1.日本から世界一周をするなら
この短い文章は、僕の親戚であり、本家の放蕩息子である浮世月見之介についてのささやかな備忘録だ。
昨年、月見之介についての長い文章を書こうとしたのだが、盛り込む予定だった内容のあまりの陳腐さと冗長さに書くに耐えず、途中で放棄してしまった。
その陳腐で冗長な上に、未完のまま、インターネットの隅っこでサーバーの肥やしとなっている一連の駄文を簡単にまとめる文章を書いて、文字通りピリオドを打とうと思い、今回改めて筆を取った次第である。
また、ここである程度の分量の文章を書き残すことで、分家のみならず本家も含む一族全体から疎まれていた月見之介に対する禊にもなればとも思っている。
スターリンがかつて言ったように、人の死は、数が多ければ統計だが、一つひとつはどれもが涙なしには聞けない悲劇なのである。
月見之介の最期もまた、仮にそれがどれだけ喜劇のような悲劇、あるいは悲劇のような喜劇だったとしても、語られるだけの価値はあるはずだ。
それが語られるそばから忘れ去られていく類のものであってもそうであるはずだし、そうであるべきだと、少なくとも僕は信じている。
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「末二年」という文章のタイトルが示している通り、月見之介は既に故人だ。
妾腹の末っ子として設けられた月見之介は、血筋にこだわる本家の跡継ぎのバックアップとして育てられた。
これが優秀で性格もよく、長男よりも出来が良ければお家騒動の種になったのだが、そのあまりにも残念な性格と能力のなさが、却って本家の当主の頭痛の種になった。
あまりにも駄目すぎて、一族の仕事を手伝わせることは愚か、子会社や孫会社の名ばかり平社員ですらさせられなかった。
朝は早く起きられず、出勤すれば他の社員の邪魔をする。
上司の小言は何処吹く風で、営業に同行させれば、ほぼ確実に取引先の担当者を呆れさせるか怒らせる。
役所や、地場の大手企業、全国的に有名な大企業の子会社など、本家の持つありとあらゆるコネを使って 月見之介を就職させてみたが、どれ一つとして半年ももたなかった。
月見之介が25になる頃には、本家の当主もすっかり諦めて、ある程度金を持たせて好きにさせておくようになった。
それはちょうど、僕が大学に進学して時間の自由が利くようになった頃で、そのせいで僕は自分より7つも年上の月見之介の付き人のようなことをさせられる羽目になった。
以来、彼が引き起こした面倒事の後始末を10年近くしていたのだが、近くで見ていて可哀想になるくらい月見之介にはいいところがなく、いつもトラブルを起こしては周りに散々迷惑をかけていた。
ある時は、本家のコネを使って、売れていない地下アイドルに会いにいき、芸能関係のプロデュースの実績もないのに有名にしてやると嘯いて、既に契約していた業界大手の事務所に訴えられそうになった。
またある時は、本家の名前を騙って胡散臭い投資案件の広報資料に成功者として大きく掲載されてしまったことで、ある程度出資者が集まった段階で投資案件の元締めが姿を消した後、唯一身元も住所もはっきりしている関係者として槍玉にあげられて、金を騙し取られた被害者から本家ともども散々に詰められた。
働かせても駄目、好きに遊ばせておいても駄目ということで、本家の当主もそんな妾腹の放蕩息子についに我慢できなくなったのか、月見之介が34歳を迎えたのを期に彼を切り捨てることにした。
中古の戦車なら問題なく買えそうな限度額の設定になっているクレジットカードを渡して、3年間はカードが有効だからそれをどこへでも好きなところへ行ってしまえと言いつけるのが、放蕩息子を勘当する方法として適切だったかどうかについては議論の余地があるところだ。
だが、そう言われた月見之介は月見之介で、「そういうことなら」とばかりに、世界を回って各地の美人を片っ端からものにするという、人としてどうかと思う目的を掲げて、あてのない旅に遊ぶようになったのだった。
月見之介本人からも、勘当する側の本家の当主からも、当たり前のように同行を求められた僕としては、議論する気にもならない、話にならない横暴でしかなかったのだが、分家の末っ子というのはこういう時には拒否権がなかった。
せめてもの条件として、僕自身も一緒に一族から勘当してもらい、今後一切本家と関わり合いにならずに生きていけるよう、当主に誓約させることしかできなかった。
何故僕が条件交渉して本家から譲歩を引き出さなければならないようなことになったのか、あれから2年以上だった今でも全くわからない。
自分を何とか納得させるべく、日本の地方の田舎には魔術的リアリズムがそのまま人びとの生活の重要な構成要素となっている場所が21世紀になっても存在していたのだと思うようにしている。
ボルヘスもガルシア=マルケスもびっくりすべきだろう。
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「いいか、東亀よ、よく聞け。
俺には時間がないのだ。
一刻も早く世界中の美女を抱かねばならんのだ。
世界が俺を待っているのだ。」
このように言うものの、旅のペースを上げるべく労を取ろうとしない月見之介に同伴して、僕は香港からフィリピン、ベトナム、タイと各地を回った。
東南アジアは比較的治安もいいし旅もしやすい。
物価もそこまで高くないし、食べ物の味も馴染みがある。
旅慣れないうちから、いきなり南北アメリカ大陸へ足を踏み入れて、胃腸への負担の大きいイモと肉と豆と脂を食べ続けて、お腹を壊すよりずっと賢明な判断であるはずだ。
月見之介も、文句を言いながらも何だかんだと旅に慣れ、それまで成人しているのかどうか疑いたくなるほど何もできなかったのが、自分のことはある程度まで自分でできるようになった。
とりわけ、お近づきになった女性と会話ができないのは致命的だと香港で気づいたのか、全く話せなかった英語をどうにかこうにか話すようになったのは驚きだった。
「日本から世界一周をするなら西回り、アジアで旅慣れた後に世界を回れ。」というのは旅人の間でよく言われる金言だが、救いようのない駄目な月見之介ですら掬い上げてくれる懐の深さがあることとは知らなかった。
先人のありがたいお言葉には耳を傾けてみるものである。