不気味な静寂
荒廃した町中を走る。
風を切り、空を駆ける。
瞬く間に周りの景色が切り替わる光景は未だに慣れることがない。
一歩で倒壊した建物数棟分は飛び越えてしまうから、空中の滞空時間があまりに長くて、まるで自分が無重力空間にでもいるのでは無いかという錯覚すら覚えてしまう程だ。
考えてみれば、この身体になって人目を気にせず全力で走るのは初めてだろうか。
以前、今まで乗ったことのある乗り物ですら経験したことの無いほどの、圧倒的な速度が出てしまい、それが怖くて走るのを控えていたから自分の最高速度を試して見たことが無かった。
まだ身体に慣れていない頃に力加減を間違えて空を舞うことになって、加減にはとても気を張っていたからそこまでうっかりをやらかすことは無く、だからこそ、今自分の足が叩き出す化け物染みた速度に身体が竦みそうになる。
……というか、これまでよりも感染状態が深刻になったからか身体能力の向上具合が目に見えている気がする。
(こ、これ、ジェットコースターくらいは出てない!? 俺、そう言うアトラクションほんと無理なんだけど……!!)
悲鳴を上げそうになるのを抑えて、脇目も振らずに南部の拠点に向けて駆け抜けていく。
今は、ほんの少しの時間も惜しい。
南部の拠点は昔自衛隊駐屯地として使用されていた場所だ。
そこまでの地理には自信があるものの、今は建物の倒壊などが進んでしまっている。
どれだけ自分の知っている地理が当てはまるのか少しだけ心配だったが、どうやらそれも杞憂であったようで、特に迷うことも無くあっと言う間に目的地に辿り着いた。
「よ、よし着いた……あれ?」
拠点を囲う柵に飛び乗って、そのままの姿勢で南部の広大な土地を眺めるが、視線の先には人の気配がない。
周りを見渡して見るも、煙なども立ち上っておらず平穏そのもの。
銃声もしなければ人の怒声さえもない、ある意味異様な光景に俺は唾を飲み込んだ。
「……いや、いるな。強力なやつがいる……」
自分の方が泉北さんよりも早く着いてしまったのかと思って少しだけ気を緩めそうになったが、巨人のものに酷似した匂いを嗅ぎ取り、確信を持ってそう呟いた。
どこだろうとその場でもう一度周りを見渡すが、この場所は知っていても中の構造は全然知らないのだ。
適当なあたりを付けることも出来ず、柵から飛び降りて内部を走り回ってみることにする。
この広い土地に存在する建物は、小さなものを除いて五つほど。
人が集まっている場所が目的地だと思えば、小さな建物は無いだろうし、少なくとも会話はあるものだと仮定出来る。
ならば、それほど多くない候補であれば一つ一つ虱潰しに音を聞き分けてしまえば良い。
幸いこの身体は耳も良い。
建物の壁に耳を押し当てれば、接している部屋の音くらいは聞き分けられる。
一つ目の建物を四方から耳を押し当て終え、その建物内からは物音一つしないことを確認すると次の建物の聞き分けに移る。
まだ日は高い。
だからまだ人が活動を控えるには早すぎるのだ。
未だに全くの無音を貫いているこの場所に嫌な予感を抱きつつ、もしかすると場所を間違えていないかと不安にもなってくる。
(南部の人と交流があったわけじゃ無いし、この場所も軽く遠目に見ていただけだから彼らの内部事情は知らないけど……もしかしたら引っ越ししてる可能性もあるのかな……)
そうなると手詰まりになるなぁ……、と今更自分の向こう見ずさを後悔する。
もっと知子ちゃんや医者、若しくは水野さんに場所を詳しく聞いてから飛び出してくれば良かったのだ。
そんなことを後悔しながら溜息を吐いて何の警戒も無く次の建物の角を曲がれば、突然目の前に黒い巨人の足が現れた。
「うわああっ!!?」
ただ突っ立っていただけのその巨人に驚いて思いっきり拳を振るう。
背中を向けていたため最後まで俺に気が付かず、微動だにしなかったその巨人が爆発四散する。
飛び散った体液が全身に降り注ぎ、一瞬で洗ったばかりの迷彩服が汚れ切った。
身体から滴り落ちる液体を見て、猛烈な自己嫌悪に襲われる。
(びっ、びび、びっくりしたぁ……!! 角を曲がるときは警戒するようにってあれだけ気にしてたのに……これは反省しないと……と、ともかく! この建物の周りで警戒していたって事はっ!)
慌てて巨人がいた壁に耳を押し当てれば、これまで無かった音が壁を通して聞こえてくる。
「3階の中央の部屋っ、じゃあ窓からお邪魔してっ!」
恐らく先ほど驚いて声を上げてしまったから、この場所で何かがあったというのは気が付かれている。
外の気配に気が付いて、建物の中に居る彼らが守りを固めるとすれば、当然階段や建物の通路を優先する筈だが、俺はその対策の上を行ける。
窓枠に足を掛けて壁を駆け上がった。
重力を無視した動きなんて今まで試そうともしたことが無かったが、やってみれば意外と簡単なものだった。
音のした三階にある部屋の窓まで辿り着き、木などで補強された窓ガラス目掛け、間を置かず飛び込んだ。
「――――なっ!?」
飛び散るガラス片が宙を舞う中で目を凝らす。
ボロボロな怪我人達が集まっている場所、黒い毛皮のコートを着た集団が集まっている場所、それらを取り囲むように佇む巨人達の群れ。
生きている者達は俺の襲撃を予想だにしなかったものを見るような目で見詰め、巨人の反応もわずかばかり遅れた。
倒すべき敵は見えた、ならばもうこの奇襲を生かすだけだ。
瞬時に近くにいた巨人二体を蹴り砕く。
この場にいる生存者達が反応一つ出来ないほどの早さではあったが、そうでは無いもの達がこの場にはいる。
砕いた二体が力を失い地に伏せる前にこの部屋にいた巨人達全て、計七体の巨人が飛び掛かって来たのだ。
連携や時間差などをまるで考えない、ただ倒すべき敵に対して盲目的に突撃してくる様はいっそ操り人形にすら見えてくる。
肉薄してくる速度は獣のごとく、振るわれる拳は暴風を纏う砲弾のような恐ろしい攻撃だが。
はっきり言って敵では無い。
「――――木偶の坊どもめ」
宙を舞っていたガラス片が全て地に落ちて動かなくなる頃には、全ての巨人の半身は消し飛んでいた。
「ばっ、馬鹿な……ありえない」
守る化け物がいなくなった黒コートの者達に銃口を向ければ、彼らは南部に向けていた勝利を確信した笑みを崩した。
視線が交差する。
怯えを含んだ彼らの視線を目で受け止めながら、彼らが俺に気圧されたのを確認して命令した。
「武器を捨てて、地面に伏せろ。でなければこの巨人どものようにお前らも砕く」
彼らの最大の武器である筈の巨人達が一掃されたのだ。
もはや勝てないと理解したのだろう、俺の高圧的な言葉に何の反抗もすることなく、彼らは言われたとおり拳銃やナイフと言ったものを床に置いて身体を伏せていく。
足下に置いた武器を遠くへ蹴り飛ばしながら、伏せている彼らの合間を通って歩く。
取り敢えず一番上と話さなくてはどうにもならない、そう思って泉北さんを探すのだが、どうにもそれらしい人物が見当たらない。
「おい、泉北と言う奴はどいつだ?」
「……今は南部のトップと話をしている、積もる話があるそうだ」
「知り合いなのか?」
「……そうだ。だが、お前は一体何なんだ……こんなことが出来る奴など、聞いたことが無いぞっ……」
「答える義理は無い。お前らの処遇は俺が決める、黙っていろ」
苦々しそうな声で疑問をぶつけてきた男の言葉をそう切り捨てて、傷だらけで身を固める“南部”の者達に視線をやった。
“南部”と言えば、かなりの武闘派の筈だ。
自衛隊の残存した武器や人員のほとんどを引き継いだ彼らは、この付近に存在した4つのコミュニティの中でもまず間違いなく最高戦力を誇っていた筈なのだ。
それがなんだ、巨人という未知に戦力があったとは言え、ここまで手も足も出せずに追い込まれてしまうほどの差があったのかと困惑する。
ただ身を寄せ合って俺を見上げる彼らからは、もはや戦意など感じ取ることは出来ない。
……まるで勝てないと打ちのめされたかのような、勝機を考えることすら出来ていないのが今の彼らの姿だった。
「……南部彩乃は何処に居る?」
「……彩乃を知っているのか?」
見渡してみても、あの背の高い幼馴染の姿が見付からない。
と言うかアイツのあの性格で、目の前のこの人達みたいに諦めきったような顔をすることは絶対しないと思う。
もしアイツがそんな顔をしていたら思わず爆笑してしまう自信がある。
「……あの子はここには居ない」
「なんだと? ……それは」
土気色の顔でそんなことを言うものだから、嫌な想像が思考の端を過ぎった。
南部のトップと言えば彩乃の父親だ。
襲撃を受けて命を落としていない限りは、人質にしろ、交渉にしろ利用価値はある。
つまり、ぞんざいに扱うなどは考えにくいのだ。
――――となれば、何処かに監禁されていると考えるのが妥当だろうか?
自動小銃を持ち替えて、未だに地に伏せさせている泉北の者達に近付けば、彼らが浮かべる狂気に満ちた笑みが嫌でも視界に入ってくる。
「……えらく従順じゃないか。予想では命がけで抵抗してくると思って居たんだがな」
「は……ははは……ははははははっ」
ついには声まで上げ始めた一人の男に銃口を押しつけた。
気味が悪い。
目の前の俺を見ていないその男は、虚空を見ながら叫ぶように笑い続ける。
「うるさいぞ、お前。自分の状況が分かっているのか?」
「はははは!!! いるんだよな、こういう力を持った奴がたまに!! そうやって力を誇って、自分勝手に振る舞ってっ! そうして最後はさぁ、現実に絶望して死んでいくだけなんだからさぁ!!」
「……それで?」
「屋上に行け、そこにお前が求めている人達がいる――――そしてお前の死が、待ってるからさぁ!!」
そこまで言い終えると彼はただ狂った様に笑い続ける。
男の背後にいる者達を見ても、全員が悲壮な表情など浮かべておらず、ただ俺という生き物を嘲笑っている。
敵が求めている人達の場所を伝えるなどどんな意図があるのだろうと、少し考え込んだ俺が横目に南部の者達へ視線を向ければ、彼らが真っ青な顔をして身体を震わせているのが確認できた。
……なるほど、彼らの心を折るような何かが上にいると考えるべきなのだろう。
そして、泉北の者達が微塵もその存在が敗北することを考えない、そんなレベルの何かなのだろう。
巨人に対してあれだけ圧倒的な力の差を見せつけたにも関わらずだ。
手加減したつもりは無い。
全力で攻撃して半身を消し飛ばした。
銃の効果が薄い巨人に囲まれたからこそ、おかしいと思われるのを承知で全力で殴ったのだ。
それでもなお、この者達のその死への信頼は強固であり続けている。
「……死とは何のことだ?」
「死鬼様だ。ひひっ、死鬼様がお前を殺す」
完全に目がイってしまっている。
恐らく第二の死鬼とやらの完成形がいるのだろうと当たりを付けて、取り敢えず、笑い続ける不快な男の頭を軽く殴って意識を奪っておいた。
彩乃も、彼女のお父さんも屋上にいるのだろうか。
ともかく彼らのトップである泉北さんと話をしないと始まらないかと判断して、泉北の者達が床に落とした武器を拾い上げて、生気の無い南部の者達に手渡す。
「俺は泉北に会ってくる。巨人は取り敢えず倒したが、報復に彼らを惨殺するのは許さない。大人しくこの場で待っていろ、いいな?」
「……無理だ、止めておけ。アレに刃向かうな……アレは……」
「言っておくが」
うわごとのようにブツブツと呟く南部の者の言葉を遮る。
「死鬼はお前らが思っているよりも……まあ、可愛い奴かもしれないぞ」
あっけに取られたような顔をしてこちらを見上げた男性に、何故だか沸いてきた羞恥心を誤魔化すように軽く笑みを作った。
△
こそりと屋上の端から顔を覗かせる。
先ほどの部屋から屋上に向かったものの、愚直に階段を駆け上がって唯一の出入り口から乗り込むのは作戦としてどうなのだろうと考え、再びこうして壁伝いに駆け上がることにしたのだ。
実際、こっちの方が早かった気もするので……まあ、間違った選択肢では無いだろう。
覗いた屋上の光景は、見覚えのある男性の姿と初老の男性が向かい合っていた。
険しい顔をしているのは見覚えのある男性、彩乃の父親で、見覚えの無い初老の男性は酷く穏やかに微笑みを携えて何かを語っている。
俺が来る前から会話していることを考えれば相当長い時間話をしていたはずである。
未だに続いている話の内容が気にならないと言えば嘘になるが、この場に突入する予定の俺としてはもっと気にするべきものがあった。
(彩乃は見当たらない……それで、あれが第二の死鬼か……? う、ううん……、巨人よりは小さいけどどう見ても死鬼に似通ってないんだよな……)
初老の男性の背後に控える大きな人型。
二メートル程度の大きさを誇る筋骨隆々の大男であるが、その頭から生える幾つもの捻れ曲がった角はもはや顔を覆い尽くしており、大男の顔の造形を窺うことが出来ないほどだ。
もはや角の化け物とでも言うべきか。
いや、確かに強そうではあるのだが、死鬼と言われると正直違和感しか覚えない。
死鬼が聞いたら普通に激怒案件な気もする。
(あんな筋肉達磨とこの私を一緒にするな……なんて)
まあ取り敢えず、接触してみないことには始まらない。
この場所に来る前に聞いていた、素体集めのためだけに南部を襲ったと言うには泉北さんの行動が一貫していない。
普通死体が欲しいだけなら問答無用で襲い掛かるのが当然の筈だが、そうはせずに、彼は長時間の話し合いを行っている……これは平和的な解決も可能なのではないか。
そんなことを考えて、奇襲を中止して普通に声を掛ける方針に切り替えるが、一応は話し合いの形になっていた二人の男性の様子が変わってきた。
(なんだ? おじさんが激高しているように見える)
穏やかな気質の彩乃のお父さんが初老の男性に詰め寄っている。
耳に意識を向けて内容を聞き取るべきかと一瞬悩んだが、初老の男性の後ろに控えていた角の化け物が動いたのを見て思考を放り投げた。
詰め寄った彩乃のお父さんの襟元を強引に掴み持ち上げた。
自分の状況を理解できず、しばらく呆然としていたものの、解放するどころかさらに締め上げ始めた角の化け物の圧倒的な膂力に苦しそうに呻いている。
そしてさらに追撃を加えるように、空いていたもう片方の手を彩乃のお父さんの首に伸ばした化け物の姿に、俺は我慢が出来なくなった。
「――――おい、楽しそうな事をやってるじゃ無いか」
「――――」
伸ばし掛けていた腕を掴み取る。
一瞬だけ反応が遅れた角の化け物の横腹に蹴りを叩き込めばいとも簡単に宙に吹き飛ばされ、何の抵抗もないまま屋上から落下していった。
……え、これで終わり?
あまりの呆気なさにしばらく呆然と角の化け物の落下していく姿を見送っていた俺だったが、拘束から解放された彩乃のお父さんが咳き込み始めたのを見て慌てて背中をさすった。
「ごほっ、き、君は、まさか……!」
彩乃のお父さんが、自分が咳き込むのも意に介さず、縋り付くように俺の肩を掴んでくる。
予想だにしていなかった彼の反応に目を白黒させていた俺だったが、ふとまた別の場所から呆然とした声が掛けられた。
「……死鬼様?」
初老の男性、泉北さんが俺の姿をしっかりと捉えて、震える声でそう呼んだ。




