていた。


「こんにちは。」

「どうも、ご用件は?」


 僕が想像していたよりもずっとまともな返答が返ってきたのに驚いていると、彼女はこっちを見た。

 黒い瞳に太い眉。

 肌は白いが、彫りはそれほど深くない。

 ラティーナだとひと目でわかる顔立ち。


「あの、ご用件は?」

「ああ、すみません、ちょっと驚いてしまって。

知り合いによく似ていたものだから。」


 心にも思っていない言い訳を口にしながら、もっと上手いいい回しがなかったのかと、自分が自分で嫌になった。


「もしコワーキングスペースを探しているんでしたら、来月まではオープンスペースのデスクしか空いていませんよ?

会議室の利用のみならまだ余裕がありますが。」


 機転を利かせた彼女が切り出してくれた話はありがたかったが、スペースを借りるつもりなどなかったので、返答に困った。


「ちなみに、今ならオープンスペースのデスクは1週間利用だと30%オフです。

他所のコワーキングスペースからの引っ越しであれば、さらに20%の割引ができます。

ネットワーキングイベントも今週は3つ企画されていて、その全てに参加する権利が得られるので、非常にお買い得です。」

「実は、コワーキングスペースを利用するのは初めてなんです。

ちょっと詳しい説明を聞かせてもらえるとありがたいんですが。」


 彼女に聞いたコワーキングスペースの使い方は、言ってみれば仕事のできるネットカフェとでも言うべきものだった。

 オープンスペースの雑居デスク、クローズドスペースの専用デスク、会議室、通常オフィスと選択肢が多いのも、ネットカフェのフラットシートやリクライニングシートなどのバリエーションと大して変わらなかった。


「価格から言ってお得なのはやっぱり1カ月プランだけど、ネットワーキングイベントへの参加権目当てで1週間だけ借りるって人も多いです。

うちはマウンテン・ビュー駅にほど近いのが売りで、他の州や国外、他業種の大きな会社がテック界隈のスタートアップと渡りをつけたい時に打つイベントの会場として使われることがすごく多いです。

そういう需要にこたえるために会議室にも結構投資してあります。

音響は5.1chサラウンドが入ってますし、スクリーンも3つまで同時使用が可能。

代わり種としてはスマートディスプレイなんてものも入れてあります。

まあ、ほとんど使われませんが。」


 てっきりあまりやる気のない受付嬢だと思っていた僕の予想を遥かに超える詳細な回答をしたあと、彼女はスペースの種類と期間と料金の一覧をタブレットに表示して、僕の方に見せた。


「かなりいいお値段しますね。」


 ほとんど反射的に出た僕の生返事に、彼女は肩を竦めた。


「まあ、言ってみれば世界的IT企業のお膝元ですから。」


 そのせいでベイエリア界隈の物価がとんでもないことになって、ワンルームのマンションに1カ月で2,000USドルも支払わなければならない羽目になるのだろう。

 ここ30年ずっとデフレが続いている日本から来た自分からしてみれば、世界的IT企業による悪いタイプの陰謀か何かにしか思えなかった。

 そうしてしばらく間接照明の柔らかい光を反射させるタブレットの表面を目をこらすように眺めていたが、じっと見つめていても値段が下がりそうな気配はなかった。

 ウェーブのかかった黒髪の彼女はタブレットから目を放し、自分の手元のiPhoneを触り始めた。

 短時間の画像共有用らしき画面がちらついているので、おそらくSnapchatかInstagramでも見ているのだろう。


「ちょっと変な話なんですけど、探偵の真似事をしているんです。」


 できるだけ何気ない風を装って僕がそう言うと、ラティーナは汚いものでも見るかのように僕に嫌な顔を向けた。

 面倒事が嫌なのかもしれない。


「警察とか、そういうんじゃないんです。

あなたを脅そうとか、そういうわけでもない。

人を探しているんですよ。

実際には別の人間を探しているんですが、そいつの行方が掴めない。

それで、そいつと会ったことがある人間を探しているってわけです。」

「あんたさ、カリフォルニアでは探偵業が免許制ってこと、知ってる?

下手なこと口にしてると、あっさり警察に捕まるよ?」


 受付嬢の口調が随分ラフになった。

 今度は、僕が肩を竦める番だった。


「ご忠告はありがたいですが、別に銃を携帯して、怪しい奴を片っ端からしょっぴくつもりはないんで。

ただ人を探しているだけですよ。

ここに出入りしていた可能性があるんです。

オープンスペースのデスクを1週間予約したら、ちょっとお話を聞かせてもらえたりしませんかね?」


 僕を見つめる彼女の目は、敵意に満ちていた。

 レセプションに辿り着いた時にはクライアント候補だった僕の好感度は、短い間に落ちるところまで落ちたようだった。

 どうせ睨むならタブレットに表示された価格表じゃなくて表情のある人の目の方がいい。

 睨み合いながらそう思ったが、そんなことを口にすれば、先方の目の中の敵意がますます膨れ上がることはわかりきっていた。


無料(ただ)じゃ嫌なんだけど。」

「もちろん、そんなこと言いませんよ。

領収書をいただけるようなら謝礼も出せますし。」

「胡散くさ。」


 吐き捨てるように彼女は呟き、タブレットを操作してデスクの予約画面を表示させ、個人情報を入力するように僕に言った。

今回、仕事の忙しさと、調べなきゃいけないことが多かったのとで、大変難産でした。

行ったことないサンディエゴやらシリコンバレーの事情はわからないことだらけで苦労の連続です…

シリコンバレー事情に詳しい人で、「現実と全然違うので一言言ってやらなきゃ気が済まない」という奇特で素敵な方がおられましたら、是非とも感想欄などにてご指摘いただければ…

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