それが誰かの優しさだとしても
この地域一帯の生存者達が一同に集結した異常な光景。
生者と見れば見境無く襲い掛かる死者も、強靱な身体能力を駆使して強襲する異形も、もう見ることが出来ないほど多くの生存者が密集したこの場所に気が付いても、一匹たりとも襲い掛かることが出来ないでいた。
それは生物が持つ生存本能とでも言うべき直感が、生きている状態なのかも分からない化け物達にあの集団に襲い掛かることを躊躇させているからだ。
知能が無く、理性が微塵も残っていなくとも、絶対に勝つことが出来ないと分かる怪物があの中に居ると言う事だけは、抜け殻のような化け物達にも理解できていた。
「対“破國”共同討伐戦線……?」
俺が言った言葉を明石さんが信じられないとでも言う様に小さく繰り返した。
当然、周りから自分たちの状況を窺う化け物達がそんな状態なのだとは想像もしていない彼らは、お互いがお互いに相対している生存者だけに注意を向けている。
明石が呆然とした様子でその言葉を噛み締めて、もう一度絶対に交わることが無いと思っていた集団を確認するように視線を向ける。
「……信じられん。よりにもよって“南部”と“泉北”が……?」
「頭が固いのね、本当にそれで次の“東城”のトップに立つつもりだったの?」
「見るべきものは未来だと、私達はこれ以上同じ生存者と距離を取り続けるのは不可能だと判断しただけよ。……もっとも全員が心から賛同してくれているとは思っていないけれどね」
「ええそうね。けれど少なくとも、私と彼女が上に立つ内はこれを違えることは無いわ」
彩乃と水野さんがお互いに交わした条件を思い返しながら、動揺する明石さんに言い捨てる。
東城さん側に立つ者達のほとんどが、目の前のことに理解が追い付かず混乱する中で、“南部”と“泉北”のことなど気にもせずじっと俺を見詰めていた東城さんが口を開いた。
「貴方達の目的や状況は理解したわ。けれどそれで? 泉北の処遇はどうするつもり? 言っておくけれど被害は出ていないと言っても、自身を感染させ半異形と化しているその人を私は見逃すつもりは無い。それに人を殺めたであろう泉北を、何の罰も無いまま野放しになんてするつもりはないわ」
俺を見据えたその言葉に、彩乃と水野さんは複雑な感情で表情を歪めた。
俺の視線に少しだけ居心地が悪そうに視線を彷徨わせる東城さんであったが、今言ったことだけは譲るつもりは無いようである。
罪には罰を。
罪を憎んで人を憎まずなんて言う言葉を、きっと彼女は信用していないのだろう。
今の俺の立場からは都合良くは無い筈なのに、彼女のような者が上に立ってくれればという好ましさを思わず感じてしまう。
人が文化的に生活できない今だからこそ、絶対に許してはいけないことがあるのは俺も分かっているつもりだった。
とは言え彼女達の立場ではこの件は平行線になり得てしまう。
人と人の価値観では解決できない泥は俺が被るべきだろう……結果的に一緒に泥を被ることになってしまうあの子には申し訳ないが……。
言葉に詰まった彩乃と水野さんが何か言う前に、俺は口を挟むことにした。
「これの始末を貴様らに譲るつもりは無い。この爺は私に牙を剝いたのだから、私が片を付ける。今更なにを言おうとも貴様の出る幕は無いぞ」
「っ……人と人の関わりに貴方が口を出すの?」
「はっ、それこそ貴様に口を出される筋合いは無い。……つまらない時間稼ぎはもう充分か?」
「いいえまだよっ……! この地域の生存に関わることであれば幾らでも私は食い下がるわ。その爺は――――」
勘弁して欲しい。
こっちも色々ギリギリなので、早く準備を整えて破國とか言う化け物の対処が先の筈だろうに……。
ズキズキと痛み始めた頭に、理不尽なことを考えていると理解しながらも噛み付いてくる東城さんへの苛立ちを感じていた。
そんな時に、背後にいるお爺さんが咳き込んだ。
軽い咳のようなもので、よく聞くことのあるもの。
それが吐血と共にあふれ出たのだ。
「――――泉北さん!?」
血相を変えて水野さんがお爺さんに駆け寄った。
突然の挙動に驚いたのか東城さん側の誰かが撃った弾丸を掴み取るが、東城さんにとっても発砲は予想外だったのか、険しい表情をした彼女が後ろに居る者達に叱咤している。
ともあれお爺さんの容態が悪化するであろうことは織り込み済みなのだ、これはその方面の専門家に任せることにする。
「……ふむ、水野くん少し離れてくれ。状態の確認をしたい」
「え、ええ。お願いしますっ……!」
追うように駆けつけた医者の姿を確認して俺は前を向き続けることにする。
東城さんを信用していないわけでは無いが、彼らが敵対行動を取らないとは盲信出来ない。
俺の担当は戦闘で、体調管理は医者だ。
自分が出来ない部分は任せるしかない。
そう思って後ろの確認を疎かにしたのが悪かったのだろう。
お爺さんに駆け寄った二人が、俺目掛けて吹き飛ばされて来るのに気が付くのが遅れてしまった。
ぶつかる直前に気が付いて、慌てて二人を抱き留める。
「なっ、なにがっ……」
「――――本当に使えナい奴らめっ!! 私がどレだけ貴様らのたメに手を尽くしたと思っているっ!!」
先ほどの吐血がまるで演技であったかのような声量で吠え、水野さんと医者の二人を罵倒する。
腕の中の茫然自失とする水野さんと困惑した表情を浮かべる医者の二人が傷一つ無いのを確認して、彼がなにをしようとしているのか理解した。
「この異形ノ力を手に入れて、この地を支配しよウとした私の計画が貴様達無能のせいで台無シだ!! 結局貴様らはただの操り人形にモ劣った出来損ないだった!!」
「せ、せんぼくさん……? なにを言って?」
「まだ分からんのか愚か者どモが!! お前らガやってきた行為は全て私ノ思うままであり、お前らの無能のせいでその計画も台無しニなったと言っているのだ!!」
ぼんやりと、そう言えばこういう奴だったと思い出す。
自分よりも人の為に。
助けを求める者に救いの手を。
異形の“私”にさえ、幸せになって欲しいとずっと言っていた。
こいつは、そう言う奴だった。
「……つまり貴方は、貴方の独断でコミュニティを洗脳し、私利私欲に駆られ生存者を攻撃したとでも言うつもり?」
「――――ああそうだ……それ以外に何がある」
馬鹿者が……、思わず小さく呟いてしまった言葉はきっとあの子のものなのだろう。
少しだけ悲しくなって、目を閉じた。
肥大化した腕を東城に向けて、全ての黒幕が浮かべるような似合わない笑みを貼り付け、お爺さんは叫び続ける。
「東城ォ!! 貴様のせいデ全てが水の泡だ!! せめて貴様は同じ地獄に連レて行かせて貰ウぞ!!」
「と、東城さん下がってっ!」
「チッ! 構えを解くな、あの異形一体程度どうにでもなる! 弾薬を無駄にするなよ!」
取り戻しつつあった静寂が、あっと言う間に掻き消されていく。
殺意を漲らせたお爺さんが肥大化した腕を構えて東城さんを睨み、東城さん側の者達はその殺意を感じて彼女を下がらせようと慌てている。
一直線に走り出したお爺さんが、目を閉じている俺の横を何一つ気にせず走り抜けようとする。
腕の中に居る二人を、軽く退くように押して、ゆっくりと拳を握って――――俺はお爺さんの腹部に巨大な風穴を開けた。
ゴポリッ、とお爺さんの口から真っ黒な液体が溢れ出した。
数歩ふらつき、膝を着いたお爺さんが地に伏す前に抱き締める。
ガサガサの髪に、ボロボロの肌。
人で無くなってしまったお爺さんの傷だらけの身体はやけに重かった。
慌ただしかった東城の人達が、死にかけているお爺さんとそれを抱き締めている俺を見て黙り込む。
隣で呆然と俺達を見ていた水野さんと医者が、ようやく状況を理解して表情を歪めていった。
彼らに向けられるはずの矛先を、全部自分で背負ってしまった老人の決意に気が付いたのだろう。
震える腕を俺の背中に回して、お爺さんは息も絶え絶えに呟き続ける。
「しき……さま……。ワタシが、わるいのです。ワタシが、やったのです……。あのモノタチは、ただ生きたかっただけなのです……」
「……ああ、分かってる」
「しきさま……しきさま……、妻はシアワセそうにネむりました……、アナタが救って下さったおかげです……貴方様がワタシタチを生かしてくれたのです。貴方様はなにも、ワルくないのです……」
「……ああ、分かっているとも」
もうほとんど何も見えていないのだろう、光が無くなってしまった目を必死に俺の顔へと向けて、ボロボロと大粒の涙を流す老人を座らせる。
もう、彼を立たせていたく無かった。
「……もう眠れ爺。お前はもういい……もう良いんだ」
「ワタシは……南部のモノタチを、アヤめました……。カレラに、殺される……べきでしょう。どうかカレラの元に、ワタシを……」
「お前は私の手によって死ぬ……お前は人ではなく異形に殺される。……よくあるそんな話で終わるんだ……」
「……貴方様は……優しすぎる……」
細くなっていく老人の目を見詰めたまま、彼の頭を膝の上にのせて地面に寝かせる。
いつの間にか握られていた手にこもる力は、もう人としても弱かった。
「貴方様は……もうヒトをスクわないで下さい……。自分だけの為に生きて下さいっ……、貴方様がいくらヒトをスクおうと、ヒトは貴方様を救わない……」
「……ああ、そうかもしれないな。だが、だからこそ私は私のやりたいようにやるだけだ。これまでも、これからも。だからそれは……お前の杞憂だよ」
「……ああ……そうでしたか。それならば……良かった……」
頬を優しく撫でられる。
消えていく命の灯火はもう微かだった。
「……サイゴに心残りがあるとすれば……貴方様のナマエが知れなかったことでしょうか……? “死鬼”と言う忌名ではなく……貴方様の本当の名前は……。……ああでもやはり――――」
ほんの微かに目に光が戻って、お爺さんは俺の顔をじっと見詰める。
くしゃりと崩れるように、お爺さんは笑った。
「――――やはり貴方様は美しい」
それっきり老人は動かなくなった。
△
ぼんやりと膝の上で眠る老人の亡骸を眺め続ける。
彼が話していたのは最後まで、俺では無く死鬼に向けてのものだった。
死鬼では無く俺だと気が付かなかったのか、それとも気づいていながら死鬼に向けて話していたのか、若しくは俺とあの子の境界はもう無いようなものなのかは分からない。
ただ、俺の都合でお爺さんをこんな形で看取ることになってしまって、良かったのかと言う不安が鎌首をもたげるのだ。
「……死鬼」
「東城、この爺がしたことは許されることではないだろう。だがこれより先、これ以上爺が残した生存者達を罰するのは私が許さん。……全ての原因はこの爺で、原因が息を引き取ったのだから矛先は納めてくれ」
「……それは……あんな芝居では……」
「……頼む」
「――――ええ、分かりました。ではそのように」
隣にいる水野さんが目を真っ赤にして俯いて鼻をすすり、医者は苦虫を噛み潰したような表情でお爺さんを見下ろしている。
後ろで成り行きを見守っていた生存者達の元へ明石さんを引き連れた東城さんが歩み寄り、拠点の中へと入るよう促しているのを避けて知子ちゃんが近づいてきた。
耳元に口を近づけて、内緒話をする様に俺以外の誰にも聞き取れないように囁いてくる。
「あの……死鬼、貴方は何処まで付き合うつもりなんですか? 正直生存者同士纏まることには成功しましたが、異形の貴方の居場所はありませんよ?」
「……だろうな」
「ま、まあ、私は梅利さんが意識を取り戻すまでは絶対に着いていきますので、貴方がどんな選択をしようとも追い掛けますからね」
「……着いてくるのか?」
「当然です……! 貴方が自身満々に角を壊して、梅利さんの意識が戻らなかったときはどうしてくれようかと思いましたが、よくよく考えてみればこれで諦めるのは早すぎますからね……!」
「ふん……ご苦労なことだな」
知子ちゃんがあの子に向けて話すのを、それっぽい受け答えで返答する。
どうやらそれだけで俺とあの子は見分けが付かないようで、すっかり知子ちゃんはこの演技に騙されてしまっていた。
「……ところで、なんでこれまでと違って梅利さんの意識が戻らなかったんでしょうか? 目は赤いですけど角は片角ですし……」
「分からんが……感染度合いが段々と強くなっている可能性が高い。なにか別の方法を見付けなくてはまずいな」
「別の方法……難しいですね。やっぱり薬が第一候補ですよね……」
あのとき、彼女達はこれから先の状況で、あの子と俺のどちらが必要になるのかと言う質問に答えることが出来なかった。
それが意味するのは、感情論では人としての俺に戻るべきだろうが、現実を見ればより強く泉北のお爺さんを止めやすいあの子の方が良いと言うことに他ならない。
ならばもう、所詮少しの間しか意識が保てないというならば。
人としての弱音も、恐怖も、彼女達との関わりも、見せない方が良いのだろうと思ったのだ。
所詮俺は死んだ身で、何かの間違いでこうして意識があるだけに過ぎなくて――――
「――――では、明石、彼らを休ませてあげて」
「分かりました。南部彩乃さん、俺の後に付いてきて下さい」
通り過ぎる彩乃が、俺に一瞥もせず“南部”の人達を連れて明石さんの後を着いていった。
今を生きる彼女は、苦しい立場で必死に先を見据えている。
そんな彼女に、これ以上俺のことで負担を掛ける訳にはいかないのだ。
――――死者である俺が生者である彼女の足を引っ張りたくなどなかった。




