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生存者との接触

 前提を言おう、自分は男だった、それは紛れも無い事実である。

 覚えている限り、自分は十五年もの間を男子児童として生活してきたし、同時に同い年の女子児童として生活してきた幼馴染を見ているから異性がどういうものかもきっちりと理解しているつもりだ。

 だから、自身の性別を勘違いしているという事は絶対にない。

 ついこの前の事の様に思い出せる、人間としての最後まで、自分はもっと違う形をしていたのよく覚えている。

 ……隠し立てなどしないで正直に言うが、自分は背の小さくて童顔のすばしっこいタイプの子供だった。

 幼馴染よりも背が小さくて、自分よりも数段高いその頭を恨めし気に眺めていた事は、毎日と言っても過言ではなかった。


 だから――――思い違いなどではなく。


 花宮(はなみや)(ばい)()と言う男子生徒は、この世に居た筈なのだ。







 今日は近くのコンビニに足を運ぶことにした。

 食べられるものなんて碌に残っていない。普段なら候補から真っ先に外す場所であるものの、今日は食べるものではなく、ほんとにちょっとした物が欲しくなったのだ……そう、洗剤だ。

 予想以上に臭くなっていた自分の戦闘服を、水浴びした後の清潔になった俺はどうも受け付けなくなってしまった。

 どうしても着たくないと言う衝動に負け、今は替えの迷彩服を着て、汚れた戦闘服を洗う手段の確保に外出している訳である。


 近くのスーパーに行っても良いとは思うが、ああいう場所は異形どもがよく集まる場所であるし、コミュニティを築いた奴らが資材漁りに何度も通うような所でもある。

 どちらにも属せない自分は日陰者なので、当然、こそこそと誰も居ないところを攻めたくなるのだ。

 そう言った意味ではコンビニは自分の心強い味方と言えるだろう。

 アイラブコンビニである。

 昔は帰り道に買い食いしたくらいだし、本当に何から何までお世話になりっぱなしだ。



「お邪魔しまーす……」



 どこかの暴力的なコミュニティが動かない自動ドアを破壊したのだろう、砕け散ったガラスのドアを潜り抜けて薄暗いコンビニの中に入れば、予想通り、食料の類と飲料の類は根こそぎ持って行かれている。

 そんな事に今更意気消沈などする訳も無く、特に何も考えないまま日用雑貨の棚まで歩き、洗剤などのかさばる物がきっちりと残っているのを確認してとりあえずホッとした。


 安心して気を緩め、つい癖になっているヘルメットをぐりぐりと内側の角に擦り付ける行為をやってしまい、唖然とする。

 これでまた、ヘルメットの内側は大角に貫かれたことだろう。

 外側に角が飛び出ていないかぺちぺちと手で確認して、少しだけ内側から盛り上がってしまっているのを確かめて脱力した。

 俺は何個ヘルメットを駄目にすれば気が済むのだろう。


 とっとと必要な分を回収して帰ろうと思い、洗剤を幾つか懐に仕舞い込んでいると、異常なまでに発達した聴覚が囁く様な異音を聞き取る。


 それは複数の足音と話し声、どう考えてもどこかのコミュニティだった。



「……まじかっ、こっち来るっ……!」



 驚愕の事実に目を見開いて慌てて隠れる場所を探すも、荒らされ切ったこの場所では小さなこの体を隠すような箇所さえ見当たらない。


 きょろきょろと必死に周囲を見渡している間にもだんだんと音の発生源はこちらに近付いて来てくる。

 錯乱したように目を忙しなく動かして、泣きそうな顔で最後に固定されたのはコンビニに置いてあるATMだった。

 中身を押し退ければこの身体程度なら入る大きさである。

 もはや選り好みしている暇は無かった。



「ちっ……、ほらなっ、もう奪い合うしか食料なんて無いんだよっ!」



 ずかずかと数名の足音と共に、コンビニの中に響いたのは気性の荒そうな男の声。

 そしてそれに答えるのは落ち着いた男性の声だ。



「……ここは根こそぎ持って行ってしまっているな。危険な外出をして、成果がこれっぽちしかないなら割に合わないと言っても良いだろう」

「どうするよ、ウチのコミュニティの年寄りは、他のコミュニティとの助け合い助け合いうるせぇけど、向こうも最近はこっちの縄張りまで入ってきてキナ臭せぇ。先手を打っちまった方が良くねえか?」

「子供や老人も増えたからな、養う者が多すぎて不安が多い。……だが、だからこそ軽率な行動は控えるべきだ。どこも同じような状況だからこそ、お互い監視の目が厳しくなっている」



 商品が僅かも残っていない陳列棚を怒りに任せて叩いたのか、店内を大きく響き渡った金属音にATMの内側を抉じ開けて、潜り込み丸くなっていた俺はびくりと身を跳ねさせてしまう。

 機器の僅かな隙間からその声の主たちを確認すれば、大学生くらいの四人の男女の集団が鉄パイプを片手に店の至る所を見て回っているところだった。


 冷や汗を掻く。

 ATMの中に隠れたと言っても、小さいこの身を中に入れるためには大きな穴が必要となる、可能な限り入り口から死角となるように抉じ開けた訳だが……、草の根を分ける様に食料を探し回る彼らがこちらに来たら一瞬で気が付かれてしまうだろう。

 何とかしなくてはと気を急いてもどうすることも出来ず、四人、特に眼鏡を掛けた短髪の女性は棚の下や雑誌の隙間と言った細かいところまで確認していて非常に不味い状況であった。



(ど、どうするっ!? 物を外に投げて音で釣るかっ!? いやっ、この場所からじゃ難しすぎるってっ)



 ぷるぷると体を震わせながら彼らの様子を窺うが一向にこの場を去ってくれる様子は無く、気の短そうな発言をしていた目付きが鋭い長身の男が捜索に飽きたのか、あろうことかATMに背中を預けやがった。


 加えられた衝撃に反射的に後ろから頭を小突きたくなったが、そんな事をしようものなら大変なことになってしまう。

 今は我慢だと自分に言い聞かせて、そっと耳を澄ませた。



「実際お前らはどう思うんだよ」

「……何がですか。良いから食料の捜索を続けましょう、ここの他にも回りたい場所は幾つもあります」

「逃げてんじゃねえ、ウチのコミュニティのこれからだよ」



 シンと、捜索の手すら止めて無言となった彼らは重苦しい空気の中で、それ以上言うなと言いだしっぺを睨むがそれを意に介さずその男は続けた。



「先の無い、生産性の無いような弱者ばかりを保護して権利を主張する。そりゃあ立派さ、道徳的で倫理的で人道的なものだろうさ、褒められるような行為だと思うね。だけど、分かってんだろうが、それじゃあその先に待つのは全滅だってよ」

「兵藤君っ、そんな言い方っ……!」

「言い方も何もあるかよっ、俺らがこんだけ命を懸けて働いている間にあいつらが何してるってんだ、なあっ!? もう文明的な生活を送れていたあの頃とは違うだろうが、俺らにだって余裕なんてないんだよっ!」

「――――馬鹿っ、大声出すなっ……!」



 慌ててもう一人の男性の声が窘めるが、もうすでに遅い。

 発せられた声は店内だけでなく、静まり返った町の中へも響き渡る。


 うん、これはやってしまったな。恐らくものの数分でこの場に化け物どもが殺到するだろうと俺は予想したが、それは彼らも同様なようで直ぐに神経質そうに周囲を見渡していた眼鏡の男が苛立たしげに呟く。



「ああくそっ、早く拠点に戻るぞ」

「わ、悪い。熱くなった」

「謝罪は無事に帰れてからにしろ、雛美、笹原、帰るぞ」

「う、うん……」

「……仕方ないですね、命あっての物種です」

「よし、なら奴らが寄ってくる前に急ぐぞ」



 落ち着いた声の主が彼らのリーダーなのだろうか。

 彼の一声で彼らがすぐさま捜索していた手を止めて、この場を去るために動き出したのをそんな事を思いながら覗いていれば。


――――ガリリッと言う音が、帰ろうとしていた彼らの空気を凍らせた。


 緊張で身を固めた彼らが、なおもガリガリと壁を掻く様な音が鳴る方向を向くと同時に、俺もそっとその方向へ目をやる。

 彼らから俺が身を隠すATMを挟んだ先にある、トイレから響くその音は、少しずつされど確かに大きくなっていって、その音は質を変える。


 ドンッ、と扉を叩く音。

 連打され始めたその音は、次第に荒々しい絶え間ないものに変わり始め、ついには大きく扉を歪ませた。


 そしてその歪んだ扉の先から覗いたのは、白濁した双眸と生者とは到底思えない程に青く干からび腐り落ちた――――死者が居た。


 当然位置取り的に、ATMに隠れる俺はそのくりくりとした大きな目玉とばっちり目が合ってしまう。



「――――っ…!!」

「に、逃げろぉぉっ!!」



 我先にと逃げ出した彼らが走りだした音が背後から聞こえ、視線が合っている真っ白な目玉が大きな音を立てて逃げ出した彼らと身動き一つ取らない俺とを迷うように視線を行き来させる。

 だが、それもすぐに終わり、前者を選んだようだった。

 人外の怪力で吹き飛ばされた扉はくるくると宙を舞って、大きく開かれた口の中から意味を為さないうめき声を上げながら、逃げ出している彼らの後姿を追い掛けていく。

 早足程度の速さで動き出したその化け物は、幸いもう一瞥だって俺に視線を寄越さないで彼らの背中だけを見ている。



(……まあそうだよね、だって俺そっち側だし)



 ほんの少しの落胆に肩を落として自嘲するようにそう思い、去っていく彼らと化け物の背中を見送りながらそっとATMから身を出し、ぼんやりと彼らが話していたコミュニティについて思いを馳せる。

 どこも切羽詰まっているのが本当なら、そろそろ事件が起こるのも時間の問題だろう。

 意図せずして思わぬ収穫があったと嬉しくない情報に感謝しながら、逃げ出している彼らがこちらを確認できない場所まで行ったのを確認して――――床に落ちていた瓦礫を投げて、生存者達を追っていた死者の頭を打ち抜いた。



「……帰ろう」



 ぽつりと漏れた言葉は誰に届く訳でもなく宙に消える。

 崩れ落ちた死者の近くまで歩み寄ってもう動かない事を確認してから、無意識の内に吐いた溜息をすぐに打ち切る。

 懐の感触を確かめながら、自分でも分からない脱力感をどうすることも出来ず、このままふて寝コースに入るだろうと思いながら足を進めた。


 彼らは無事に危険地帯から逃げられただろうかなんて不安を覚えるが、そんな事を自分が気にしたところでどうしようもないのだと思い直し思考を打ち切った。

 ふらふらと幽鬼のような足取りで外に出る。

 愛しき我が家の朽ちた教会に帰ろうとした所で、四人組が去って行った方向から大地が抉れるような轟音と悲鳴、そして巨大な崩落音が響き渡った。



「はい?」



 呆然と後ろを振り返り、もうもうと立ち上っていく砂煙が目に入る。

 何があったのかは分からないが、先ほどの彼らが何かをしてしまったらしい。

 ありえないような大音量の目覚ましに、普段は日中に行動しないような化け物の声まで響き渡り始め、それが周囲からじりじりと近寄り始めているのを感じて唖然としてしまう。


 脳裏を撫でる沸騰するような熱い死の感触が、この場で誰かが死ぬ、そう言っているように思えて仕方なかったから。







――――それは偏に、運が悪かったのだ。


 逃げ行く先々を塞ごうとする死者達の群れ。

 もはや熱さえ感じさせない黒焦げの車両が道を埋め尽くして。

 隙間という隙間を潜り抜けながらどうにか危機を脱しようとしていた彼らに、老朽化したアスファルトが溢れ返った死者や彼らの踏み込む衝撃に耐えきれず、ガラガラと大きな音を立てて崩落した。

 主人のいない車両や死者達が突然出来上がった奈落の穴に引きずり込まれるのを目にして、彼らは悲鳴を上げながら足を動かした。

 連鎖的に崩れていく足場は、彼らの駆ける速度よりも早く。



――――だから、犠牲になった者が一人だけで済んで彼らは幸運だったのだ。



 最後尾を走っていた彼女の姿が地に消えたのを、彼らは気にすら止めず駆け抜けて行った。

 この秩序が崩壊した環境の中で身を寄せ合って過ごした仲間ではあったものの、誰かを思いやって自分の身を犠牲にするような者であれば、もはや今まで生き残る事なんて出来はしないのだから。

 ここまで生き残っている彼らが下すその判断は、この環境下にあっては当然の事であったのだ。



 奈落の底に広がるのは、以前は多くの人々で栄えていた地下街。

 多くのコミュニティが眠っている筈の食料を求め幾度も侵入を試みたものの、死者の巣窟となっているその地下街の闇に呑まれ、多くの犠牲を払い失敗を繰り返してきた、もはや地下に鎮座する巨大な墓所。

 深部に足を踏み入れれば生還率は0%と言われるその場所に、彼女は引きずり込まれてしまっていた。



「はぁっ…はぁっ…」



 乱れた呼吸の音を抑えようと必死に口元を腕で覆い、ただ走る。

 落下した時にまともに受け身を取れなかったから挫いた足は激痛を訴えてくるが、同時に背後から聞こえてくる、這いずるような音と昆虫が歯を打ち鳴らす様な異音に脳は逃げろと警鐘を飛ばしてくる。

 引き摺るように足を動かして、真っ暗な道の中を、正面から異形が現れない事を祈るように願いながら突き進んでいく。


 共に遠征をしていた三人の気配は既に無い。

 落下していく中で振り向く事すらせずに消えて行った彼らの背中に、薄情だとは思わなかったが…絶望を感じなかったと言えば嘘になる。



「にげっ…ないとっ…。あいつ等は、夜目が利くからっ…暗い場所は意味が無いっ…見えない場所にっ…!」



 どこに逃げると言うのだろう。

 自分でも分からないようなそんな言葉を発して自己の精神を安定させようとする彼女の表情は死人の様に白く、恐怖でカチカチと打ち鳴らされる歯は止まる様子が無い。

 その様子は、もう自分が生きてここから出られないことなど、理解しているかのようだった。


 キチキチッ


 そんな音が真横から聞こえた瞬間、反射的に前に飛び出して転がり、瓦礫で切れた肩口を気にすることも無くまた走り出す。

 落下した時に痛めた背中から痺れるような激痛を感じて、呻きながらも足を止めようとしない彼女は、フレームが曲がり割れてしまっていた眼鏡を後ろに放り投げて視界の端に飛び込んできた扉を目掛けて飛び着いた。



 紙一重、死者達の手先が扉に届く前に物置のような部屋に体を滑り込ませて閉めることが出来た。

 鍵を掛けて、ガンガンと外から狂ったように打ち鳴らされる音を少しでも軽減させようと、その場にあったロッカーや机で固定してギリギリまで出来る限り重そうな物を積み上げた。



「はっ…はっ…に、逃げ込めたっ…後は、た、助けを待って…ここで、助けを…」



 うわ言の様にそう呟いて、力尽きたように膝から座り込んだ。


 自分の口から洩れた願望をじっくりと咀嚼して、床に付いた血だらけの手の甲を見ながら何を言っているのだと呆然と吐き捨てる。



「……助けなんて……来る訳ない…」



 ポキリと、音を立てた様な気がした。


 未だに扉の外側からは、人の身では出せないような激しい音が何度も何度も繰り返されている。

 ジワリと湧いてきた額の汗を不快に感じる間もなく、どこを見ても一つしかない出入り口に諦観はより身を蝕んだ。

 膝を小さく折りたたんで、寒さを耐える様に抱き込んでも、ガタガタと震え出した体は少しだって収まりはしない。


 死がもう目の前まで来ているのだろう。

 これまで目の前で繰り返し見てきたあの光景が、今度は自分の身に降りかかるだけなのだと思っても、恐怖は体を縛り付けた。



「…わ、私は、ここで、死ぬの…?」



 その疑問に答える様に、天井から大きな音を立てて何かが落下した。

 ひっ、という喉がひり付いた様な悲鳴が漏れたが、その落下したものが異形ではなく、天井に設置されていたダクトを繋ぐ開口部が落ちてきたのだと気が付いて、一瞬だけほっと息を吐いて―――背筋が凍った。


 ダクトと言う細い道の開口部が、こんなタイミング良く落ちてくるのだろうか?


 答えは、誰に聞かなくても分かった。



「あ…ああ…、ああああっ…!!!」



 ずるりと、人でないものがダクトから身を捩じらせ這いだした。

 闇の中の筈なのにやけにはっきりと見えたその輪郭は蜘蛛に近く。

 少しも逸れる事の無い複眼は、全てこちらを見ている。


――――死が私を見ている。



「ひいっ…! 嫌だっ、死にたくないっ、死にたくない死にたくないっ……!!」



 必死に手足を使って後退りその恐怖から逃れようとするものの、この密封された空間では逃げ場なんてものは無く、唯一の出入り口は未だに激しく扉を打ち付ける音が続いている。


 スルスルと天井から降りてくるそれは、酷くゆったりとした動きをしていた。



「来ないでっ!! 嫌っ、嫌っ…!! お母さんっ、お父さんっ…!!!」



 人の形を僅かに残したそれが無様に叫ぶ私を見てフラフラ近付いてくる。

 死だ、死がある、目の前に死が居る。

 恐ろしい、恐ろしい恐ろしい恐ろしい。

 自分の終わりがこんなにも、恐ろしいと思った。


――――本当は、いずれこうなる事は分かっていた。


 ずっとずっと、ずうっと前から分かっていた。

 こうしてコミュニティの遠征に加わるようになる前から。

 両親が帰って来なくなる前から。

 多くの者が死に絶えたあの日。

 訳も解らず逃げたあの日から、本当はこうなるなんて事分かっていたのだ。



「あは…、あはは…、嫌だ、嫌だよ…」



 目の前に蜘蛛が立つ。


 複眼全てが私を見据える。


 肩口から生える幾つもの爪が、そっと優しく私の首元に伸びてきて。



「嫌だ…お母さん…お父さん、……お兄さん…置いて行かないでよ…」



 もうほとんど思い出せなかった小さな頃の光景が―――なぜだか今になって脳裏を過って。

 伸ばされた爪が首元に触れた。



 ボキリと音を立てて、その爪は折られた。

 横合いから伸ばされた小さな手によって、手折られた。



「――――大丈夫、君を助けに来た」



 鈴を転がす様な幼い声で、掛けられた言葉は根拠も何もないものなのに。

 知らない筈のその声に、何故だか無性に泣きたくなった。







「――――大丈夫、君を助けに来た」



 あっぶねえええええ!!!!


 そんな風に叫びそうになる口を必死に閉ざして、冷静を装って頼れる兄貴分を演じようと意識する。

 かっこつけた言葉を、壁を背にしてボロボロと涙を流す少女に掛けてから、彼女の目の前に迫っていた異形を冷静に蹴り飛ばしたが、俺の内心は見た目ほど落ち着いてはいない。


 結局、落下していく彼女を見捨てて走り去っていく他の三人に怒りを抱きながら、見知らぬ他人であろうとこのまま見捨てるのは気が引けた俺は、出来立てほやほやの大穴に飛び込んで少女の姿を探してしまった。

 死者や異形が一つの方向を目掛けて進行する姿を見て、恐らくこっちだろうと走ったが、ほんの数秒、いや、数瞬遅ければ少女の首は刎ねられていただろう。

 いやほんとに、扉の前で集まる死者達を片付けて扉を開けるべきか、異形がどこに繋がっているかも分からないダクトに入っていくのを追うべきか、一瞬の判断を強いられたあの時、自分の直感を信じて良かったと心底思う。



「あ、あ、なたはっ…?」

「いやなに、本当にただの通りすがりだ。…耳を塞いで口を閉じていろ」



 ガチャリと、肩に掛けている自動小銃を壁に叩き付けられた状態の異形に向ける。

 昆虫が出す不快な音のようなものを発する異形を照準に入れて、じっと構えたまま距離を詰めていく。


 一歩…、二歩…、三歩を踏み出したその瞬間。

 堪え切れなくなったのか、それとも必殺の間合いだと判断したのか、異形は跳躍するように一気に俺目掛けて飛び掛かってきて。

 俺はその跳躍をギリギリまで引き付けて、この自動小銃が最大威力を発揮できる距離に入ったと同時に、引き金を引いた。


 打ち出す弾丸は三つ、始めにそう決めた。

 銃口から火を噴くのを一つ一つ確認して、少しだけ銃口をずらす。

 一発目は頭に、二発目は振り上げられた爪の接合部に、三発目は一発目の着弾によって割れた頭の中身を打ち抜いて。

 頭が砕け、爪がまともに振れなくなった状態になったものの、慣性の法則に従ってこちらに飛んできた異形の死骸を回し蹴りで遠くへ吹き飛ばす。



「――――はっ…?」



 唖然とした声が背後から聞こえて、思わずにやりと口元が緩む。

 これはもしや、今俺めちゃくちゃカッコいいのではないのだろうか?


 我ながら人外染みた事をやっていると思うが、実際人外なのだ。

 これぐらい出来ないと、こんな世界で一人ぼっちでは生きていけない。

 人外となって生存者との接触をするのだ、これくらいの役得あったって良いよね?


――――いやいや、油断するな俺。やるなら最後までだ。


 砕け散った異形の姿を一瞥してから、緩んだ口元に力を入れる。

 そうして振り返って呆然とこちらを見詰める少女に手を差し伸べた。



「立てるか? ここは空気が悪い、話すのは外でにしよう」



 差し出された手の平をまじまじと見つめていた少女がおずおずと手を重ねたのを優しく握り、軽く引っ張って立たせながら、自分のハードボイルドさ加減に興奮する。


 これはもう惚れられてしまったな!!!


 何の根拠も無いその確信に束の間の盛り上がりを見せていた俺の脳内は、ある事実に気が付いて愕然とする。


――――…あ、そう言えば今、俺も少女になってるんじゃん。


 どれだけ態度がかっこよくても、惚れられる訳が無いのである。



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