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悪夢の始まり


 生存者達の存亡を掛けた戦いの行方は見るも無惨なものだった。

 優勢に進んだのは最初だけで、後は崩れ落ちる一方。

 町に侵入されてから、異形の群れが纏まっている内に大部分を焼き払うという作戦は途中までは正しく機能していたし、それなりの効果は見えていたように思う。

 万全でこそなかったが、土台としては十分。

 作戦としての体を為す程度には要点を抑えていたはずだった。

 

 それでも結果が着いてこなかったのは要因として挙げるなら、最大級の警戒を払ってなお“破國”と言う化け物を過小評価しすぎていたことだろう。

 

 

 

 

 “破國”と言うのは、一言に言えば牛だ。

 異常なまでに太い四本足を持ち、小山程度はあるだろう巨大な体躯は隆起した赤熱の筋肉がほとんどで、常に身体からは湯気を立ち上らせている。

 全身の骨が鎧のように剥き出しで、頭蓋から生え揃った複数の強靱な角が幾つも渦巻いている。

 

 この化け物は全身が堅牢だ。

 そんなことは分かっている。だからこそ、今回“ヒプノス”を撃ち込む場所に選ばれたのは骨の鎧を的確に外した生物として柔らかいであろう首元の隙間であったし、弾丸に改造した薬品の外装は通常の銃弾に比べてもなんら遜色は無いほど強固であった。

 確実に体内に撃ち込めるよう、そして熱で溶け出した弾丸の外装の隙間から“ヒプノス”が漏れ出せばもはや取り出すことは不可能。

 過去の“破國”との戦闘資料から、銃弾が辛うじて通る場所を算出した。

 必要な強度も、威力も、角度さえも考察して放たれた必勝の筈の弾丸は、それでもその化け物の肉体を貫くことは出来なかった。

 

 “破國”の硬度は彼らの想像の遙か上を行っていた。

 

 過去の例など参考にはならない。

 なぜなら、生物が進化する過程を異形は数段飛ばしで順応し環境に適応する。

 彼らは常に環境に適応する形で進化を続け、適応に成功した存在が異形となってきた。

 生死を彷徨うような環境に置かれれば、異形はより強固な外殻、高度な再生能力を有するようになり、身体能力の向上だって見られるのだから。

 だが、“破國”程の能力を有して、危険な状態に陥られるようなことはそうあるわけでは無い。

 過去にあった、たった一度の危険な経験を経て、“破國”はさらに化け物染みた能力を向上させたのだ。

 

 だからこそ、もはやこの場にいる生存者達の戦力で“破國”と言う化け物を倒すことは、“ヒプノス”と言う切り札を使用したところで至難と言うほか無かった。

 

 少なくとも、相手の戦力を見誤った状態で倒しきれるほど甘い相手ではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

「戦線が完全に崩壊していますっ……! 残った異形の群れが町に広がって――――こっちにも複数体向かってきています!」

「っ……、私が向かってきている異形どもは処理する! 知子は現状に合わせた避難を建物の中にいる奴らにさせろ!」

「分かりました、くれぐれも怪我をすることのないように!」

 

 

 そう言うが早いか、俺は建物の屋上から飛び降りる。

 少し前は4階の高さなんて地上をマジマジと見ることすら難しかったのに、いつの間にか飛び降りることすら躊躇しなくなってしまった。

 

 高所からの落下で重さが乗った拳をそのまま地面に叩き付ければ、地盤が砕け散り脆くなっていた道路がはじけ飛んだ。

 浮かび上がったアスファルトの瓦礫の中から大きめのものを幾つか掴み取り、その場で身体を回転させて全力で投擲した。

 戦闘態勢すら整っていなかった異形が数体はじけ飛ぶのを最後まで確認せず、異形の群れの中に一足で飛び込んでいく。

 

 一度腕を振るえば薄紙を裂く感覚と共に数体の異形が千切れ、集中した今の俺の視点からは反撃してくる化け物達の攻撃は止まって見える。

 もう自分と意識は消えてしまうものだと割り切ってしまえば、通常の異形など敵では無い。

 文字通り鎧袖一触ではあるが、この町に侵攻してきている異形の数はあまりに多すぎてこの程度では焼け石に水程度の駆除しか出来ていない気がする。

 

 

「くそっ、俺は余裕があるけど、このままだらだらやってたら他の場所の被害が尋常じゃ無いよなぁっ……! 彩乃の方も行かないと不味そうなのにっ……!」

 

 

 そんな風にぼやいてみても異形どもは攻撃の手を緩めず、次々に死骸へと変わり果てていく。

 

 俺が数十程度の死骸を作り上げた段階で、流石に知性の薄い異形でも危険に気が付いたのかがむしゃらに襲い掛かってくるのを辞めて距離を取り始めた。

 ちょうど俺を中心とした空間が円状に出来上がり、取り敢えず小休憩かと一息入れ、以前よりも圧倒的な向上を見せている身体能力を馴染ませるよう何度か手を開閉させる。

 

 

「……さて、どうしようか。このまま時間稼ぎするのは難しくないし、なんなら時間さえあれば群れを全部倒すことは出来るだろう。ボスのあの牛は勝てるか分からないし、なんなら“ヒプノス”が入っている状態だろうからあまり近寄りたくない……でも、あれを放置するのは危険だよな……」

 

 

 近付いて見て、さらにその建物よりも巨大な体躯を持った異形の規格外さを理解する。

 視界外から飛び掛かってきた首の長い異形を裏拳で砕き、どうしたものかと少しだけ頭を悩ませたが、結局深く考えるのは辞めることにした。

 

 

「……まあ、結局これが一番だよね」

 

 

 やることを決めて、最も近くにいた固そうな見た目をしている異形の頭を掴み取る。

 それから、生存者の攻撃を受けながらどこか気だるげにそれらを蹴散らして、建物や防壁の破壊を行っている“破國”の姿を確認する。

 “破國”の身体が大きすぎて距離感が狂うが、数キロ先にある“破國”の横腹目掛けて、手に持った異形を全力で投擲した。

 

 破裂音と共に投擲した異形が砕け散る。

 無事に着弾し、“破國”の身体に固そうな異形が叩き付けることに成功したが、叩き付けられた衝撃に驚いた様子を見せたものの大したダメージは無いようで、“破國”は直ぐに俺の姿を捕捉してきた。

 じっと洞のような双眸を俺へと向け、マジマジと珍しいものを観察するかのように生存者達への攻撃の手を止めた。

 

 

「かかってこい! この私が相手してやろう!」

 

 

 意気揚々と宣言して“破國”を見詰め返せば、その歪な異形もじっと俺の事を見詰め続ける。

 生存者達の攻撃は今なお続いているにも関わらず、そんなことは気にも留めず、不気味にさえ感じるほど身動き一つ見せることは無い。

 その事に少しだけ拍子抜けしながら、これはこれで時間が稼げているから良いかと思い直した。

 

 あの場で戦っている人達はただでさえかなりの異形の群れに囲まれている筈だ。

 そんな中で、同時に最強の異形とも言われる“破國”の相手は不可能だろう、だから体勢を整えるまでの間、俺が“破國”をあの場から離し、知子ちゃん達の元へと向かおうとしている群れ共々抑えれば何の問題も無い。

 可能かどうかが悩みどころだったが……まあ、多分なんとかなるだろう。

 なんだかんだ今までだってやってみれば案外どうにかなってきたのだから、なんて楽観的に考えながらも、どうせ選択肢はなかったのだと自分に言い聞かせる。

 

 かなりの距離があるにも関わらずヒシヒシと背筋を凍らすような恐ろしい重圧感が襲ってくるが、もう後には引けない。

 気を引き締め直そうとしたところで――――ようやく“破國”に変化があった。

 

 

 じっと、その場で止まって俺の事を凝視していた“破國”が僅かに身体を動かした。

 

 生存者達の攻撃が今なお続いている中でそれらに意を介さず、微動だにせず俺を見ていた化け物が少しだけその顔を動かして。

 

――――宝物を見付けたかのように、凶悪な笑みを作った。

 

 

「――――……え?」

 

 

 次の瞬間、視界に広がっていた筈の異形の群れが巨大なナニカに叩き潰された。

 

 それがひづめにも似た何かの足なのだと思い付いたときには、身の丈ほどもある杭のような突起が俺の腹部に突き刺さり。

 

 次の瞬間には強烈な浮遊感と共に視界が高速で回転して、さらに追い打ちを掛けるように横から叩き付けられた衝撃で為す術無く吹き飛ばされた。

 

 

「ご、こほっ……血が……なに、が……?」

 

 

 数回地面を跳ね、ゴロゴロと地面を転がった俺は状況が分からず、迫り上がってきた血液を口から吐き出し四つん這いになるが、暇もなく大きな影が俺ごと地面を覆い尽くす。

 確認するために顔を上げようとして、それよりも先に降ってきたひづめのような足に叩き潰された。

 大理石のような冷たさを持った通常の生物では有り得ないような。

 “破國”の巨大な足だ。

 

 訳が分からない。

 俺と“破國”までは数キロの距離があった筈だ。

 俺が自分に注意を引いて、アイツは動きを止めていた筈だ。

 それで、ようやく動き出したと思ったら皮の無い顔で不気味な笑みを浮かべただけで。

 次の瞬間には俺が宙を舞っていた。

 

 何が起こったのかが分からない。だが少なくとも分かることは、俺が今“破國”の足で腐った果実かのように潰されようとしていることだ。

 

 

「お、おああっ……! くっ、この……離れっ!」

 

 

 背中に掛かる重圧を押し返そうと両手で地面を支えにするが、まるでびくともしない。

 むしろ、さらに込められた重量に耐えきれず、顔から地面に叩き付けられ地面深くまでめり込んだ。

 

 ミシミシと身体から嫌な音が鳴り始める。

 痛い、それは久方ぶりの感覚だった。

 この身体となってから、球根の化け物の菌による攻撃のようなもの以外はまともに痛みを感じたことはなく、痛みから無縁の生活を送ってきた。

 そう言えば、あの巨人も“破國”の細胞を使って作り上げられていた。

 だからあの巨人の攻撃も僅かとは言え俺に通っていたのかと納得しつつ、角が突き刺さった腹部の痛みに呻く。

 

 

(こ、このままじゃ潰されるだけだ、上に行けないならっ……!)

 

 

 踏みつけられながら、今度は地面を掘りさらに下へと進むことにする。

 確かこの場所は地下街の上だ、どの場所に行くかは何度も何度も地下街を探索していたから何となく分かる。

 

 なんとか地下街へと突き抜けて直ぐにその場を離れ、別の場所から地上に飛び出して“破國”の背後を取る。

 大きすぎてどう攻撃すれば良いか全く分からないが、ともかくこのチャンスを生かそうと後ろの左足を全力で殴り付けた。

 浮き出た骨の鎧の上からの攻撃だったが、ぐらつかせる程度の衝撃は与えられたらしく“破國”の重心が揺れ、動きが一瞬止まる。

 その一瞬を逃がすまいと、“破國”の身体を足場に一気に胴体部分まで駆け上がった。

 

 

 “破國”の攻撃は異常だ、まともに正面から受けたら頑丈なこの身体でもかなりのダメージを負うことになる。

 巨大な体躯から繰り出される攻撃なのだからそれは仕方ない、だが先ほどの速さは何だ。

 まともに受けてはいけない攻撃を繰り出してくるにしては少し……動きが速すぎやしないだろうか。

 俺がこいつに向けて投げた異形よりも速く、俺の目を持ってしても捉えることが出来ないほどの速度、一瞬であの距離を詰めることが出来る脚力は流石に有り得ないと思う。

 この身体の硬さに救われたが、普通であれば一撃で消し飛ぶような攻撃を上手い具合に受け反撃に移る事が出来たこのタイミング、最大限有効に使わなくてはいけない。

 

 攻撃の重さよりも速さが問題なのならば、足を潰すのが先決だろう。

 だが、地上で足ばかり攻撃していても直ぐに反撃されることは目に見えている。

 まずは頭にダメージを入れ、動きを止めて、後ろの左足を狙い潰す。

 

 

「これでっ……!!」

 

 

 背中から頭部へと飛び付き、拳を叩き込む。

 角の隙間を縫うような一撃は、破國の巨大な頭蓋を地面に叩き付け、周囲にいた異形どもを纏めて潰す。

 おまけにもう一撃打ち込んでから、暴れ始めた“破國”の頭から離れ作戦通り後ろの左足の近くに着地して、回し蹴りを加える。

 足払いを掛けられたかのように、バランスを崩した“破國”の体躯を上空目掛けて殴り上げた。

 

 “破國”の巨体が僅かながら宙に浮く。

 どれほどの重量があるのか分からないが、殴った腕がしびれるほどの大重量なのだろう。

 巨体が転がっていく様を確認しながら、腹部を抑えようやく一呼吸置く。

 

 

(重いし、堅いし、痛いしっ……! でも、泣き言言ってる暇も無い……こいつ本当に今まで戦った奴らの中でも桁違いだ)

 

 

 口端から流れる血を拭い、砂煙の中でゆっくりと身を起こす“破國”の一挙手一投足を警戒しつつ出方を窺う。

 光の無い洞のようであった双眸が今は赤い光を灯し、戦う前までのゆったりとした動きが嘘のように激しい攻撃色に染まっている。

 

 

「ああそうか、お前にも因縁があるんだな」

 

 

 溶岩が上げるような湯気を体中から立ち上げ、鼻息を荒げる“破國”から少しだけ視線を逸らし自分の腹部を見れば、受けていた傷はもう再生したようで破れた衣から見える肌には傷一つ無い。

 傷を受けてからの経過を見るのは初めてだが……確かについさっきまでは抉られた痕が腹にあった筈だが、どうやらこの身体は再生力も高いらしい。

 

 自身の化け物さ加減に溜息を溢しそうになるが、現状それは好都合だ。

 思う存分怪力を使い、無尽蔵の体力で眼前の異形を振り回してやろう。

 

 

「さて、俺はお前に勝つことは難しいだろうけど……まあ、いくらでもやりようはある。しばらくの間付き合って貰おうか」

 

 

 少しだけ腰を落としてすぐに動ける体勢を作り、次の攻撃、若しくは“破國”の攻撃に備える。

 

 この戦いの余波だけで大分群れ立っていた異形の数を減らすことが出来た。

 もちろんまだまだ数はいるが、この調子で“破國”を誘導して他の異形を巻き添えにしつつ時間を稼げば、かなり生存者達の戦いは有利になる筈だ。

 なにせこの巨体、まともに敵味方の判断もしていないようで周囲にいた群れの巻き添えなど微塵も気にしている素振りを見せない。

 こいつ単体としての危険性はかなり高いが、まともな知性が無いと言うだけでかなりやりやすい。

 だからこの町に入り込んだ異形どもの排除を最優先として、問題であるこいつ自身を存分に利用させて貰おう。

 

 案外何とかなりそうだと思いながら、“ヒプノス”が打ち込まれたであろう首元に視線を向ける。

 時間を稼いでいる内にこいつが倒れればそれはそれで俺の勝ちだ、状況は思っていたよりも悪くないらしい。

 

 そう思い、少しだけ勝ち筋が見えたのも束の間。

 

 “破國”の動きに変化があった。

 

 

「■■■■ーーーーッッ!!!!!」

 

 

 近くにあった崩れかけた建物が倒壊する程の咆哮を上げて、ねじ曲がった双角を俺に向けて前傾姿勢を取る。

 “破國”の足下を中心に地割れのような罅が地面を走り、こいつがどれだけ力を溜めているのか背筋にうすら寒いものを感じて、回避に移ろうと足に力を込めた。

 先ほどの目で追うことが出来なかった突進の予備動作に似た動きではあるが、明らかに異なる部分が幾つか存在する。

 

 力を溜めるのに時間など使っていなかった。

 深い前傾姿勢を取っていなかった。

 ねじ曲がった双角をこちらに向けていなかった。

 こいつの目は、赤い光を灯していなかった。

 

 瞬間、頭の中に大音量の警鐘が鳴り響く。

 背筋が凍り、身が竦む。

 

 

「――――まずっ、避けないとっ……!!?」

 

 

 言葉と共に動けたのはほんの一歩だけ。

 爆発が起こったかのような爆音と同時に、“破國”の黒い巨大な体躯が飛び出した。

 

 速すぎる。

 目で捉えきれないあまりの速度にその動きを認識するのを早々に諦め、俺は全力で横へと転がった。

 ほんの数ミリ、すんでの所で避けきったその一撃は、それでも巻き起こった爆風で転がされ、砕けた瓦礫が撒き散らされる。

 こんなものまともに受けていたらひとたまりも無かったのではないかと安堵する間もなく、通り過ぎた“破國”がいる方向からもう一度爆音が鳴り響いた。

 

 

「――――……あ」

 

 

 避けた筈の“破國”がもう一度俺に向かってきている。

 大地を抉り飛ばす鏖殺の一撃がまだ俺を狙い続けている。

 急激な方向転換など出来るはずが無いあの突進を、それでも成し遂げてしまう最悪の化け物に恐怖した。

 目前まで迫った全てを壊す巨大な破壊鎚に、もう為す術が無いのだと理解した。

 

 

――――自分の身体の砕ける音が聞こえ、俺はボロ絹のように叩き潰された。

 

 

 

 

 

 

 “破國”に破壊された戦線は未だ立ち直ってはいなかった。

 作戦の根幹である特効薬を撃ち出す装置は既に壊れ、設置されていた建物も完全に倒壊してしまっている。

 今は、武器を持った動ける者達が襲い来る異形の群れと交戦しているが、それもいつまで持つか。

 

 地力が違う。

 勝てるように出来ていない。

 かつて人々の英知が結集した科学の力を用いてなお、勝つことの出来なかった異形と言う化け物達に対して、当時に比べてしまえば粗末としか言いようがない今の武装では話になる訳がないのだ。

 

 そして、そんな事を彩乃は充分理解していた。

 だからこそ、最初に決定打を与える事に失敗した彩乃達は無理に戦闘を継続する訳では無く、早々に戦法を変える事にしたのだ。

 ある意味で生存率が高く、“南部”が良く使用していた少ない戦力で相手をかく乱する、ゲリラ戦法の運用だ。

 

 陽動、かく乱、潜伏、奇襲。

 あらゆる訓練を行い、被害を最も出さない戦術を作り上げてきた“南部”という戦闘集団だからこそ、突然の作戦の瓦解にも柔軟に対応し、戦局の変化に即座に順応することが出来た。

 

 

「――――チッ、地の利はもう完全に失われてる……! 勝機なんて言っている状況じゃないっ、撤退状況はっ!?」

「建物からの撤退はほとんど完了しています! 拠点までの撤退路は確保しました、問題は“破國”の動静だけです!」

「よしっ、なんとか活路は残っているわね。それで、肝心のアイツはどこに移動したの?」

「遠すぎて判明は難しいです、ただ……かなり暴れている様子があるので、“死鬼”と交戦中なのではと……」

「――――……“死鬼”と交戦中?」

 

 

 彼女にとって他の者とはまた違った意味を持つその言葉に、いつの間にか見えなくなっていた“破國”の姿を思わず探す。

 そして、遠くで荒れ狂う巨大な化け物を見付けて表情を消した。

 

 

「……少し出てくるわ」

「ちょっ、何言ってるんですか!? 撤退を完了しても、ゲリラ戦は継続するんですよ!? 彩乃さんが居なかったら誰が指揮を執るんですか!」

「指揮なんて私よりも上手い人はいるでしょう。貴方とか凄く上手いし、何の問題も無い」

「そ、そんな事言わないで下さいぃぃ! “死鬼”が戦うんなら負ける訳ないじゃないですか! 放っておいても大丈夫ですよぉ!」

 

 

 アイツの規格外っぷりは彩乃さんも知っているでしょうぅ……、なんていう悲鳴にも似た泣き言を聞き流して、彩乃は自身にしがみ付く腕を引き剥がしに掛かる。

 

 彩乃という戦力は、今の生存者の中において非常に貴重だ。

 銃器の扱い、潜り抜けた死線、経験の数、戦闘センスは他の追随を許さない。

 そして同年代の同性に比べ、圧倒的なまでの身体能力を持つ彩乃は単純な戦闘員としても破格なのだ。

 彩乃が抜けてしまえば、その替えなど利かない。

 だからこそ幼馴染の安否を気にして飛び出そうとする彩乃を行かせる訳にはいかないのだ。

 

 

「ちょっと、なにやってるのよ」

 

 

 そんなグダグダとした彼女達の隙を突いて襲い掛かっていた異形を、巨人の腕が叩き潰した。

 

 突然の出来事に、反射的に銃を構えていた綾乃と縋り付いていた者は目を白黒させながら、その声の主である水野を見付けて複雑そうな表情を浮かべる。

 巨人の肩に座る水野が呆れたような目で彩乃達を見下ろし、引き連れた巨人らに市役所までの撤退を支援させ始めた。

 

 

「素早い作戦の変更は感心するけど、意見の対立は隙を生むわ。強権的なリーダーでもなかった貴方では、複雑な命令を咄嗟に行うのは難しいと考えた方が無難ね」

「……御忠告感謝するわ」

 

 

 忌々しげな視線を向けようとしていた仲間の視線を体で遮って、彩乃はため息交じりに返答する。

 複雑な感情を押し込み、大人しく水野の指示に従っている巨人達を眺めながら、改めてその有用性を再認識した。

 

 保有していたほとんどが“死鬼”に潰されたと言う巨人だが、こうして組織だって扱えばかなりの効果を発揮している。

 確かに非人道的なものであろうが、人知を超えた力というのはそれだけで全ての戦局を変えうる可能性さえ秘めているのだろう。

 人の力ではなく、自分達を追い詰めている感染菌を利用した力だという事に歯痒さは感じるが、利用できるものは利用しなければいけないことくらい彩乃にだって分かっていた。

 

 たとえそれが親を、幼馴染を、身近な人々を殺したものだったとしても。

 

 

「……で、東城さん達はどうなったの? “破國”に特効薬の散布機ごと潰されていたけど、あの人達は再起可能なの?」

「さあ? まあでも、東城は東城で何とかするでしょう。非力な民でもあるまいし、一々私達が手助けに入る必要なんてないわ」

「ええ……そうね。こちらはこちらで手が一杯ではあるし、特効薬が使えないならあの場所に拘る必要はないわね」

「そう言う事。さ、早く拠点に戻って迎撃態勢を作りましょう。ゲリラは貴方達に任せて良いのよね? かく乱からの奇襲は私達に任せておきなさい」

「……ずいぶん余裕があるのね。もしかしてこうなることを見越していたの?」

「あの医者の作った特効薬の効果に疑いを持っていた訳じゃないけど。それ以上に“破國”を相手取って、あの薬一本で勝てると思うほど楽観視をしていなかっただけよ。全くっ、東城は何を焦っていたんだか」

 

 

 撤退する彩乃達の周囲に巨人達の盾を作り上げ、並行して走らせる。

 敵ではないと頭で理解していても、巨大な人型は隣にいるだけでこれでもかとばかりに圧迫感を与えてくるものだ。

 とはいえ、向かってくる異形を薙ぎ払う巨人の姿は頼もしい事この上ない。

 仕方ないかと諦めた彩乃が視線だけを暴れ狂う“破國”へと向けた。

 

 

「それで“死鬼”だけど、アイツだけに戦わせていて貴方は良いの?」

「“死鬼”様に手助けなんておこがましいことしないわよ。むしろ邪魔にならない様にするくらいしか私達にはすることが無いわ」

「……へえ、随分と」

「当然よ。むしろ背中から貴方達“南部”が襲い掛からないよう見張っておくほうが数段重要だと思っているくらいね」

「皮肉なことに同意見ね。私も貴方が妙な行動を起こさないか見張る方が大切に思えるわ」

 

 

 余裕ぶった様子で巨人の肩の上から見下ろしてくる水野を軽く睨み、やっぱり自分は誰かの上に立つのは似合わないのだと再認識する。

 こんな下らない挑発で揺さぶられるようでは、リーダーとしての資質などたかが知れるというものだろう。

 

 

「まあ何だっていいわ。ともかくここから離れ、体勢を整えて、こっちのやりやすいやり方に持っていくのが何よりよ」

「全く持ってそのとおりね。拠点に戻れば知子ちゃんがいるでしょうし、大分やりやすくなる筈よ……“死鬼”様の眷属の、ね。……うふ、うふふ」

「……ねえ、邪念を感じるんだけど。変なことするそぶりを見せたらどうなるか、分かってるんでしょうね?」

「ああ怖い、暴力的なんだから。もう少し落ち着きを持てばお淑やかな美女になれるのにもったいないわ」

「そんなものなりたくもない」

「そうやって意地張って。想い人が出来た時に苦労するのは彩乃ちゃんなのよ?」

「やかましい、それ以上言うならはっ倒すわよ」

 

 

 それでも水野は軽口を止めようとしない。

 あまりのしつこさに親譲りの猛禽類のような彩乃の鋭い目が剣呑な光を灯し始めが、それに怯んだ様子が微塵もない水野の胆力に、彩乃の周りにいる者達が顔を引き攣らせる。

 

 そんな時だった。

 

 もう少しで拠点に辿り着くそんなタイミングで、世界全てが揺れたのではないかと思う程の振動が町全体を揺らした。

 その場で走っていた彩乃達、巨人に乗っていた水野達全員が例外なくバランスを崩して、何事かと慌てて臨戦態勢を取るも近くに異状は見つからない。

 自分達を狙っていた異形の群れも、何が起きたのか分からないと言わんばかりに周囲を見渡して動揺を隠せていなかった。

 

 

「な、何が……“破國”?」

「――――っっ!?」

 

 

 その言葉に反応した彩乃が近くにいた異形を始末しつつ踏み台として、高所へ駆け上がり“破國”の姿を探す。

 あの巨体だ、そう時間もかからず見付ける事が出来るだろうと思ってはいたが、彩乃の予想以上に目的の怪物は直ぐ近くにいた。

 

 巨大な体躯、骨の鎧、そして真っ赤な幽鬼のような眼光。

 砂煙を巻き起こし、全身から巨大な湯気を天に向け立ち昇らせる怪物の姿と、その怪物の射線上に出来たあまりに長い破壊痕を見付けてしまう。

 

 破れた着物が空を舞う。

 見覚えのある布きれと黒い血痕は、嫌な予感をさせるには十分すぎた。

 

 

 

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