伸ばす救いの手
水野さんの言葉に息を飲んだ。
「え……だって……」
僅かに口から吐き出せたのは、形にすらなっていないそんなもの。
水野さんがなんてことの無いように言った言葉を咀嚼して、何度も噛み締めて落ち着こうとしても返って焦りが強くなるばかりだった。
けれど動揺しているのは俺だけで、俺の周りにいる三人は何一つ衝撃を受けていない。
むしろ動揺を見せた俺に対して、不思議そうな反応さえ彼らはしている。
「梅利さん、南部に対する攻撃がそんなに意外なんですか? 以前彼らが恨みを持つ説明はしましたよね?」
「私達は別に復讐のつもりはありません。目的のための手段として、これが最上だと泉北さんが判断して下したものです。……勿論、死鬼様が既に再臨されていたとは知らない状態での最上ではありますが」
「まあ、彼らの死は悲しむべきものだとは思うがね。そこはそう、今度は彼らが切り捨てられる側に回っただけのこと。さして気に病む事では無いと思うよ」
各々がその行為の正当性を主張している。
彼らの目的がなんなのか、その手段として彩乃達を襲撃するのがどういった意味を持つのか理解できない。
なんでここまで、彼らと俺の間では感じ方に差があるのだろうと顔が引き攣った。
人が死ぬ。
それはこんなにも軽いことでは無い筈だろう。
「せ、生存者同士が殺し合うなんて何を考えているんだよ。目的の為に手段を選ばないなんて聞こえは良いけどっ、これはただ限りある資源を消費して一時的な豊かさを得るだけの自殺行為だろ……」
四面楚歌のような状況に、弱々しい反論をして見るも段々と尻すぼみになっていくのが分かる。
自分はあくまで恵まれた境遇だ。
人外染みた力を持ち、並大抵の敵には傷一つ負わない。
およそ食料すら必要としない身体で、恵まれた銃器や装備を手にしている。
そんな俺が上から目線でものを言っても、そんなものに説得力など無いとどこかで理解しているから。
「み、未来志向で行こうよ、将来的に人間としての文化的な生活を送れるようにするために必要なのは数だろ……? 今ここで生存者の数を減らすのは悪手でしか無くて、さ……。だから、その……そんなに簡単に、人間同士で争うなんて……駄目だ、と思う……」
声が震えていない自信が無い。
あの巨人達が彩乃や彼女のお父さんに襲い掛かっていると考えるだけで寒気がした。
俺の物差しで考えればあの巨人は大した強さではないが、あの人間的な動きと体躯と対峙したとき、まともに対応できるのがどれほどいるのか不安だった。
俺にだって、死んで欲しくない人はいるのだ。
「……梅利さん。貴方が嫌だって言うなら私は勿論従います……ですがこれは」
「ふむ、梅利くん。あの巨人について話していないことがあった、聞いてくれるかい?」
難しい顔をした知子ちゃんが言葉を濁し、何かに気が付いた様子の医者が説明しようとこちらに向き直った。
本当なら今すぐにでも飛び出して行きたいのを抑え、とにかく状況を理解しようと説明に耳を傾ける。
「あの巨人を作るには人の死体が必要なんだ。破国の感染菌を適切に移植して、丁寧に成熟させなくてはならないから新鮮であれば新鮮であるだけ良い」
「……つまり素体って言うのは……」
「その通りだ。そしてもう一つ、巨人は失敗作だと知っているだろう? 人型の異形、まあ、第二の死鬼を僕達は作ろうとしていたんだが、それには理由がある」
「……作ろうとしていた等とは語弊があります。破國という……死鬼様と同等程度の力を持つ異形の欠片を使い、人型を維持した死鬼様の身体を生み出そうとしたんです」
気まずそうに視線を逸らす水野さんとは対照的に、医者は何処か誇らしげに胸を張っていた。
「死鬼が消えたことで、次の主による侵攻を防ぐ手立てが無かった。だからこそ僕は次の防衛機構が必要だと感じたし、死鬼に縋っていた泉北の者達も次の死鬼が必要だった。それだけの話さ」
「次の、と言うのはまた解釈が違います! 死鬼様の再臨には相応の肉体が必要だと考えていた、そう何度も説明したはずですがっ……!?」
「宗教的なそう言う考え方は僕には分からないよ、はははは」
「なんでこいつが“泉北”にいるのかしらっ……!?」
ついには敬語を放り投げてそう吐き捨てた水野さんがはっとしたように微妙な顔をしている俺に気が付いて、気まずそうに顔を歪めた。
「も、申し訳ありませんっ……! 死鬼様を不快にさせるつもりは無かったんですっ!! ひとえに我々の不徳の為すところ、死鬼様の生存を信じ切れなかった我々の落ち度でございます……。矮小な我々には縋る存在がどうしても必要であったのです……どうか、どうかお許しをっ……」
「いや、俺は死鬼様じゃ……うん、まあいいや。ともかくそんな些細なことは気にしないけどさ……」
「なんとっ……、なんと慈悲深いっ……!!」
「そもそも水野さんには一度完全に騙されてるから……その大げさすぎる態度信じ切れないんだよね」
「なん、ですと……?」
医者が加入していないと言ったあの嘘を俺は忘れたわけじゃ無い。
この場所を案内して、なんの迷いも無く俺の会いたい者の元へと先導した水野さんが、この医者を知らないはずが無いのだ。
俺の言葉に、目を見開いて膝を着いた水野さんを冷たい目で見た知子ちゃんが難しい顔をしていた俺に対して、良いですかと前置きする。
力を込められた彼女の瞳は、なんとしても俺を説得しようという強い力を感じさせるもので、思わず半歩後退ってしまう。
「第二の死鬼と言う人の指示に従う力を人工的に作り出すことが出来れば、来る脅威に対しての対抗手段となります。それは私達生存者にとってこれから先の生命線となり得ます」
淡々と、手元にある文章を読み上げるかのように、知子ちゃんがそんなことを言い始める。
「それだけでは無く、犠牲を出すこと無くこの地域の外に出てさらに生存圏を拡大することも可能になる筈です。それは私達の夢、この国の再興をも叶える飛躍的な一歩となります」
眉一つ動かさず、一緒に生活していたあの表情豊かな彼女と同一人物とは思えない彫像の様な顔を俺に向けて、ひたすらに口を動かし続ける。
「私達が見ていた巨人、あれを複数量産し、思うがままに操れるとすればかなりの有用性を誇る筈です。取れる戦略も一気に広がります……ですから」
「……それを作る素材となる死体の回収が必要だと、その為ならある程度の……“南部”と言うコミュティの死は見過ごすべきだと、そう言うんだね知子ちゃん」
「……はい、その通りです」
俺が先んじてそう言えば、知子ちゃんは苦虫を噛み潰したかのような表情を作った。
……冷徹な様子を見せていたのに、やっぱり引け目はあるみたいだ。
冷静に広い視点を持ってこの話を判断した結果、知子ちゃんはこうして俺を説得しようとしているんだろう。
それはきっと先の事を考えただけじゃ無くて、どうすれば俺を戦わせなくて済むかを考慮した結果なのだろうと思う。
冷たく冷徹に、自分を悪者にしてでも何とか俺を戦いから遠ざけようと、現状を打破出来るおぞましい方策にも自分を納得させている。
自分の知っている知子ちゃんが顔を覗かせたことでそうやって冷静に彼女の考えを分析すれば、焦りだけが先行していた感情が少しだけ収まっていく。
彼女はなんとか俺の為になるようにと考えてくれているのだ。
「っ……! ともかくっ、梅利さんはこれ以上戦ってはいけませんっ! 感情に飲まれてはいけません! 食事をしてはいけません!! 落ち着いて、部屋で大人しく椅子に座ってっ、医師の処方に従って下さいっ!!」
「え、ええ……そんな、横暴な……」
両手を掴んで顔を近付けながらそんなことを言う知子ちゃんに苦笑が漏れる。
自分の異形化が進行していることは知っているが、そんなに色々拘束されても困ってしまう。
絶対に離さないと目で語る彼女に、どうしたものかと頭を悩ませるが、俺がなんでここまで“南部”への侵攻を嫌がっているのか、そんなこと今更隠し立てするようなことでは無いのだと気が付いた。
「……うん、知子ちゃん俺はね。本当は、君が思っているほど善良なだけの人間じゃ無いんだよ。俺はきっと目の前で人が死ぬようでも無いと、赤の他人が死ぬのなんて放っておけてしまうような非道な人間なんだ」
「え……?」
突然そんなことを言い出した俺に、知子ちゃんは話の流れが分からないと言う様に目を瞬く。
そっと捕まれた手を握り返して、自虐するように笑った。
「俺の知らないところで知らない人が襲われてようが何の感傷も抱かないし、進んで助けようと行動なんてしない。そんな人よりも、俺はもっと守りたい人がいる。そこには勿論知子ちゃんも含まれていて……他にもそう言う人はいるんだ」
「……はい」
「……前に言ったと思うんだけど、俺には生前の記憶があって、この辺りで生活をしていた思い出があるんだよ。家族がいて、幼馴染がいて、大切な人だっていた。こんな姿で言っても笑っちゃうかもしれないけど、人として譲れないものだってあったんだ……それでね、絶対に死んで欲しくない人があそこにはいるんだよ」
知子ちゃんの瞳が揺れる。
そんなに驚くような所があったのだろうかと思うが、ともかくまずは今の状況を伝える為に口を動かすことにする。
「死んで欲しくない人がいる。馬鹿で、向こう見ずで……まあ可愛げのない奴だけど、一緒に育ってきて、悪い奴じゃ無いから……せめて幸せになって欲しいんだ」
「――――……それは、もしかして、南部彩乃さんの事ですか?」
「うん……」
まさか個人名すら当てられるとは思って居なかったから少しだけ驚いた。
けれど、じっと俺を見続ける知子ちゃんに促されて、自分がどうしようも無く我が儘なことを言っている自覚を持ちながらも、俺は最後まで願望を打ち明けた。
「俺はあいつが死ななきゃいけないなんて認めない。あいつの居場所を奪うことは許さない。例えこの先それが必要なのだと言われても、納得なんて絶対に出来ない。……失望するかもしれないけど、俺はそう言う奴なんだ」
「――――……そうですか」
彼らの言い分が正しいなんて分かっている。
誰かを犠牲にしてでも、多くの者の利になる行動であれば取るべきだ。
それが人々の生存に大きく関わるような事であればなおさらだろう。
これから先の事を考えれば、きっと俺の行動なんて愚の骨頂だろうし、私情に流された子供の癇癪でしか無い。
――――それでも俺は人間で、その選択をする人生を歩んできたのだから、きっと俺にとっての答えはこれだけなのだ。
瞼を閉ざした知子ちゃんから、気まずい思いを抱きながら手を離す。
悠長に話している時間はそう無いはずだ。
泉北さんと言う方がどれだけ前に出発したのか知らないが、すでに“南部”の拠点に到着していてもおかしくは無いだろう。
ここから拠点まで全力で走ったとしても数分は掛かる距離の筈だ。
だから、もう自分のやりたいことを決めているなら、誰に制止されようがそろそろ行かなければ間に合わない、そうなればきっと後悔することになる、そう思った。
「俺は行きます。別に俺を勝手に崇めるのは良いですけど、それでどうしようとは思いませんからそのつもりでお願いします」
「え、死鬼様っ……ま、まって――――つぐぇっ!?」
引き留めようとした水野さんがカエルの潰れたような声を出す。
水野さんの首を腕で絞めて拘束した知子ちゃんが優しげな微笑みを浮かべている。
俺の背中を押すような、優しげな笑みを浮かべている。
「――――行って下さい梅利さん、貴方は貴方の思うように。ただし、無理はしないで絶対に帰って来て下さい……約束です」
「――――うん必ず、俺が……ただいまって言うよ」
それだけ言って、俺はいつものようにヘルメットを押さえつけながら駆け出した。
△
「……梅利さんは本当に治るんですか? 本当に異形の進行を止める手立てはあるんですか?」
迷彩服の少女を見送って完全に見えなくなってから、物憂い気な表情をした知子はそう問い掛けた。
向けられた問いに対して肩をすくめながらも、くたびれた白衣の男はこの場にはいない友人の肩を持つことにする。
「当然だ、僕を誰だと思ってるんだい? この10年間、ずっとこの感染菌だけを研究してきた僕がいるんだ。恩ある彼の病気くらい治療できなくて何が医者か」
「……よかった。本当に……良かった」
唇を噛み締めてそう呟く知子は、締められたままの水野が腕をタップしているのにも気が付かず、涙ぐんだ目で迷彩服の少女が去って行った先を見詰める。
そんな彼女の様子を眺めながら、医者は一つ疑問を抱いていた。
「僕からも一つ聞かせてくれ、なぜ君は感染菌の増殖方法・活性化方法を知っている」
「……」
問い掛けに口を閉ざした彼女を見て、医者は目付きを鋭くする。
「食べない、感情を動かさない。その2点を正確に見抜いているのを僕は僕以外に知らない。当然だ、感染した者の事など生きる上では必要ないし、自分が感染して経験したか、感染している者の話を聞きさえしなければそんな事を考えもしないだろう……誰からそれを聞いた」
それによっては……。
そう続きそうな剣呑な医者の雰囲気に対しても微動だにせず、彼女はぼんやりと床を眺める。
反応を返さない。
段々と目つきを鋭くしていく医者に対して俯いたままの知子は口を噤む。
それは何かを考えているかのようで、誰かを思い出しているかのようで、何かを天秤に掛けているような、そんな表情だ。
「もしも君が何か邪な事を考えているなら、僕にも考えが――――」
「死鬼です」
「――――……なに?」
ゆっくりと顔を上げていく知子は、有り得ない名を聞いたかのような表情の医者にしっかりと目を合わす。
その目は嘘を含んでいない。
「死鬼が私に、梅利さんをこれ以上異形化させないようにと言って来たんです」
「……馬鹿な……」
考えもしなかったその名を聞いて、医者はこれ以上無いくらい目を見開いた。




