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うたかたの夢

 時間にして数秒間。

 お互いの真意を覗き込もうとするような彼らとの対面は、ひんやりとした空気を伴った。

 じっと何も言わずに視線を逸らさない俺に対し、彼らの中でも巨人に指示をしていた者が俺の手元の銃を流し見て、自身の無害を示すように笑みを作る。



「……災難でしたね。まさか突然異形の化け物が襲い掛かってくるなど」

「下らない演技は止めろ、ヒック……俺はお前が手を振るって合図を出すのを見た。その直後のあの化け物の来襲だ、到底無関係とは思えない」

「さて、何のことでしょう」



 口調は慌てる様子が無い。

 だが、黒い毛皮のコートの奥で作られていた笑みが僅かに歪んだのを俺は見逃さなかった。


 こうして対話する距離に入り、目の前の彼らは以前会った事のある者達では無いと理解する。

 俺に恩を感じている者であれば多少はやりやすかったと思うのだが、そう良い方向へ転がるばかりでは無いのだろう。

 目の前に居る集団は、以前に比べ女性が多いようだった。



「あのような理性を感じさせない異形が人間の指示を聞くとでも思っておいでですか、それはいささか暴論では? たまたまそのような動作と異形の来襲が被ってしまっただけと考える方が自然ですよ」



 きっぱりと嘘を言い切る辺りに、この女性の面の皮の厚さがありありと見えてくる。

 恐らくこれからどれだけ言葉を交わしても、確定的な物的な証拠が出てこない限り彼女が俺の発言を認めるとは到底思えない。

 

 時間を掛けて証拠を集めていけば、彼らの口から事実を吐露して貰うことも可能かもしれないが、彼らの目的が分からない今、悪戯に時間を与える行為はしたくない。

 なにより事が事だ。

 迅速に状況を把握する必要があるだろう事は、今の俺でも確信できた。

 気は進まないが少々強引に行くことにする。



「残念ながらこちらはそんな水掛け論に高じるつもりはっ、ヒック……ない」

「……あの、真面目に話して下さりませんか?」

「……俺はいつだって真面目だ」



 ……本当に今日はどうなっているんだろう。

 歯を食いしばりこれ以上醜態を晒さないように意識する。

 俺と会話している“泉北”の女性は、生気の感じさせない青白い顔を疑心と困惑を混ぜ合わせたような表情で歪めた。

 正直、申し訳無い。



「ともかく、お前らがいくら否定したところで、俺が見た限りはまず間違いなく黒だった。それでもう充分だ」

「なんて暴力的な。……ならば仕方ありませんね、話し合いをしようともしない貴方にも厳罰が下ることでしょう」


 

 大仰にそんなことを言って両手を広げる女性を見て、何か奥の手があるのだろうかと思案する。

 とは言え巨人を操っていた事を隠したいようなので、これ以上露骨な巨人の襲撃は無いと思うが。

 ……まあ何にせよ、もう彼らの抵抗は無いようなものだ。


 女性の後ろで他の“泉北”の無力化を終えている知子ちゃんの姿を確認する。

 暗殺者染みた知子ちゃんの動きを、直ぐ近くに居る女性は全く気が付くことが出来ていない。

 大仰な動作が何かの合図だったのか、しばらくして何の反応も無い仲間達に女性はどうしたのかと振り返り。

 振り返った顔を知子ちゃんに片手で捕まれた女性は目を見開いた。

 戦闘状態となった知子ちゃんの真っ赤な目が、至近距離で女性を覗き込んでいる。



「――――あ……?」

「おやすみなさい」



 女性の顔が跳ね上がった。

 何も出来ないまま無力化された他の仲間達と同様に、膝から崩れ落ちる。

 足下に伏している“泉北”の姿を冷たく見下ろす知子ちゃんは、何の変装もしておらず。



「……え、な、何で……。さ、笹原さん?」



 俺の背後に居る者達が彼女を知っているのは当然だった。




 笹原知子が元々所属していた“西郷”はもう既に無い。

 この地域に侵攻してきた球根型の特級危険個体、“主”に壊滅させられたからだ。


 “西郷”を指揮していた者はその侵攻であっけなく命を落とし、その他の者も半数は餌となった。

 生き残った者達は命からがら拠点から逃げ出し、今は“東城”コミュニティに身を寄せている現状だが、その中でも兵藤達三人は特に笹原知子と関わり深い者達である。

 同年代で、パンデミックで社会が崩壊するまでは同じクラスとなることもあった彼らは親しい仲でこそ無かったが、声を掛け合う程度に顔見知りではあった。

 同じ学校に通い、同じ災禍に見舞われ、同じコミュニティに身を寄せた、価値観を分かち合う関係。

 であれば、少しの間見ることが無かったとは言え、何の変装もしていない笹原知子の姿を見て自分たちが知る彼女なのだと判別出来るのは当然であった。



 自身への呼びかけに、知子ちゃんは俺が今まで見たこと無いほど冷たい視線を眼鏡越しに彼らへ向ける。

 東城さんの纏う不思議な重圧とはまた別種の重さを感じさせる彼女の雰囲気に、向けられていない俺まで唾を飲み込んでしまう。

 引け目があるのだろう。兵藤達が誰も口火を切れない中で、黙ったままの知子ちゃんはじっと彼らの様子を窺っている。

 しばらくしておずおずと声を掛けたのは檜山という男性だ。



「さ、笹原、……お前、生きてたのか」

「ええ、お久しぶりですね皆さん。健やかなようで何よりです」

「俺らは……いや、すまない。雛美から聞いていた、その、感染状態であったと。どうやって助かったんだ?」

「それを私が貴方達に教える義理はありますか、私を見捨てた貴方達に?」

「っ……、笹原さんっ……」



 悲痛な彼らの声に、俺はどうしたものかと頭を悩ませる。

 知子ちゃんがこうして出てきたと言うことは、彼らとの決着を付ける意思が固まったと見て、まず間違いない。

 彼らとの会話で、何かしらの落としどころは考えている筈だ。

 だから、ここで問題なのは俺の立場だ。


 知子ちゃんとの関係は何か。

 どのように知り合って、俺が感染から救ったというならどのように行ったのか。

 その部分の説明をいかにして行うか、もしくはどの部分を隠すかが問題となる。

 知子ちゃんに何かしらの考えがあるならば、おいそれと不用意な発言は控えたい。

 ……特に今の俺は本調子では無いのだから。



「……お前、その目はどうした? その赤い目は、まるで」

「“死鬼”のよう、ですか? そうですね、その予想は間違いないですよ檜山さん」



 煌々と赤い目を輝かせ口元を裂いた知子ちゃんの姿は、いつもと違いすぎて別人では無いかと疑いたくなるほどだ。

 ……と言うか、あれ?

 それは暴露して良いことなのか?


 案の定背後で息を飲む音が聞こえてきて、慌ててそれにならい俺も息を飲んでみる。

 知子ちゃんの冷たい目にさらされた。

 一体どうすれば良かったと言うのだろう。



「笹原さんっ、今私達ね、東城さんのところに居るのっ! 笹原さんも行こうよ、また一緒に私達と生活しよう?」

「何故そんなことをしなければならないのですか? 嫌に決まってるじゃないですか」



 元同級生であり、長い間共に生活してきた雛美さんの縋り付くような言葉を、眉一つ動かさずバッサリと切り捨てる。



「勘違いしないで下さい、私は別に貴方達を恨んでいる訳ではありません。貴方達との生活よりも、満ち足りている今の生活を送る方が魅力的なだけです。今はこうして昔のよしみで助けてあげましたが、もののついでに貴方達への別れを言うためにでもあります。もう関わろうとはしないで下さい、それだけです」

「笹原っ……!!!」

「おい、俺を挟んで何を争っているか知らないが。まだ続くようなら俺は帰らせて貰うぞ」



 どうやら知子ちゃんの対応的に、俺は見ず知らずの奴として扱う様子なのでそれに乗ることにする。

 もう無理に隠すことでも無いような気がするが、知子ちゃんと“死鬼”の関係を匂わせたのを考えるとそうはいかないのかもしれない。

 もしも以前の球根退治に赴いた二人組のうち、一人が彼女である可能性が彼らの中で出てきたのなら、仲間のように振る舞う存在が居ればそれが死鬼だと疑うだろう。


 この姿の者が異形だとはあまりバレたくない。

 人間らしい振る舞いをしていて、以前この地域の恐怖の頂点であった死鬼が大人しくなったと知れば、恨みを持った者達が何をしてくるか分からないからだ。

 そもそも死鬼としての意識が無くなった原因が、自衛隊による討伐であったのなら相当な恨みを生存者に買っているはずなのだから。



「……そこの、迷彩服の方は新しい仲間ですか? 失礼しました、私は貴方に用がないのでお帰りになって良いですよ」

「ああそうかい、知り合いのようだし俺はお暇させて貰う。ああそれと、そこで倒れている奴を一人貰うぞ。聞きたいことがあるんでな」

「お好きにどうぞ」



 もはや完全に茶番。

 この場を支配しているのは俺と知子ちゃん。

 俺が何を言っても今の彼女は頷いてくれるだろう……いや、あんまり無理なことを言えば殴られそうだが。

 まあともかく、俺に助けられ、状況に圧倒されているだけの兵藤達に口を挟む余地はないのだ。

 何か言いたげに俺を見る兵藤達の視線に気が付かない振りをして、先ほどまで俺と喋っていた“泉北”の女性を背負い上げる。



「……ほどほどにね……」

「……はい、すいません。決着付けておきます……」



 知子ちゃんとすれ違うタイミングで囁けば、彼女は器用に口を動かさずに返答した。

 

 





 去って行く梅利さんの背中に心の中で感謝を送りながらも、昔の仲間達へと視線を向け続ける。

 本当はもっと前に清算するべきだった私の過去のしがらみが、今目の前にあるのだと実感して口元に力を入れた。


 本当は、先ほどの梅利さんの行動がなければこの場は実現せず、彼らは命を落とし、私は永遠にしがらみから解放される機会を得ることもなかっただろう。

 配慮したつもりが、逆に気を使わせてしまった。

 助けられてばかりだ、そう思う。


 だからせめて。

 そこまで考えて、違うところにあった意識を昔は仲間であった者達へと向けた。



「初めに言っておきます、私はある方に救われました。その方を裏切るつもりもなければ離れるつもりもありません。強制された訳ではなく、私の意思でそう願っているんです」

「……それは、“死鬼”か?」

「そこまでは言うつもりはありません。ですが、必死に私を救ってくれた優しい人です」



 複雑な感情に表情を歪ませた彼らに、私は伝えたいことを考える。



「その上で、私は貴方達と最後に少しだけ話したかったんです」



 後悔を残さないようにするべきだと思った。

 やりたいことを全てやって、引き摺っていたものを全て解消できたと笑顔で彼に報告しなければ、報いることなんて出来ないのだと思ったから。



「……“西郷”、拠点ごと襲撃を受けて潰されたらしいですね。貴方方が無事だったことは素直に嬉しいです」

「そうかよ。まあ、今の上はそんなに悪くねえ。流石はコミュニティの奴らが姫様姫様持ち上げるだけの事はある」

「うん……東城さん、逃げ込んできた私達に対しても優しいし、分け隔て無く接してくれるよ。何とかコミュニティの力になりたいって思うくらい、私も今居る場所が好きになったよ」

「そう、ですか。“東城”コミュニティとはぶつかり合ってばかりだったから不安でしたが、良くしてくれていますか……」

「ああ、“西郷”で上だった奴がそもそも、小娘が生意気に、なんて言う悪感情を持っていたからな。拠点の襲撃で真っ先に逃げ出したあいつらが残らず餌になったのは、ある意味良かったのかもな」



 なんてことの無い雑談を振れば、彼らも一瞬だけ悲しそうに笑って応えてくれる。

 ああ、下らないと思っていた昔の一コマにでも戻ったかのような気分だ。

 こんな意味の無いような会話を悪くないと思えるのは、私が変わったと言うことなんだろうか。



「食事はちゃんと食べられていますか? また神楽は野菜が食べられないと泣き言を言っていませんか?」

「はは、おい聞けよ笹原。雛美の奴、この前出されたグリンピースを子供の前だからって無理して食べて体調崩してたんだぜ」

「ちょっ、ちょっと!! 今それ言う必要ないよねっ!?」

「そうそう人は変わるもんじゃないだろう。雛美なんて小学生の時からこうだぞ、結局同じ場所で長い間生活してきたお前も、俺らに対しての敬語さえ止めなかったからな」

「ふふふ、まあそうですね。そんなものですよね」



 壁を作らずに仲良くなっていく彼らが、きっと昔の私は恨めしかった。

 一歩を踏み出せない私の弱さを、心にもない理由で肉付けして距離を取り続けた。

 本当はもっとこうして彼らと話してみたかったのだろう。



「そろそろどちらかと付き合わないんですか? いい加減、手のひらで男を遊ぶの止めたらどうですか?」

「な、なななな、何を言ってくれちゃってるのかな笹原さんっ!?」

「あー…、やっぱりこいつは悪女の部類だよな。いや知ってたけど」

「そうだろうな、うん。良いように動かされているとは思って居たが……そうか」

「笹原さーんっっ!!??」



 でももう私は違う所へ行くと決めたのだ。


 彼らが進む場所とは、また別の場所へ行く事を選んだのだ。


 もう帰る場所は違うのだから――――



「……そろそろ私は帰らないといけないので、ここで」

「ああ……そうか」

「身体に気を付けろよ、そろそろ寒くなってくるからな」

「そっか、うん。じゃあ、ここまでだよね」



 出来るだけ笑顔を作るようにする。

 こんなぐちゃぐちゃになった世界になってずっとしてこなかった、無邪気に明日が来ることを信じ切った平和ボケしたような笑顔を作る。



「檜山くん、兵藤くん、神楽さん。じゃあ私が帰るのはこっちだから……またね」



 まるで明日また会えるかのような気軽さで彼らに手を振れば、鉄面皮の檜山くんは眉を寄せ、以外と面倒見の良い兵藤くんは気遣う言葉を、泣き虫な神楽さんはボロボロと涙を溢して私に手を振ってくる。

 

 

 もしも彼らに会うことがあれば私は何を話すべきなのかずっと考えていた。

 何を話せば良い、なんと言って許せば良い。

 思い付くのは形式染みたそんなことばかりで、本当に私の伝えたいことなんて何一つ思いつきはしなかった。

 だからずっと、まだ会いたくないなんて理由を付けて逃げ続けてきたのに。

 こうして彼らを目前にすれば、頭の中に出てきた私が本当に伝えたいことなんて大したことではなかったのだと気が付いた。


 私は本当に何気ない日常の一コマを、彼らともう一度だけ過ごしてみたかった。

 行き先は違くて、帰る場所は別で。

 それでも私は今幸せなのだと彼らに伝えて、彼らとの日常が嫌いではなかったのだと伝えたかった。


 長いこと掛かってしまった私の小さな悩みは、そんな単純なことで掻き消えて。

 あれだけ憂鬱だった彼らとの再会が、今は私にとって掛け替えのない思い出となり、記憶の隅に大切に仕舞い込まれた。

 


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