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見猿、聞か猿、言わ猿



 何時からだろう、正確な年数を知ろうとしないようになったのは。

 多くの時が過ぎたのを自覚しながらも、その過ぎた時を数えようとしてこなかったのは何故だろう。

 ……それはきっと、怖かったからではないかと思う。


 自分の記憶が過去の元となっているのだと、明確に数字として実感することがどうしようもなく怖くて、知らない様に逃げていたのではないだろうかと思うのだ。

 その行為に意味は無い、現実を知ろうとしない無意味な逃避でしかなかったと思うけれど。

 全てを知った今となっても、どうしても、知りたくなかったと言う想いは捨てきることが出来なかった。

 

 記憶に無い、おおよそ十年の空白期間。

 その間自分は異形としてか、もしくは死者としてこの地域を徘徊していたことになる。

 自分がその時に何をしていたのかを知る術はないが、当然人間的な行動はしていなかった筈である。

 多くの人に不幸を振りまいた筈だ、迷惑を掛けた筈だ。

 それを仕方なかったと割り切るのは、少し難しすぎると思う。

 …でもまあ、自分が何をしてしまったか分からないのだから、償いなんて出来ないしあまり気にしていても仕方が無いと思うから、今ウダウダ考えるのは辞めにする。

 それはそれとして置いておくとして。



 知子ちゃんの治療も終わり、日が暮れ始めているが夜まではまだ時間があるのを確認した俺は、少し話し合い、彼女を日が跨ぐ前にコミュニティの拠点へと送ることにした。

 たまたま地下街から抜け出せて、たまたま異形や死骸が活発となる夜を生き抜き、日を跨いで拠点に帰ることが出来たよりも、まだその日の内に帰ることが出来たとなれば所属しているコミュニティの人達も納得できるだろうからだ。

 あまりに疑惑が重なれば感染者扱いだってあるかもしれないから、可能な限り自然に彼女にはコミュニティに合流してほしかった。


 そう決めて、彼女の所属するコミュニティ拠点の目前まで来たのだが。



「梅利さんっ……! そんなっ、受け取ません、こんなに……!」

「あー、気にしないで。俺って低燃費であんまり食事とか必要ないし自分の分を確保するだけなら、ほんと何とでもなるし」

「でもっ、こんなに食料をっ……」



 良いの良いのと言いながら、手提げ袋一杯に入った食料を知子ちゃんに押し付ける。

 申し訳なさそうに受けて取りを固辞していた彼女も、俺が譲る気が無いと分かったのか何度かの押し問答の末ようやくその手提げ袋を受け取り、困ったように頭を下げてきた。


 実際、余裕を確保したいと言う想いと寂しさを紛らわすために行動を続けてきた結果、有り余るばかりの食料があったのは事実であったので惜しいと言う気持ちは無かった。

 彼女との会話は寂しさを掻き消すばかりか、昔気にかけていた少女との再会を果たすもので、正直今の俺にとっては願っても無い幸運であり、それの対価として自身の財産全てを要求されたとしても、文句の一つも無く応えてしまう程の魔力を持っていたから。


 だから、持って行ってほしかった。



「ありがとうございます……こんなに親切にされたのは、本当に久しぶりです……」

「ううんなんてこと無いよ、君達のコミュニティは多くの人が居るみたいだから、少しでも足しになれたら嬉しい。俺はもう少しであの場所を離れて新しい住処を探すから、もう会う事は無いかもしれないけど…君がせめて幸せになれる事を願っているから」

「……っ。なんで、貴方は……」



 一人と女性としての成長した彼女は、もう一人で泣いていた少女ではないのだろう。

 ここまで成長していく過程を見ることが出来なかったのは心残りだが、もう自分がでしゃばる必要なんてなく、彼女にとって花宮梅利と言う年上の男はもういらない筈だから、一人歩く彼女の背中を押すだけに留めようと思ったのだ。


 そして、自分の未練に決着を付けるための、せめてもの押し付け。

 送り出す時の餞ぐらい許してほしいと思った。


 涙ぐんで唇を噛んだ知子ちゃんに苦笑いを零して、懐から眼鏡ケースと少し前に警官の異形から頂いた小さな拳銃を彼女に渡す。



「それでこれは俺から君個人に宛てたプレゼント。割れてた眼鏡の代わりと、拳銃ね。弾は回転式のものだから5発しか入っていないけど、護身用に持っててもらえると嬉しい」

「……はいっ、すいませんっ、ありがとうございますっ……!」

「……会ったばかりの人に、そんな感謝なんてしなくて良いのに……」

「会ったばかりの癖に、親切ばっかりするからですっ……!」



 眉を八の字にして笑った知子ちゃんの表情に、肩を竦めて返してひらひらと手を振る。

 もう行きなと言う意味を込めて、彼女の背中が見えなくなるまで見送るからと言う意味を込めて、手を小さく振った。

 その意味を酌んだのだろう、少し顔を俯かせた彼女は背中を向けて歩き出し、少しだけ歩いた後足を止めた。

 こちらを見ることなく、彼女は問いかけてくる。



「あの、梅利さん。もし宜しければ、私達のコミュニティに所属しませんか? 口添えはします。悪いようにはさせません。だから……」

「……ごめんね」

「……そう、ですか。わかりました。色々ありがとうございました。お元気で……」



 分かっていたとでも言うように、微笑みを最後にこちらへ向けた彼女はまた歩き出した。

 今度こそ立ち止まることなく去っていく彼女の背中を見続けて、拠点のホームセンターの柵を手慣れた様子で乗り越えていく彼女の姿が安全域まで入って、中に居た人と合流したのを見て、俺はその場を後にする。


 親が子供を独り立ちさせる時はこんな気分なのだろうかともやもやした感情を抱えて、足早に風を切って歩く。

 ここまで来る時はあれだけ異形に出会わない様に慎重に行動していたのに、感情に流されて特に身を隠すことなく道のど真ん中を進んでいく。


 それでもすれ違う死者がこちらを見向きもしない事が、軽くなってしまった手持ちが、やけに空虚に感じられた。







 死者の住まう場所。

 地下の大空洞の巨大な墓所。

 光源一つないその場所を住処としている死者や異形の数は数百を下らないと言われており、僅かながら死滅したはずの虫や鼠と言ったものの異形すら徘徊しているとされている。

 人々がそれぞれのコミュニティを築く様になり、立て籠もり守るだけでは生きられなくなったそんな折に、徐々に食料や資材の調達圏を伸ばしていくなかでぶつかった問題がこの場所であった。


 基本的にどのコミュニティも死者や異形が活発な夜に行動することを避ける。

 それは強力な銃器を持っていた自衛隊さえも守っていた不文律、それは、闇の中に紛れる奴らに対して人はあまりに無力であるからだ。

 闇夜で目が利かず、数の利を覆せず、多種多様で独自の変異を遂げた奴らは固まり切った対応だけでは攻略を許すことは無い。

 それが地形の問題で常に夜と言う最悪の場所が、そうそうと攻略など出来る筈も無く、多くのコミュニティや自衛隊、警察が動いたが、結局最後は放置することとなった。


 結局大きく組織だって動いたものの、誰一人として攻略することが出来なかった難攻不落の死地―――そう思われているものの、しかし実情はそうではない。

 たった一人により、この場所の攻略は進められている。

 今なお、そして、そのほとんどを踏破しつつ住み着く死者達を刈り取っていた。



「いやあ、こうして歩くとやっぱり人間が生き残れるような環境じゃないって思い知らされるよな……」



 薄暗い地下街の道を継ぎ接ぎの迷彩服で身を包んだ少女が歩く。

 人ではありえないような輝きを伴う双眸が、隙無く周囲に視線を配り、その異常に発達した聴覚は僅かな空気の揺れ一つ逃さない。



「襲ってくるだけの奴は居ない……うん、結構倒したから当然か」



 そこまで言って、彼女はぴたりと足を止めた。

 手に持った銃の具合を確かめながら、その場で振り向いて足元の瓦礫を蹴り上げる。

 砲弾の様に打ち出された瓦礫は飛び掛かって来ていた巨体の下から突き刺さり、その身を天井に叩き付けた。



「……日課の続きをやりますか」



 少女はコツコツと小さく、確実に、誰も為し得てこなかった地下街の安全圏を確保していた。




 知子ちゃんを拠点まで送ってから二日。

 未だに引っ越しを終えることはできていない。

 …いや、待ってほしい、別に面倒だからと放置していたとかではないのだ。

 そもそも拠点を引っ越すと言ってもそんな大移動をするつもりは無かった。

 せいぜい一駅二駅程度の距離を動こうか程度のものを考えており、実はあらかじめ次の拠点は既に決めていて、下見だって済ませている。


 ある程度の重い荷物は事前に次の拠点に運び込んでいるし、俺としては意外なくらい順調に計画が進行していたのだ。

 けれど…そう、生活に必要な荷物を詰め込もうとした時に気がついたのだ、物を持ち運ぶための鞄が足りないという事に。

 だから良い感じの鞄が手に入るまでは適当にこの拠点で過ごそうと思ってふらふらしていただけで、計画をまともに進められない駄目な奴ではないのだ…多分…。

 

 閑話休題。

 ともかく、この大きな地下街は引っ越した後もまだ使用したいと考えていたから可能な限りここを根城にしている化け物どもの駆除をしておきたいと思っていたこと、そして目当ての物である大きな鞄を入手するためにこうして頑張っていたのだ。

 


「異形が3体。知子ちゃんを襲っていた異形が居たからまだ生き残りが居ると思っていたけど、結構いるものだなぁ……」



 ぼんやりと黒ずんだ空を見上げながら路地を歩きながら今日の駆除作業を思いだし、さらなる探索の必要性を身に沁みさせられていた。


 今回は無事、命の危険を感じる事は無かったが今後どうしようもない存在が現れたらと不安にはなる。

 逃げるだけならどんな存在からも成し遂げられる自信があるが、そもそもそんなものには会わないのが一番いいのだから、出来るなら早めにあの場所を確保して、自分の使用する出入り口以外を封鎖したいと言う想いがあった。

 そうなれば、気軽に食料の調達だって出来るし、なんなら地下街全てを拠点としたって良いと思う。


 そんな考えで皮算用していれば、ふと何かの気配を感じて遠くの建物の上に視線をやった。

 倒壊したものも含めれば三つ程度先にある、ビルの屋上あたり。



「異形……かな」



 建物の上を飛び移っている影を見掛けて呟く。



「あれ?」



 その影の姿をじっと観察していれば、ちらりとこちらに気が付いたその猿のような風貌をした異形はこちらを警戒するように大きく距離を取った後、建物から建物へ飛び移って逃げて行った。

 迷うそぶりすらないその逃げっぷりに、ぼうっと逃げた背中を見詰めていたが、襲い掛かって来ない奴らに対して態々攻撃を仕掛ける必要はないかと判断してこちらも視線を切った。



「変な……妙な異形だな」



 基本的に死者同士は共食いをしない。

 原因は知らないが、例え徘徊する最中にお互いがぶつかり合ったとしても攻撃する様子が見られないことから、それはきっと習性としての基本なのだろうと思う。

 そんな基本があるのだから、何時まで経っても奴らは減らないのだろうとも思うが…今はその話は良いだろう。

 俺にとっての問題は、それの例外に当たる存在が居る事だ。


 それが異形という存在である。

 死者は体の損傷度合いに関係なく人型を保っているのに対し、異形はもはや原型を成していない場合が多い。

 その姿は多種多様であり、特色も死者のそれとは異なる。

 動きが遅い、頭が悪い、どこにでもいるが特徴の死者に対して、異形はそれぞれが個性を持つ。

 例えばついこの間の蜘蛛のような異形であれば、足が速く、爪のような部位を持ち、天井などの立体行動を可能としていた。

 やっかいの度合いで言えば死者の比にならず、多くの者がこれの犠牲になったことは想像に難しくない。

 しかし、一見バラバラに見える彼らの習性だが、一貫している行動の中に異形同士での争いがある。

 縄張りを争うのか、それとも単純な力比べか、ともあれそんな行動を取る彼らは同様に、死者は行ってこない攻撃を俺に対して行ってくるのだ。

 地下街での安全確保はもっぱらそんな理由から。

 だから、異形を見掛けたら可能であれば隠れるか、身構えて攻撃に備える様にしているのだが…、どうやら例外も居たようである。


 路地を抜けた先の角を曲がり、墓地を周囲に構えた古びた教会に辿り着くと嫌な音を立てて開く扉を押して地下へと急いだ。

 コミュニティ間の不仲もそうであるが、先ほどの異形の行動も気になる。

 早めに態勢を整えなければと、部屋に入れば取って来た背負う形の大きなカバンを床に下ろしてあらかじめ纏めて置いた荷物を詰めて込んでいく。


 鞄に詰め込んでいく物のほとんどは衣類と武器ばかりで、我ながら物騒だと思ってしまう。



「……さて、これで詰め込みは終わりかな」



 最後に必要なものを取ってきたため、直ぐに荷造りも終わってしまう。

 考えてみれば初めての経験であるこんな作業も、物が少なければこんなにも楽なのだと実感しながら立ち上がった。



「夜の移動になっちゃうけど、まあ俺には関係ないよな」



 伸びをしてから荷物を片手に立ち上がった。

 詰め込んだばかりのリュックと以前から用意していた手提げ袋を持って古びた教会を後にしようとするが、外に出た途端に淡い寂寥感に襲われ振り返ってしまう。


 なんだかんだ長い事拠点とした場所であるからそれなりに愛着もあった。

 教会裏の墓地に埋葬した時からこの場所に住み始めたが、それもこれで終わりなのだと寂しく思う。


―――そんな風にもたもたしていればどうなるかなんて分かっていたにも関わらず、である。



「―――しまっ!!?」



 気が付いた瞬間、上空から飛来した電柱に押し潰された。


 かなりの高所から落されたのか、俺を挟む形で落下した電柱は先端を砕かせて瓦礫を周囲に撒き散らす。

 先程までは静寂しかなかった周囲から、ギギッと言う獣の嘲笑を含んだ鳴き声が一斉に鳴り響き始め、巧妙に隠していた重厚な獣臭が露わになる。


 群れだ。先ほど見掛けた猿のような風貌の異形が、群れを成して周りを取り囲んでいる。


 ギチギチギチギチ


 金切り声にも似た鳴き声を振り撒いて、周囲を飛び回る猿は木の洞のような目を砕けた電柱に向けており、小さな石を拾って投げつけてくる奴もいた。


 彼らの姿は、死者と似通っている。

 ボロボロの毛皮に、血が滲んだ口元と目元は長い間空気に触れていたのだろう、カラカラに乾き切っている。

 ぼんやりと、先ほど見かけた猿が仲間を呼んできたのかなんてどうでもいいような事を考え、電柱に押し潰された状態で彼らの姿を薄く開いた目で眺める。

 異形や死者が群れを作るなどありえない、そんな認識を覆す様な光景を見ても俺は何も口から発することが出来ない。


 そんな俺の姿を愉しむように周囲で近付きすぎることなく飛び回っていた猿どもであったが、その群れの中から、一際大きく口元がむき出しの禿げ猿が姿を現した。


 恐らくアレがこの電柱を落したのであろう、そしてこの群れを率いる存在である事を確信する。

 警戒一つすることなく、堂々とした姿で仕留めた獲物に近付いてくるそのボスは、飛び回っていた猿どもを引き攣れて、何か鳴き声でコミュニケーションを取っていた。


 異形の枠組みに入っている自分でも、彼らが何を話しているかは分からない。

 猿の鳴き声など分かる筈がない。

 そしてきっと、知る必要など無いのだろう。


 どうせ彼らと話す試みなどする事も無く、命を落とすことになるだろうから。



「―――掴まえたぁ……!」

「ギッ、ギガギィッ!!??」



―――もちろん、命を落とすのはお前だがなっ……!


 目前まで迫ったボス猿の首元へと伸ばした片手で締め上げる。

 何も反応できず、ただ驚愕の声を上げる禿げ猿が綿菓子でも捻る様に締め上げられた自分の首を確認する前に、引き千切った。

 騒然とする周りの猿どもに口角を限界まで引き上げた笑みを向けて、物言わぬ骸となった手元の禿げ猿を放り捨てる。


 じっくりと黙っていたのはこのためだ。

 生きていると気が付かれない様に息を潜め、体を動かさない様に注意して、無警戒に近付いてきた頭を刈り取った。

 奇襲してきた奴らに対して有効な手の一つだ。

 俺も実は頑丈な体に物を言わせて結構多用している。



「1,2、3、4……16体ね。……逃げても良いよ? まあ、逃がすつもりは無い訳だけど」



 顔を引き攣らせた猿どもは、嫌に人間染みていた。




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