婚約破棄された令嬢にはバルクが足りない
脳筋婚約破棄を書きたくなる、作者のいつもの発作です。力を抜いて脳みそを筋肉にしたうえでお楽しみください。
「ラン嬢、君にはバルクが足りない! よって、婚約破棄させてもらおう! フンッ! ハッ!」
朝一にタンクトップで我が家に押し掛けた変態、いえ、わが婚約者キンタロー・ソーボー子爵令息はフロントダブルバイセップス、――両腕の力こぶを強調するポーズ――、を決めながら、そう言いました。上腕二頭筋の影が良い感じに強調されています。
「は?」
この方は頭がおかしいのでしょうか。
それとも、私が知らないだけで、もしかして世間一般ではバルク量、つまり筋肉の量で婚約破棄されるのが一般的なのかしら。
お父様を呼んで、バルクが足りないから婚約破棄されかけているとお伝えしましょう。
近くにいたメイドに声を掛けます。メイドの衣装を着た筋肉の塊のような女性です。
……このメイドやけにごついですね。こんなメイド雇っていたかしら? 頭に赤のカチューシャをつけていますから私の専属メイドだと思いますが……。まあ、いいわ。
「お父様を呼んできてくださいまし」
「かしこまりました。お嬢様。フンッ! ハッ!」
メイドが横向きの姿勢で腕を後ろに組んで、腕の筋肉を強調しながら指示を聞きました。あのポーズはサイドトライセップスですね。
ポージングを終えたメイドは、猛烈な速さでお父様のもとに駆けて行きます。
……ポージングは必要でしたでしょうか。
メイドに呼ばれて急いできてくれたのか、息を切らしたお父様は、私から話を聞くと、悲しそうな表情でこう言いました。
「はぁ、はぁ、バルクが、足りないか。それなら、仕方ないね。婚約破棄を、受け入れよう。はぁ、はぁ」
えぇ……。筋肉量がすべてに優先されるのですか……? もっと政略結婚だからだめとか、そのような理不尽な理由ではだめとか、もっとよく考えろとか、そういうものを期待していたのですが……?
こうして、お父様も認めてしまったため、令嬢として普通体型である私はキンタロー様と婚約破棄になりました。
キンタロー様は性格も合うし、ちょっと脳筋ですが程よい筋肉をお持ちで、政略結婚とはいえ普通にお慕いしていたのですが……。
キンタロー様は別れ際にこのようなセリフを残していきました。
「ラン嬢、君のことは好きだったし、このような形で婚約破棄となるのは申し訳ないとは思っている。ただ、私はどうしてもバルクが足りない女性を幸せにできると思えないと気づいてしまったのだ。シロ・ブトーハのような女性が、私の理想なのだ。フンッ! ハッ!」
シロ・ブトーハ様は、隣国ジャポーネの最大魔法戦力であるリーラ・ブトーハ様の長女です。
シロ様は、魔法運動競技大会のレスリング無差別級部門を2大会連続で制していて、ベンチプレスで1トンを持ち上げるほどの上半身の筋肉(と肉体強化魔法)を持ち、ももの筋肉は樽のように太く、蹴りで山を砕くほどで、6つに割れたその腹筋は魔法銃で撃たれても傷がつかないほどだと言われる魔法生物最強女子です。
キンタロー様が去ってから、私は少々ぼんやりとしていました。気づけばもうお昼の時間です。
そういえば、今朝目が覚めてから、世界の認識がおかしくなったような気がしていたのですよね。
昼食を食べながら、今朝の出来事を思い出します。
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「あぁ、よく寝たわ」
朝起きて、いつもの通り魔法紙芝居装置の電源を付けた私は、朝の体操がやけに肌色面積が多いことに疑問を持ちました。
「良い子のみんな、ニシローランドゴリラの学名は? そう、ゴリラ・ゴリラ・ゴリラだね!」
ブーメランパンツ一枚の体操のお兄さん、というか筋肉の塊のような方が、さも常識かのようにゴリラの話をしています。
どうしたのでしょうか。頭がおかしいのでしょうか。
気になって紙芝居放映局を変えたところ、『今日のマッチョ』という紙芝居が放映されていました。
おかしいですわね、昨日まではニャンコを見ながら天候魔法師が降雨魔法計画を伝える紙芝居だったはずなのですが。
今は、肥大した筋肉を見せつける男女がポージングしている裏で、降雨魔法の対象地域を放映しています。
さらに紙芝居放映局を変えてみると、今日の占いが放映されています。
ここはいつも通りのようですね。……いえ、違いますね。
ええっと、いて座のあなたのラッキー筋肉は、大腿二頭筋、さりげないアピールで彼を虜にしよう、おうし座のあなたは上腕二頭筋、ダンベルカールでバルクアップ、などと書かれていますね。
他の局もすべてチェックしましたが、シルキー魔導王国で放映される紙芝居放映局はどれも筋肉に支配されていました。
頭が痛くなって、いえ、頭が筋肉になってきました。
メイドを呼ぶためにドアに近づき、掛けてあるベルのひもを引っ張ります。
カラカラという音を聞いて、専属メイドが駆けつけてきます。
「お呼びでしょうか。お嬢様」
ズン、とメイドらしからぬ足音を響かせながら登場したのは、メイドの衣装を着たゴリラのような女性です。
「んん?」
初めて見る方だと思いますが、筋肉量がすごいですね。護衛の方でしょうか。メイド服を着ていますからメイドなのでしょうが。
後ろにいるメイドの方もなんだかマッチョですね。昨日まではもっと存在感が薄い女性ばかりだったような気がするのですが。
……よく見直したところ、ゴリラと思ったメイドは10年私の専属メイドをしているサユリですね。もはや面影がないほどにバルクアップしていて、気が付きませんでした。
昨日までは細身でかわいらしかったと思うのですが。
とりあえず、混乱しながらもどうにか着替えを済ませ、朝食に向かいました。
朝食を食べながら、サユリと今日の予定について話していると、他のメイドから急な来客があることを知らされました。こうして、サユリとの会話でも疑問を解消できなかった私は、朝食を切り上げ、婚約者であるキンタロー様とお話をすることになったのです。筋肉を理由に婚約破棄されるとはこのときは思ってもいませんでした。
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朝、目が覚めた時からの出来事を思い返しました。うすうすそんな気がしていたのですが、女性の美しさについて、世界の人々の認識が書き換わったようですね。
キンタロー様がお帰りになった後で家の者に話を聞いたところ、筋肉量と、カッティングの美しさこそが女性の本当の美しさであると、メイドたちも執事たちも言っていました。
このような大規模魔法を使えるのは稀代の魔法使いジェニー・アンブレラくらいですが、ジェニーは昨日までの一般的な魔法使いらしく、マッチョではありません。世の男性をマッチョ好きにしたところで、ジェニーには利点がないように思えます。
認識の書き換えという大規模魔法は、一度受けると耐性がつくので二度目からは効くことはありません。一生に一度だけ、それも相当な天才だけが使えるはずの魔法を、何の利点もないのに、ジェニーが使うとは思えません。
理由はわからないですが、ジェニーがやったことには違いないので、話を聞きに行きましょう。
ジェニーの家は貴族街にあり、私の家から三軒先にあります。ジェニーは昔からの友人であり、約束していなくても問題なく会うことができました。
ジェニーに話を聞いたところ、あっさりと答えが得られました。
ジェニーはゴリマッチョな婚約者と自分の婚約をうまく破棄するために、大規模認識書き換え魔法を使ったようです。
認識書き換え魔法も、思っていたほど万能ではないことがわかりました。嫌いなものを好きにすることはできないそうです。せいぜい「好き」を「大好き」に変えるくらいのものです。
ということは、この国の方々はもともと筋肉好きばかりだったのでしょうか。
隣国の脳筋武装国家ジャポーネと交流が深い我が国シルキーだからこそ、武力大好き、筋肉大好きな人が多く、認識の書き換えに成功したのでしょうか。
ジャポーネは武力こそがすべて、という脳筋国家で、街を歩いていると野生の武闘家から喧嘩を挑まれる修羅の国であると聞いています。恐ろしくて行ったことはありません。
私の婚約者であった、キンタロー・ソーボー様は自分の肉体美に自信があったからか、特に強く影響を受けたようです。
ソーボー家、ダイキョー家、リジョー家は、シルキーの貴族の中でも三大筋肉家と呼ばれています。貴族としての階位は低いですが、脳筋で一本気な性格の方が多く、腹芸は苦手で貴族らしくはないですが、騎士としての能力は高く、武闘派として知られています。
そういう家柄も認識書き換えの影響を強く受けた原因の一つでしょう。
ところで私はなぜ影響を受けていないのでしょうか。
ジェニーの話によると、この国でも一番の魔力量を誇る私は、書き換えのための魔法増幅器として使われたようです。そういうことは本人に許可を取ってからやってほしいのですが……。え? 許可はとったのですか? なら良いですわね。
私自身には筋肉の魅力に取りつかれる魔法ではなく、書き換え魔法の増幅器としての認識を阻害するために認識書き換え魔法をかけられていたようです。
どうりで私が周りのメイドたちのバルクアップに気が付かないわけです。
1か月間の間、シルキー魔導王国全体に認識書き換え魔法をかけ続けた結果、シルキーは無事に脳筋ばかりになり、昨日の夜に魔法の発動を停止したそうです。
私に対しても認識書き換え魔法が終了し、今日から世界を正常に認識できるようになり、異変に気が付いたようです。
私への認識書き換えは、世界の認識にモザイクをかけたような感じで、私が許可を出したおかげで、ぎりぎり認識の書き換えに成功していたそうです。私がアホで良かったとも暗に言われました。怒って良いところでしょうか。
一か月にわたる認識の書き換えにより、メイドたちは筋トレを続けてマッチョになり、世の男性たちは線の細い女性よりもマッチョな女性を好むようになりました。
大規模認識書き換え魔法は、解除ができませんので、当代の男性たち、特にキンタロー様は一生このままなのでしょう。
つまり、彼と再び婚約をするには、バルクを増やすしかありません。
この日から、私は筋トレを始めるのでした。
まずは食事にたんぱく質を増やすことから始めます。魚、卵、動物の肉、大豆、とバランスを考えて、たんぱく質を増やします。野菜を食べてビタミンの摂取も忘れません。
外に出て散歩やトレーニングをしながら日光を浴びて体内時計の調整とビタミンDの生成を促します。
また、筋トレをしてからすぐにプロテインを摂取することで、筋トレの効果を高めます。
まずは自重トレーニングで負荷が少ない筋トレです。腹筋、背筋、腕立て伏せ、スクワット、プランク、空気椅子、などを日課としていきます。フンッ! フンッ!
筋肉がついてきたら、炭水化物を減らしてブロッコリーを主食にし、毎食ササミでたんぱく質を摂取しつつ、体を絞っていきます。
自重トレーニング以外にもダンベルを使ったトレーニングや筋トレ魔道具を使ったトレーニングを積極的に取り入れていきます。フンッ! ハッ!
ポージングの練習も欠かせません。
ゴリラ並みになったサユリや、キンタロー様に婚約破棄されたときにいたものすごい筋肉だと思ったメイドのコサメといった、メイドたちに声をかけてもらい、ポージングを練習していきます。
「でかい! でかいですよ、お嬢様!」
「背中に魔導連結砲のせていますね!」
「太ももに暗黒破壊神が宿っています!」
フンッ! ハッ!
血のにじむような筋トレをこなし続け、私はバルクアップを続けます。
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1年後、まだ新しい婚約者を見つけていなかったキンタロー様を我が家に招待し、バルクアップした肉体を見てもらいました。
「なんて……。なんて素敵な筋肉だ!」
「キンタロー様と再び婚約したくてバルクアップしたのですわ!」
私はキンタロー様の熱い胸板に飛び込んで抱かれると、そのまま顔を上げて口づけ、そして――
省略されました。続きを読むには、まっするまっすると書き込んでください。
チュンチュンと小鳥が鳴いています。
キンタロー様と熱い荷重トレーニングを終えた私たちは、再び婚約者になりました。
こうして頑張って筋トレを続け、ナイスなバルクを手に入れた私は、キンタロー様とともに筋肉とバーベルのぶつかり合う生活を送るのでした。
……あれ?
終
ハッスルマッスルではない皆様用に、念のため三大筋肉家の補足です。
ソーボー家 僧帽筋:背中のあたりの筋肉
ダイキョー家 大胸筋:胸板
リジョー家 梨状筋:お尻のあたりの筋肉
なお、言葉の響きで選んだだけで、筋肉の大きさをもとに選んだわけではありません。
まっするまっする