波乱の前兆
少し前、より正確に言えば一年よりも前の事。
この周辺の地域は瓦解した自衛隊の生き残りにより、それぞれのコミュニティに僅かながらの支援と安全を与えていた。
町中に残存する食料や飲料だけではいずれ枯渇する事を理解し、拠点としている基地の内部や各コミュニティに野菜などで比較的育てやすい物を栽培して食料の確保を行えるよう努力を行い、残った銃器を使用して連携して異形や死者といった脅威を減らす活動を続けた。
劇的に人口を減らしたこともあり、地域の食料を集めるだけで深刻な食料不足や水分不足に陥ること無く比較的安定して補給を続けることが出来たが、あくまで地域一帯のコミュニティが錯乱して暴徒に変化することなくやってこれたのはこの自衛隊の役割が大きかったのだ。
だからこそ、精神的な支柱ともなっていた彼らの存在が突如無くなってしまったのは、反転、目に見えない大きな打撃をこの地域の生存者達に与える事となる。
精神的に追い詰められ、食料や飲料確保の問題で切り詰められ、安全圏を確保できなくなった生存者達は次第にコミュニティ間での交流を閉ざしていく事となった訳だ。
そして、そうやって生ませるのは認識の相違と貧富による疑念、つまりお互いを敵として認識することとなる。
「ふうん……武力衝突こそ無いけど、何度か集団同士で睨み合いをしているのは最近見るようになって、可笑しいなと思っていたら……そんな事情があったのか」
「はい、私の居たコミュニティは100人程度の集まりなんですが、年寄りが3割、子供が2割、女性が3割とで実働可能人数がとても限られているんです。女性の中でも動ける者を外回りの男性集団に組み込む程度には追い詰められるほどに。そして、その内部情報は交流があった頃に他のコミュニティに渡っているので……その、奪われる標的になるとしたら私達が狙われるだろうと言うのは、よく言われていた話だったんです」
「な、なるほどなあ……」
知子ちゃんが語るその内容を、なるほどと顎に手を当てて考えている風を装う。
少し情報の擦り合わせがしたいと言うと彼女は一息であまりに長いこんな説明を始めたのだが、当然そんな急に色々言われても俺が理解できる訳がない。
最初の頃こそ、話について行こうと思い必死に聞き入っていたがそれも早々に放棄、今は彼女に情けない姿を見せたくないと言う理由で分かっている風を装い相槌を打つばかりだった。
……早く終わってくれっ……!
自分で話を振った癖にそんな情けないことを考えている事は、目の前の彼女には絶対に悟らせないように、ただポーカーフェイスを心掛ける。
「――――と言った事情で私はコミュニティを纏めていた人達に意見具申をしていたのですが……、あの……聞いてますか?」
「ああううん、勿論。巨大怪獣をやっつければ良いんだよね?」
「1ミリもそんなことは言っていませんっ……!」
どうやら間違った相槌をしてしまったようだ。
赤ら顔で眉尻を上げた知子ちゃんがする、拗ねたような苦言に対して俺はただ平謝りをするしかない。
知子ちゃんが俺の元へ来てから数日が経った。
感染状態が安定するまで看病して昨日ようやく目を覚ました彼女の無事に喜び飛び跳ねていたのも束の間、真面目な顔で頭を下げてきた彼女の様子に慌て、碌に話も聞かずに頷いていたらいつの間にか同棲することとなってしまった。
いや違うんです、確かに元男だって伝えてないし、俺が彼女にとってのお兄さんと呼ばれる存在である事を彼女に知らせていないけど、この幼気な少女の体を使って知子ちゃんにセクハラしようなんて気は一切無いんです、ごめんなさい!
いやまあ、意識が戻った当初こそ自分の変わり果てた姿に愕然としたものの、性差程度でどうこう言っていられる状況じゃなかったし、元々背も小さくて体の調子もそんなに変わらなかったから、特に違和感を感じることなくいつの間にか受け入れてしまっていた。
まあ、少女の体に違和感を感じないとか悔しすぎますけどねっ……。
「……いえ、私の説明も配慮が足りませんでした。結局自分が何を伝えるのか要点を纏め切れてなかったのは私のミスです。……とは言えっ、巨大怪獣なんて一切話題に触れて居ないんですけどねっ!」
「あはは……ごめんなさい……」
怒りつつも何故だか知子ちゃんは口元を緩めるという変顔をしているのだが、彼女は気がついているのだろうか?
「とまあ、私からは以上なんですが……梅利さんからは何かありますか?」
「うん、ちょっと待ってね」
「……?」
説明を切り上げた知子ちゃんに、自分もあれの共有をしなければと荷物を漁る。
不思議そうにこちらを伺っていた彼女は、俺が荷物から取り出したものを見て口元を引きつらせた。
俺が両手で持ち上げたのは、回収していた予備の銃器。
いわゆるスナイパーライフルと言う奴だった。
「折角二人で行動することになるんだし、ちょっと銃器の扱いを練習しよっか!」
「ア、ハイ」
なぜか片言で力無く頷いた彼女の姿に小首を傾げながら、俺は外出の準備をするために動き出した。
△
市街地に残るビルの屋上から荒廃した町を見下ろして照準を合わせる。
目測はおよそ700メートル。
目標は徘徊する死者の頭部。
風は南南西からの微風、支障は無し。
呼吸をするかのような自然さの中で、いつの間にか引かれた引き金により撃ち出された鉛玉はその身を回転させながら、正確無比に死者の眉間を打ち抜いた。
遠くで糸の切れた人形の様に崩れ落ちた死者を確認して、渾身のどや顔を作り隣を見れば、唖然とした表情で力尽きた死者を双眼鏡で確認する知子ちゃんが居る。
「……え、嘘でしょう? あんな正確に頭部を打ち抜けるもの何ですか……?」
「ふふん! まあね、そうそう出来ることじゃないけど、いやあ俺って銃器の扱いに関しては天才的みたいでね! 勿論少し練習はしたんだけど――――」
「よしっ……! なら私もやってみますね……!」
「――――……自慢話を、聞いて欲しかったなぁ~……」
張り切る知子ちゃんの頭に防護ゴーグルを被せて、彼女の腕前を見守ることにする。
最初こそじっと静かに狙い澄まして撃ち出した弾丸は狙った死者の頬先を掠めたものの、それでも諦めずに何発か狙撃して、感覚を調整していた彼女はすぐさま上達していく。
基本的に何であれ知子ちゃんは器用にこなすのを知ってはいたが、こうして目の前で才能を見せられると目尻に涙が溜まる思いを味わうこととなった。
(ああ、あんなに訓練した俺の技術が……。い、いや、これが仲間なら心強いだろっ……! 変なプライド持つな俺っ……! でも……良いところを見せたかったなぁ……)
この体は涙もろくていけない。
取り出したハンカチで顔を拭きながら、知子ちゃんがテンポ良く弾を込めては撃ち出している音を聞く。
弾を込める速度もどんどん早くなっていくし、狙いのほとんどを外さなくなってきたのを確認して、額に汗を滲ませながら無機質な瞳で標準を覗いている知子ちゃんを窺う。
「あ、あの、知子ちゃん……? もしかして、コミュニティで銃を使ったりって……?」
「銃なんてほとんど入手できない物、下っ端が使わせてもらえるわけありません。今回が初めてです」
「そ、そうなんだー……。それにしては良く当たってるね……当たりすぎてるくらい」
「そうなんですか? ではきっと、梅利さんの教え方がお上手なんですね!」
「あははは……、ソウデスネー」
含みを感じさせない彼女の回答に、ヤケクソ気味に頷いた。
彼女は仲間なのだから、悔しくなんて無いのだ。
そうやってしばらく、夢中になって銃の試し打ちにのめり込む知子ちゃんの後ろ姿を眺めてから、もう一つの目的のために周囲を見回した。
今回こうして狙撃の練習をしに来たのは単に技術向上を目指した物ではなく、こうして高所から探したいものがあったからでもあった。
数日前に逃がした猿二体、あれは人間ほどと言わなくても知性を感じさせる存在であった。
禿猿を頭に据えて集団行動を取っていた猿の群れ、その中から逃げ出しあ二体がむざむざ放浪をするだろうか?
俺という力を持った危機に対し獣なりに何か対策を取るのではないかと不安を覚えて、こうしてこの地域に変化がないかを見ておきたかったのだ。
まあ対策をされたとしてもそうそう負けるような肉体でないのだが、それは人間としての意識を持つが故と納得したい。
「……ここから見える分には変化がないか。死者の数が割と少ない気もするけど、まあ日中だから何処かに潜んでいることだろうし……」
「っ……!!? すいません梅利さん!! 異形が一体こっちに来ますっ……!!」
「蓋を開けてみれば室内にうじゃうじゃなんて事もままあるし、ねっ!!」
悲鳴の様な警告の声を聞いて、高速で壁を駆け上がってきた百足に似た異形が屋上に顔を出した瞬間、蹴り飛ばした。
黒光りする鋏を砕いたその一撃が百足の体を宙に晒し、百足がそのまま何も出来ずに落下していくのを見届ける。
後方へ飛んで銃を構えていた知子ちゃんが目を丸くしてこちらを見ているが、なぜそんな視線を向けるのだろう?
地の利を生かすのは戦術の基本だと思うのだが。
「……分かっていましたけど、梅利さんって規格外ですよね……」
「えっ!? 俺そんな変なことしてないよね!?」
「普通っ、あんな堅そうな異形を物理で叩こうなんて思いませんからねっ!?」
警告から異形が頭を出すまでの間、確認する時間なんて無かったと思うのだが……。
そんな抗議の声を上げようとした時に、背後の階段から響く足音を耳にする。
意思を感じさせる複数の足音。
ほぼ確実に何処かの生存者達だ。
「……え? 何やってるんですか、梅利さん?」
「何って、知子ちゃん! 屋上に来る足音がしたからね! 隠れないと!!」
「……えっと、その……、室外機の中は無理だと思うんですけど……」
「いけるいけるっ! 前はコンビニのATMの中に入ったことあるし!」
「え、もしかして私が前にコンビニ行ったときじゃないですよね……?」
さあっ、と室外機に作った空洞に知子ちゃんが入るように促すと、酷く苦々しい顔をした彼女は恐る恐る片足を入れて体を入れようとする。
だが、俺よりも一回り以上大きい彼女の体では室外機に入る訳もなかった。
「盲点っ……!」
「いや、当然ですよね……?」
なんなんだこの脳内花畑はなんて目で見てくる知子ちゃんを余所に、俺は慌てて周囲を見渡す。
隠れられる場所が見当たらない、万事休すの予感がするっ……!
溜息交じりに笑う知子ちゃんが、とりあえず会話を試してみましょうと言うのをガクガク動揺しながら頷いた。
階段を駆け上がってきた複数の足音が勢いよく屋上のドアが開かれる。
現れたのは俺にとっては見たことのない、しかし知子ちゃんからすれば顔見知りの五人。
「――――お久しぶりですね、明石さん。まさかこの地域で貴方達に会うことになるとは思いませんでした」
「ああ、久しぶりだね笹原知子さん。君は実働よりも頭脳派だと思っていたんだが、どうやらその限りではないようだね」
銃器こそ持たないが、前に知子ちゃん達のグループが持っていた鉄パイプよりも上等そうな斧や鉈といった武器を持った彼らの中で、会話を交わしてきたのは一人飛び抜けて目立つ奴だ。
アイドルグループにでも居そうな、光り輝いているような錯覚すら受けるイケメンがそこには居た。
(ちょっ、何だあれっ、何だあれーーー!? 長身、引き締まった筋肉、甘いマスクっ、ふざけんなばーか!!! 滅びろーー!!!)
俺の心の叫びが空しく脳内を駆け巡る中で、知子ちゃんと彼らの会話は続く。
「“東城”コミュニティはここの管轄ではない筈では? 遠征も過ぎれば侵略になりますよ?」
「ははは、少し境界を越えただけだろう? そんなガチガチにやったってお互いに良いことはないよ、同じ生存者同士仲良くしようじゃないか、なあ?」
「不快だと言っているんですよ、明石さん。このあたりの資材でも狙ってきましたか? 組織だって動いている様を見れば、そちらのお姫様も了承しているんですよね」
「全く冷たい子だな。同世代同士だろう、そう牙を剝くな。だが、こちらとそちらで少し話し合いが必要だと思っていた所なんだ。君が一人なら話しやすい」
不穏な空気になってきたのを感じて、知子ちゃんの背中に隠れていた俺は手に持った自動小銃を物々しく鳴らす。
後ろ手に片手を差し出している知子ちゃんに拳銃を渡した後、少しだけ体を覗かせれば驚愕の表情を浮かべたイケメン達が目に入った。
「……驚い…た…そちらはそんな本格的な銃器を入手したのか」
「少々縁がありまして。さて――――話がしたいんでしたよね?」
「ははは…困ったものだ。そちらのお嬢さんのお名前をお聞きしたいんだが良いかい?」
なんとか会話の糸口を掴もうとしてくるイケメンを無視しても良かったのだが、チラリとこちらを見てきた知子ちゃんが会話を続けたがっているようなので、不本意だが乗ることにした。
「……名前を聞くときは、まず自分の名前から…礼儀だろう?」
「ああ、すまない礼を欠いたね。俺は明石秀作という者だ、お見知りおきを」
「……むう」
素直に引き下がったイケメンに頬を膨らませる。
なんだかこれでは自分が子供みたいだ、返事くらいはするべきか。
イケメンの後ろで待機する男達を睨み付けてから、ヘルメットを少しだけ上げて顔を見せ重々しい口を開く。
「……花宮梅利、宜しく」
「…………」
「……? 宜しく明石さん」
口を魚の様に開いたまま、黙ってしまったイケメンに知子ちゃんと顔を見合わせる。
折角自己紹介したのになんなんだと、疑問をぶつけるようにイケメンの背後に居る男どもに視線を送れば、彼らも予想外の反応なのか呆然として動かないイケメンに小さな声で呼びかけている。
本当になんなんだと不満げにイケメンを見れば、ばちりと目が合った。
当然だ、あいつはずっとこっちを凝視していたのだから。
ひっ、と恐怖を感じて後ずさると、イケメンはぽつりと呟く。
「…………天使だ」
上気した顔で、興奮した目で、俺を捉えて放さないその瞳は病的だった。