奥の部屋
実家に帰省するたび『天は赤い川のほとり』を読み返すのを生業としている。
この度の帰省も同じだ。
「今、どこにある?」
母に聞くと今はもうめったに使われていない二階の奥の部屋にあると教えられた。昔は家族で寝ていた和室の部屋である。そこには姿見とか奇妙な模様の箪笥とか、得たいのしれない油絵とか、家の家紋らしいちょうちんとか、子供の頃家族でディズニーランドに行った際に片方の靴をなくした私の写真とか、そういうものが飾られていた。
子供の頃はそういうのも恐ろしかった。いつも恐ろしいわけじゃない。でも、たまに何かの機会にそれらが恐ろしいものへと変貌し、そのたびに私は恐怖を感じていた。
たとえば、おしいれのぼうけんを読んだ後、箪笥の模様が無性に怖くなったり、ドラマで金田一少年の事件簿、放課後の魔術師が放送された後、絵や写真が怖くなったり、テレビでリングが放送されたら姿見が怖くなったり、まあ、そういうことだ。
それらの恐怖はいったん症状が治まっても、また後日何かのきっかけで再発したりした。子供の頃の私というのはそういうのにずいぶんと難儀していたように思う。感受性が豊かだといえば聞こえはいいけど、ただ単に余計な事を考えて不安になって心配をしていただけのような気がする。今となってはそう思う。
実際、この度の帰省時も金田一少年を読み返したが、放課後の魔術師の仮面は恐ろしかった。でも、子供の頃に比べると一歩ひいてその恐怖を見ている体感があった。たとえるなら、パッケージされたもの見ているような。そんな感じ。子供の頃のように、それらが本当に近くにあって今にも肩をたたかれるんじゃないかとは思わなくなっていた。
それだけ私も大人になったんだろうか。それともただ単に、脳内に柵を設けれるようになったのか。そしてそれを大人になったというのか。よく分からないけど。
「とってきます」
とにかく天河を取りに二階に上がる。子供の頃はこの階段を上がりきって曲がる角も恐ろしかった。何か出るのではないかと思ったりした。しかし子供の頃も大人になった今も当然何も出ない。
そのまま廊下を進み奥の部屋に入る。
すでに両親はそこでは生活していなかったので、布団は無い。古くなった畳が敷かれているだけの部屋。姿見もあるし、箪笥もある、油絵もあるし写真もある。昔と変わらない。子供の頃からある人形なんかも置かれていた。
お目当ての天河もすぐに見つかった。
「一気にはもっていけないなあ」
28巻あるからなあ。
ちなみにマスターキートンは18巻だから持ち運ぶ際は一気に移動させる。金田一少年は最初から一階にあるから移動の必要性は無い。
そこでとりあえずユーリがこの世界に残ると決めたところまでもって階下に下りた。つまり14巻である。ちょうど半分だ。
それをもって降りると、
「あった?」
と聞かれた。あったあったいつもの場所にあったよ。
私はそれを暖房の効いた部屋で一心不乱に読み進めた。
そして14巻まで読み終えると、それを抱えて再び二階に上がった。二階自体がすでにもうめったに使われていないらしい。父も母も老いてきた。まあそうだろうなと思う。
階段を転げ落ちたりしたら大変だもんな。そんなことを考えながら奥の部屋に入る。
「おわ!」
部屋に入った瞬間、不覚にも声が出た。
さっき部屋の隅にあった人形が部屋の中央にいたから。
私が子供の頃、大好きだった白熊の人形が。
「・・・何?」
動揺して天河の14巻までを棚に戻し、15巻から28巻は持たずに階下に降りて、
「あ、天河の残り忘れた」
って思って階段途中で振り返ったとき、足を踏み外して私はそのまま階段を転げ落ちた。