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見詰める先にあるものを

 数秒、宙を舞うガラス管と座ったままの医者を視界に捉えたまま呆ける。

 理解が追い付いたのはガラス管が弧を描いた後で、硬直から解放された瞬間俺は飛び出した。



「何やってんだ馬鹿っ!!」



 ヒラヒラとした裾が舞い動きを阻害するし、出遅れた事でガラス管は既に落下を始めている。

 けれど、成人男性がろくな助走も付けずに投げた程度の距離なんて、この身体にとっては無いようなもので、次の瞬間には落下していたガラス管は無事に手の中に収まった。


 手の中にある傷一つ無い薬品を確かめてほっと息を吐く。

 そうしてから医者を文句の一つでも言ってやろうと睨むように見れば、彼は今にも泣きそうな顔をして座り込んでいた。



「そうか、君は少しも躊躇することなく飛び出してしまうのか……そうか……」

「え、あ、い、いや。そういう訳じゃないけど……特効薬って言われた物が捨てられそうになったら思わず飛び出しちゃうでしょ?」



 医者の呟きに慌てて弁明してみるが、彼は耳を貸さずに俺の持っている薬品へと指を向ける。



「……それは君の好きにしてくれ、東城とやらに渡せば使い方は分かるだろう。過去の薬品散布にも関わっているからね。けれど、“主”のような化け物が死に絶えるのにどれほどの時間が掛かるのかは正直分からない」

「え、ええと、結局これはどんな効果を持っているの……?」

「……感染菌の完全な滅菌を行う。以前のものを改良し、既に体内で繁殖している菌にも作用する特効薬。例えば君がそれを体内に取り込んだ場合、身体を構成している菌が停止して身体が徐々に崩壊していくことになるだろう……」

「うわぁ……」



 ぞっと鳥肌が立つ。

 手に持っている薬品が今の自分には猛毒であると理解する。

 以前感じていたあの嫌な予感を思い出し、俺の感覚が間違っていなかったのだと理解する。



「……ああ、並大抵の衝撃じゃ壊れないけれど、君が握りしめたら間違いなく割れるから気を付けてくれ」

「ええっ!?」



 驚いて取り落としそうになった薬品を慌てて持ち直し、そういうのは早く言ってくれと医者に視線を送る。


 一刻も早く自分の手元から何処かにやりたいが、どうするべきなのだろう。

 そもそも俺なんかが蔓延する感染菌への特効薬を持っていてもろくに使えるとは思えないが、東城さんに渡すのもどうかと迷ってしまう。


 東城さんがどれだけの技術を持っているかは知らないが、医者が持つ高度な専門知識についてなら俺は僅かながらも把握している。

 その知識量と裏付けされた効果を、俺は見てきたからだ。

 医者の優秀さを知っているからこそ、俺は彼が作り上げたかなり高度であろう薬品を東城さんが迷い無く使えると信用しきることは出来なかった。

 と言うかこんなもの、絶対に専門的な知識を持たない人の手には余るだろう。


 となると、そもそも選択肢なんて無いようなものだったのだろう。



「あ、ああー……あのさ、俺はこの薬品を使う資格なんて無いと思うんだ」



 本当は資格というか自信が無い。

 訝しげな表情を浮かべた医者の元へ行き、座っている彼と視線を合わせる。



「ほ、ほら、お前やお前の関わりがあった人達が作り上げた結晶を、何の知識も努力もしていない俺が使うなんて筋が通ってないと思うんだ。思わず反応して取っちゃった訳だけど、お前がいらないって言うならそれに従うし、もうこれ以上使用したり製造するよう説得なんてしない」

「……でも君はここにいる知り合いを救いたいのだろう?」

「それは勿論なんだけど、なんて言うか、だからと言ってお前の譲れないものを踏みにじりたくはないって言うか。そもそも使いこなす自信も無いし、自分が死ぬかも知れないそれを使う勇気はちょっと持てないし……ともかくこれは返すよ」



 早く自分の手から何処かにやりたくて、医者の手のひらに薬を押しつける。

 彼が作ったものなのだし、どうしても使いたくないというなら強制は出来ないと思う。

 それが俺の為と言われてしまえば、俺からなんとしてでも使えと言う気にはなれなかった。


 薬品を手に握りしめた医者は一層追い詰められたような表情を浮かべ、縋り付くように叫んでくる。



「僕は、君が思うほど出来た人間じゃないっ……、君がこれを使わないなら、僕はこれを廃棄するのに躊躇いなんて持ちやしないんだっ……!」



 手渡した薬を医者は両手で握りしめて、震える唇から干からびたような声を出す。



「君には死んで欲しくないっ、君だけは生きるべきなんだっ……!! 頼むから僕に……君を殺させないでくれ……」



 止めてくれ、そう叫んでいるかのような医者の言葉に俺は困ってしまう。


 当然俺は死にたくなんて無い、けれどそれは彼も同じ筈じゃ無いのか。

 作り上げた薬を使わなければ、いつか彼が死ぬ事になるのは間違いないだろうし、悪ければここに向かってきているらしい“破國”との戦闘でそれは起こってしまう可能性は高い。

 自分一人だけでなく、他に生存者達も救えると言う大義名分があるのだから、俺の事など無視して薬を散布しても、誰からも責められることは無いのだろうに。


 医者はそれでも俺をひたすら優先しようとする。



(……俺の意識が消えた後、あの子がどうするかは分からないけれど、多分この地を離れる選択をするんだろう。その後の生存者達の切り札としてこの薬は取っておいて欲しいし、破棄するなんて言う選択は有り得ない。“破國”とやらの力がどの程度かは分からないけど、薬品だけで倒すことが出来るなら俺はとっととこの地を離れるべきなんだろう……そう説明すれば……)


「あの、さ。俺がこの場所を離れたらその薬を散布しても問題ないんだよね? なんなら俺は遠くに避難しておくし、それなら――――」

「……この薬品を散布すれば猛威を振るっているこの菌は存在すらしなくなるだろう。君の生きれる範囲は徐々に狭まっていき、そうして僕達は自分達の生存圏を広げ、いずれは君と対立することになる。その時君と僕達の生存争いが起こって、結局はどちらかが命を落とす。……君は、あの娘達の事を異形の君自身が手に掛けることを許せないだろう?」

「あー……、と、取り敢えず、薬を使用するのをここの地域だけで止めて貰えれば」

「もしも薬が正常に効果を発揮した場合、ここで生き残っている人達は果たしてその薬をこれ以上使わないと言われて納得すると思うかい?」

「て、手詰まりっ……」

「そうだ、結局はここで選んでしまうのが一番なんだ」



 あの子を、自分を選ぶのか、若しくは生存者達を選ぶのか。


 本当は俺の事なんて気にせず皆を救ってあげてと言うのが正解なのだろう。

 彼が医者として、過去の清算として薬を使用させてあげられて、多くの者達を救って、人類の希望を作り出すことが出来る。

 それはきっと医者にとっても、彩乃を含んだ生存者達にとっても何よりのことだろう。

 だから、俺がここでするべきなのは医者の背中を押して俺の死を受け入れる事の筈なのに。


 その選択を思い描いて、俺は言葉に詰まってしまった。

 俺が死ぬと言うことは、同時にあの子も死んでしまうと言うことだ。

 なんだかんだあの子には助けられているし、裏切るようなことをしたくは無いというのも勿論ある。

 けれど正直に言えば、意識が無くなると分かっているのに俺は俺が死ぬことにどうしようもなく拒否感を抱いていた。


――――道路の端で一人死んでいく、あの時の感覚が嫌にありありと蘇った。



「っっ……!!」



 冷や汗が吹き出し鳥肌が立つ。

 否応なしに口を噤んだ。

 何も医者に返答する事が出来ない。


 幼馴染一人を助けるために命を掛ける事が出来たのに、今の俺は幼馴染を含んだ多くの人を救うためにも関わらず、命を捨てる決断を出来ないのだ。

 その事実に愕然とする。



「ここは瀬戸際なんだ梅利君、君は人間なんて信用しちゃいけない。君は自分自身のために行動するべきだ」

「――――……」

「もうあまり時間は無い。よく考えて、決断してくれ」



 何も言わなくなった俺に、医者は手に持った薬を握りしめて立ち上がる。



「君の意見を尊重するが、何の返答も無ければ僕はこれを廃棄する。……全ての責任は僕が負う、それでいいんだよ」



 それだけ言って背を向けた彼の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、医者が忘れていったもう一つの薬品を見下ろした。

 医者とその周りの人達が作り上げたその失敗作は、何も出来ずに倒れていた。

 






「死鬼様ァァ!! うううぉぉっっお、お許し下さいぃぃ!! 私はっ、貴方様になんと言うことをぉっ……!!!」

「……うわ、うるさっ……」



 医者との会話の後、一晩を拠点の外で過ごそうとしていた俺の元にやってきた水野さんに連れられて建物の中の一角へと案内された。

 当然そこには元“泉北”の方々が居た訳で、彼らは当然かのように俺を諸手を挙げて大歓迎したのだが……。

 その中にいた、俺が知子ちゃん達を連れて拠点に行った際に対立することとなった男性が、号泣しながら俺の前で床に額を擦り付けている。


 こちらに来る直前まで、泉北のお爺さんの邪魔になると判断して水野さんを処分しようとした罪で個室に監禁されていた彼である。

 流石に置いてくるのは不味いだろうと、襲われた水野さんが許す形で一緒に連れてきたのだが、この男性はどうにもかなりあの子に対する盲信が激しいらしく俺に刃向かう形になってしまったことを自分で許すことが出来ないらしい。


 俺は正直、代表的で大衆に受け入れられてるような宗教ならともかく、マイナーな新興宗教と言うと良い感情を持っていない、と言うか絶対怪しいと思っていた。

 今もその感情は消えていないし、夢にも思わなかったその新興宗教の神輿にまさか俺が担がれるなんて予想もしていなかった。

 ……いや、性別が変わると言うものの方が夢にも思わなかったかも知れないが……。


 ともかく、宗教と関わる事も無かった俺は宗教に詳しくなんてないし、そんな神様みたいな扱いをされても望まれている反応を返すことは出来ないのだ。

 結局あの子を装って適当に流すしかない。



「良い、興味も無い。貴様らの内々で解決したならもう私が口を出すつもりはない」

「し、死鬼様ぁぁ、なんと慈悲深いぃぃ……。この身、貴方様の為に使いますっ……!! いかようにもお使い下さいぃぃ!!」

「ああもう鬱陶しいっ。どうでも良いから離れていろっ……! と言うかガキどもっ、近付いてくるなっ! くっついてくるんじゃない私はもう寝るんだ!!」



 しきさまー! しきさまー! と寄ってくるちびっ子達を手で払いつつ、近くにあった毛布をチビ達に放り投げ寝るように促せば、水野さんと号泣していた男性が子供達を諭して少し離れた場所へと運んでいってくれた。

 心底ありがたい、なにせチビ達は俺が思っているよりも脆い、この身体で力加減を間違えれば命に関わる可能性だってあるだろうからだ。



(知子ちゃんの小さい頃を思い出すなぁ……いや、知子ちゃんはもっと刺々しかったからあの子達とは似つかないんだけど……)



 子供は好きなんだけどな、なんて思いながら名残惜しそうにこちらを見詰めてくるチビ達を観察していれば、運び漏れたのだろう大人しそうなちびっ子が俺の直ぐ脇にいるのに気が付いた。

 長めの前髪から覗く、くりくりとした大きな二つの目が僅かな恐怖と、それに勝る好奇心で満たされているのに気が付いて小さく溜息を吐く。

 大人しそうなこんな子まで俺に興味津々とか、なんだか珍獣にでもなった気分だ。



「ほら、どうしたチビ。早くお友達のところに行け」



 早く追い払おうとあっち行けと手を払いながらそう言えば、その子は不思議そうに小首を傾げた。



「……わたしとしきさま、そんなにかわらないよ?」

「は? 何のことだ?」

「しんちょう」



 思考が一瞬停止した。



「……え? いや、ないないない。何を寝ぼけたことを言ってるんだお前は、倍以上はあるだろうっ…! 確かに私は背が高いわけではないが、お前と変わらないなんて事はっ……!」

「だいじょうぶ! わたし、みんなのなかではおおきいほうなの!」

「慰めるんじゃないっっ!!」



 思わず大きな声を出してしまい周りの人達が驚いた様にこちらの様子を窺ってくるが、目の前のちびっ子は怯みもせず、逆に笑顔になって距離を詰めてきやがった。

 こいつはいずれ大物になりそうだな……なんて思いながら、慌てて戻ってきた水野さんが俺に謝りながらその子を運んでいくのをぼんやりと見送った。



「なんなんだ全く……ああもう、悩んでることが馬鹿らしく思えてきた……」



 壁に背を預け、ふかふかの着物の中で丸くなるように身を縮こませて目を閉じる。

 眠気なんて無いけれど、こうして眠る体勢を取ることに意味があるのではないかなんて思う。

 それに俺が起きていたら、多分この人達は眠らないんじゃないかとも思うから、眠れなくともせめて眠ったふりだけでもするべきだと思ったのだ。


 そうやって、眠っているから近寄るなオーラを出して目を閉ざしていれば、囁くように話していた周りの者達も次第に眠りに落ちていったのだろうか、だんだんと声が聞こえなくなっていく。

 そうしてしばらく黙って動かないでいれば、見張りの人以外は寝静まったようで人一人動く気配もなくなった。



 数時間程度そのままで何も考えないで丸まっていれば、誰かが忍び足で近付いてくるのが分かった。

 東城さん達といた知子ちゃんが戻ってきたのだろうかなんて思って、隣に腰を下ろしたその人を薄目で確認しようとして、驚いた。

 そっと身を寄せてきたのは知子ちゃんではなく、ここに来てから関わろうとしてこなかった幼馴染の彩乃であったからだ。



「……疲れているのか?」



 小さく溜息を吐いている彩乃に対して、囁くようにそう問い掛けると彼女は驚いた様に身を竦ませて、やがて俺の言葉だと気が付くと安心したように脱力した。



「……ええまあね。まだコミュニティ内の人から反発があったりして、結構言い争いがあったの。でも、もうこうするしかないってその人達も内心分かっているから、多分……大丈夫」

「そうか、お疲れ様だな。特別に肩を貸してやろう」

「……それはありがたいわね」



 そう言って素直にコツンと頭を乗せてきた彩乃に、冗談抜きで疲れているのだと理解する。

 ……そりゃあそうだろう。父親が亡くなって、それを巡って意見のぶつかり合いがあって、それでも彩乃はここで一人でも多くの者が血を流すような道を選ぶことは出来ない。

 感情に任せることも、衝動のままに動くことも、若しくは全てを放り出すことも彼女は出来ない。


 亡き父親が残したものだから。

 これまで関わってきた大切なものだから。

 彼女にはもうそれしかないのだから。



「ははっ、あの底なしの体力お化けが本当に疲れ切っているのだな。遠慮することはない、私の隣でしっかりと休むが良い」

「……」



 無言でさらに擦り寄ってきた彩乃の頭を抱き締めながら撫でて、懐かしさに緩み始めた口元が彼女に見えないよう隠す。



「この着物は中々良い生地で出来ていてな。ふかふかで心地良いのだ、お前ももっと被さるようにだな――――」

「――――ねえ、梅利。何でそんな風に壁を作るの?」

「――――……」



 思わず息が詰まる。

 なぜ、なんて気持ちが一瞬だけ湧き出たが、相手が彩乃なのだからそれも当然かと直ぐに納得してしまった。


 生まれてからずっと傍にいた彼女が、俺の猿芝居など分からない筈がないのだ。



「梅利が何でそんな風に死鬼のフリをしているのかは分からない。でも、それは私と貴方しかいない時も守らなければならないものなの……?」

「ち、違う、私は……え、ええとね……」

「梅利の死鬼のフリは下手くそよ。死鬼はもっと自分を持っていて、気に入らなければ全てを蹴散らすわ。今の貴方の言動全て、いつもの梅利を思わせる」

「……完全にバレてるのか。は、恥ずかしい……ちょ、ちょっと外に行こうか」



 思わず髪を梳く動作で顔を隠し、足早に出口へと向かった。

 見張りの人が訝しげに視線を寄越したが、出て行こうとしているのが俺であるのを確認すると仕方が無いように口を閉ざした。

 もう既に形成され始めている問題児扱い……いやまあ仕方ないんだけど。


 何事もなく外に出て、しっかりとついてきている彩乃を確かめる。

 無意識のうちに伸びた手が頭の上に無いヘルメットを掴もうとして空を切った。

 すっかり癖になってしまっているその動作を不審そうに見詰めてきた彩乃に、誤魔化すように話題を振った。



「ちなみにいつ気が付いたの?」

「割と最初、目を覚ました梅利が自分は死鬼だと名乗った時」

「ほ、本当にすぐなんだね」

「……むしろ私を誤魔化せると思ったの?」

「いや、10年も経ってるなら行けるかなって」



 呆れられている気がしなくもないが、でもそんな筈はないので気のせいだろう。

 建物の外、ある程度距離を取ったところで彩乃と向かい合う。


 以前のあの時は状況が状況でろくに話なんて出来なかったから、俺が死んでから彼女としっかりと話すのはこれが初めてだろう。

 積もる話は山ほどあって優先順位なんて付けれないから一つ一つ消化していくしかないかと、成長して大人びた幼馴染の姿を正面に捉えた。



「えっと、色々話したいことはあるんだけどどれからするべきか……うんそうだね、取り敢えず、俺がいなくなってから今まで生きててくれてありがとう。これだけはずっと言いたかったんだよ」

「……っっ」



 始めに言うべきことはやっぱりこれだろうか、と思って口にしたが、彩乃は唇を噛み締めるだけで何も返答しようとしない。



「あの時の事は気にしないで、なんて言っても、彩乃の立場だとそうはいかないよね。ほら、身を呈したって聞こえは良いけど、いつも通り、考える前に身体が動いちゃっただけだから。馬鹿だなぁって笑ってくれれば気が楽かな」

「……うん」



 実際恩を売りたくて身体を張ったわけではない。

 化け物に追われていたあの時彩乃を庇ってしまったのは、これと言った理由なんて一つも無く、それこそ勝手に身体が動いてしまっただけなのだ。


 ふと気になって、あのとき傷を受けた左の肩口を触ってみるがそこには当然傷なんて一つも無く、白い肌があるだけだった。



「あとは……ごめんね。俺が遅かったばっかりに彩乃のお父さんを死なせてしまった。俺が迷わなければもっと別の道はあった筈なのに、そうすることが出来なかった。仇も討たせることが出来なかったし、お父さんを手に掛けた“泉北”の人達とも和解しなくちゃいけない状況に追い込んだ。……全部俺のせいだね、本当にごめん」

「それは……それは違う。私もちょうどあの場を離れていた、お父さんと意見が食い違って別行動をしていたの。もっと万全の態勢で彼らを迎え撃てればまた違った結果があった筈だから私にだって責任はある。そもそもわだかまりを解消しようとしなかった私達に原因があるのだから、勝手に責任を感じるなんてことしないで」

「あー、また意固地な悪い癖が出てるよ彩乃。言葉が足りなくて攻撃的、良いじゃん俺が謝ってるんだから俺のせいにしておけば」

「馬鹿言わないで、何でもかんでも幼馴染に押しつけれるほど私は人間出来ていないわ」

「えー……、じゃあまたいつもみたいに半分で」

「……ええそうね、半分ずつ」



 意地でも言っていることを曲げないのはよく知っていたから、いつもしていたように折衷案を提案すれば、すんなりと彩乃は引き下がってくれる。



「それに、謝らなければいけないのがあるのは私もなの。……梅利のお父さんとお母さんは最初私達と同じところへ避難していたんだけど、その、事故で命を落としてしまって……」

「……そっか。家がなくなってたから予想はしてたけど、やっぱりそうだったんだね……」

「本当にごめんなさい、どうすることも出来なかった……」

「彩乃が出来なかったんなら俺もどうしようもなかったと思うよ? 大丈夫、少しショックだけど覚悟はしてたから」

「……ごめんなさい」



 彩乃が語った内容は凄くショックで信じたくない事ではあったけど、他ならない彩乃が言うことなのだと思うと信じることが出来た。

 不思議と涙は湧いてこなくて、ただ虚無感だけが重くのし掛かる。



「……そう言えばさ彩乃。昔はこうやって――――」



 けれどこんなことで彩乃との会話を切り上げるようなことはしたくなくて、思い付く限りの話の種を彼女に振った。


 俺に意識が無かったあの子としての期間で多くの事があった筈だ、だからその期間にどんなことがあったのか聞きたいと思うし、彩乃に思い出話を語るのも良いだろう。

 恋人は出来たのかとか、何か新しい趣味でも作ったのかだとか、そんな取り留めの無いことを話してみて、反対に彩乃は女の身体になって不便は無かったのか、知子ちゃんとの関係は何なのかなんて事を聞いてきた。

 まるで昔にでも戻ったかのような、現状からは考えられない程にゆったりとした時間を過ごして、鉄面皮のようだった彩乃の表情が緩み始めたのを見て嬉しくなった。


 長い時間をそうやって他愛のない話に費やしてようやく積もりきった話の一部を消化した頃には、彩乃は眠気に襲われ始めたようだったので俺はこれからの話をすることにした。



「――――うん、それでなんで俺があの子のフリをしているかなんだけど」

「はいはい、どんなに奥深い事情が出てくるのか興味深いわね」

「なんとっ、彩乃も知子ちゃんも、医者とか水野さん達に何かを言われたわけじゃ無くて、ちょっと皆と尊大に接してみたいと言う欲望に従った結果でした!」

「なるほどね。それで本当は?」

「……ばっさり切り捨てられちゃうんだぁ……いや、勿論嘘なんだけどさ」



 冗談を適当に流すいつもの彩乃に安心して、俺は少しだけ恥ずかしげに視線を逸らす。



「ほら、俺の意識はもう長くないって聞いてるよね? これから先意識が戻るか分からないし、下手に顔を合わせて、言葉を交えて、心残りが出来ちゃったら嫌だなーって思って……」

「うん、すっごい自分本位な考えね。一発ぶってもいい?」

「ぶたれても逆に彩乃にダメージが行くと思うんだけど……あ、ほんとにビンタしやがった」



 俺をぶって逆に赤くなった手を痛そうに擦っている彩乃の姿に笑みが溢れた。

 そっと彼女の赤くなった手を握りしめる。

 驚いた様に息を呑んだ彩乃が、それでも抵抗する素振りを見せずに大人しくなった。



「球根の異形の時も散々ぶったり、殴ったり、ナイフで刺そうとしたり、銃で撃ったりしやがって。お前の方が痛々しくて逆に見てられなかったよ」

「あ、あれは……考えてみると恥ずかしいわね。死鬼は不倶戴天の敵だと思っていて、ごめんね痛くなかった?」

「ううんちっとも。……まあ、俺も自分本位な考えをしてるって分かっているんだけど、どうしてもね」



 黙って頷いてくれる彩乃に、俺はつい要らないことまで口にしてしまう。



「死ぬのは怖い、消えるのも怖い。本当は化け物となんて闘いたくない、銃だって撃ちたくない。俺の中に異形のあの子がいることも未だに呑み込み切れてないし、自分が彩乃とは違う化け物だなんて思いたくなかった。結局は現実から目を逸らしていたかった、花宮梅利としての重圧を感じていたくなかった」

「梅利……」

「医者が作った特効薬を使えば感染菌を滅菌することも可能だって言ってた。でもそうしたら俺がどうなってしまうのかなんて考えて、その引き金を俺自身で引く決断が出来なくてそこでも俺は逃げ出した。おかしいよね、彩乃一人を守るために身体を張れるのに、大勢を守るためになんて考えて、直ぐに自分の身を犠牲にすることを選ぶ事が出来なかった……おかしいよね」



 消えるのは怖い。

 置いて行かれるのは怖い。

 自分の身を犠牲にして何かを為そうとするほど、俺は強くなんて無い。


 生前の最後、彩乃達が死にかけた俺を置いて逃げていったのを見送ったあの時、彼女達が見えなくなった後俺は我慢できずに泣き出した。

 痛くて、寒くて、一人になるのが怖くて一人ぼっちで泣き出した。

 水に沈んでいくような感覚と冷たくなっていく手先に、嗚咽を漏らしながらゆっくりと自分が死んでいくのを自覚した。


 トラウマになっているのだろうか。

 寒気を覚えるほど明瞭に思い出せるその時の事が脳裏に蘇る。


 あれだけは、もう二度と味わいたくなかった。


 そんな風に思う俺は、どれだけ強い力を持ったとしても人を導くような誰かになれはしないのだろう。

 きっと多くの人達を導く事が出来るのは俺なんかじゃ無くて……。


 そこまで考えた俺の思考に割って入るように、彩乃が声を上げた。



「違うわ、梅利は前提を間違えてる」



 はっきりと断言する彩乃の声に、思わず顔を上げて彼女を見る。



「私はもう耐えられない。私を生かすためにどうするかを考えるなら、梅利は自分自身がなんとしても生き残る道を考えなくちゃいけないわ」

「は……? な、何を言ってるの?」

「次、貴方が消えるなら、私は後を追う。私を命がけで守りでもしたら、私は私自身で命を捨てるわ」



 確定されたような俺という意識の喪失を彼女も知っている筈なのに、自分も後を追うと言い切った彩乃に混乱する。

 思わず聞き返しても彼女はその答えを変えることはない。


 ただいつものように、真面目な顔で彩乃は言葉を続けるのだ。



「梅利が命を賭けるなら私の命も一緒に賭けて。自分一人がいなくなるだけで済むとでも思っているならその勘違いを正して。幼馴染の命一つ賭ける事の出来ない選択なんて私は許さないわ」

「……また彩乃の謎理論が始まった」

「なら知っているでしょう? 私は頑固なの、譲歩なんてしてやらない」



 だから、と彩乃は言う。



「自分を大切にすることが情けないなんて思わないで。自分を犠牲にすることを美徳だなんて思わないで。残されるばかりの私にその考え方は残酷よ」

「うん……ごめん」

「……ねえ、なんでこんな風になったんだろうね。どうしてそんな風に考えなくちゃいけないようになったのかな。昔はずっと一緒にいられると思ったのに、どうしてこんな世界になったんだろうね」



 隣で座っていた彩乃がそこまで言って肩に頭を乗せてきた。

 閉ざされ始めた瞼を見て、少しでも彩乃を安心させられるように頭を撫でれば、彼女はゆっくりと瞼を閉ざした。


 彩乃に弱音を吐いて、彼女がこんな風に言ってくれた。

 怖がっているだけの俺を悪い訳がないと言って励ましてくれた。

 単純な俺は幼馴染がそう言ってくれるだけで心が安らいでしまう。



「少し……疲れちゃった。ごめんね、少しだけ眠らせて……」

「うん分かった。起きるまで傍にいるからゆっくり休んで」



 深い微睡みに誘われて完全に目を閉ざした彼女は小さく呟く。



「もう……いなくならないでね」



 そう言って小さな寝息を立て始めた幼馴染を見届けて、言っていたとおり彼女が目を覚ますまでその場に留まることにした。

 



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