「救世主」は強引でした
一仕事を終えたボブカットの女性は晴れ晴れとした表情をしていた。
「美紗ちゃんは大丈夫?」
「大丈夫、みたいです」
その女性に尋ねられてベンチに目をやると、美紗は横になったまま穏やかな寝息を立てていた。
「これでいつもの美紗ちゃんに戻ってるんじゃないかな。夏奈が保証するよ」
光一の目の前にやってきたボブカットの女性は、話し終わるとウィンクをおまけに付けた。今まで美紗だけに集中していた光一は、目の前にいるアイドルと変わらない可愛い顔立ちの女性のその仕草に頬を紅潮させた。もちろん、同時に胸中がざわつき始めたのは言うまでもないことだった。
「あ、ありがとうございます……」
色々と言うべきことがある状況ではあるけれど、光一にとっては顔を少し伏せながら謝意を一言伝えるのが精一杯だった。
「あれ?」
しかし、ボブカットの女性は追い討ちをかけるように光一の顔を覗き込んできた。
「あ、あのー、どう……しましたのでしょうか?」
顔を逸らしながら尋ねる光一。
「もしかして……」
ボブカットの女性は、さらに顔を覗き込もうと追いかけてきて、
「あっ!」
いきなり光一の顔を指差して叫び声を上げた。
「そんなに大声を上げて、どうしたのですか?」
少し離れた所にいた黒髪ショートヘアーの女性が駆け足でやって来た。やはり美紗に集中していた光一だから今まで気付かなかったけれど、その黒髪ショートヘアーの女性も、気が強そうではあるけれど、ボブカットの女性と同じく一般的に可愛いと言われそうな顔立ちだった。
「冬美、この人だよ、この人。夏奈がスカウトしたかった人!」
可愛らしい顔立ちの女性が二人も近くにいるという事実に、光一の胸のざわつきは次第に大きくなりつつあった。
「朝倉先輩が去年の十月ごろに話をされていた人ですか?」
「そうだよ。さっきまで思念に集中してたから気付かなかったけど、まさかこんなところで会えるなんて予想してなかったよ。思念の消去に来たらヤバいことになってるからツイてないなーって思ったけど、意外なご褒美があったからむしろプラスだったかも」
そう言うと、ボブカットの女性はスーツの内ポケットから一枚の紙を取り出して光一に渡した後、
「初めまして。朝倉夏奈と言います。よろしく」
そう言いながら右手を差し出してきた。渡された紙が名刺であるということをなんとか辛うじて確認できた光一は、
「よ、よろしくお願いします」
と乱れる胸中を落ち着けるように恐る恐る右手を差し出そうとしていたけれど、夏奈に強引に掴まれて握手を交わすことになった。
「ほら、冬美も早く。第一印象は大事だよ」
「は、はぁ。分かりました」
満足するまで握手をした夏奈がショートヘアーの女性へ自己紹介をするように促すと、その女性は見て分かるほど戸惑いながらも、夏奈と同じように名刺を差し出してきた。
「自分は川崎冬美といいます。朝倉先輩の後輩として同じ仕事をしています。よろしくお願いします」
「あ、はい、よ、よろしくお願いします」
「ほら、二人とも握手」
ぎこちない笑顔を浮かべながら自己紹介をする冬美と、真っ赤な顔で答える光一。二人はそのまま硬直してしまい、それを見かねた夏奈は、二人の右手を強引に掴み握手へとエスコートするのだった。
「それでさ、今何か仕事はしてる? それとも学生?」
冬美とのぎこちない握手を終えた光一に夏奈が突然尋ねた。
「えっ、いや、その、ど、どちらでもないですけど……」
「本当? 良かったよー」
進学を諦めて就職先が見つかるか不安に思っている光一の返事を聞いた夏奈は、光一の心境とは正反対の満面の笑みを浮かべた。
「実はね、君に仕事を紹介したいんだ」
初対面の、それも可愛らしい顔立ちの二人の女性と握手を交わして思考回路がパンクしかけているところに、追い討ちをかけるように夏奈の口から飛び出したフレーズがあまりにも予想外過ぎて、光一はすぐにその内容を理解できなかった。
「はい?」
「つまりね、夏奈は君をスカウトしたいの」
「スカウト? ですか?」
「そう。今日はもう遅いから、明日の十三時にさっき渡した名刺に書かれてある場所に来てくれないかな。そこで色々と話をしたいから」
夏奈に言われた光一は、その「ある場所」がどこにあるのか確認しようと、左手に持っている名刺に目を通そうとした。だけど、すぐにその作業は中断してしまった。
「九州管区……警察局!?」
「そう。夏奈と冬美は九州管区警察局の防犯部という部署で働いてるの。それでどうかな。そこで夏奈たちと一緒に働いてみない? 明日、夏奈たちの職場で待ってるからね」
思ってもなかった言葉が名刺に書かれていたことに驚く光一をよそに、夏奈は何も気にせずに話し続け、最後にウィンクで締めくくるのだった。
「それじゃ冬美。そろそろ戻ろっか!」
「そうですね。あの思念の痕跡は無さそうですし、スカウト予定の彼以外の人に見られた気配を感じませんでしたので問題は無いと思います」
「冬美にそう言ってもらえると安心感があるから不思議だよ。あ! そうだ」
突然、夏奈が何かを思い出したかのような声を出した。
「まだ君の名前を聞いてなかったよ。教えてくれないかな?」
「俺の……ですか?」
「そう。君の名前だよ」
光一は一瞬躊躇したけれど、名前ぐらいなら、と思い答えた。
「星野光一です」
「光一君か。それじゃ光一君。明日の十三時に待ってるからね。絶対だよ!」
そう言うと、夏奈と冬美は足早にここから離れていった。
「ふぅ。ちょっと頑張っちゃったかな」
「大丈夫ですか? かなり無理を……」
「大丈夫だよ。なんか光一君は……」
色々と取り残された光一は、
「あ、あの、ちょっと!」
と二人に呼び掛けたけれど、夏奈は一度振り返って手を振るだけで、冬美は振り返って軽く会釈をするだけで、共に立ち止まることなくどこかへ行ってしまった。
それからしばらくの間、光一は美紗を横にしたベンチの一つ隣のベンチに座り、渡された名刺とにらめっこをしていた。
「この名刺って本物なのかな」
名前以外の情報が全く分からない二人から渡された二枚の名刺には、「九州管区警察局防犯部」という部署名らしきものが確かに書かれていた。仮にこの名刺だけなら「ありそうだな」と思えるかもしれないけれど、さっきのようにファンタジーめいた出来事を目の当たりにした後に、そこに所属すると自称する人から渡されたものだから、光一はすんなりと信用することができなかった。しかし、名刺を渡す夏奈の表情には自信が漲っていて嘘を吐いているようには見えず、この名刺をめぐる肯定派と否定派の絶妙なバランスは、光一の頭を大いに悩ませていた。
「ん……うーん……」
とその時、美紗から声が聞こえた。どう説明すれば良いのか分からない二枚の名刺を財布に隠した光一は、自分が平静でいられる距離を保ちながら美紗の近くにしゃがみこんで様子を確認した。
「美紗? 大丈夫?」
「ん? 兄さん?」
ゆっくりと目を開ける美紗の様子に、さっきまでの荒々しい雰囲気は無かった。
「わたし、どうしてここで横に?」
「えっとね、ここまで来た時にいきなり気を失ったんだよ。覚えてないの?」
光一はさっき自分が目の当たりにしたことを誤魔化すために嘘を吐いた。自身の頭が理解していないことを美紗に話すことはできなかった。
「ううん。全く覚えてない。そうなんだ。わたし、倒れたんだ」
「アルバイトでいきなりここのヘルプに呼ばれたり、俺を一時間も外で待っていたりしたわけだから、疲れが出たんだと思うよ」
実に苦しい理由だなと光一は顔に出さないように心の中で嘲笑していた。
「わたし、まだ十七歳だよ。花の女子高生なのに?」
「季節の変わり目だから体に負担がかかりやすくなっているんだと思うよ。無理は禁物だよ」
「そうなのかな?」
「そうさ。体は起こせる?」
「うん。大丈夫。ありがとう」
光一の気遣いに美紗は笑顔で答え、そして体を起こした。
「そういえば、兄さんのその首の跡は何?」
「えっ、首?」
「そう。なんか跡が付いてるけど、それって手形? さっきまで無かったような気がするけど」
「え、えっとね……」
光一は心の中で「しまった」と思った。せっかくうまく誤魔化すことができそうだったのに、自分のケアレスミスで危機に陥りかけていた。
「ほら、あれだよ。バッグの肩紐の跡だよ。美紗を横にして休ませているときに、肩紐が変な感じになってたみたいだから」
これ以上は突っ込まないで、と光一は心の中で祈ることしかできなかった。
「でも、だいぶ強めについてるみたいだけど、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。普通に呼吸できるし全く問題無いよ」
「それなら良いけど。色々と気を付けてね。無茶とか無理とか、とにかく危ないことをしたらダメだよ」
「ありがとう。気を付けるよ」
美紗の笑顔の気遣いに光一は少し引きつった笑顔で答えた。なんとか誤魔化すことに成功したように思えたけれど、美紗の笑顔に妙な違和感があるような気がして、一抹の不安を感じていた。
「それじゃ今日はもう帰るか。もうだいぶ遅いし」
時計を見ると、時刻はすでに四時近くになっていた。
「うん、そうする。海はまた今度見に来よう?」
「そうだね。立てる?」
「大丈夫だよ、一人で立てるから」
そう言うと美紗はおもむろに立ち上がり光一の右手を取った。
「早く行こう、兄さん」
「う、うん。行こうか」
美紗に先導されるようにして光一はバス停へと向かった。紅潮して熱い頬に当たる冷たい海風がとても心地良かった。
光一君が防犯部の人に出会うまでをなんとか書き上げることができました
ここまで一か月以上もかかるなんて……
次からは新しい物語が始まります
お楽しみに!
なるべく早め早めに投稿できればと思います(汗)