死が人を分かつなら
いつもありがとうございます!!
週一ペースになってしまいましたね……が、頑張って書き続けますので、これからも宜しくお願いします!
「何故……死鬼様が……、無事でおられたのですね……」
確信を持ってそう俺に呼びかけてくるお爺さんに、慌てて頭のヘルメットに触れて角が晒されていないことを確認する。
大丈夫、手のひらの先にはしっかりと固定された大きなヘルメットの感触がある。
出会った初めての人に死鬼と呼ばれるのはこれで二回目だ。
なぜ、なんて言う気持ちよりも、どうやって、と言うものの方が大きくなる。
背丈は同じくらいであっても服装は違うであろうし、一目見ただけで判別出来るなんておかしな話だと、そう思うからだ。
それはそれとして、お爺さんの言葉に何かしら返さなくては彩乃のお父さんに敵認定されかねない。
死鬼と呼ばれた事に対して、どう否定するべきかと頭を悩ませるが、俺が答えを出すよりも早く、肩を掴んでいた彩乃のお父さんは掴んだ手に力を込めてきた。
「……死鬼、そうかお前が死鬼なんだな」
腑に落ちたとでも言う声色でそんな言葉を掛けられた。
「えっ、あ、ちが……!」
「死鬼、聞きたいことがある。一つだけ答えてくれ」
なんで助けた俺が追い詰められる状況になっているのだろう。
良く見知った男性に詰め寄られ、俺は口の端が引き攣るのを自覚する。
けれど、俺のそんな動揺など気にもせず、真面目な顔をした彩乃のお父さんは俺では無い誰かに問い掛けてきた。
「お前は――――」
「……南部、汚らわしい手で死鬼様に触るでない」
だがそれは、重ねられたお爺さんの声に潰される。
次いで鳴り響いたのは、爆音と間違えるほどの轟音だった。
彩乃のお父さんの肩越しに、俺が蹴り落とした角の化け物が傷一つ無い姿で飛び上がってきたのが見えた。
屋上を囲む柵を片手で破壊して、恐ろしい早さで接近してくる顔の無い人型の化け物はあまりにおぞましい。
「――――舌を噛まないようにっ!!」
「ぐぉっ……!!?」
草でも刈り取るように肥大化した腕を振るってきた角の化け物の頭上を、彩乃のお父さんを抱えて飛び越え、化け物の後頭部に蹴りを叩き込む。
攻撃した事により勢いを得た俺は、化け物から大きく距離を取って着地することが出来たが、どうやら攻撃の効果は無いようで角の化け物はゆったりとした動作でこちらに向き直った。
「……第二の死鬼ね。あんまり強敵と戦いたくないんだけど、やるしか無いか」
「お、お前はっ……!」
「黙って俺の後ろにいて下さい」
抱えていた腕を解いて前に出る。
肩に掛けていた銃器を地面に置いて動きやすさに重点を置いた。
どうせ他の巨人の時点で銃器の効果が薄かったのだ、その強化版のような奴に対してどれほど効果が見込めるのかなんて考えるだけ無駄だろう。
「っっ……!? 死鬼様っ、なぜその様な者を庇うのですかっ!? ソイツは死鬼様の慈悲を無下にして、噛み付きさえした愚物です!! 貴方様を認めようとしないそのような者を守る必要などっ!!」
「……知らないな、そんなこと。俺は見過ごせないと思ったから行動しているだけだ」
「何をっ……!? ならば貴方様は何を望まれているのですかっ!? 何でも構いませんっ、貴方様の御心のままに御命令下さいっ! かつてのようにっ、この私に御命令をっ!」
「……だったら一度引け。こんな無意味なこと、俺は許さない」
「――――……そう、ですか。なるほど、貴方は……死鬼様では無いのですね」
にわかには信じられませんが……、そう言ってお爺さんは見開いていた目を細め真っ白な顎髭を撫でた。
答え方を間違えたのだろうか、彼の目から敬うような色が消えて、茶褐色の瞳が俺を推し量るように歪んだ。
「死鬼様である事は間違いないはずですが、どうやら貴方は死鬼様自身では無い様子。であれば、少しばかり……」
やれ。
そう口にした瞬間、相対していた角の化け物の足下が爆発した。
次の瞬間には目前に迫る巨躯が視界全てを覆い尽くすが、焦りは微塵も沸いてくることは無かった。
「ま、待て、何故お前が俺を助けるっ!? やはりお前はっ!?」
騒ぐ彩乃のお父さんを思考の端に追いやって拳を握る。
こちらに来る前に戦闘は避けるべきだと知子ちゃんに言われ、それが自分の感染状態を悪化させるからだと言うことも理解している。
今までの戦闘である程度調子を確かめてみたが、今のところは侵食の兆候が見えることは無かった。
だから、多少の無理はまだ大丈夫。
「力比べには付き合わない、直ぐに終わらせてやる」
鼻先まで迫った拳を下から殴り上げる。
動かすことが出来ない部分がくの字に折れ曲がり、それでも勢いを失わなかった一撃が髪先を掠めた。
一歩踏み込んだ。
横から迫っていたもう一方の腕の振りを懐に入ることで躱して、身体を回転させる。
軸足を中心とした回し蹴りが無防備な脇腹に突き刺さり、鉛が落ちたような鈍い音と共に角の化け物の身体が宙に浮いた。
足から伝わる感触で分かった。
こいつはまだ動く。
ならば攻撃の手を止めるべきでは無い。
俺から吹き飛ばされる形で離れていく化け物へ一気に肉薄し、角だらけの顔を掴んで地に叩き付けた。
地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、痙攣した様に化け物の下半身が跳ね上がる。
化け物の顔を覆い隠していた角が俺の握力で砕け散り、中から現われたのはこれまで戦ってきた巨人と同じような青白い顔だ。
叩き付けられた、角の無くなった化け物は動く様子が無い。
「……他愛ないな。これで終わりなら拍子抜けだぞ」
動かなくなった化け物を見下ろしてそう言えば、お爺さんの忍び笑いが響いた。
「で、ありますな。安心されて下さい、期待外れにはさせません。ところで――――」
掛けられた声に釣られてそちらを見れば、懐かしむかのような微笑みを浮かべた老人がいる。
「――――流石に手を抜きすぎですよ死鬼様の姿をした方。それでは虫も殺せません」
衝撃が横顔に叩き付けられた。
体がいとも容易く吹き飛ばされる。
ろくに備えをしていなかったというのもあるが、それだけでは無い。
体勢を整えて着地して、衝撃を受けた頬に触れれば僅かだが痕がある。
――――これまで様々な化け物と戦ってきて傷一つ付かなかったこの身体に、僅かばかりとは言え傷を付けられた。
今まで戦った中で、物理的な威力だけで言えば最強なのだろう。
「ほお、流石は死鬼様。あの一撃を受けても即死しないどころか、まさか血すら流さないとは……ですが効いたのではないですかな? それの豪腕は岩すら容易く破壊しますよ」
「……この程度では虫も殺せないさ」
「く、くふふ。流石でございます、それでは遠慮など必要ありませんね」
嬉しそうに笑みを溢して、化け物に指示を出した。
角が砕け散った今、この化け物を角の化け物と呼ぶべきかなんて分からないが、再び接近してきた化け物にそんなことを考えている暇は無い。
(い、痛みはない。初めて物理的に傷付けてくる相手だけど、怖くてどうしようも無いなんてことも無い……問題は……)
左手。
自分の意思で無いのに、力が入って爪を立てている。
血管が浮き出るほどに怒りが込められたそれは、俺の怒りなどでは無い。
俺の怒りなどと言えるほど、生優しいものでは無かった。
「ちっ……!」
舌打ちが漏れる。
連続する化け物の攻撃を躱しながら、自分の左手の感覚を取り戻そうと意識するが、まるで成果が見られない。
恐ろしいほどに込められた力が、この手を振るえと言わんばかりに自身を誇示して離れようとしない。
振るえばきっと目の前にいる化け物程度一撃で葬り去ることが出来るのだろうという確信はある。
だが、これに頼ってしまったらもう自分は戻れないのでは無いか。
そんな恐怖が俺を苛んでこの手を振るうことを躊躇させる。
「……死鬼様にしてはあまりに弱い。やはり別人か……」
「聞こえているぞ馬鹿っ、覚えてろっ……!!」
「ほほほ、これは失礼しました」
楽しそうにこちらを眺めるお爺さんを睨むが、俺へと迫る風切り音に慌てて身体をそらして回避に勤しむ事となる。
俺もただ化け物から逃げるだけでなく、なんとか隙を見付けて反撃しているものの大してダメージが入っている様子が見られない。
サマーソルトの要領で顎を打ち上げたものが一番効果が見られたものの、それも多少ふらついただけで決定打にはなりはしなかった。
(どうするっ、先日手だろうこれはっ! いや、俺には侵食っていうもう一つの敗北条件があるんだから、このままじゃ追い詰められていくだけだ……何とかしないと……)
顔が歪む。
緊張の糸を張り続けるのがキツくなってきた。
長々続けるだけでは俺が不利になる一方だとしたら、もう賭けに出るしか無い。
幸いこの場所は下までかなりの高さがある。
蹴り落としただけでは駄目だったが、この高さからアイツを掴んで屋上から地面へと叩き付ければかなりの威力が出るはずだ。
物理については分からないが、多分俺がこのまま攻撃するよりも強いものが出来る。
そう決意して頭の中で段取りを立てるが、そんな俺の背中に彩乃のお父さんが叫ぶ。
「もういいっ!! お前なら一人で逃げられるだろうっ!? もう止めてくれっ、俺を、君が守るのは止めてくれっ……!」
「……」
歯噛みする。
俺が知る彼はこんな弱気な事を言う様な人では無かった。
だからきっと、俺の戦いがそれほどまでに不安を覚えさせるものだったのかと思って、悔しくて口元に力がこもる。
……けれど、そう言う事では無いのだ。
「君は見捨てた俺を、恨むべきじゃないか……」
「……っ!?」
話の整合性が掴めずに、俺は思考を混乱させる。
彩乃のお父さんは何を言っている?
いや……誰に向かってこれを言っている?
動揺は明確な隙となる。
意思のない化け物はともかく、じっと観察していたお爺さんがそれを見逃す事は無かった。
「――――さて、もうそろそろ良いでしょう。遊びはここまでです。死鬼様の形をした方」
地面から生えた巨大な腕が俺の足を掴んだ。
目を見開いた俺に対して、好々爺然とした笑みを深めたお爺さんがこんなことを言った。
「別にこの個体が一体だと、私は言っていませんよ」
割れた足下から覗く巨人の顔は、渦巻いた角に覆い尽くされている。
拘束された俺目掛けて、無慈悲に拳が振り下ろされた。
後頭部から地面に叩き付けられ上半身が跳ねる。
頭に付けていたヘルメットの紐が千切れ地面を転がっていく。
それでも足を掴むもう一体の化け物はその手を離すこと無く、跳ね上がった俺の身体目掛けて俺と対峙していた化け物はさらに拳を振り下ろす。
何度も何度も何度も何度も、振り下ろされた衝撃は確かに俺の身体を打ち付け、傷を残し、抑えていた理性に罅を入れていく。
痛みは耐えられないほどでは無い。
せいぜい砂利がぶつけられる程度だ。
だが、この身体は度重なる衝撃を受けて、自己防衛のために目覚め始めた。
(ま、ずい。このままじゃ、意識がっ、駄目、だ。呑まれ――――)
今まで抑えられていた左腕が意識とは関係なく振り抜かれた。
風を切った音だけで轟音。
次いで紙のように引き裂かれた巨人の音は、風船を割ったかの様なあっけないもので。
目の前で俺に向かって拳を振り下ろしていた化け物の残骸は、静観していたお爺さんの真横を通って吹き飛んでいった。
お爺さんが細めていた目を限界まで見開いたが、彼が唖然として俺を見る様子を俺は気にとめることも出来ない。
明確に、意識が侵食される感覚は初めてだった。
「お゛ああ゛、がっ、■■■っっ!?」
濁流のように流れ込んできた大きな意識に押し潰される。
チカチカと視界がフラついていく。
頭が痛い、割れるようだった。
『……限界か』
いつか聞いた誰かの声が頭に響いた。
気持ち悪さで座り込んだ俺を、足を掴んでいたもう一体の化け物が持ち上げて、地面に振り下ろす。
何の抵抗もしない俺が転がるのを、化け物は追って何度も攻撃を加えてくる。
痛かった。
息苦しかった。
蹲って、頭を抱え込んで、消え始めた自分の意識が音も無く崩壊していくのを感じた。
幾度となく攻撃を続けていた化け物の手が止まり、両手を組んで金槌の様に振り上げたのが見える。
ああ、アレを喰らってしまえば、きっと今までで一番大きな傷を負うはずだ、そう思った。
そうなれば、この身体は完全に戦闘態勢に入ることだろう。
俺という意識は無くなって、異形としての俺が出てくるのだろう。
けれど今無理に身体を動かせば、綱の上にあるようなぎりぎりのバランスで保てている自意識が呑まれてしまう事も何となく分かる。
だからもう、どうしようもない。
どうしたって俺は消えるしか無い。
一度死んだ身だ、ここまで何かやれていたのが幸運なのだろう。
後悔や心残りが無いと言えば嘘になる。
残してきた知子ちゃんに俺として帰ると言ってしまった訳だし、医者には言いたいことがまだ一杯あった。
東城さん達には色々迷惑を掛けて心配も掛けているわけだから、いつか会って話をしたいと思っていたし、明石さんの冗談か分からない告白を、しっかりと断って違う人と一緒になるように伝えなくちゃいけなかった。
それに……それに彩乃に対して、結局何もしてあげることが出来なかった。
馬鹿な幼馴染がまだ俺のことを引き摺っているのを知って、何にもしてあげることが出来なかった。
それだけは本当に、どうしようもないくらい心残りだ。
振り下ろされていく化け物の拳を見て、せめて、と自分の心の中に懇願する。
誰かを傷付けるだけじゃ無くて、誰かの救いになるような生き方をして欲しい。
異形としての自分に、そう願った。
「――――え?」
けれどその拳が俺に叩き付けられることは無かった。
拳が叩き付けられる直前に、横合いからすくい上げられたのだ。
身体を包む誰かの体温が俺を救ってくれたのだと教えてくれて、ぼんやりと滲む視界をその誰かに向ければ、よく見知った彩乃のお父さんの顔が直ぐそこにあって。
腹部の半分を失ったお父さんが脂汗を滲ませ、俺を抱き締めているのが分かった。
「ごほっ……」
俺を抱きかかえる、おじさんの口から血が溢れた。
抱き締める腕の力が抜けていく。
二人して転がった場所から少し離れた所にいる、化け物が破壊した地面には大きな穴と大量の血痕が付着している。
おじさんの血液だ。
俺はこの人に救われたのだ。
「――――おじさんっ!」
色んなものを投げ捨てて、咄嗟に出たのは昔と変わらないそんな呼び名だった。
痛みでのたうち回る事もしないのは、その体力すら無いからだろうか。
裂けた腹部から溢れる血を止めようと必死に両手で押さえるが、傷口が大きすぎて俺の手の大きさ程度では塞ぐことなんて出来なかった。
「血がっ……血が止まらないっ……。 おじさんっ、なんでっ……!」
ズキズキと痛む頭を無視して、目の前の大切な人に縋り付く。
生きていた時の俺を、自分の娘と一緒に遊ぶ俺を、本当の息子のように可愛がってくれた大切な人。
生きていた時に関わっていた人達の中で、今を生きていてくれている掛け替えのない人だ。
それが今、俺の目の前で冷たくなり始めている。
目の前で命を失っていっている。
「くそっ、くそっ! 止まれっ、止まれっ……!」
「……は、はは……。なるほど、な……守る側と言うのは、こんな気分なのか……」
震える手の隙間から、溢れた血が地面を濡らしていく。
必死に、いっそ懇願するように傷口を押さえる俺とは裏腹に、憑き物が落ちたかのように笑ったおじさんは、露出する双角なんて気にもせず、血に染まった手を俺の頭の上に乗せた。
くしゃりと、子供の頭を掻き回すように、爪を立てないようにゆっくりと頭を掻き乱される――――優しく頭を撫でられる。
「ごめんなぁ……。痛かったよな……苦しかったよな……、一人で死んでいくのは寒かったよなぁ……ごめんなぁ」
気が付いたら、俺を見るおじさんは泣いていた。
いつも眉間に寄せていた皺も、娘そっくりの鋭い目も、今は何処にもありはしなかった。
「おじ、さん……」
「一人にしてごめんなぁ……守ってやれなくてごめんなぁ……。気が付いてやれなくて、ひとりぼっちにさせて……俺は、駄目な大人だったなぁ」
いつも厳しい人だった。
娘に厳しく、他人の子である俺にも厳しかった。
道理に合わないことは強く叱られて、彩乃に引っ張られて危険な事をすれば拳骨を落とすような、そんな厳しい人。
他人の子だからと壁を作らず、娘と同じように何事も厳しく、そして時には誰よりも優しく接してくれた。
それがどんなに嬉しかったか、結局俺は何も伝えることが出来なかった。
「――――梅利」
守れたことが嬉しかった。
あの時、彩乃を庇って動けない俺を強張った顔で見て、最後に優しく頭を撫でてくれた事が救いだった。
ありがとうなんて囁くような泣きそうな声で呟かれて、それだけで俺は二人が一緒にいられるんだって喜んだ。
だって、俺は本当に。
「――――お前は俺の自慢だよ」
二人の事が大好きだったから。
「――――…………」
頭の上から力の無くなった手が滑り落ちた。
傷口を押さえる手のひらから感じられていた鼓動が消えていった。
俺を見ていた優しげな目が光を失って、頬を濡らしていた滴はそのまま地面に落ちていった。
「――――……おじさん?」
その声に応える者はもう居ない。
きっとこれからもずっと、応えてくれる者は居ないのだろう。
それだけで、やけに冷たくその言葉は響いた。
手の中の冷たさを未だに認めることが出来ない。
見知った人がもう動かないなんて、認めることが出来なかった。
硬直したまま、呆然とおじさんを見詰める俺に声が掛けられる。
「……ようやく死んだようですね。最後まで無駄ばかりの男でした」
「……」
挑発するような声色のそんな言葉さえ、俺の頭は理解しようとしない。
怒りに震えるべき言葉の筈なのに、なぜ今俺はなにも感情を抱くことが出来ていないのだろう。
フラフラと顔を上げてお爺さんへと視線を向ければ、目を細めてゴミでも見るような目で、動かなくなったおじさんを見詰めている。
「……そんな目で、おじさんを見るな……」
「……貴方はご存じないのかもしれませんが、それは多くの過ちを犯し、多くの犠牲を許容してきました。捨てられた者達がそれに怒りを向けるのは、ある種当然の権利なのですよ」
「だとしても……俺はそれを許さない」
「……そうですか、貴方様にそれほど慕われていたなら……確かに全てが無駄な生では無かったと言うことなのでしょう」
あっさりと引き下がったお爺さんは、視線を今は動かない化け物に向ける。
「私の目的はほとんど達成することが出来ました。あとは貴方様を連れ帰らせて頂きます。抵抗しなければこれ以上痛めつけることもありません、どうかこれ以上戦おうなどと思わないで下さい」
「……そうだな」
未だに頭痛は続いている。
身体を無理に動かせば、体内にある感染菌がさらに範囲を拡大して俺の意識を奪っていくのだろう。
もう守るべき者が後ろにいない。
ここで戦いを続けるなんて無意味で、無価値なのかもしれない。
けれど、ここで下を向いて全てを諦めるのは、どうしても嫌だった。
「……悪いけどさ。やっぱり俺は最後まで抵抗してお爺さんと戦うよ。自分が今どうしたいのか分からないくらい、心の中はぐちゃぐちゃだけど。やっぱりお爺さんのやってることは間違いだと思うから」
「……」
目元を拭って、ゆっくりと目を開けたまま動かなくなったおじさんの瞼を下ろした。
穏やかとは言い難い、苦痛と悲痛に満ちた表情がそこにはある。
「生きている人が、同じ人を殺すなんて間違っている。仕方ない時があったとしても、それは今じゃ無い筈だ」
身体が重い。
息が苦しい。
頭は痛いし、自分がどうしたいのか分からない。
きっと先ほどまでの様には戦えない。
あっけなくやられて動けなくなって、そうしてお爺さんに連れて行かれるか、もしくは異形として目覚めるか。
そんな未来しかもう有り得ないのかもしれないけれど。
俺を誇ってくれる人がいるから。
俺は最後まで自分の意思を貫いたのだと伝えなくちゃいけない。
「……俺はおじさんの自慢だから。恥ずかしい姿は……見せられない」
「そうですか、では仕方ありません。もう少し痛めつけさせて頂きます」
角の化け物が動く。
俺に向けて振り上げられた拳がこれまでと同様に、砲弾のように叩き付けられるだろう。
手に力を込めた。
そのままやられるつもりは無い、全力で抵抗して逆に倒してやろうと振り下ろされるそれを睨み上げる。
――――けれど、振り上げられた拳は俺に向けて振り下ろされることは無かった。
横から受けた衝撃で化け物が吹き飛ばされた。
直前に鳴り響いた二つの発砲音がゆっくりと空気に溶けて、目の前に現れた人物の纏めた長い黒髪が風になびいている。
呆然と目の前の状況を理解できずに呼吸を忘れて見詰めていれば、少しだけ息を乱した彼女が両手で持った二丁の散弾銃を肩に乗せてこちらを見る。
いつも一緒にいた。
大好きな人だった。
幸せになって欲しいと、最後まで願っていた人だった。
本当はもう一度会いたいと願っていた人だった。
そんな彼女は彫像の様な無表情を崩して笑う。
「今度は私が守るわ。梅利……そこにいてね」
幼馴染が、そこにいた。
泣きそうな顔のまま、子供の頃の様に笑う彩乃がそこにいた。




