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連なる悪夢

 真っ赤な鮮血が視界を覆い尽くす。

 恐怖に引き攣った叫びが響き渡る。

 誰かの視線を通して見る目の前の地獄は、確かに俺が生み出したのだと理解する。

 最後の生き残りであり、絶望に支配された表情で俺を見上げるのはうつ伏せで倒れる何処か見覚えのある男性だ。


 己が作り上げた死屍累々の地を踏みしめて、その男性へと歩みを進める。

 今までしたことの無いような笑顔を作り、俺の意思に関係なく男性に近付いていく身体は言うことを聞かない。


 何だろう、この光景は。

 見覚えの無い凶悪なそんな場面に、俺の頭は事態を把握しきれずただその光景を誰かの視点を通して見詰めるしか無い。



「……ふざけたことをしてくれたな。今まで温情で見逃していたが、絶滅させるべきだったか。矮小で、脆弱で、愚かな人間ども」



 口が勝手に動き出し言葉を紡ぐ。

 頭にはこれ以上無いのではと言うほどの激情が込み上げ、目の前にいる男性を怒りのままに消し去ろうとしているのが分かる。

 沸騰するような熱が身体を満たす。

 視界に入る、身体から滴り落ちる黒い液体はこの身体の血液だろうか?


 そんなことをぼんやりと考えながら俺はただ身体が動いていくのを感じるしか無い。

 一歩一歩男性との距離を詰めて行き、俺の伸ばした傷だらけの手が男性に届くかというところで、目の前の男性が見知った人であることに気が付いた。


 少し年老いて、土で薄汚れた格好が見慣れないものであったから気が付かなかったが、目の前に居る男性は彩乃の父親だ。

 俺のことを本当の我が子のように接してくれた、大切な人だった。



「貴様で最後だ、己の愚を呪うが良い」

「……っ、お、お前が……」

「……遺言か、聞こう」



 一刻一刻と目の前の大切な人が息絶えるまでの時間が減っているのを理解しても、俺の身体はまるで思うように動かない。

 指先一つ動かすことの出来ない身体はまるで自分では無いかのように、望まない行動を続けていく。


 彩乃の父親の首を片手で掴んだ。

 ほんの少し、この身体はわたあめでも潰すように力を入れるだけで、手に感じる温もりが消えてしまうのを俺は知っている。



「お前の元となった人間が、誰であろうとっ……! お前の振る舞いはっ、最悪だと言うだろうな……!」

「ほう、ならば貴様らが正義だとでも? 笑わせるなよ人間」



 吹き上がる怒りが身を焼いているのかと錯覚するほどの熱を持つ。



「私の元となった者を貴様らと同列に語るなど不快だ。愚図な貴様らなどと、何故私の主様を同じと考える。貴様が異形と化したところで、塵芥と何ら変わりないものが生まれるのは自明の理だろう?」

「ぐおぉっ……!! ぎ、がぁぁっ!!」

「貴様が今を人として生きている。なるほど、生存能力が高いことは認めよう。だが、ここに来るまでに貴様は何人の者達を見捨ててきた? 貴様は何人を無駄だと切り捨てた? 大局のためと言って私に刃向かうような愚を犯した貴様らが、どれほどの数を必要だったと置いてきた? 犠牲の上にしか立つことの出来ない貴様と私、どちらが上かなど考えるまでも無い」



 男性を掴んだ手とは逆の手が後ろに引かれた。

 もう、この身体は終わらせる気だ。



「遺言かと思って無駄な時間を過ごしたな、もう消えろ」

「……あ、あや、の、――――っ……」



 娘と奥さんの名前を呼んだ男性の身体から力が抜け落ち、だらりと四肢が垂れた。

 虚ろな目で空を見るその姿は今にも死んでしまいそうで。

 必死に身体を止めようとする俺の意思も無意味に、引き絞られた彼女の手は振われる。



「……ば、いりくん……すまない……」

『――――止めろ!!!!!』

「――――っ!?」



 凄惨な光景を想像させる目の前の世界は、その瞬間掻き消えた。






「梅利さんっ!!!」

「お、わっ!? あ、あれっ……?」



 衝動のまま飛び起きた俺に、知子ちゃんが馬乗りになっている。

 真っ青な顔色で俺の顔を覗き込んでいる彼女の姿、目の前の状況が読み込めず硬直してしまう。

 不安げに知子ちゃんの瞳が俺の目を覗き込んでいる。

 やっぱり整った顔をしているなぁ、なんていう現実逃避した思考をしていれば彼女はようやく安心したように溜息を吐いて俺の上から退いた。



「梅利さん、うなされていましたよ。真っ青な顔で何度も呻いていたから……心配しました」

「あ、ああ、ごめん、ありがとう。夢、だったのか……」



 心底安心する。

 考えてみれば、それはそうだろう。

 以前、“東城”コミュニティの拠点に行ったときに彩乃の父親は見掛けていたのだ。

 だから、先ほどの凄惨な光景が現実では無いと、考えれば直ぐに分かったはずなのに。



「ちょっとだけ、嫌な夢を見てね。……うん、体調とかは問題ないよ。よし、今日も一日頑張ろう知子ちゃん!」

「……そうですか、良かった」


 

 先ほどまでの悪夢を忘れようと元気を出そうと無理に大きく声を出して、ベッドから飛び降りる。

 そのまま伸びをしようとするが予想外に覚束なかった足が、しっかりとバランスを取れず体勢を崩した。

 倒れそうになる俺を知子ちゃんは慌てて支えてくれる。



「は、はれ? お、おかしいな……なんで?」

「……アイツ、だからあんなに飲むなって言ったのに……」

「え、知子ちゃん何か言った?」

「いえ、何でもありません。立てますか? 肩を貸しますね」

「う、うん。ありがとう」



 ふらふらする足に力を入れるが、まともにバランスを取ることが出来ない。

 知子ちゃんの肩を借りて何とか寝室用の部屋から出て、地下から一階にある台所に向かう。

 ふとワイン保管室を通るときに、昨日見たときよりもワインの数が減っている気がして不思議に思うが、くらくらする頭ではろくに考えることも出来ずそのまま通り過ぎた。



「お、おかしいな。お酒でも飲んだ感じだよ。まあ、お酒なんて飲んだ事無いんだけどね、あはは」

「…………そ、そうですね」



 俺が肩を貸してくれている知子ちゃんに申し訳なく思い、なんとか場を持たせようと冗談を口にしてみるが慣れない俺の冗談など笑えないようで、彼女は俺から目線を逸らして気まずそうに同意してくる。


 ……なんだろう、この疎外感。

 そんなはず無いのに俺だけ仲間はずれにされてる感が半端ない。


 ようやく辿り着いたリビングに置いてあるソファに座り、知子ちゃんが持ってきてくれた水を飲めば、気持ち頭の霧が掛かったかのような不快な感覚が薄れる。

 体調を崩すことなどこの身体になってから一度も無かったのだが、どうして急にこんなことになったのだろう?


 やっぱり昨日聞いた衝撃の事実に、速攻でふて寝状態に入ったのが悪かったのだろうか?

 そう考えると、さっきの悪夢も納得がいく。

 昨日の自衛隊を壊滅させた異形の正体が俺だという衝撃は、ふて寝した程度では和らがなかったらしい。



「梅利さん、今日は休みましょう。無理に外出する必要も無いですし」

「……そうだね、なんだか訳が分からないけど身体の調子が悪いし。そう言えばあの球根の最後の一撃を受けちゃったから、そのガスのダメージも残ってるのかな?」

「そ、そうですよ、きっと!」

「じゃあ、今日はもう家でゆっくり――――」



 僅かに、外から誰かが言い争うような声が聞こえてきた。

 知子ちゃんの耳には届いていないのか、俺が黙ったのを見て不思議そうに小首を傾げた彼女に小さな声で伝える。



「……少し離れたところで、何人かが言い争いをしてるみたい」



 状況を理解した知子ちゃんは目を瞬いた。







 音を聞きつけて、慌てて迷彩服を身に纏い外に飛び出した。

 コソコソと物陰に身を隠しながら声のする方向に近付いていけば、徐々にその姿が確認できる。

 高級住宅街の道路を挟んで、四人ほどの集団同士が睨み合い何かを言い合っていた。

 片方は黒い毛皮のコートを身に纏う集団で、もう片方は以前から何度か見ている彼ら。



「あ、あの人達……!」

「……知子ちゃんがいた所の人達だよね? 確か、雛美さんとかそこら辺の」



 前に襲撃していた動物たちから助け出した彼らが“泉北”と睨み合い何かを言い合っている。

 と言うよりも、“泉北”の集団に一方的に絡まれているようにも見える。

 ……あれが異形の頃の俺を信仰しているとか、信じたくない光景だ。



「……へえ、彼女の事を知っているんですね。どうですか、綺麗な子でしょう?」

「んー、まあそうだね。でもまあ、身近に知子ちゃんがいるからそんな気にならなかったな」

「え?」



 じっと様子を窺いつつ、この後どう動くべきか考える。

 もしもこのままあの集団がぶつかり合ったら、折角周りに死者や異形が居ないのに音につられて来てしまう可能性もある。

 穏やかな新居生活が始まったばかりなのに、それは正直遠慮したい。



「もし彼らが武力衝突しそうになったら割って入るなんてどうだろう」

「――――え、ええ、あ、そうですね。あ、でも、あまり目を付けられたくないですし、何なら今私変装していないので、彼女達の前に出るのはちょっと、ですね」

「そっか……そうだね。まあじゃあ、衝突しないことを祈って」

「はい、そ、そうしましょう」



 言い淀む知子ちゃんの言葉に、自分自身の短慮を反省する。


 取捨選択を誤るなんてしてはいけない。

 思わず自分勝手に動きそうになったが、よくよく考えてみれば生存者同士で生死の掛かった争いが起こるとはよっぽどのことが無い限り考えにくい。

 ならばここは静観するのが最善だろう、……いや本当に調子が出ない。

 まだ頭がクラクラするし、何なら痛みもある。

 こんな調子では不測の事態に陥ったときに、機転を利かせることなんて出来ない気がする。



「――――止めはしません。ですが、貴方達にはいずれ神罰が下されるでしょう」

「何言ってやがるっ…! お前らが言うあの化け物はそんな高尚なもんじゃねぇ!!! いつまで妄想に縋り付いてやがるっ、あの化け物がお前らを一度でも救ったことがあるのかよ!?」



 罵倒にも似たそんな言葉が交わされているのを聞いて表情が強張る。

 聞き覚えのあるその声と、攻撃的な彼の言葉にただでさえクラクラしている頭が痛くなる。

 恐らく“泉北”が信仰する神、つまり“死鬼”を指して言って居るであろう兵藤の言葉に、黒い毛皮のコートを着た者達は見るからに剣呑な雰囲気を身に纏い始めた。



「……幾度となく。そして、貴方は今我らが神を侮辱しました。今すぐ頭を下げ許しを請わなければ、今すぐにでも神罰が下りますよ?」

「はっ、その神罰とやらを見ることが出来れば、少しは神を信じても良いんだがなっ! おい、もう帰ろうぜ。ここはどうやら頭のおかしい“泉北”さん達が根城にしてる場所みたいだ。俺はもう関わり合いになりたくなくて吐き気がしてるぜ」

「兵藤君、あんまりそういう事は」

「いや、ともかく俺らの目的は達成したんだ。もう帰って関わり合いにならない方が良いだろう」

「う、うん。あの、すいません失礼します」



 前に見たときのように、やっぱり兵藤と言う奴は誰に対しても攻撃的だ。

 俺はまあ、命の恩人的な立場であったからあんな対応は取られないが、普通に出会っていたら関わりになりたくない人種ナンバーワンであると思う。

 もっとも、もしかしたら話を円滑に進めるためにあのような役を演じているのかもしれないが……どちらにしろやり過ぎのような気もする。

 なんせ、彼らが背を向けた黒い毛皮のコートの連中は、今にも人を殺しそうな目でその背中を睨んでいるのだから。



「……汚らわしい背信者め、自分が受けていた慈悲を当然のものと考え感謝もしない愚図どもめ……」



 離れたこの場所にさえ歯軋りが聞こえてきそうな程、歯を食いしばりブツブツと何かを言っている。

 俺にはその考えが分からないが、隣に居る知子ちゃんは何か思うところがあるのか眉間にしわを寄せて彼らの姿を見詰めていた。


 ほの暗く輝く目が兵藤達を捉えたまま、何かを呟いていた彼が片手を持ち上げたのを見て警戒する。

 手には何も持たれていない。

 だが、その手はそれそのものが凶器であるように、去って行く兵藤目掛けて振り下ろしていく。


 その一種の合図のような動きで。



「そこまで言うならば良いだろう、お前達には」



 視界の端にある、邸宅の屋根の上から何かが飛んだ。



「厳罰が下る」



 着弾する。

 地面が砕け、土煙が巻き上がる。

 巨大な何かの影が、拳を地面に叩き付けている。


 直前に上空からの気配に気が付き、慌てて転がるように避けた彼らは生傷や打撲の痕こそあるものの大きな負傷は無いようで、呆然と自分たちが居た場所に現れた巨大な影を見上げていた。



「え、えっ、なにこれっ!?」

「巨人っ……!? いや、これはっ…!?」

「お、おいおいおい、逃げるぞ走れ!!! 挽肉にされるぞ!!」



 兵藤達目掛けて空から降ってきた何かがが土煙の中で咆哮を上げた。

 己の存在を叩き付けるかのような咆哮を吐き出し土煙から姿を現わした巨人は、走り出した兵藤達に視線を固定させる。



「ち、知子ちゃんアレっ…!?」

「嘘でしょう、死者を操ったっ!? そんなっ!?」



 それは背後で笑う“泉北”達には見向きもせずに、見えているのか分からない白目を逃げる兵藤達に固定させ追い始めた。

 以前の急に俺に襲い掛かってきたあの黒い巨人が、自重だけで大地に罅を入れながら歩いて行く。

 徐々に加速していく歩みは、次第に駆け足のように。

 そして、最後には陸上選手のような桁違いの走りへと変わっていく。


 あらかじめ逃げていて距離を大きく離していた筈の彼らは、瞬きの間に肉薄され、気が付けば手を伸ばせば届く距離に入っている。



「兵藤しゃがめっ!!」

「ぐおぉぉおおっ!!?」



 スライディングするように身体を屈めた表情の頭があった場所を、砲弾のような拳が通過する。

 拳に纏った風圧だけで、近くに居た三人の体勢が崩れるほどの衝撃。

 擦りでもすれば命が無いと、唾を飲み込んだ。



「っっ…!! あのままじゃっ。知子ちゃん、本当にあいつらを見捨てて良いの!? 本当に後悔しないのっ!?」

「……後悔しません」



 彼女の表情が歪む。

 一つ掛け違えれば命を落とす目の前の状況で、彼らが生き残る未来など無いように見えるからだろう。


 彼らに見捨てられたとき、彼女は思うところがあったはずだ。

 悔しさや悲しみがあってそれでも生き長らえてここに居て。

 じゃあ今度は同じように彼らを見捨てることが出来るかと言えば、きっと彼女は出来るのだろう。

 どれだけ本心では彼らを救いたいと思っても、口に出すこと無く見捨てることが出来る。


 彼女が助けたいと言わない理由は、きっと俺だ。

 力になれないことを悔やんで、ずっと力になりたいと言って、ただ傍に居させて欲しいと言った。

 だから、きっと彼女は我が儘なんて言うべきで無いと思っているのだろう。

 迷惑を掛けないように、そんな事を思って押し黙る。

 そうやって彼女は一人泣くから――――。



「――――ごめん知子ちゃん、俺は……」

「……梅利さん?」

「先のことを考えられない馬鹿みたいだ」



 ヘルメットを深く被り込む。

 一気に両足に力を入れて、呆然と俺を見る知子ちゃんの表情を横目に飛び出した。


 遠くの巨人が腕を振りかぶっているのが見える。

 以前対面した巨人とは、所々形は違うが性能としては、ほとんど同じのように見えるソイツ目掛けて飛び込みつつ考える。


 自分は今あまり体調が良くない、だから銃をこの距離で使えば正確に異形だけを狙えるかは微妙だ、その上で。


 あまり派手にやり過ぎない。

 犠牲を出さずに始末する。

 そして、時間を掛けすぎれば他の死者や異形を呼び寄せることになる。


 この辺りを注意して行動しなければならないだろう。

 ……なら、巨人が俺の存在に気が付かない事を祈って。


 散乱していた車を足場に、巨人の頭へ飛び付いた。

 何が起こったのか分からずに巨人は挙動を止めたため、ろくな抵抗もなく頭をロックすることが出来る。

 こちらを強張った表情で見上げていた兵藤達は、状況が読み込めないのか一言も発しない。


 基本的に異形や死者というのは頭部が弱点だ。

 他の場所を幾ら攻撃しても、中々倒れるものではない。

 強靱な生命力と再生力で、あっと言う間に元通りなんて事だってある。

 だが逆に、頭部さえ潰してしまえば……割と簡単に彼らは動かなくなる。


 身体全体を使って両足に挟んだ巨人の頭を回転させる。

 嫌な音が鳴り響き、力が抜けた巨人はそのままの体勢で顔から地面に倒れて行き、俺は慌ててそこから飛び降りた。

 目の前に倒れた巨人に、兵藤達は息を飲み茫然自失な様子で俺を見詰めてくる。

 なんと声を掛けるべきだろうか。



「……また会ったな。つくづく面倒事に巻き込まれる連中だ……ヒック……」



 ……何故だかしゃっくりが出てしまった。

 格好が付かないのは、もうそう言う星の下に生まれたと考えた方が良いのだろうか?


 誤魔化すように顔を背けて、倒れて動かない巨人の頭に銃口を押し当てて数発撃っておく。

 この前の完全に頭を吹っ飛ばした状態で、こいつに似た奴は僅かながら動いていたのだ、警戒するに越したことは無いだろう。



「貴方は、あの時の」



 そう言えば彼らに自分の名前を言っていなかったなと思いながら、その言葉に答えること無く“泉北”の者達へと向き直る。


 眉をひそめている彼らと視線を交わして、俺は口を引き締めた。

 さあ、この信者達をどうするべきか。

 俺はまた無意識のうちに、ヘルメットを深く被り直した。


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