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勧誘を受けた光一君は決心したのです

「寝ているだけ……か。うーん、困ったな。このまま置いていくわけにはいかないし」


 ベンチに横になる夏奈を見ながら、光一は先のことを考えていた。このまま夏奈と一緒にいると、また何か良からぬことに巻き込まれるかもしれない、という考えと、ベンチに女性が1人で寝ているのを放置することはできない、という考えが頭の中で交錯していて、どうすれば良いのか決めきれずにいた。


(くくく、かわいい女じゃないか)

「うわっ! び、びっくりした! な、何だよ!」


 光一の鞄を枕にして横になる夏奈と共にベンチに座り、少し先に見える歩道を行き交う人を眺めていると、突然ねっとりとまとわりつくような男の声が聞こえてきた。一体誰が、そう思った光一は辺りを見渡したけれど、2人の近くにその声の主に該当しそうな人は見当たらなかった。至近距離から聞こえてきたような気がしたのにもかかわらず。


「気のせい、かな」


 首を傾げながらまた視線を歩道の方に向けようとしたその時、 


(この女、熟睡してるぜ)


 またさっきと同じ声が聞こえてきた。


「何だよ! さっきから!」


 再び辺りを見渡したけれど、その声の主と思われる人はいなかった。上からか、と思って見上げてみたけれど、ただ抜けるような青空が見えるだけで、人どころか音源らしきものも見当たらなかった。


「……」


 この異様な状況を不気味に思った光一が一言も発せずにいると、


(寝てる女なんか楽勝だろ?)


 間髪入れずにその声はまた聞こえてきた。と、ここで光一は、その声は外界から耳に入ってくるのではなくて、頭の中に直接語りかけてきているということに気付いた。まるで、何か得体の知れない存在が光一を唆しているかのように。


(ほら、襲ってしまえよ。今がチャンスだぜ)

「……」


 春の暖かさも相まってきているからだろうか。光一の頭は次第にボーっとしてきて、朦朧とする意識の中で右手を夏奈の胸に伸ばそうとした時、


「うわっ! お、俺は何を!」


 夏奈の胸の辺りから突然聞こえてきた音楽に光一は我に返り、そして自分の右手を眺めた。


「な、何てことを俺は……」


 音楽が続く中で光一は頭を抱えた。女性に免疫が無いはずの自分が夏奈の体に手を伸ばそうとしていたことがあまりにも衝撃的過ぎて、自己嫌悪に陥っていた。


 夏奈の胸の辺りから聞こえてきた音楽は、10秒とちょっとで鳴り止んだ。こんなに短時間で鳴り止む音楽は電話の着信音ぐらいだろうな、そう思った光一は、その音の発信源を確認することを止めて、自分を落ち着ける方へ意識を向けた。


(どうした? 怖じ気付いたのか?)


 自分を落ち着けて冷静になろうとしている光一の頭に、再びあの声が響いた。どういうわけか、この声が聞こえると頭の中がボーッとしてくるようで、光一の意識は再び少しずつ、そして確実に朦朧としていった。


(くくく。ほら! 今だよ今!)


 この声を合図に、意識がはっきりとしない光一は、再び夏奈へアクションを起こしていった。今度は両手を差し出して、その左手は上半身を、その右手は下半身を目指して。

 少しずつ距離を縮めていく光一の両手と夏奈の体。そーっと近付く光一は本当に変質者のようで、

「夏奈ちゃん!」

 とその時、夏奈の名前を呼ぶ女性の声が光一の耳に届いた。


「えっ、う、うわぁ!」


 その声ではっと我に返った光一は、自分が何をしていたかを理解すると、顔をボンっという音が出そうなほどに一気に紅潮させて、うつむきながら頭を両手で抱え込んだ。


「また俺は一体何をしようと……」


 という後悔する言葉と自己嫌悪と共に。


 カツカツという走って近付く靴音は光一の耳へしっかりと届いていた。意識がはっきりとしていなかったとはいえ、確実に性犯罪者呼ばわりされるようなことをしていたという認識が光一にはしっかりとあって、自分はこの女性によって警察に突き出されて逮捕され、大学進学も失敗し就職もうまくいかないストレスで犯行に及んだと報道されるに違いない、という未来予想図を頭の中で勝手に描いていた。


「夏奈ちゃん! 夏奈ちゃん! って、熟睡しちゃってる。さっき電話に出なかったのはそういうことか。まぁ、時間停止でだいぶ無茶をしたみたいだし仕方がないわね」


 だから、


「それにしても本当に危なかった。あなた、思念の影響で犯罪者になりかけるところだったんだから。でもそうなる前に止めることができて良かった」


 と女性が同情を込めた様子で話しかけてきたことで、一気に脱力してしまった。


「お、俺のことを怪しいって……」

「全く思わないわ」


 顔を上げた光一が話し終える前に、その女性はきっぱりと否定した。光一の目に入ってきたその女性は、上下黒のパンツスーツで、前髪の一部に明るい真紅のメッシュが入った腰まで伸びる黒髪ロングヘアーという容姿をしていた。


「夏奈ちゃんに手を伸ばしていたところは見たんだけど、わたしが夏奈ちゃんの名前を呼んだ時に逃げなかったじゃない。それに、頭を抱えて俯いてたし、今も顔が真っ赤だし。そのことを考えると性犯罪者ではなさそうだなって思ったのよ。それに……」


 そこまで話した女性は、ベンチの後ろに建つ賃貸用と思われるマンションに目を向けた。


「この後ろにあるマンションの一室で、2週間前に強制性交事件が発生したの。で、その被疑者の犯行には執念深さがあって計画的で、そいつが残していった思念はかなり強力なのよ。だから、少し距離があるここでも十分に影響を受ける可能性はあって、ましてやベンチに夏奈ちゃんが寝ているから、状況の類似性はとても高い。そのことを考えると、さっきのあなたの行動は、自分の意志でしたものではないって考えたの」


 とりあえず性犯罪者にならずに済みそうな状況になったことで光一は一安心だった。だけど、安心することができたその余裕ゆえに、この女性に対して色々な疑問を抱いた。例えば、どうしてこの女性は目の前で横になる夏奈を親しげに呼んでいるのか、とか、どうして思念という言葉を当たり前のように話しているのか、とか。


「そういえば、あなたは星野光一君、よね?」


 そしてここで疑問の追加注文が入った。どうして自分の名前を知っているのか。


「えっ。ど、どうして、俺の名前を!?」

「だって、あなたはわたしたちの間では有名人よ」

「は、え、ゆ、有名人!?」

「だって夏奈ちゃんが初めてスカウトしようとした人だし、それに、あの夏奈ちゃんの昨日の騒ぎ方。去年の10月に会った男性にやっと会うことができた、名前も教えてもらったって小さい子みたいに飛び跳ねながら喜んでたの。わたしもあんな感じで喜べることがあれば、なんて思ったぐらいなんだから」


 光一が夏奈に名前を教えたのは、昨日福岡タワーでの夏奈との別れ際のことだった。光一の脳裏を、昨日福岡タワーで目撃した光景が過った。


「あの、もしかしてあなたは……」

「あら、わたしとしたことが自己紹介を忘れてた。わたしの名前は春日彩子。ここで横になっている夏奈ちゃんの上司です」


 そう言うと、彩子はジャケットの内ポケットから金属製の名刺ケースを取り出し、名刺を1枚だけ光一に渡した。


「九州管区警察局防犯部遂行班長、春日彩子……」


 その名刺には、光一がさっき抱いた疑問の答えが書かれていた。


「よろしくね」


 極めて自然な流れで、彩子はベンチに座る光一に右手を差し出してきた。彩子が放つ大人の女性という雰囲気に、光一の固有スキルは反応しっぱなしだったけれど、なんとか握手を交わすことができた。


「それで初対面で早々に尋ねるのは申し訳ないんだけど。今日はどうして来てくれなかったのかな?」

「え、あ、い、いや……その……」

「大丈夫よ。何を言われても動じないつもりだから」


 彩子に笑顔を向けられた光一は、緊張はしていたものの、理由をきちんと言えるチャンスは今しかないと新たに覚悟を決めて話した。


「あ、あの、スカウトしてもらえるのはありがたいことですし、昨日妹の美紗を助けてもらったことについては、その、感謝しています。だけど、あの光景を見せる人が警察で働いているということがいまいちピンと来なくて、失礼な言い方ですけど、あ、怪しい集団のように思えて足が向きませんでした。それに、防犯部という部署を調べたのですがいくら探しても出てこなくて、ますます怪しいって思って」


 こんなことを言うと不愉快に思われるだろうな、と光一は思っていたけれど、


「ふふふ。ここで長年働いているとそういう感覚を忘れるのよね。確かにわたしたちが仕事をしている時に見せる光景は、警察で働いている人が見せる光景ではないから疑われても仕方がないのよね」


 意外なことに、彩子はさっきと変わらない笑顔で光一の言葉に納得していた。


「怒らないんですか?」

「怒るも何も、わたしが部長にスカウトされた時に思ったこととだいたい同じことを光一君が思ってるから、なんか懐かしくなっちゃって」


 そう言うと、彩子は何かを懐かしむような表情を見せた。


「わたしも最初に話を聞いた時は胡散臭いなって思って一度目は首を縦に振らなかった。でも部長に仕事の重要性とやりがいを真剣な目で訴えられているうちに、犯罪者の思念から平穏な人の人生を守るということはとても大切な仕事なんだって思えたから、結局はこうやってここで働くことに決めたの。確かに色々と強烈なところがあるけど、わたしはここに就職して間違えたなんて思ったことは無いし、光一君もきっと後悔することにはならないと思う。だから光一君。防犯部に入ってもらえないかな?」


 彩子に真っ直ぐな視線を向けられた光一は、自分でも驚くほど冷静な頭で防犯部へ入ることについて考えていた。確かに色々と胡散臭いところがあるけれど、就職が怪しい光一にとっては実は巡ってきたチャンスかもしれないし、昨日夏奈や冬美が仕事を終えた後に見せた表情は、晴れ晴れとしていて満足感を感じているようで、屈託があるようには見えなかった。そして、彩子が光一を見ている真っ直ぐな視線からも嘘を言っているような感じは無さそうで、完全にとは言えないものの、半分ぐらいは信用しても良いのかもしれないと思えた。


「分かりました。大学受験を3回も失敗してハローワークでも良い仕事が見つからなかった俺でもスカウトしたい、というのでしたら防犯部で一緒に働かさせて頂きたいと思います」


 ただ、ここで光一は彩子の様子を伺うために自虐を込めて尋ねてみることにした。もし彩子が少しでも狼狽える様子を見せれば、今回の話を完全に無かったことにしようと思っていた。


「そんなことは関係ない! 光一君、ありがとう!」


 だけどそれは無意味だった。彩子は満面の笑みを浮かべながら、女性とは思えないほどの力で光一の右手を再び掴み固く握手をした。彩子の心の中の喜びが表れているような握手だった。


「それじゃ早速なんだけど、わたしたちの仕事道具を光一君に渡そうと思うの。確か夏奈ちゃんが持ってるはずだから、ちょっと待っててね」


 そう言うと、彩子は夏奈のジャケットの内ポケットを探り、


「あった」


 と言いながら何かを取り出した。女性同士ではあるけれど、夏奈の胸の辺りにある内ポケットを彩子が探っている光景を、光一は直視できなかった。


「このピアスがわたしたちの仕事道具。そして、これは予め光一君に渡すことになっていたピアスなの。右耳に着けることになってるわ」


 彩子が差し出した右手に乗っていたのは直径が2センチぐらいの円形のピアス一個で、それは金属製のようだった。自分が入った後のことまで想定されていることに、光一は表情に出さないものの、心の中では呆れていた。


「はい。どうぞ」


 光一の右手に手渡されたピアスは思いの外軽かった。注意深く見てみれば、その模様は昨日夏奈が地面に描いたものとは異なっていて、その周りには「GLASYA=LABOLAS」という文字が刻まれていた。


「それを右耳に近付けると勝手に着いてしまうからやってみて。大丈夫、痛みとか全く感じないままに終わっているから」

「だ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ。あっという間だから」


 少しビクビクしながら、彩子に促されるままにピアスを右耳に近付けてみると、音もなく勝手に光一の耳たぶに着いたようだった。確かに痛みとかは無く、あっという間の出来事だった。


「これで契約は完了。それじゃ改めて。光一君、ようこそ防犯部へ」

「は、はい。あ、ありがとうございます」


 屈託の無い彩子の笑顔での歓迎に、光一は少し視線を逸らしてたどたどしく答えることしかできなかった。

前回の投稿からほぼ二週間。サボっていたわけではないですよ?いつもこの小説について考えていました。どうやったらおもしろくなるのかなーと。

現在、次の話の推敲を行っている最中ですので、また数日したら投稿します。

よろしくお願いします。

新型コロナウィルスが感染拡大していますし、気温差も酷いですね。

無理をしないようにご自愛ください。

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