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死への抵抗者達

 “死鬼”の姿を探し回る“破國”。

 あんなものでは致命打になり得ないと理解している化け物は、もう何処にも存在しないかつての古傷の疼きに苛立つように咆哮を上げる。

 奴を屠らねばこの疼きが収まることは無いと盲信しているかのように、散らばった瓦礫すら跳ね飛ばし、草の根を掻き分けるかのようなまでに入念に、あの忌々しい怨敵の姿を“破國”は探し回っていた。


 皮を剥がされた。

 肉を削げ落とし、角を切り裂き、頭蓋を砕かれた。

 身体のあらゆる筋と内臓はぐちゃぐちゃに混ぜ合わされ、自身よりも遙かに小さな異形の存在に叩きのめされ、敗北を知らなかった怪物はその日初めて地に伏し、死を目前とすることになった。


 だが、一方的な敗北では無かったのだろう。

 傍から見た状況では五分であったと感じる者も居るであろうし、あの怨敵は自分の敗北だとも言うかもしれないそんな結果ではあった。

 怪物に存在する僅かばかりの知性が、今までの経験から負けることなど有り得ないのだと慢心し油断していなかったとは言い切れない。


 理由を上げればキリなんてないし、もしもを考えればどうとでもなる。

 だがそれでも、怪物が感じた痛みは怪物だけのものであるし、感じた敗北感は怪物だけのものである。

 怪物が負けたと感じていれば、それは怪物にとってまぎれもない敗北なのだ。


 満身創痍の這々の体で脇目も誇りも無く逃げ出した怪物が、自身には目もくれず矮小な二足歩行の生物が束となって怨敵のいるであろう場所へと突入するのを目の当たりにして。

 死にかけである怪物など、あの怨敵に比べれば取るに足らないのだと言う様に見向きもしない猿どもを前にして。

 そこまで虚仮にされてなお、逃げるしか無かったなど“國を破壊した最強の異形”にはあってはならなかった。


 ゆえにこそ怪物は執着する。

 この地へ、かつての傷へ、あの怨敵へ。

 その身に抱えた憎悪に狂い、暴れ回る。



 何処だ、何処に居る。

 あの程度ではダメージの内にも入らないだろう、と。

 そう言わんばかりの咆哮を上げて、奴が吹き飛んでいった筈の場所を虱潰す。

 あの好戦的な怨敵であれば直ぐにでも飛び出してくるだろうと言う予測はいつまで経っても姿を現わすことの無い鬼への怒りへと変換され、さらなる暴威の燃料となる。

 

 視界が真っ赤に染まるほどの怒りが怪物を満たして、さらなる興奮状態へと移行した身体からは生物からは到底発する筈が無いほどの高熱が巻き起こる。

 爆発にも似た湯気が天高く立ち昇り、周囲にいた異形の群れを焼き殺した。

 そうして、血走ったほの暗い双眸で周囲を見渡していた怪物の目に、矮小な二足歩行の生物が集まっている場所が映った。


 普段であれば餌としか考えないそれらの姿に一度は興味を失うものの、過去に奴がしていた行動を思い出して、怪物は見境無しに暴れ回るのを止めた。

 そう言えば奴はあの猿に似た奴らを庇うような立ち回りをしていた事を思い出し、あれらが危機に瀕していれば飛び出してくる、そんな訳の分からない奴だったと口元を上げる。


 狙いを定め、大地を踏みしめ、筋肉が収縮し――――そうして解放された爆発的な速度の突進が最後の生存者達の拠り所である市役所へと向けられた、その瞬間。


 的確に骨の鎧の間を縫う軌道をした一発の弾丸が踏み込んだ前足を貫いた。

 完全に虚を突かれた正確無比な一撃に、ただただ攻勢に転じようとしていた怪物はバランスを崩し、その場で大きく転倒する。

 幾つもの建物をなぎ倒しながら転げ回った超重量の怪物は未だに何が起きたのか理解できずに天を仰いだままの状態で硬直し、冷徹な弾丸はその隙を逃さない。


 まず足の付け根を連続で数発貫き、間髪入れず比較的柔らかい腹部へ抉るような弾丸が叩き込まれる。

 最初の数発は固い部分にぶつかって皮膚すら貫通しなかったものの、五発目以降は確実に柔らかい部分を狙い撃ち、十発以降は息も吐かせないような連射速度で怪物の身体を削り取り始めた。


 意表こそ突かれたが、怪物は微塵も焦ることは無い。

 過去に幾度となく受けた硬質な欠片を使用した長距離からの攻撃と同類のこれは、例え的確に身体の脆弱な部分を狙い撃とうとも深刻な傷にならないのを怪物は知っていた。

 削り取られる量よりも再生する速度の方が早い。

 重心こそ崩れたが、それも意識外の攻撃であったからだ。

 今もなお攻撃の手を緩めようとしない狙撃手がいるであろう市役所の上層を捕捉して、アスファルトを抉りながら立ち上がった怪物は突進の為に四本足に力を込める。



「■■■■■――――!!!」



 突進を阻止しようとした狙撃手が、溜めを作っていた足を幾度となく撃ち抜いたものの、もはや怪物はその程度ではバランス一つ崩さない。

 恐るべき速さで飛びだした巨体に、狙撃していた眼鏡の女性、笹原知子は焦燥を表情に浮かべると同時に舌打ちをする。


 生存者達の最後の砦であるこの場所へ迫っていた異形の群れに対処すると言って飛び出して行った“死鬼”の手助けをしようと外を確認した知子だったが、視界に入ってきたのは暴れ回る“破國”の姿だけ。

 こちらに標的を定めた怪物に危機感を感じ、自身の唯一の銃器であるライフルで応戦こそしたが、それもこの有様だ。

 積み上げた障害物も全てなぎ払いながら一直線に突き進んでくる怪物の姿に、知子は覚悟を決めて外へと飛び出す準備をするが――――その前に動く影があった。



「――――おのれデカブツの腐れ牛がっ!! よくも死鬼様に手を上げてくれたな!!」



 障害物を吹き飛ばすほんの少しの間。

 僅かに動きが鈍った怪物の横合いから飛び出したのは巨人の群れを操る水野だ。

 巨人の群れが一つの意思を持つかのように黒い濁流となって“破國”の横腹を殴り付け、その巨体を僅かに浮かび上がらせ、突進を中断させる。



「水野さんっ!? どうしてここに……いえ、このチャンスはっ……!」



 戦線は崩れた。異形の群れは未だ底知れず、主である“破國”は今なお健在だ。

 異形の対処へと向かった筈の“死鬼”の姿が今は見えず行方は不明。

 状況は悪く切り札も無い、守るものがあまりに多く自分達に残されたチャンスはあまりに少ない。

 だからこそ、この時を逃すべきでは無いと知子は判断した。

 


 ライフル銃を小脇に抱え直し屋上から何の迷いも無く飛び出した知子は、攻撃の手を一切緩めず“破國”に追撃を加える水野の下へと向かう。

 屋根から屋根へと飛び回る彼女の動きはもはや常人の動きでは無い。

 “死鬼”から感染した菌はあまりに強靱で、医者から処方された薬物を使用しても知子の身体能力は超人の域に達する。

 人型としてかなりの安定性を見せている“死鬼”からの感染であるからこそ、死者や異形へと変異すること無く人間としての形を保てているが、異形と人の境界周辺にいるのは間違いなかった。

 危険な状態だ。

だがだからこそ、人間から“死鬼”に近付いた彼女の攻撃は“主”クラスの怪物にさえ通用する。



「ここで少しでも損傷を与えられればっ……!」



 屋根から“破國”の首下に向け跳躍し、身体を空中で回転させながら刃物の様な踵落としを叩き付けた。


 骨が砕けるような音と共に、衝撃を受けた怪物の後頭部に小さいながらも亀裂が入る。

 予想もしなかった支援に目を丸くしている水野へと視線を送り、知子が攻撃を続けるよう合図を送れば、水野も然る者。

 目線での合図だけで即座に反応した彼女は、引き連れているありったけの巨人に指示を出し、想定外の攻撃に怯む“破國”を一息に攻め立て始めた。


 泉北が用意していた巨人はおよそ三十程であり、角持ちは十にも満たず、さらに強力な“主”クラスの個体に至っては一体のみだ。

 対“破國”を想定して用意されていたそれらのほとんどが梅利によって潰された今、巨人の数は当初と比べると全くと言って良いほど残っていない。

 唯一“破國”に対抗出来るのではと期待されていた“主”クラスの怪物もいとも容易く屠られてしまっている。

 もっとも、強力な個体を操るにはそれなりの時間や材料が必要であり、強力なあの個体を操れるだけの力を持っていたのは泉北の爺だけだった今、あんなものが残っていれば暴走する事は目に見えているのだが……。

 ともあれ、通常の異形に比べれば弱いと梅利は断じていたものの、人を遙かに超える膂力を持った巨人が束になり水野という司令塔を持てば、角持ちでは無いとは言え恐るべき戦力となり得る。

 だからこそ、止めどない濁流のような巨人の攻撃は“破國”と言う怪物に対する有効打となり得たし、虚を突かれた化け物が行おうとしていた生存者への攻撃を抑える楔となった。


――――だが当然、そんなものは一時的なものにしかならない。



「な、ぐっ!!?」

「――――チッ……!」



 身体に纏わり付く虫を払うかのように、“破國”は勢い良く地面を転がった。

 “破國”からすれば何ら特別でも無い、動物で言う泥遊びに似たそんな動作は、小山程度もある巨大な体躯の怪物が行うと言う条件を加えただけで知子達にとっては恐ろしい脅威となる。


 近くにいた数体の巨人が為す術もなく潰された。

 浮き上がっている骨の鎧がまるでスパイクのようにアスファルトや建物を纏めて耕し、ほんの一瞬でその場が更地となる。

 辛うじてその攻撃を回避した知子と彼女に抱えられた水野は、想像を絶する目の前の光景に息を呑んだ。


 ズンッ、と超重量の巨体が体勢を立て直す。

 知子達の目前に落ち窪んだ深淵のような双眸が現われ、そこから漏れ出す真っ赤な攻撃色が絶望を彼女達にいとも容易く塗り込んだ。

 ガチガチと震え始めた水野の身体を抱きかかえ、引き攣った顔も戻すことが出来なかった知子の精神状態では、真横を駆け抜けた人影に反応出来なかったのは仕方ないことだろう。


 この場には、どれだけ圧倒的な性能の差を見せつけられても動揺一つしないもう一人の怪物が存在している。



「――――その面、よく私の前に出せたわね。ええ、正直言えば嬉しいわ、ぶつける相手のいない激情なんて空しいだけだもの」



 長身の人影が疾駆する。

 ひずめを踏み、凸凹とした骨の鎧を駆け上がり、ものの数秒で目標である“破國”の顔面まで辿り着くと、その女性は怪物の洞のような窪みに銃口を押し込んで狙いも付けずに即座に発砲する。

 

 獣の絶叫が町中に響いた。

 黒い液体が怪物の穿たれた片目から噴水のように噴き出して、巨大な化け物はあまりの痛みに悶え思考を放棄して暴れ回る。

 女性は既に怪物の眼前になどいない。

 サバイバルナイフで怪物の背をなぞるように切り裂きながら、縦横無尽に“破國”の全身に傷を付け、身体の至るところから出血を促していく。

 だが、骨の鎧は刃物を通さず、下に隠れる皮膚ですらあまりに強固である“破國”には手にしたナイフが耐え切れず、手元の部分から砕け壊れてしまう。

 だが、それを下らなそうに一瞥だけした女性は怪物の背中に複数のグレネードをバラ撒いて、数階分の高さはあるその場から一切の躊躇無く地面目掛けて飛び降りた。


 “破國”の背で巻き起こる爆炎と落下していく女性の姿に目を剝いたのは、それを傍で見ていた水野達だ。

 慌てて巨人に指示を飛ばして救出に向かおうとするが、いつの間にやら“破國”の骨に括り付けていたロープを支えに空中機動へ移行した彼女を見て、そんなもの必要ないのだと思い知らされる。


 誰よりも異形を狩り続けた者。

 誰よりも戦闘を望んだ者。

 自身の生存よりも異形の破壊を優先させ続けた彼女の技術は、こと人の範疇に置いて、ある種の限界まで研ぎ澄まされている。


 一年目は足を引っ張った。

 二年目は肩を並べ、時には貢献さえ出来るように。

 三年経てば作戦においての失態など犯さなくなり、四年経てば単体で異形を倒しきるまでになった。

 そうして十年のあまりに長い時間を、死線を潜り抜けることに力を注ぎ続けた彼女は、いつの間にか“南部”と言う戦闘に特化しているコミュニティにおいてさえ、並ぶ者は居ないと言われるほどに怖れられるようになったのだ。

 天性の才覚か、弛まぬ努力によるものか、若しくはギリギリの場所で生き残る幸運によるものなのかは分からないが、恐らくそのどれか一つの要素でも欠落していれば今の彼女は有り得ないのだろう。

 そしてその技術に果てなど無い。

 彼女の目的はあくまで異形全ての排除であり、それが終わるまで何一つ止まることは無いからだ。


 いくら種としての能力に差があろうとも、それを補える部分は無限にある。

 圧倒的な逆境を、知略や能力、機転で乗り切ってきたのは今まで沢山あった。

 培われてきた戦闘技術は、“死鬼”に言わせれば力無い者の足掻きでしか無いのだろうが。

けれど、後悔の上に折り重なった彼女という集大成は……もう誰かを救うには十分すぎるものとなっていた。



「■■ォ……!!?」

「お前との戦い方は昔からずっと考えていたわ。どうすれば規格外なお前達に勝つことが出来るのか私は延々と考えてきて、それをこなすだけの準備を怠る事は無かった。私が優位を取れる場所なんてそれしか無いもの……残念なことにね。けど、だからこそ私はお前を絶対にここで仕留める」



 決意を言葉にして、南部彩乃は片手の力だけで“破國”の身体にしがみつき化け物の全身を駆け巡る。


 張り付き距離を取らせない、徹底した動きで的確に“破國”の攻撃を躱す、そして移動と同時にナイフや銃を活用して怪物の身体を抉ると言う動作を、彩乃はひたすらに繰り返す。

 洗練された無駄の無い動きは、“破國”が繰り出す攻撃はおろか、発せられている高熱や他の異形による妨害すら寄せ付けない。

 ましてや怒りにまかせて暴れ狂うだけの怪物の攻撃など、限界まで研ぎ澄まされた彩乃に直撃などするわけがない。


 目の前で行われるたった一人の人間の戦闘に、知子と水野は目を剝いた。

 あれだけ規格外だと考えていた“破國”と言う怪物が手玉に取られている状況に。

 そしてそれを為しているのが自分たちと変わらないただの人間だという事実に、二人は戦慄を覚えるしかなかった。



「あ、彩乃ちゃんって……頭おかしいのね……」

「……なんなんですかあの戦い方。必死に覚えた私の動きよりもずっと……」



 標的が他の生存者から周囲を飛び回る彩乃へ完全に切り替わる。

 怨敵を引き摺り出すための餌よりも、障害となっている周りを飛び回る女を片付けるよう意識を切り替え、咆哮を上げ周囲の建物をなぎ払いながら攻撃を振り回し始めるが、それでも駆け回る彼女にはまるで当たらない。

 周囲を飛び回る小さな虫のように怪物の視界に幾度となく身を晒しながらも、制御された緩急の動きで怪物に捉えさせずにいる。


 目の前の状況を理解することは到底出来ないが、確実に時間を稼ぐことが出来ている。

 それは、紛れもない好機だった。



「彩乃さんが時間を稼いでくれているこの時間に何とか有効な攻撃の準備をしないと……」

「……薬品の投与は失敗に終わったものね。なら、作戦を次の段階に切り替えないと……か」



 「仕方ないわね」と吐き捨てて、水野はチラリと戦えない者達がいる背後の建物に視線をやり、他の者達が異形の群れと交戦している音が周囲一帯で続いているのを確認した。

 それから頭まですっぽりと覆った毛皮のコートを彼女は放り投げ、黒く罅の入った左手を眼前に構えて深呼吸をする。


 気持ちを整える、なんて生やさしいものでは無い。

 これはもっと禍々しく、もっと非道的な行為だ。

 異様な彼女の雰囲気に気が付いた知子が何かを口にする前に、光彩が消えた漆黒の双眸をゆっくりと開いた水野が“破國”へ向けて歩き出した。



「一体、何をするつもりなんですかっ!?」

「騒がないでちーちゃん、単に少し侵食を進めただけよ。予備の戦力を扱える様にするためにね」

「予備……?」

「そう、予備よ。出来れば使いたくなかった予備戦力」



 そう、最後の時まで隠すと密かに決められていた、いるはずの無い巨人の集団。

 それが、放棄した筈の“泉北”の拠点だった場所を破壊して飛び出した。



「――――秘密兵器、素敵でしょう?」



 数にすればほんの数体。

 だが、その戦力は全てが角持ちだ。


 水野がいる場所までの距離を、あらゆる障害物を破壊しながら一直線に突き進む巨人達の動きはさながら暴走特急だ。

 通常の巨人ですらかなりの膂力を持っていたのだ。それが角持ちとなれば、もはや人と比べる事など出来はしない。

 異形の群れ、建物、車やバリケードさえ吹き飛ばして、即座に水野の下へと駆け付けた角持ちの巨人達を従えて、彼女は未だ一人きりで“破國”と戦う彩乃に視線を投げる。



「ちーちゃんは下がっていなさい。荒っぽいことになるわよ」

「み、見くびらないで下さいっ……! 私だって戦えます! アイツだって戻ってきてないし……この場を死守するのは私の責務です!!」

「……まあ、貴方はもう大人だし、危機管理は自分でやって頂戴ね。それに――――始めに言っておくと、これは私の気性も荒くなるから」



 犬歯を剥き出しにして笑った水野が、罅の入った腕を振るえば爆発でもしたかのような轟音と共に角持ちの巨人全てが暴れ狂う“破國”目掛けて突撃を開始した。


 “破國”を翻弄し、休むこと無く駆け回っていた彩乃は、突然足場にしていた怪物の身体が急に浮かび上がり、側面から加わった強大な力で地面に転がされた事に目を剝いた。

 即座に反応し“破國”から離脱したため怪我は無かったものの、咆哮を上げて狂ったように怪物をサンドバックにする巨人の集団に眉を顰めた。


 忌々しい異形の存在に手助けされた。

 “死鬼”の件があったとは言え、そんな事実はまだ慣れなかった。



「趣味が悪くて、到底味方の支援とは思えないわ。……まあ、でも確かに心強くはあるけれどね」

「うふふ、わざわざ危険を冒してでも手に入れた力だもの。出来ることなら使いたくは無いけど、いつまでも出し渋るような事はしないわ」

「良いの? それ、どうせあの爺と同じでその身を喰らうものだろうから、寿命を削っているようなものなんでしょう?」

「そんなの、あの医者の最終確認に同意した時から覚悟を決めていたものよ。ほんの些細なことだわ」

「……そこまでして貴方が守りたいのは、後ろにいたあの子供達?」

「ああ……なんだったかしらね。忘れてしまったわ、そんなもの」



 彩乃が皮肉げに言葉をぶつけてみても、水野は遠い目をして視線一つ彼女に寄越す事は無い。

 妄執に囚われた狂信者のように、肉親の仇でも呪うかのように、複数の角持ちによって攻撃を加えられている“破國”をただ凝視し続けていた。



「……ふん。私は私で好きにやらせて貰うわよ」

「ええ、どうぞそのように」

「笹原知子、そのライフルで援護する方が危険は少なくて済むわ。撃ち方を心得ているなら、無理に私に付いてこないでこの女の護衛と援護射撃をお願い」

「――――はっ、はははっ! ふざけたこと言わないで下さい! 私の方が頑丈なんですっ、なら私が前に出るべきでしょうっ!」

「あらあら血の気が多いこと。まあ、そもそも私は後方で待機なんてしないわよ彩乃ちゃん。私だって多少は手段があるのだもの、手心一つ加えるつもりは無いわ」

「……扱いにくい奴らね。死んでも恨み言は聞かないし、墓も作ってやらないわよ」

「それはこっちの台詞です……! ああもうっ、先に行かさせて貰いますから!」

「あっ、ちょっとちーちゃん!?」



 ヤイヤイと言い争っていた彼女達が、知子が走り出したことを引き金に一斉に動き出した。


 碌に狙いも付けずに知子が発砲した銃弾が、“破國”の残っていたもう片方の目玉を正確に撃ち抜いた。

 纏わり付いていた巨人達を押し潰そうとしていた怪物は、突然襲い掛かった激痛に悲鳴のような咆哮を上げるが、それを黙らせるように“破國”は顔面を地面に叩き付けられる。

 後頭部を掴んで地面に叩き付けた巨人に続くように、即座に距離を詰めた知子が他よりも弱いであろう間接部を狙って打撃を仕掛け、それを追うようにさらに大きくひび割れた左腕を水野が鞭のように打ち込んだ。

 煙を上げて破損した箇所を再生した“破國”が反撃しようとするのを、まるで先読みしたかのように、肉薄した彩乃が両手に持った散弾銃を押しつけて怪物の喉元を吹き飛ばす。

 それでもなおも続けられる攻撃の数々は並の異形ならばひとたまりも無いほどの威力を持つものばかりであったが、怪物は碌な抵抗をすることが出来なかった。


 不協和音の様で、不思議とお互いがお互いを補っている。

 隙を埋め合い、思考の時間も、行動の自由も、状況の理解も、彼女達は許さない。

 もはや数の暴力。様々なダメージが蓄積していた今の“破國”には為す術など無い。


 異常な光景だった。

 人間が異形の王を圧倒する、言葉にすれば夢物語と笑われるような超常的な事態。

 数年前には考えられなかった、そんな有り得ないような事態がこの場所で起こっている。

 攻撃は当然碌に通らない。

 厚い皮膚に分厚いゴムのような筋肉、生え揃った剛毛は鋼糸のように堅く、皮膚を剥がされズタズタに引き裂かれた事によって生まれた骨の鎧は爆撃程度では傷一つ負わないだろう。

 そして、例え攻撃が通ったとしても、傷付いた端から再生する怪物の回復力に追い付くことは決してない。


 だがそれでも“破國”と言う怪物を、被害を出さずこの場に留め切っている。

 野放しにすることで起こりうる被害を抑え込んでいる事に変わりは無いのだ。



「押し留めこそ出来ていますがっ、これは……!」

「この状態こそ最良のものよちーちゃん! 欲張ったことを考えず目の前に集中して!」

「今は雌伏の時。いずれ糸口は見付かるわ、焦る必要なんて無い」

「なんで二人はそう余裕なんですか!? もうっ、分かっていますよ!!」



 攻撃の効果が見えないことに焦り、動揺を口にした知子を即座に諫めた二人の態度は対照的だ。

 水野はこの現状を維持しようと努め、彩乃は虎視眈々と活路を探っている。

 当然だ。なぜならこの二人の目的は違うのだ。


 水野は怪物を野放しにすることで出る犠牲を抑えるためであり、彩乃はあくまで倒しきる事を目的としている。

 抑えられている現状を継続することが水野にとっては何よりで、彩乃にとっては我慢するべき時なのだから。



「この国を落とした怪物、“破國”も攻撃手段や戦力があって、無理に討伐しようとさえしなければ十分戦える! このまま次の策か弱点を見付けられれば――――」






「――――そう、彼女達は思っているのかもしれないね」

「……何が言いたいんだお前は。一々言葉が足りなくて分かりにくいぞ」



 “破國”との戦闘を繰り広げる場所から少しだけ離れた場所で、撤退してきた明石達が荒れ狂うその戦闘を眺めていた。

 五分どころか、優勢を保っている知子達の様子に目を剝き、少しだけ沸き立っていた中で発せられた医者の言葉に、明石は怪訝そうに眉を顰めながら、説明を求め視線を送る。

 だが、そんな明石の視線に意を介さず、すまし顔の医者は寄ってきた異形達から攻撃の届かない安全な場所へと移動し、他の者達に処理を押しつけている。



「確かに、過去の事を考えれば、攻撃手段をあれしか持たない彼女達が“破國”に完全なトドメをさせるとは思わない。思わないが……戦えていると言う事実は変わりないだろう? この戦況を継続させることが出来れば、状況を好転させる切っ掛けを見付ける可能性が全くないとは言えない筈だ」

「うん? ああ、なるほどそういうことか。君達とは認識に違いがあると思っていたが、そんな根本的な事を理解していないとは思わなかった」

「……なんだと? 一々人の神経を逆撫でする様なことを言わないと気が済まないのかお前は?」

「おいおい、止めてくれ。僕にそんなつもりは無いのはよく知っているだろう。お姫様に無下にされた苛立ちを僕にぶつけないでくれるかい?」

「俺はっ、そんなつもりは無い……!」



 良いからさっさと答えろ、と言いながら、明石は襲い来る異形を接近させない様に弾丸をバラ撒き安全を確保する。

 苛立つ明石の様子を楽しむように医者はクツクツと喉を鳴らすように笑い、汚れた指先をくるくると回し始めた。



「死者は出来損ない、異形は適応した。この二つの境界はこう説明する事になる」

「どういうこと……いや、それがどうした?」

「感染に適合することが出来なかった者がその身を崩壊させたのが死者だ。元々あった細胞が拒絶反応を起こし、形を保てなくなることで生命活動を停止することとなる。だが、その身を巣喰う菌は体内で繁殖し、何とか崩壊を食い止めようと他の生物を補食させようとするんだ」

「……」

「それに対し異形は、菌に適合し、適合に会わせてその感染者の身体に適した最も優秀な形へと変化させたものを言う。個人の資質や感染させた対象、若しくはその時の状況によって左右されるが、いずれもそれぞれ特徴的な強みを持つことがあり、こちらは死者ほど捕食しようとする事は無い。まあ、つまり死者と異形の違いは別に強さでは無く、蔓延する菌に対しての適合性の高さの違いと言う事になるわけだ」



 どう言う意図の説明なのかと、思考を始めしばらく無言になっていた明石だったが、周囲を警戒していた者達から襲い掛かってきていた異形達の排除完了の報告が上がり、直ぐに遠回りに拠点に向け動くよう指示を飛ばしそれまでの思考を打ち切ってしまう。

 そんな横柄な態度の明石に対しても、医者は大して気にした様子も無く肩を竦めた

それから彼は、巨大な怪物があらゆる猛襲を受けながらも、憎悪に染まった赤い光を発する双眸からは欠片も力を失っていない事を確認した。



「……“主”とは、その地域を支配している異形を指すのであって、死者や異形との区別を付ける用語では無い。単純な強さで勝ち残った変異体でしかないそんな名称を持ったものに意味など無いが……その中でも例外は存在する。死者、異形の定義の中で、もしもさらに上があるのならば」



 波状攻撃に対応できずに歯噛みしていた状態だった視線の先の怪物が、悍ましい変貌を始めたのを、目を細めてじっと見詰めて医者は言葉を続ける。


 それはきっとああ言う奴らが該当するのだろう、そんなことを呟いた。






 最初に変化に気が付いたのは知子だった。

 “破國”の身体から発せられていた高熱の蒸気がさらに高温になり、異様な匂いが噴き出し始めた事に眉をしかめた。



「熱くなってる? ううん、それにこの異臭は……?」



 柄にも無く頭に血が上っているのか、猛撃を行う事に集中しきっている水野や集中攻撃を受けている彩乃は未だ気が付いていない。

 数字にすれば大きな変化であるかもしれないが、この場においてはさして気に留める程では無いであろうその差異に、どうするべきか知子は迷った。



「硫黄のような腐臭のような……死にかけているなら、良いのだけど」



 邪魔になりそうな位置にいる異形を正確にライフルで撃ち抜き、的にならないよう立ち回り場所を変える。

 つぶさに“破國”の全身を観察し、他に何か異常が無いかと探すが、何処にも大きな変化は見当たらない。


 どうしたものかと悩み始めた段階で、ズルリと“破國”に生えた尾が伸び、根元から新たに複数の骨の尾が姿を現わした。

 変化はそれだけに留まらない。牛の体躯に似た状態であった怪物の背が大きく盛り上がり、刃の様な赤く脈動した骨が剣山のように幾つも外に突き出した。

 ブチブチと、口のあった部分がさらに大きく横に引き裂かれ、鋭利な歯が外気に晒される。



「なっ、これは一体!?」

「一旦離――――!!?」



 近くにいた巨人の一体が、突然首が伸び喰らい掛かった“破國”に対応できず食い千切られた。

 足りない機動性を補うために、急激に膨張し伸縮した足がこれまでとは比べものにならないほど長いものへと変わり、さらに全身を覆っていた骨の鎧に幾重もの棘が生え広がっていく。


――――一際大きな蒸気の爆発が巻き起こった。


 直ぐ目の前が見えないほどに、高熱の蒸気で視界が真っ白へと染まりきった。

 咄嗟に危険性を察知した彩乃が、極限まで音を消した動きで水野を掴み、全力で距離を取りに走る。


――――直後に巻き起こった爆発は、純粋な暴力によるものだった。


 その場で回転した“破國”によって破壊された無数の巨人達が残骸となって撒き散らされる。

 アスファルトや建物の瓦礫が吹き飛び、“破國”自身の身体に張り付いていた脆くなっていた部分が砕け散る。

 それが、距離を取っていた知子達に散弾銃の弾のように突き刺さり、いとも容易く彼女達の身体を吹き飛ばした。



「ぐっ……っっ……! 痛っつ……!」

「あ、彩乃ちゃん!?」

「ふ、ざけ、すぎです……。なん、なんですか……これ」

 


 額に瓦礫が擦り出血する者、吹き飛ばされた先にあった壁に叩き付けられた者、熱風に全身を焼かれた者と様々だが、いずれも共通するのは満身創痍と言うことだけだ。

 ボロボロの身体となりながらも、爆心地から目を離してはいけないと必死に顔だけは背けない彼女達の前に――――それは姿を現わした。



牛と蜘蛛を歪に掛け合わせたような怪物だ。

 腹部から新たに生えた長い足を合わせると、8本にもなった怪物の足は強靱な筋肉と骨が混ざりあっている。

 蜘蛛のような腹部の膨らみは無いものの、尾骨の部分から生えた鞭のように長くしなやかな尻尾は3本へと変わり、そのどれもがそれぞれに意識を持つかのように動き回る。

 胴体部分は剣山のような棘が至るところから突き出して、その身を守る鎧となっている。

 そして、その頭部に至っては4つの巨大な角がその頭部を覆い、顔の下半分は蜘蛛のように横に裂けた巨大な口へと変貌している。


 まごう事なき怪物が、その場に現れた。



「きっ……機動性を、補うために……進化したとでも言うんですか……?」



 血の気が失せた顔で、巨大な複眼で自分たちを見下ろす化け物を見上げ、知子は愕然と呟く。

 返答の代わりにあったのは、横殴りに襲い掛かった巨大な尾だった。



「……あっ……――――」



 豪速で襲い掛かった尾を躱すことなど出来ず、建物ごとなぎ払われる事となった知子は悲鳴すら上げることは出来なかった。

 辛うじて銃を盾にしたが、それでどれだけ衝撃を抑えられただろう。



「ちーちゃん!?」

「馬鹿、落ち着きなさい! 次はこっちに来る!」



 即座にその場からの離脱を選択した彩乃に引き摺られる形で、水野もその場を離れたが、視線は吹き飛ばされた知子の姿を探し続けている。

 彩乃の予想通り、作り出された幾つもの眼球が彼女達を捉えて追い続けており、これまでに無かった複数の足による大跳躍は彼女達が必死に取った距離を一瞬で潰す。


 次の瞬間には目前に現われた巨大な化け物の姿に、彩乃達は息を呑み絶句した。

 桁違いの変貌。状況に対応した転化。これまでのただの天災のような暴威とは異なる、人が怪物を攻略しようとする事に対した対策を、進化という手札でやって見せたのだ。



「こ、これ……特効薬が撃ち込めても、無理だったんじゃ……」



 ポツリと呟いたそんな言葉は、姿を変貌させた“破國”の不気味な口から漏れ出る唸り声に掻き消される。

 硬直した水野とは対照的に、歯軋り一つした彩乃は即座に懐から複数のグレネードを放つ。



「まともじゃ無いっ……! こんなふざけた化け物をまともに相手取るなんて自殺志願するようなものだもの! 今はともかく逃げないと……!」



 生み出した幾つもの爆風を背に、水野の手を取り走り出した彩乃だったが、グレネードの爆発などものともしなかった“破國”にとってその背中はただの的でしか無かった。


 地面のアスファルトに巨大な足を突き刺して、岩盤ごと彩乃達を上空に放り投げた。

 突然空高く飛び上がった状況を理解できず、呆けた顔のまま目を剝いた彩乃達目掛け、鞭の様にしなった複数の尾が振り下ろされる。



「――――攻撃しなさい!!」



 死を直感した水野が咄嗟に吠えた。

 片腕に埋め込まれた細胞が、その声に反応してさらに活動を激しくし、身体への侵食を大きくする。

 黒いひび割れにも見える血管の隆起が、顔まで届き、痛みに耐えるように歯を食いしばった水野であったが、対価として払ったその痛みと引き換えに、水野の声に呼応するように動き出すものがあった。


 幾つもの巨人の影が“破國”に襲い掛かる。

 その叫びとほぼ同時に、角持ちや通常の巨人達の動けるモノ達全てが攻撃を繰り出そうとしていた“破國”に殺到し、彩乃達への追撃を阻止しようとしたのだ。

 角を持った巨人は一体一体が強力な力を持った化け物であり、致命打にならなくとも妨害程度は可能だと判断した水野の判断は決して悪いものでは無く――――それでも現実は、変貌した“破國”には何の意味ももたらさない。


 嵐が巻き起こった。

 少なくとも水野にはそうとしか思えなかった。

 飛び掛かっていたはずの切り札達の姿が巻き起こった爆風の後には跡形も無く、目前にはただ赤く光る巨大な怪物の双眼だけがある。



「――――あ、ああぁぁああああァァ!!!!!」



 咄嗟だった。

 腕の中に自身を抱え込もうとしていた彩乃を押し退けて、変異していた片腕を盾のように突き出したのは、打算があった訳ではなかった。


 だから惨めに砕けた片腕も、潰れた肩口から噴き出す流血も。

 自分自身のものである筈なのに何処か他人事のような感覚で。

 水野は不思議なものを見るような気分のまま、人形が子供に投げられたかのように宙を舞った。



「このっ、馬鹿女っ!!」



 彩乃は自身を守って吹き飛ばされた水野をしがみつくように抱き留める。 

上空に地面ごと吹き飛ばされて崩壊寸前のビルの屋上を転がり、落下寸前で何とか勢いを止める事に成功するが、同じビルの屋上に巨大な瓦礫となったアスファルトが降り注ぎ、ビルの崩壊が始まってしまう。

 

 生命線だった足場が砕け、バランスを崩した彩乃は立っていられずその場に倒れ、その拍子に掴んでいた水野を一瞬だけ離してしまった。



「――――っっ!!」



 身動き一つしなかった水野はその一瞬でビルの屋上に出来た巨大な亀裂から落下し始め、慌てて手を伸ばした彩乃は何とか彼女の片手を掴んだ。

 ビルの屋上で、全身を投げ出した状態の水野を片手で掴む彩乃の額に汗が滲む。

 引き上げようにも、揺れ続け手すりも無いこの場で下手に重心を移動させれば、彩乃もろとも落下してしまうのは目に見えている。


 今も瓦礫の雨は続いている。

 直ぐ傍で砕けた瓦礫の砂が彩乃の顔を打ち、切れた皮膚から血が流れる。

 グラグラと揺れるビルは、直ぐ倒壊が始まっても何一つ不思議では無い。



「くそっ! 意識をしっかり持ちなさい水野葵!! タイミングを見て引き上げる!! それまで耐えて!!」

「……は、はは。彩乃ちゃんはほんと……お人好しなんだから……」

「黙っていて! 私の身代わりなんてっ、ふざけた事をして! 意地でも引き上げてやるわ!」



 必死の形相で汗を滴らせる彩乃は、色を失いつつある水野の顔を睨むように見詰める。

 潰れた肩口から流れる血液はあまりに多い、直ぐにでも治療をしなければ命を落としかねないと素人の彩乃すら思うほどに重傷である。


 血の匂いに反応したのか、鳥の羽ばたくような音が上空から集まってきているのを耳にして、彩乃が周囲を見回せば羽の所々が禿げた化け物染みた鳥の群れが周囲を徘徊しているのを確認した。

 じっと彩乃達が弱るのを待っているのか、それとも瓦礫の雨が終わるのを待っているのか分からない。

 だが、奴らが襲ってくるのにそう時間を置くことは無いだろうと彩乃は直感した。



「“破國”に群れる雑魚異形どもめっ……!」

「……私を囮に」

「却下よ」

「あはは……頑固者め」



 近くで爆発が起こる。

 追撃を行うために追ってきた“破國”が、近くの建物の屋上からこちらを見詰めている。

 あれだけの巨体で、虫のように壁に張り付いている姿はもはや先ほどまでの生体とは一線を画しているようだ。

 幾つもの眼球で様子を窺う怪物の姿に、逃れることは出来ないのだと言われているような錯覚さえ覚える。


 何をとっても絶望的な状況、それを悟った水野は諦めたように軽く口元を緩めた。



「……ああ、全く……本当に頭の固い。貴方達のそういう所、本当に嫌いだったわ」

「……」

「私達がいくら言っても、死鬼様への敵意を無くそうとしない貴方達となんて永遠に理解し合うことなんて出来ない……そう思っていたのに、不思議ね。まさかそんな貴方と死に場所を同じにするなんて」



 何も答えない彩乃を気にした風も無く、水野はポツリポツリと話し始める。

 


「不思議ね……あれだけ憎かった筈の貴方達が、少しの間こうして接していただけでこんなにも、どうして私は貴方に生きて欲しいと思えてしまうのかしら……」

「……良く回る口ね、少し黙ってたらどうなの?」

「――――……ああ、思い出した……私は、誰かに生きて欲しいと思ったんだ。こんな皆が死に絶えるような世界で、私も死鬼様のように、誰かの命をつなぎ止められるような人に……」



 瓦礫の雨が止む。

 取り戻した筈の静寂は、逆に命のリミットを告げる最後の音色のようにゾッとするほどの冷たさを持っている。

 ビルの倒壊が進み、周りを旋回していた鳥の異形達が急降下し、狙い澄ましていた“破國”が圧倒的な脚力で襲い来る。

 そんなどうしようも無い状況の中で、諦めきったように微笑みを浮かべている水野の手を決して離さず――――それどころか彩乃はその手をさらに強く握りしめた。



「――――貴方と一緒の死に場所なんて、死んでもごめんだわ」



 そう言い捨てて、彩乃はその場から地面に向けて飛び降りる。



「な、にを」

「異形に殺されるくらいなら自ら死を選ぶ、当然でしょう?」



 彩乃のネジの外れた言葉に二の句が継げず、落下していく先にある地面に視線をやった水野は、その場に小さな影が現われたことに気が付いた。



「……まあもっとも、今回そのつもりはないけどね――――貴方達の神とやらを信じてみたらどうかしら、あの変にお節介な小さな神様に」

「し、きさっ……」



 ふわりと、落下してきた女性二人を軽く抱き留め、羽毛のように地面に着地した真っ赤な目を持つ異形はつまらなそうに溜息を吐く。

 諦めきっていた筈の水野は泣き出しそうな顔に、自分を抱く異形を見る彩乃は呆れたような顔をする。



「肝を冷やしたぞ脳筋女。お前のその決断力は長所であるんだろうが、見てるこっちはハラハラして仕方ない。もう少しものを考えてだな」

「うるさい黙れ、もっと早く来い頭でっかち。お前が吹っ飛んでいくのを見たときはこっちこそ血の気が引いたのだけど」

「あっ、あわわわ、し、ししししきさま、柔らかかかか」

「あ、頭でっかち!? お前助けた者に対して言う台詞がそれか!? 貴方は命の恩人です、感謝しています、くらい言ったらどうだ!」

「その言葉はお前には絶対に言うつもり無いから。もしそれが望みなら私以外を助けた方が良いわよ。……それこそ、ここにいるもう一人みたいに頭がキマってるような奴をね」

「葵は、葵は幸せですぅ死鬼様ぁ……ああ、鼻血が……」

「…………遠慮しておこうか」



 ぺっ、と二人を放り捨てた死鬼は、倒れてくるビルの残骸を払い落とし、急降下し強襲してきた鳥達を蹴り上げた散弾のような砂利で軽く全滅させる。

 そして、建物の屋根からこれまで見せなかった最大限の警戒を見せる“破國”を見上げると、値踏みするように変貌した怪物の全身を眺めた。

 お互いがお互いを観察する不気味な沈黙は少しだけ続く。


 落ちてくる鳥たちの残骸に一瞬目を見開いた彩乃であったが、死鬼の身体能力なら当然かと思い直し、すぐに片腕を失っている水野の応急処置を始めた。



「ばい……死鬼。アイツはあの姿になって尻尾での攻撃を多用するようになったわ。動きも速いし、空中も建物を使って動き回るようになった。後は……笹原知子は攻撃を受けて吹き飛んでしまったから安否は分からない」

「……ふん、まあそうだろうな。ああそうだ、応急措置にこの包帯を使え。あのデカブツの相手は私に任せて市役所の守りに入れ」

「何を言ってるの。私は確かに直接的な力にはなれないかもしれないけど、隙を見付けて援護くらいなら出来るわ。そこは信用してちょうだい」

「……信用はしてるさ。だが今回は言うことを聞いてくれ彩乃」

「なにを――――」



 言い募ろうとする彩乃の頭がくしゃりと後ろ手に撫でられる。

 ずっと昔にそうされたように、全くおんなじ感触の撫で方の筈なのに、何故だか彩乃はどうしようもない焦燥感に襲われた。



「言い方を変えようか、あの程度ならば私一人で十分だと言っているんだ。これ以上下らない犠牲を払うことが無いよう、お前は全力を注げ彩乃」

「……梅、利?」

「――――それに私も少々本気を出したいと思っていた所なんだ。そうなると周囲の被害を考えるのが億劫だからな、被害が出せない場所は一つに絞って欲しい」



 横顔から見える死鬼の瞳孔が縦に裂けていく。

 纏った空気が、よく知っている幼馴染の優しげなものから、悪鬼羅刹染みた恐ろしい重圧へと変わっていく。

 淡い色の絵に、黒い墨を落としたかのように切り替わっていく幼馴染の姿に、彩乃は縋るようにその手を掴んだ。



「梅利……梅利なんだよね? 貴方は死鬼じゃなくてっ、梅利なんだよね!?」

「……私は私だ。生まれたときから私は一つ。お前の期待には添えないかもしれないが、な」



 ヘナヘナと腰を落とした彩乃に一瞥もくれず、死鬼はようやく歩を進めた。

 一切の温もりの無い冷徹な眼光が“破國”の姿を射貫き、その全てを破壊するために死鬼は進む。



「残念なことに、ここがお前の死地だウスノロ。醜いその面はもう見飽きた」



 そうやって少しだけ笑ってやれば、“破國”は怒りに任せ襲い掛かってきた。



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