想定外の再会
「とりあえず、ようこそ……と言えば良いか?」
足を怪我していた少女を自分の拠点に連れれば、少女は多少の警戒を残しながらも教会の地下に入って驚いたように目を丸くして、周囲に積み上げられた物資の数々を見渡している。
怪我の具合はパッと見る限りそこまで深刻なものは無いが、まあ万が一があると困るから医療品が意外と充実している自分の拠点に連れてきた訳なのだが、男の部屋に女性を連れ込むと言う、中々刺激的な事実に俺の心はざわめき立っていた…別に下心があった訳では無い、本当だ。
……いや、例えほんの少しだけあったとしても、どうこう出来る体ではないのだが。
俺の言葉に反応を返さずに周囲を見渡しながら眼鏡を上げる動作をした彼女であったが、指が空を切り恥ずかしそうに俯いた。
そう言えばコンビニで見かけた時は眼鏡をしていたなと思い出して、またそっちは別に取りに行かないとなんて考えながら、自分よりも背の高い彼女の姿をまじまじと観察する。
外見的には大学生くらいだろうか、汚れた黒髪は邪魔にならない様に後ろで一つ結びに纏められ、前髪は斜めにヘアピンで留められている。
背は高めだろうか、知的な雰囲気を醸し出していて、例え方が分からないが学校で見た様な子供の枠から外れていなかった同年代の少女達に比べてなんだか垢抜けている気がする。
そんな雑誌モデルと言われても通用しそうな彼女の端正な容姿は、所詮モテない中坊でしかなかった自分にとって緊張させるには充分で、意識して作っていたキャラが崩壊しそうになる程の衝撃を与えてきた。
「……煩悩退散煩悩退散……落ち着け……まだ、あわわわ、慌てる様な時間じゃない…」
「……あの?」
隠し立てするような事でもないからはっきりと言うが、俺は女性にモテたためしがない。
いつもの見慣れているような奴ならまだしも、こんな女性らしい女性には目を合わせて話をした事なんて覚えが無かった。
つまり、あの暗闇の危機感溢れる状況でならばまだ何とかなっていたが、こんな自分がいつも使っている一室に連れ込んだ今の現状は、正直キャパオーバーなのである。
不審そうな目を向けてくる女性に対して安心させようと笑顔を向けるが、轢きつった笑みとなっているのか若干引き気味な態度を取られてしまう。
ハードボイルドは難しい……。
「いや失礼、持病の喘息がね……。ああいや、名前も知らないまま連れ込んですまない。俺の名前は梅利と言う、宜しく御嬢さん」
「はぁ……、いえ、わざわざすいません。この度は…本当に助かりました」
「大きな崩落音がしていたからな、そしてたまたま俺が傍にいた。君が幸運だっただけだ、感謝の言葉も形も必要無い」
「……」
嘘で場を濁したものの、本心からの言葉で気負う必要無いと伝えても、彼女から感じる視線にはさらに疑念が混ざった気がする。
さらりと自分の名前を名乗ったのに彼女は名乗り返してくれず、負った精神的なダメージは中々に甚大だ。
もうとっとと治療して引き籠りたいと思いながらも、久々に行う生存者との会話がこんなものでも喜びを感じてしまうのは人肌が恋しい時間を過ごし過ぎたせいだろうか。
それにしても距離を取っている癖に、やけに彼女は俺の頭あたりをちらちらと見てくる。
まさか角が飛び出していないかと不安になって、手で押さえる様に確認しても膨らみすらないヘルメットがあるだけで、少なくとも彼女から見た限りはただの人間にしか見え無い筈であった。
「あの、自衛隊の……方なんですか?」
「えっ!? あ、いや……なんでそう思った?」
「いえ、だって、あのそれっぽい迷彩服を着られているので……」
「……? あ、ああー……、いや、俺は、違う……自衛隊の一員じゃないんだ。たまたま、彼らの亡骸があってな、銃器と衣類を少々頂いたんだが……」
最初は彼女に何を言われているのか分からず、小首を傾げてしまったが直ぐに自分の服装を思い出してそう答える。
機能性的に不便を感じなかった上に、裁縫は得意だったため体のサイズに合わせて継ぎ接ぎしたカスタムメイドのこれは、正直愛着が沸いていて自分の服という意識しかなかった。
そう自分一人が使う分には問題なかったのだ。
が、いざこうやって他人に説明を始めて見ると、いかに自分が非人道的な事をやっていたのかと告白しているようで、だんだんと顔から血の気が引いていく気がする。
だから、尻すぼみになっていく言葉を聞いていた女性の表情が理解の色を示したの見て驚いた。
「そうなんですか…鳴る程」
「……軽蔑したか?」
「え? いえ、今更死体に何をしようと道徳的にどうとか言っていられるものではないと言うのは分かっていますから。そんな事はどうも思いません」
「そ、そうか」
肝が冷えていたんだけれどな…なんて思いながら、折りたたみ椅子を引っ張り出して彼女に座るよう勧めてから、自分は棚の上に腰掛ける。
手元から銃器を手放さないのはせめてもの警戒を彼女に見せるためだ。
怪力による制圧は簡単だが、流石にあまり人外染みた部分をアピールしたくない。
……彼女もこんな一室で一緒に居るのが異形の仲間であるとは考えたくも無いだろうから。
「教会にこんな地下があるなんて思ってもみなかったです。……貴方はお一人でここに?」
「ああ、コミュニティなどには属していない。気ままにここで過ごして、必要なものは適時取りに行くようにしている」
「お一人…、助けられた時も思いましたがお強いんですね…ですが、コミュニティに所属している私をここに連れてきて良かったのですか? もしかしたら、一人で教会に住んでいて、物資も豊富に所持している人がいると伝えるかもしれませんよ?」
「つまらない嘘だな。もしそのつもりならそんな事は言わないだろう? それに、そろそろこの場所も捨てようかと考えていてな。新天地に移動するなら、この場所などくれてやっても構わないとも思っている。勿論、物資については別だがな」
「そうですか……、いえ、変なことを聞いてすいません」
構わないとキザに言いながら、やっぱりどこも誰とも知れないような者を拠点まで連れてくるのは失敗だったかなと後悔しつつ腰掛けている棚の上に置いてある救急鞄に手を伸ばした。
救急鞄を漁りつつ椅子に座った彼女に指示をする。
「さて、では挫いた足を出せ。ついでに怪我した箇所も露出させろよ。治療用具は一応それなりに揃っているんだ、あまり怪我を放置させれば感染なんてこともなりかねない、それでは俺の努力は全くの徒労になるからな」
「えっ、あのっ、ここでですか……?」
「それ以外にどこがある、早くしろ」
目当てのものが見つからず、鞄を覗き込むようにまさぐっていたから、何故だか恥ずかしげにそんな事を聞いてくる彼女の声に、ぶっきらぼうに返してしまう。
少しの間があって布ずれの音が聞こえてきて、目当てのものを取り出した俺が視線を彼女に向けて見たものは、生傷が多いものの元々の素材が良いのか柔らかそうな肌を露出させた女性の姿だった。
がちりと体が硬直する。
恥ずかしげに顔を真っ赤に染めて俯いている彼女の様子を見て、大きく主張する胸部を見て、くびれのある腰元を見た。
美しい柔皮が隠す様に掻き抱いている腕に触れて形を変えている。
怪我をした肩の部分から赤い血が流れ、体を濡らしているのさえ蠱惑的な魅力を醸し出している。
ぼうっと熱に浮かされた様な視線を向けていた俺が、恥ずかし気に身動ぎした彼女の動きで正気を取り戻し。
瞬間、頭が沸騰した。
「は、はははっ、破廉恥ですうっっ!!!??」
「!!!??」
両手で顔を抑えて、火が噴きだすかのように熱くなる体を小さく縮めれば、バランスを崩して棚から落下する。
頭から地面に衝突した感覚があったが、そんなこと気にしている余裕はない。
「肌なんか晒さないで下さいいぃぃ!!!!」
「え、あの、いや、その反応は私がすべきなんじゃないかって思うんですが……じゃなくてっ、肩も怪我してるんですっ!! 私が露出して喜んでいるような反応をしないで下さいっ!!」
「じゃ、じゃあっ、せめて胸は隠してくださいっ! そこらへんにバスタオルある筈ですから、それを巻いて!!」
「げ、……解せない。なんでこんなに私が拒否られるのでしょう…?」
露出狂が何かを言っているがそんな事は知ったことではない、恥じらいを持ってほしいものである。
不満を口にしながらも、ごそごそとなにかを漁っていた女性が終わりましたと声を掛けてくるまでじっと落下した体勢のままでいたのだが、そのしばらくの間精神を落ち着かせようとしていたのに、それほど効果は出なかった。
恨めし気に半目になって体を起こせば、何故私が…とぼやいている女性と目が合う。
傷口を確認しながらペットボトルに入った500mlの天然水を傷口に濡らして、綺麗にしながら痛そうに呻いている彼女に話し掛ける。
「もうっ、反省してくださいね、全くっ!」
「……むう。貴方が脱ぐように言ったんじゃないですか、冷たく、傷口を見せる様にって」
「そんなの理由にならないっ。俺に一言言えたでしょう、上半身を、その、裸になるって……!」
「そんな生娘みたいな……生娘なんでしょうか? そ、それより、質問は許さないって言う雰囲気を出したのは貴方じゃないですかっ! 私だけが悪いみたいな言い方してっ!」
「ハードボイルドだもんっ!! かっこ良かったでしょうっ!!?」
「いえ、単に怪しいだけでした!」
「そんなー!!?」
バッサリと切り捨てられて心は挫けそうになるが、なんとか手元が狂わないように注意して傷の治療を全て終わらせる。
かさぶた代わりになると謳っている大きなバンドエイドを貼ってから軽く包帯で固定して治療を終えれば、彼女はまじまじと治療を終えた自分の肩と足と腹部を見て、頭を下げてきた。
「何から何までありがとうございます。……おかげで、生き長らえる事が出来ました」
「ふん、気にすることは無い。俺の気まぐれ…ただの気の迷いだ」
「……ふふ、改めて、ありがとうございます…何も言いませんから、もうそのキャラは止めませんか?」
「……嫌ですー、せめてカッコいい大人の男を演じたいんですー」
「なんですかそれ……、ふ、ふふ……」
当初の疑うような雰囲気がもう微塵も感じられないくらい穏やかに微笑む女性に、こそばゆさを感じてそっぽを向く。
「すいません、私は笹原知子と言います。宜しくお願いします、梅利さん」
「そうか……、では笹原さん。君の仲間も心配しているだろうからな、コミュニティの拠点近くまでおく…ろ…う? ……えっ、笹原知子? ち、知子ちゃん?」
「――――えっ?」
朗らかに、やっと教えてくれた彼女の名前に胸を躍らせて。
最後まで彼女を送って、久方ぶりの誰かとの会話を終わらせようとしていた気分が、驚愕により霧散する。
自分の付け焼刃の仮面が剥がれたことも碌に気が付かないまま、俺は思わず昔呼んでいた呼び名で彼女の名前を呼んでしまっていた。
「……あの、私のことをなんて呼びましたか?」
「……い、いや……」
笹原知子。
その名は、昔よく関わっていた少女の名前で。
家の近所で一人大きな本を抱えて座り込んでいた年端のいかない小さな少女。
親が共働きで、帰ってくるのが遅くて、よく一人ぼっちで公園に居たから見ていられなかった。
ささくれ立った正義感に駆られて、無理して元気を振り撒いて出来るだけ一緒に遊ぶようにしていた少女。
警戒心の強い猫の様で、中々心を許してくれなかった少女の笑顔を見ようとして、恥ずかしい事も一杯やった。
お兄さんと呼ばれるようになって、ようやく心を許してくれるようになったそんな折に会えなくなってしまった、そんな少女が笹原知子だった。
「えっと……、すいません、私達会った事ありましたっけ…?」
「………ううん、無い…かな。ごめん、同じ名前の知り合いが居た事があって、反応しちゃったんだ」
「そう、ですか……」
彼女には分かる筈がない。
目の前にいる者が誰なのか、きっと思い出に重なることは無いのだと思う。
小さな頃の記憶だから、ではない。
長い年月が経ちすぎているからではない。
彼女からしたら自分など大した存在ではなかった…などと言うのは考えたくないが…。
ただ俺が、あの時の姿からはありえない、人間であればありえないような変異をしているから、彼女はきっと花宮梅利と気付けない。
何か引っかかるような表情を残す知子ちゃんに、椅子から立ち上がらせるために手を差し出した。
確かに面影がある。
小さな頃から綺麗な顔立ちをしていて、気の強そうな目を威嚇するように人に向けるあの姿。
気が付いた今となっては、どうして今まで気が付かなかったんだと思うくらいに、小さな頃の姿をそのまま大きくしたような形をしている。
小さかったあの頃の少女は―――もう、立派な女性となっていた。
「あの……本当に、お会いした事ありませんか?」
「――――」
不安げに、差し出した手越しにこちらを見上げる知子ちゃんは、何か掴みかけているようだった。
もしも俺がここでもう一度名前を言えば、若しくは正直に会った事があると白状すれば、彼女は気が付くだろうか?
そんな事を思いながらも、口から出る言葉は、そんな考えとは全く逆のものだった。
「……少なくとも、俺の記憶には無いな」
少しだけ悲しそうに目を伏せた知子ちゃんが見ていられなくて、差し出していた手を気が付かない内に下ろしてしまっていた。